「何あれ。何やらせてるのよ」
焼きそばパンを頬張っていたルイは遠巻きに眺めている整備班へと声を振る。
「おー、あれなー。エルニィがこの間、小学生の登下校を見たんだと。そんで、日本ってあれらしいな。班長は黄色い旗を振って、下級生をちゃんと送り届けるんだよなー」
「それでエルニィ、じゃあ自分にとってどうしようもない下級生って赤緒さんだって思い立って……それで赤緒さんの《テッチャン》のレスポンスに付き合っているみたい。赤緒さんもこの間の《モリビトZ‐1》搭乗時の反応速度とかを見直したいから、《テッチャン》に《モリビトZ‐1》のOSを半分ほど載せて訓練だって」
シールと月子が向かい合ってトランプを捲り合っている。
「あ……先輩方、私、上がりです」
秋が完成させたのは7並べであった。
「あーっ! くっそぉー、勝てると思ったんだがなぁ」
「じゃあ今度はブラックジャックでもやる?」
トランプを混ぜ直しつつ、メカニック娘たちはわいわいと遊びに興じる。
「あんたたち、いいの? 怖い師匠が見てるって聞いたけれど」
「ああ、師匠たちなら《ビッグナナツー》で警戒水域まで下見だとよ。何でも、最近キョムの新型機が見られるとすりゃ、その辺だって当たりが付いてるみたいだ」
「私たちは、自衛隊の駐屯地に残って訓練の手助けってわけ。でも、エルニィ曰く結構時間のかかる調査だから、気楽にやっていいって言われて」
「せ、先輩方……次はポーカーはどうです?」
「えーっ! ポーカーだとお前が強いだろ? ったく、自分が強いからってずりぃよなぁ!」
「まぁまぁ。シールちゃん、せっかくのお休みなんだし、ちょっとやってみようよ」
たしなめられたシールへとトランプを配り直す秋に、ルイはふとこぼしていた。
「……班長が下級生を、ねぇ。随分とのほほんとした状況ね」
「ルイさん。シミュレーション帰りですか?」
訓練用のRスーツから私服に着替えたさつきに呼び掛けられ、ルイは振り返ってから彼女に惣菜パンと牛乳を渡す。
「そっ。まぁ、ヒマしてるのはあの自称天才だけじゃないってことかしらね」
「あっ、ありがとうございます。訓練の後ってお腹空いちゃいますよね」
惣菜パンを頬張るさつきを横目に、ルイはベンチに座り込んで《テッチャン》を動かす赤緒を眺めていた。
「た、立花さぁん……。もう限界……」
「えーっ! 赤緒ってば相変わらずの体力だなぁ。ほら、旗を振ってるんだからちゃんとしないとっ! オーエスオーエスって具合にね!」
「それは綱引き……。普通の《テッチャン》の設定ならこんなに疲れないんですけれど……《モリビトZ‐1》の設定だと異様に体力を吸われちゃうんですよぉ……」
「しょーがないなぁ。ほら、水」
エルニィがペットボトルの水を投げると赤緒はそれを一気に呷る。
「ぷはぁ……っ! 生き返るー……」
「けれど、赤緒。乗れないと意味ないからね、その《モリビトZ‐1》も。少しでも色んな人機に慣れて、いつでも出撃できるようにするのがトーキョーアンヘルの操主としての責務なんだし」
「……そうは言いましてもぉ……。《テッチャン》の駆動系に初めてのOS載せるとほとんど新規で覚え直すことばっかりで……」
「はい、言い訳をしない。とにかく、赤緒には《モリビトZ‐1》に順応してもらうよ。その度に、ボクは旗を振ってあげるからちゃんと付いてくること!」
「これ、明日もですかぁ……?」
「当たり前じゃん。キョムがいつ攻めてこないとも限らないんだからねー。ちょっとでも訓練を欠かさないのが大事なんだから」
「は、はぁい……」
今日はもう限界なのか赤緒が《テッチャン》から降りる。
Rスーツを着込んではいたが《テッチャン》はほとんど骨ばったフレーム構造なのでいちいち大層な操縦訓練は必要ない。
「……あの、ルイさん? 《テッチャン》、私は乗ったことないんですけれど、赤緒さん、大変そうですね……」
隣で牛乳をストローで飲むさつきが呟く。
「そう? あんなのオモチャみたいなものよ。結局はガワだけ人機だからね。化石燃料とブルブラッドシステムの併用で何とか動いているだけだし、人機とも呼べるかどうか」
「おいー、ルイ、聞こえてんぞー。《テッチャン》は自慢の機体なんだから陰口叩くなよなー」
シールが返答したのに対し、ルイは舌を出して応じる。
「……オンボロ人機にポンコツ整備士」
「んだとぉー!」
「あっ、先輩。これで……」
秋が役を出して一気に勝負を決める。
「かぁーっ! また負けたぁー!」
「シールちゃん、賭け事あんまり得意じゃないもんね。じゃあ今回の取り分は秋ちゃんかな」
