「ほっほ。そんなにかしこまることはないさ。ここじゃあんたは立派な操主なんだからね」
微笑みながら歩み寄ってきたのは、確かシールと月子のメカニックの師匠である柿沼春だ。
彼女は平時ならばシールと月子を顎で使いながら、それでいてきっちりと威厳も見せている。
青葉はどことなく近づきがたいものを感じていたのだ。
何故なら、メカニックの師匠と言うだけでも恐らく敬愛すべきものなのに、その中でも恐らくは大ベテラン。
自分のようなひよっこ操主では敵いようもない相手なのは間違いない。
だからか、自ずと身が強張ってしまう。
「は、はい……その、でも私……」
「まぁまぁ。ほら、力を抜いて」
肩に手を置かれ、青葉は思ったよりも自分が緊張しているように映っているのだと実感する。
「あ、えっと……」
「別に取って食おうと言うんじゃないんだ、リラックスリラックス。それでだね、あんたにはこれをあげようと思ってね。忙しいとは思うが、呼び止めてしまったんだよ」
差し出されたのは手のひらサイズの書面かと思われたが、それは日本に居た頃から馴染み深いものでもあった。
「……ポチ袋……?」
「そうさね、日本じゃそう言うんだろう? ちょうど今は元旦じゃないか。いわゆる心づけ、という奴だよ」
青葉はしかし、思わず突っ返していた。
「う、受け取れませんよ……! こういうのって、だって――。
だってこういうのは親しい人間にするものではないか――と言い出しかけてその唇を柿沼がそっと指で制する。
「なに、難しく考えるものではないよ。もらえるものは若いうちは病気以外は全部貰っておきな。じゃあね、操主として頑張るんだよ」
柿沼の背中が遠ざかってから青葉は呟く。
「……こういうの、すごく久しぶりかも……でも、いいのかな。私が貰っちゃって……」
「何を貰っちゃってって?」
「だって、これって多分お年玉――って、エルニィ?」
唐突に現れたエルニィに素っ頓狂な声を上げてしまった自分へと、彼女は次郎を抱えて歩み寄る。
「それ、何?」
「何って、ポチ袋……」
「ポチ袋……? 犬でも入ってるの?」
「いや、そのポチじゃなくって……って言うか、エルニィ。日系なんだから知ってるんじゃないの?」
「いや、初耳。何なの?」
「えっと……」
事ここに至って青葉は少しだけ戸惑ってしまう。
そもそも、お年玉と言う概念はブラジルにあるのだろうか、という考えと、柿沼のような実行力のある人間から貰った心づけに何かしら意図を見出されるかもしれない。
しかし、エルニィは目を輝かせて次郎と共に詰め寄る。
「ねぇ、何なの? 青葉、隠し事はなし、だよ」
そう言われてしまえば下手に隠し立てができないのが自分だ。
青葉は正直に告白していた。
「その、ね? 日本じゃこれくらいの時期に……年長者からお年玉を貰う文化があるの?」
「オトシダマ……って何? 花火か何か?」
本当に知らないのか、と青葉は思わず疑ってしまうが、一つ一つ解きほぐす。
「花火じゃなくって……その、何のひねりもないことを言うと、臨時のお小遣い、みたいな?」
「えっ! それ、じゃあお金?」
想定外の様子でがっついてきたエルニィに、青葉はうろたえつつ応じる。
「うん……そのはず、だけど……」
「これは大変なことになったなー……シール! ツッキー! 青葉が柿沼のばーちゃんからお金貰ってるー!」
「ちょ、ちょっとエルニィ! 言い方!」
諫めようとするもその時にはエルニィの声でシールと月子が訪れている。
「何なんだよ、エルニィ……ふわぁ、眠ぃ」
「し、シールさん……?」
「んんぅ~? 何だよぉ~」
月子は動きやすいジャージに身を包んでいたが、それと相反するようにシールの寝間着姿はピンクのTシャツタイプだった。
ファンシーなブラジルのウサギ耳のキャラクターが随所にあしらわれている。
「あっ……シールちゃん。寝間着姿見せるの、初めてなんじゃない?」
その段になってようやく現実認識が追いついてきたのか、寝ぼけ眼を擦っていたシールの顔が紅潮する。
