赤緒は眼前の箱型パソコンを相手に悪戦苦闘する。自分だけではない。アンヘルメンバー全員が居間で慣れないパソコンのキーを叩いていた。
「……報告書作成の義務とか言って……まともに触ったこともないのにできるわけないじゃないですか」
「泣き言言わない! パソコンが触れなくってそれより高等な技術の粋である人機に触ろうなんておこがましいと思わないの? ……そうじゃなくっても、赤緒はあんな認識なんだからマスターしてもらうよ。ワードファイルを作成するくらいは、ね」
どこか非情な声に赤緒は余計なことを言うのではなかった、と回顧していた。
「……あっ、立花さん、また遊んで。もうっ、駄目じゃないですか」
「遊んでないよ。これでも真剣」
「……手に持っているのは何です? ゲームのコントローラーでしょう?」
「……あのね、赤緒。これってすごい高等なことなんだよ? 人機の基本プログラミングをキータイピングじゃなくってゲームのコントローラーに変換してるの。翻って言えば、トレースシステムにも関係してくる技術で――」
「……でもゲームなんでしょう?」
こちらの疑念の声音にエルニィはむすっとする。
「……むっ、赤緒ってば、日本風に言うとオカンみたいだよね。何でも遊んでいるって思いがちって言うか」
しかし遊んでいる風にしか見えないのだから自分は諌めなくってはならない。赤緒は画面を覗き込もうとしてエルニィに遮られていた。
「ああ、駄目だよ、駄目。これ、機密事項だから」
「見せられないんなら、やっぱり怪しいのでは?」
「だーかーら! アンヘルの機密なんだってば! いくら赤緒が操主でも見せられない……いや、操主だからこそか。下手に知ると国家機密だよ? もしもの時に、この内容を見たな? とか言われて拷問されるかも」
「何を馬鹿なことを……」
一蹴しかけてエルニィの眼差しが真剣なことに気付いたが、それでも自分は今さら譲れない。
「……げ、ゲームなんですよね?」
「……それならどれほどいいことか。そういえば……日本ってパソコンの普及率どれくらい? 聞いたことなかったな……」
「ふきゅうりつ……?」
「どれくらいみんなに知られているかってこと。学校にはもちろんあるんだよね?」
「いえ、その……学校にもありませんね……だって高級品ですから」
返答にエルニィは怪訝そうに眉をひそめる。
「高級品? パソコンが? ……こんなのジャンクでちょちょいのちょいじゃん。高級も何もないよ」
「……この筐体は、そうなんですか?」
「まぁ、一応はハイスペックだけれどでも、どうでもいいパーツには本当にジャンク使ってるし。現状、この国のパーツよりかは南米から定期的に送られてくるパーツでまかなっている感じ」
そう言えばエルニィ宛に定期的に段ボールが運ばれてくるのを赤緒は思い出していた。
「……立花さん、あれ、困るんですけれど」
「何が? だってこの国の中じゃ全然パーツ集まらないんだもん。南米に頼るしかないよ」
「……でも、遊んでいるようにしか……」
何度視点を変えようとしても、赤緒にはエルニィの手にあるコントローラーで業務的なことをしているとは思えない。
エルニィは首をひねっていた。
「……どうにもいけないね。この国の人間はデスクワークを軽んじる傾向にあると言うか……。そもそも、さ。知らなければ今、ボクが何をしているのかもまるで不明なわけでしょ?」
「……それは、そうですけれど……」
エルニィはよし、と立ち上がり、手を叩いていた。
「じゃあ、こうしよう! 赤緒たちにどれだけボクが苦労しているのかを分かってもらうために。今日はパソコン講座を開く」
「……パソコン講座?」
きょとんとする自分にエルニィは手を払う。
「……まぁ、いきなりプログラム組めとかは言わないし。せめて人機による戦歴と報告書の作成くらいはできてよね。ボクがいっつも作っているんだから。日本語は天才のボクでも言って不得手だから、赤緒たちのほうにも分はあるでしょ?」
「それは……そうなのかもしれませんけれど……」
濁す言葉を返している間にもエルニィは次々に決定していく。
「じゃあ、居間を借りるねー。パソコンは旧式でいいよね? どうせ報告書作るだけだし、余計なスペック入れてると何かと不具合を起こしそうだから」
エルニィは格納庫から台車でいくつかパソコンの山を持って来る。赤緒は目を丸くしていた。
「あの……これを私たちが?」
「うん。なに、簡単なことだってば。慣れれば子供だってやれちゃうよ。ワードファイルを作成して、自分たちの手で、自分たちの報告書を作る。ね? 簡単でしょ?」