「え、えへへっ……申し訳ないです……」
「秋ー、イカサマとかしてんじゃねぇだろうなぁ? ……って言ってみたところで財布がすっからかんになるだけだし、あー……腹も減ってきやがった」
「じゃあ帰りはラーメン屋さんにでも寄る? 赤緒さんが持ち直すまで時間がかかりそうだし」
「そうだなぁ……今日はちょっと腹ごなしにでも行くか。おい、ルイにさつきも。せっかくだし、食っていくかー?」
「遠慮するわ。私はこれでも忙しいのよ」
「あっ、じゃあ私もちょっと……柊神社で晩御飯の準備をしないといけないので……」
「んだよ、ツレねぇなぁー。じゃあ、月子と秋。今日は奢ってくれよなぁー、オレ金ねぇんだよ」
「勝負にたくさんつぎ込むからじゃない。秋ちゃんはこういうのには強いよね? 何かジンクスでもあるの?」
「いやー……先輩方とこうして卓を囲むのも慣れてきたので……勝負勘、とかですかねぇ」
「んだよ、それ。オレらは先輩だぞぉー、カモるんじゃねぇよ」
秋へとデコピンをかましたメカニック三人娘を視界に入れつつ、ルイは焼きそばパンを頬張っていた。
「……あの、ルイさん。忙しい、んですよね?」
「何よ。さつき、あんた帰って夕飯の準備でしょう?」
「いえ、その……ちょっと寄って行きませんか?」
「ラーメン屋なら断っちゃったわよ」
「そうじゃなくって。……私、《テッチャン》に乗ったことないんで……」
さつきの提案にルイは目を見開いていた。
「……呆れた。赤緒があんなに苦労してるのに、それでも乗りたいなんて。さつきって案外、そういう気質なの?」
「い、いえっ……何て言うのかな……。赤緒さんの頑張りの一端を知りたいって言うか……何て言うか……」
更衣室に戻った赤緒と正反対にエルニィは《テッチャン》を起動させて格納庫へと戻そうとしていた。
「ちょっと待ちなさい。……自称天才」
「ん? 何だ、ルイじゃん。それにさつきも。今日の訓練は終わりだよー? もう帰ってそろそろ晩御飯なんじゃないの?」
「さつきが乗りたいって」
自分が指差すとエルニィは怪訝顔になる。
「……何で? さつきは《キュワン》があるじゃん。赤緒みたいに専用機がどうのこうのの次元じゃないでしょ?」
「そ、そうですけれど……。ちょっと気になるって言うか……」
「要はちょっと苦しみたいのよ。本当に変態的なシュミよね」
断言するとさつきは頬を紅潮させて必死に否定する。
「る、ルイさん……っ! そういうんじゃないんですってば!」
「違うの? 赤緒の苦しみを知りたいって言うのは、じゃあ悪い意味で?」
「そ、そうじゃないって言うか……。わ、私も《テッチャン》は乗ったことないですから。その……何て言うのかな」
何故なのだか事の次第を話そうとしないさつきには、何やら秘めているものがあるような気がしていた。
「……まぁ、ちょうど格納庫に返すところだから、いいけれどさ。服は私服でいいの? 案外、汗まみれになっちゃうかもよ?」
「あっ、ちょっとでいいので……」
「ふぅーん。じゃあ設定はどうする?」
エルニィは操主席を開けてから、さつきへと尋ねる。
「えーっと……じゃあ赤緒さんと同じで」
「さっきまで楽しんでいたボクが言うのも何だけれど、割とキツイよ? この設定。何て言うのかな、血続創主の体力以上のものを吸い取るようにできているみたいで……思ったよりタフネスが要るかも」
「だ、大丈夫……です」
「本当に大丈夫なの? 別にさつきが乗らなくってもいい機体でしょ」
「だ、大丈夫ですから……!」
「んじゃ、そうするけれど……。ルイは?」
「私はパス。外で見てるわ」
「だよねぇ……」
さつきは《テッチャン》に乗り込むなりまずは初期機動をかけてエンジンを吹かす。
《テッチャン》の後部に配された排気口から黒煙が上がり、早速さつきはむせていた。
「けほっ……こ、これって……」
「あー、あんまし吸い込まないほうがいいかも。普通に有害だし」
「だ、大丈夫……です……!」
《テッチャン》に直立姿勢を取らせたところで、さつきは歩みを進ませていた。
「思ったよりも……一歩一歩が重いんですね……」
「うん。《モリビトZ‐1》は特殊な機構だからね。本来、下操主を想定した単座じゃない造りみたいだし、それも当然かも。さつきは《ナナツーライト》も《キュワン》も基本構造は単座でしょ? その辺のカタログスペックとかも洗い出ししておかないとなぁ……。赤緒が思ったよりも時間がかかっているのもあるし、システムログとかもシールやツッキーと一緒に見て、それで学習機能とかも付けてやっとのところかもね。そんで……」