「ば、バカ……っ! 見んな! ……って言ったってもう遅いか。何なんだよ……」
「えっとその……柿沼さんからこれ、貰っちゃって」
「何だか、オトシダマとかいうお金なんだってさ」
身も蓋もない言い草だなと思っていると、シールと月子が目の色を変える。
「なにっ? お前これ……じゃあ、あの気難しい婆さん……じゃなかった、師匠がお前に渡したってのか? お年玉を?」
「え、ええ……多分……」
「それ、凄いことだよ、青葉ちゃん。だって私たち、長年先生たちの下で学んでいるけれど、一回もお年玉なんて貰ったことなんてないんだから!」
「い、一回も……?」
「そうだぜ! あの婆さんもケチくせぇんだよな! 貰ったもんはせいぜい、労力に見合った報酬くらいなもんだ。それだってどれだけ差っ引かれてるんだか分かったもんじゃねぇ! ……でも、本当にこれ、カネなのか?」
「……そうだと思う。お正月だからって言われたし……」
シールと月子は顔を見合わせ、それから自分の肩を引っ掴む。
「青葉……これ、いくら入ってるのか見たのか?」
「ま、まだだけれど……」
「だとすれば……お金じゃない可能性もあるよね。商品券とか」
「そこまでケチなことあるか? ……だが、こういうのは何つーのかな。観測するまで実際にカネなのかどうかは変動し続けるシュレディンガーのお年玉だし……。青葉、これは提案なんだが、あえて開けねぇのはどうだ?」
「そ、それってどういう……?」
「つまり、だ。青葉が手を付けねぇことで、オレらにもチャンスが巡ってくるように誘導するって寸法だよ」
どこか調子付いたように映るシールの物言いに月子が口を挟む。
「もう、悪い顔になってるよ、シールちゃん。……けれど、私たちもここまで来たんだし、お年玉くらいは欲しいよね……」
その気持ちは痛いほどわかるとでもいうように、月子は何度も深く頷く。
どれだけ柿沼と水無瀬にいいように扱われているのだろうと思いつつ、青葉はその作戦を尋ね返す。
「えっと……つまり?」
「つまりは誰も損しない作戦って奴だよ。お前も得をするし、オレらも得をする。これはいわゆるウィンウィンという奴だな」
「でもさー、どうすんの? ばーちゃんたちってケチなのは二人から口酸っぱく聞かされてるけれどさ」
三人がめいめいに首をひねる。
妙案が出る前に青葉はポチ袋を見据える。
「その……じゃあこのポチ袋は……」
「開けないことでオレらが貰えるようにするんだって。それにしても厄介だな……。何であんなに気難しい柿沼の婆さんが青葉に……」
「私も報酬は貰ったことはあるけれど、それは当たり前って感じに渡されてばっかりだもんね。エルニィは? 相指さんから貰ったことはなかったの?」
「じーちゃん? じーちゃんはそういう臨時ボーナスみたいなのって案外厳しくってさ。ボクが一個前に進んだ時に分かり切ったようなタイミングで渡して来たんだよね。だから、こういう風に特別ってのはあんまりなくって、そもそもなんか予定調和って感じで渡されるもんだから特別感薄かったなー」
「……まぁ、人機開発の権威である立花相指その人の孫って言うんだからな。それなりに厳しいもんもあるんだろ。よくは知らねぇけれど」
その辺りは月子とシールも知り合って最近となれば、踏み込むのも躊躇されるのだろう。
「別にじーちゃんはその辺、適当だったとは思うけれどねー。ただ、ボクが欲しいなと思う半歩先のタイミングをずっと行かれていたのはちょっとだけムカつくけれど」
エルニィ自身には悲壮感がないのだけはありがたいのだろう。
月子とシールはそれぞれ肘で小突き合う。
「で、どうすんだ? オレ、そういう何つーのか……おねだりの方法なんて知らねぇんだけれど」
「わ、私だってそうだよ。……そもそもお年玉なんて貰おうと思って貰えるようなものじゃないでしょ?」
「じゃあどうすっか……。何とかして、オレらも青葉と同じようにして貰うと言う作戦自体が甘いのか?」
渋面を突き合わせるシールと月子。
エルニィはそんな二人の苦労など何でもないように首を傾げる。