ウインクして言ってみせるエルニィだが、赤緒はそもそもパソコンを触ったことなどこれまでまともになかった。
「報告書なんて……作れるのかな……」
「馬鹿に手間のかかる作業ってわけでもないし、誰だってできるってば。どうせだから全員集合させよう。さつきー。さつきもちょっと来てみてよー」
台所にさつきを呼びに行ったエルニィの背を見送りつつ、赤緒は山積みのパソコンへと一瞥を向けていた。
「……大丈夫なのかな……」
「――全然大丈夫じゃないじゃん!」
喚いたエルニィが奇声を上げて頭を掻きむしる。どうやら自分たちに教えるのは相当に骨が折れるらしい。
「……あのー、立花さん。何だかその……」
言いづらそうにするさつきにエルニィは詰問する。
「……何。早めに、そして手短に言って」
「あのー、何もしてないのに画面が真っ青になっちゃったんですけれど……」
その言葉にエルニィの顔色も真っ青になる。
「何やってんのさ! ……あーあー、フリーズしちゃってる。もう! どこか押したでしょ!」
「お、押してませんよ……」
「いーや! 変なとこ押さないとこうはならないはずだからね! ……手が焼けるなぁ、ホントに……」
復旧作業に入っているエルニィへと今度はメルJが声を上げる。
「おい、立花。このパソコン、文字がおかしいぞ。骨董品じゃないのか?」
「えー、そんなはず……って! 文字化けしてるじゃん! もー! 何やってのさ、メルJ!」
「何って……ちょっとこのパソコンのスペックを調べようと、あれこれと……」
「そういうのは今はしなくっていいの! 三人ともしっかりしてよ! 報告書を作るだけなんだから!」
喚き散らすエルニィに今度はルイが挙手する。
「……なに、ルイ。変なことだったら怒るからね」
「やっと三面クリア」
ルイは画面を見せつける。いつの間に起動していたのか、ブロック崩しのゲームのステージをクリアしていた。
「あー、もう! 報告書作るだけだって言ったよね? 何だってこんな妙なことになるのさー!」
「……まぁ、赤緒さんたちを含めて日本人ってまだこういうのに慣れてないからねー」
余裕ぶっている南は慣れた仕草で報告書を作成している。その手腕にアンヘルメンバーが歓声を上げていた。
「……すごいですね。そんなに早くタイピングできるんだ……」
「南さん……すごいです……!」
二人分の感嘆に南が照れる。
「いやぁ、そう言われると気分がいいわねぇ! ……あの高官共の鼻持ちならない態度もこの時のためだって思うと少しはストレス解消になるわ……」
どこかぶつくさと呟く様子に、南も苦労しているのだな、と推測する。
「南、大袈裟。カナイマアンヘルでしょっちゅういじってたじゃない。今さらのスキルよ」
ルイの冷静な分析に南が食って掛かる。
「何よぅ。あんたは報告書の作成でしょ。デキる女はここで左右されるのよ、ここで」
その言葉繰りにルイが静かな怒りを湛えたのが窺えた。高速タイピングですぐさま報告書を叩き終える。
「……できた。あとは内容はチェックしておいて、自称天才」
「あっ、ちょっとルイってば! ……もう、できるんなら最初からやってくれって話だよ……」
立ち去ったルイに対してぼやきつつも内容をチェックするエルニィへと、さつきが新たにおずおずと挙手する。
「あのー、立花さん……。英語でしか打てないんですけれど……」
「だーかーら! それさっき赤緒にも言ったし! 何で日本人はローマ字入力もできないの?」
「慣れてないんだってば。私だって報告書は最初から英語だからねー。ローマ字入力の苦しみはまだ分かんないわ」
そう言いつつ南は自分の分はきっちりと仕上げていく。赤緒はむぅと呻っていた。
「……今度は何、赤緒……」
ぜいぜいと息を切らしつつこちらの動向に目を留めたエルニィに、赤緒は縮こまりながら声にする。
「あの……そもそも何を書けば……? 報告書ってどうやるんですか……?」
「どうって……《モリビト2号》の所感だとか、性能に関する要望だとか、色々あるでしょ?」
「……私、思ったよりも何とも思ってないのかもしれません……」
いざ報告書を書けと言われても、特に何も思いつかないのである。
エルニィは呆れ気味にこちらへと歩み寄ってくる。
「……あのさぁ、別にペダルがちょっと重いとか、反応速度をもうちょっと上げてだとか、どういう装備が欲しいでもいいんだってば。こんなところでも日本人特有の無欲を発揮しないでよ……」
「し、してませんよぉ、そんなの……。じゃあその……ルイさんは何を書いたんですか?」