「あの……立花さん?」
「んー? 何さー」
「旗……振ってもらえませんか? さっき赤緒さんにやっていたみたいな」
想定外の言葉だったのだろう。
エルニィは首をひねる。
「旗……って、ああさっきの。けれど、何で? さつきは赤緒ほど愚図じゃないでしょ」
「その……振ってもらいたいからじゃ、駄目ですかね……」
そう言われるとエルニィも悪い気はしないのか、黄色い旗を掲げる。
「じゃあ、準備はいい? せーのっ!」
旗を振りながらエルニィが訓練場を駆け抜ける。
さつきはそれに対し、一歩ずつ踏み出しながらようやく追従する形だ。
「そーれっ! ほら、さつきも! そんなんじゃ出遅れちゃうよー!」
えっさほいさと声をかけながらさつきはエルニィの旗に続く。
訓練場を半周したところで《テッチャン》の両腕を地面についてさつきはへばっていた。
「……こ、これが限界……」
「大丈夫? って言うか、だから言ったじゃん。キツイって。そんなのをわざわざ選ぶのって、もしかしてさつき、結構そういうシュミ?」
「ち、違いますってば……。まぁ、その……やってみないと分かんないこともあるって言うか……」
「ふぅーん。まぁいいや。《テッチャン》を格納庫に返してくるから、二人はそのまま帰りなよ」
エルニィに《テッチャン》を任せたさつきは少し疲弊した様子で深呼吸していた。
「……大丈夫? はい、水」
「あっ、ありがとうございます、ルイさん」
買っておいた水を差し出すとさつきはちょびちょびとそれを飲んでいた。
「……何だってしんどいって分かっていることをしたのよ、あんたは」
「あ、その……言わないと駄目ですかね……」
「駄目ね。あの自称天才の目は誤魔化せても私の目は誤魔化せないんだから」
エルニィが来るまでの少しの猶予はある。
その間に聞き出してやろうとルイは感じていた。
さつきはベンチに座り直し、ぼんやりと遠くの夕映えを眺めながら口火を切る。
「……その……日本じゃ、黄色い旗を振って前を行くってちょっと特別なんです。えっと、そのことを立花さんは……」
「知らないんじゃないの? それか、知っていても浅い知識でしょうね。班長がどうのこうのってメカニックの連中は言っていたけれど」
「……はい。多分、日本中のどの小学校でもそうなんですけれど、登下校の時に班長が旗を振るんです。まだ進級して間もない下級生が、迷わないようにだとか、ちゃんと学校に行って帰れるように、だとか。……私、その班長をやっていたことがあって」
「さつきにしては意外ね」
「回って来るんですよ。そういうのも日本独自って言うか……私が一年生だった時、お兄ちゃんはもう中学生だったかな……。だからお兄ちゃんに旗を振ってもらったことは、あんまりなくって」
そう言えば川本はあれで両兵よりも年上だったのだったか。
さつきは今年にようやく十三歳ならば日本の小学校の六年間では一度も旗を振る兄の背中を見たことがないのかもしれない。
「年が離れているとそうなるわね」
「……でも、お兄ちゃん、私がまだ幼稚園の時に旗を振ってくれて……。少しだけ背伸びした気分を味わえたのと、旗を振るお兄ちゃん、カッコよかったなぁって思い出しちゃいまして」
「そんなものなの? 上級生が旗を振っているだけでしょ、あんなの」
「まぁ、そう見えますよね。けれど、私……この間まで小学生だったから分かるんですけれど、旗を振るって思った以上に……誇らしいんですよ? ちゃんと見えるようにしなくっちゃってのもありますし、それに何て言うのかな、責任みたいなの。子供心ながらにあったりして」
「登下校の時だけでしょ。そんな大それたことを感じていたの?」
「……これは分かんないかもしれないんですけれど、でもそうなんです。だから、立花さんに旗を振ってもらっていると、ちょっとだけ、お兄ちゃんに旗を振ってもらったらこんな感じなのかなって、思い出せちゃって……この感じに名前はないのかもしれないんですけれど」
期せずしてエルニィはさつきの思い出の一部になれていたと言うわけか。
ルイはその話を聞きながら南米時代を反芻する。
「……そういえば、南も」
「えっ、南さんも?」
何てことはない、記憶の片隅にあったものであったが、ルイはそれを丁寧に拾い上げていた。
「……アンヘルって言ったって、ジャングルにあるから危なかったものよ。日本みたいに整備された道もないし、それに一歩間違えれば野犬の住処もあったし」
「……大変そう……ですね」