「何で? お年玉ちょーだい、って言えばいいじゃん」
「いや、エルニィよぉ……お前はまだガキだから貰えるチャンスっつーか、その機会には恵まれてるだろうが、オレらはな……」
「一端に社会人のつもりだし、さすがにね……。エルニィみたいにおねだり上手でもないし」
「ふぅーん。小難しいんだねー。青葉は? どうやってばーちゃんから貰ったのさ?」
「私? 私は……普通にしていたら……」
「フツーってのが一番厄介なんだよな。先生はお前の貢献度を見込んで、お年玉をくれたんだろ? その論法で言えば、オレらだって貰える権利くらいはあるはずなんだが……」
「貰ったためしもないもんね……」
揃って肩を落とすシールと月子を見やりつつ、エルニィは問いかけてくる。
「そういや、青葉も日本じゃばーちゃんが居たんだっけ?」
「あ、うん。おばあちゃんは私にずっとよくしてくれて……」
「何ッ! じゃあ元々貰いやすい体質なんじゃねぇのか?」
「も、貰いやすいとかはないよ……多分。私だって別に貰おうとか下心があったわけじゃないし……」
それでも日本に居た頃には祖母によく可愛がってもらったのは克明に覚えている。
たった一人の肉親であった期間も長かったのだ。
きっと、祖母も自分を支えにしてくれていたのだろう。
「お年玉ってさ、何に使うの? 青葉はどうしてた?」
エルニィの根本からの質問に青葉は返事に窮する。
「私は……一割くらいかな、自分で使っていたのって。それ以外は貯金してもらってたよ?」
「貯金! 一番つまんねーワード出てきたよ!」
シールの物言いに月子は頬を掻く。
「私たち、揃って貯金なんてほとんどしないもんね……。先生から貰った報酬で生活しろって言う、自活能力を試されているのもあるし」
「花嫁修業だか知らねぇが、とんだ災難だぜ。……ま、お陰で一円のありがたみってのはよく分かっているつもりだが……」
シールはずいっとこちらへと踏み込む。
思わず青葉は後ずさっていた。
「そ、そのシールさん……? 近い……」
「なぁ、青葉。先生はいくらくれたと思う?」
「ま、まだ開けてないから分かんないけれど……」
「お年玉って相場があるの?」
「エルニィはいくら貰ってたんだよ。あの立花相指だ、結構な額をつぎ込んでくれたんじゃねぇの?」
その言葉にエルニィは神妙顔になる。
「うーん……じーちゃんってさ、結構倹約家だったんだよね。そりゃー、ボクも一応はブラジルの一等地には住んではいたけれどさ。そもそもアンヘルや敵組織から身を隠す名目もあったし、派手にお金を使うタイプじゃなかったかな。貰う額って言っても最低額。その時に欲しいものは半歩先で買ってくれていたし、困ったことはなかった半面、そういうお年玉のありがたみみたいなの? そういうのもなかったかな」
「よくも悪くもあの天才、ってわけか。その孫も然りだな。ってなると、ここで一番お年玉の使い道を知ってんのは青葉ってことか」
「わ、私……? けれど……」
「青葉ちゃんは何に使っていたの? それに、今回お年玉を貰ったのは青葉ちゃんなんだし、聞かせて欲しいな」
青葉はうろたえつつも、自分が日本でいつも使っていた使い道を思い返す。
「そ、その……新作のプラモと塗料に、エアブラシの代金だとか……」
語って聞かせると、そういえばそうだった、と三人ともがっかりする。
「そういや、青葉はそうだったな……」
「なーんか、肩透かしかも。青葉はそう言えばそうだった」
「な……! 使い道を言って欲しいって言ったの、エルニィたちじゃない」
「まぁ、正直なのはいいことなんだろうけれど……うーん、じゃあ私たちはどうする?」
「まだ貰ってもいないものの使い道かよ。日本じゃ取らぬ狸の何とやらっていうんじゃねぇの? だがまぁ、青葉がいくら貰ったのかはあえて詮索しないが、オレが貰ったんならそうだな……。やっぱ新作のモンキーレンチだろ! この間使っていた奴が錆びちまったからな!」
「私は、新しい図面用紙が欲しいかな。それと筆記用具とか。あっ、作業着も新調したいかも」
何だか二人ともプライベートと仕事を分けて喋っている気がしない。