「ルイの? ……これ、参考になるかなぁ。専門用語バリバリに使ってあるけれど……まぁ、噛み砕いて言うと、今の《ナナツーマイルド》じゃ《ナナツーライト》との連携を切れないから、自分専用のもうちょっとパワーのある人機が欲しいとか、そんな感じ」
「パワーのある、人機……」
「具体的に言えばモリビトとかだね」
「も、モリビト……? だ、駄目ですよ! あげられません!」
「……別に赤緒の《モリビト2号》をあげてとか言うわけじゃないんだけれどね。新型のモリビトの建造案もないわけじゃないし、それに関する要望って感じかな」
「新型の……モリビトですか? 私の《モリビト2号》じゃなくって?」
「そりゃ、バックアップは必要でしょ。人機って言ったってワンオフばっかりじゃやられた時にどうしようもないし」
「なら私は、シュナイガーの修繕を要望するとしておくか。……連中、いつになったら私のシュナイガーを返すんだ、忌々しい……。南米に送ったとか言ってから随分と経つ気がするが?」
「しょうがないじゃん。日本じゃ《シュナイガートウジャ》は直せないんだから。かといって、南米に送ると、今度はメルJの培った戦闘データが欲しいのは明白なんだし、そこは駆け引きでしょ」
「……納得できんな」
頬をむくれさせるメルJにエルニィはほとほと呆れ返る。
「じゃあ、そう嘆願すれば? 案外通るかもよ?」
「……書いておく」
大人しく報告書作りに戻ったメルJにため息をついたエルニィへと赤緒は言いやっていた。
「……あの、疲れるならお茶でも……」
「駄目。赤緒、逃げようとか思ってるでしょ?」
肩をがっしりと掴まれて問われると、赤緒は視線を他所に逃がそうとしてしまう。それを関知したエルニィは自分を座り込ませていた。
「報告書を書き終えるまで、お茶はなし! ……もう、何だってこんな簡単なことができないのさ。ボクは毎回……そう! 毎回だよ? 毎回みんなの報告書を仕上げてるんだからね!」
ぐうの音も出ず赤緒は首を引っ込めさせる。さつきは慣れないキータイピングを人差し指でゆっくり行っていた。
「……さつき。それ、三日三晩くらいかかりそうだけれど」
「で、でも間違えないようにしようと思うと……どうしても皆さんみたいには打てなくって……あっ、間違えちゃった……」
しょぼくれるさつきへとエルニィはつかつかと歩み寄り、設定を標準に戻していた。
「もう! 何で? ここまでできないとは思いも寄らなかったじゃん!」
「そりゃあんた、まだ日本のパソコンの普及率なんて一割にも満たないんじゃない? そんなのなのに赤緒さんたちに報告書をいきなり書けって言うのも無理な話よ。……っと、私のはおーわり。赤緒さん、五郎さんに聞いてお茶を汲んでくるわ」
「あっ、助かります……って、南さんは終わっちゃったんだ……」
「そりゃそうだよ。南だってアンヘルの陰の立役者なんだから。パソコンの一つや二つは朝飯前。逆に報告書ばっかりで嫌気が差しているくらいでしょ」
言いやったエルニィに赤緒はおっかなびっくりに尋ねていた。
「その……迷惑したとか思ってます……よね?」
「……何が。迷惑だと本気で思ってる?」
うっ、と赤緒はまごつく。遊んでいるじゃないか、と糾弾した手前、この様相はさすがに笑えない。
「……その、私、頑張りますから……っ! 頑張って立花さんに……駄目な子だって思われないように……したいです」
「じゃあまずは半角を直すところからだね」
あっ、と文字がまたしても半角英数字になっていることに気づく。愚鈍な自分にしょんぼりとしていると、エルニィは不意にくくっと笑っていた。
「……立花さん?」
「いやー、だってみんな可笑しくって可笑しくって……。何でそんなにできないの? もう、馬鹿に呆れを通り越して笑えてきた……」
ぷぷっ、と吹き出そうとするエルニィに赤緒はしかし言い返すこともできない。何せ、何一つまともではないのには違いないのだ。
「……そ、そうだ。小河原さんは? 小河原さんだけ居ないのは何か……ルール違反です……」
「あー、赤緒、自分よりできない奴呼ぼうとか思ってるー?」
見透かされて声を詰まらせているとお盆にお茶を乗せた南が居間に入ってくる。
「なにー? 両を呼びたいの? 両! 来なさいってば!」
パンパンと南が手を叩くと屋根から両兵がにゅっと頭を出す。
「……ンだよ、黄坂。その呼び方やめろって言ってんだろ。メシか?」
「あんたって本当に……まぁいいわ。報告書作り。あんたもやってみなさいな」
「報告書だぁ? ……オレの嫌いな分野じゃねぇか。カナイマで馬鹿みてぇに作らされて来ただろ? 今さら要らねぇよ」