もっとお年玉は自由でいいはずなのに。
「……なーんかさ、シールもツッキーももっと夢のある話しない? せっかく柿沼のばーちゃんからお金貰えるんだよ? それも臨時収入! となれば……」
「となると……高い店でメシでも食うか?」
「新しい私服も欲しいかも……」
二人の願望を聞きつつ青葉も手元のポチ袋に視線を落とす。
「夢のある使い方かぁ……」
「滅多にないんだし、そういう風に考えるのもいいかもね。ただまぁ……ボクが言える義理じゃないのかも。だってボクだって新型メカの備品代とか考えちゃうし」
「……そ、その……! 私だけ貰ってるの、何だか居心地悪いから……これ、四人で使い道を考えない?」
「とは言ってもよ。それは青葉のもんだろ。オレらが使っていいカネじゃねぇよ」
「それはシールちゃんの言う通りだと思うな。青葉ちゃんが自分で使い道を探すのが多分、先生の考えなんだと思うよ?」
「私なりの……使い道……」
「難しく考えることないんじゃない? プラモでもご飯でも何でもいいんだってば。青葉が使ってくれるのが、柿沼のばーちゃんがお年玉をくれた理由でしょ」
そう言えば、と青葉は日本での日々を思い返す。
「……おばあちゃん、私がお年玉を使うのをよく笑って見てくれたな……。額とか関係なく、私が喜ぶものを自分で選ぶのが嬉しいみたいな感じで」
「じゃあ、その通りだろ。オレらは……まぁ望み薄だが、自分たちなりにお年玉を催促してみるよ」
「そうだね、シールちゃん。先生たちだって考えが変わったのかもしれないし、私たちもお年玉を貰うチャンスだと思えばね」
「……だってさ。青葉はどうするの? そのお年玉、何に使う?」
「……ちょっとだけ、考えさせてもらえるかな……? 私、ちゃんと使いたい。だって私がモリビトの操主だから、期待も込めて貰えたんだろうし……」
三人に見送られて青葉は部屋に戻る途中、ばったりと両兵と鉢合わせする。
「うぉ……っ! 何だ、青葉かよ」
「両兵……。あの、さ。両兵はお年玉とか貰ったことある?」
「何だ、その質問。そりゃー、日系人だらけだったからな。その習慣はカナイマでも生きてはいたが」
「どういうものに使ったとか、印象に残ってる?」
「どういうって……。お前も知ってンだろ? カナイマじゃ、一個一個の嗜好品が割と贅沢な代物なんだ。なら、特別な収入があれば、そいつは自分のために使うもんだろうが」
「自分のために……」
「ま、オレらはお年玉なんて貰った日にゃ、次の日からは争奪戦にはなっていたがな。整備班なんて一年に一回の臨時収入だ。あの頭の堅い爺さん連中だって、ヒンシたちにゃお年玉をやっていたって聞くぜ?」
「山野さんたちが……?」
それは少しだけ意外で、青葉は聞き返す。
「おう。あのケチを煮詰めたみてぇな連中でも、だ。それくらい、特別なんだろうさ。年越し行事ってのはよ。元々、カナイマの連中ってのは明日の朝陽を拝めるのかどうかでさえ、古代人機の防衛成績が関わってくる。オレやオヤジがやられちまえばそこまで。《モリビト2号》が負けちまえば、明日なんざねぇ。そんな中で、年を越すってのは殊更に特別だったんだろうな」
確かに、カナイマアンヘルでは《モリビト2号》の勝利如何で全てが決していたのだ。
その要であった操主である両兵と現太、それにメカニックにはそれなりの報酬もあったのだろう。
「……じゃあ、お年玉ってのは色々あったんだね……」
「まぁ、賭け事に使う奴も居たし、貯金って言うつまんねー選択肢を取る奴も居たが、そいつ次第だな。ただ、全員が全員、年を越すってことの意義だとか、その価値ってのを噛み締めていたのはマジな話だろうぜ。来年もこの調子で生き延びられればってな。……どうした? こんな話、今さら聞いたって面白くも何ともねぇだろ?」」
「いや……ううん。聞けて良かったかも。そうだよね、モリビトを使って戦うのって、当たり前のようでそうじゃないんだよね……」
だからこそ、柿沼は「操主としての津崎青葉」にお年玉をくれたのだろう。