JINKI 221 マキちゃんの初恋

「何か心配ごとなら、相談してください。私も力になりますよ」

 泉がマキの肩に手を置くと、マキはうーんと呻る。

「二人に相談しても……ちょっと……なことだから」

 自分はまだしも泉を関わらせないようにするのは少し珍しい。

 赤緒は泉と顔を見合わせてから、少しだけ勘繰る。

「マンガのこと……?」

「いや、まぁそう言っちゃえばそうなんだけれどさ……。でもまぁ、ちょっと違うかな」

 マンガが彼女の世界では一番のはずだ。

 だと言うのに、それを窺わせないということは、今回は違うのかもしれない。

「では、勉強、ですか? もう少ししたら中間テストですから、何かそこで不安でも?」

「う、ん……? あー、そっか中間テストじゃん! それ、忘れてたぁー……」

 頭を抱え始めるマキにどうやらそれでもなさそうだ、と赤緒はいくつか質問をぶつけてみる。

「えっと、また何か手伝えるなら、手伝うから。何かあったの?」

「あったって言うか、なかったって言うか……何て言うのかな。ちょっと手応えのない出来事で……具体的には言いづらいって言うか」

 ここまで不明瞭なのもマキの人柄としてはなかなかない。

「言ってください。私たち、親友じゃないですか」

 泉が切り込んだ形となったが、マキは呻った後に頭を振る。

「だ、駄目駄目っ。ここで二人に頼ったら、多分、よくないだろうし。このお話はお終い! よしっ!」

 自身の頬を叩いて調子を整え直したマキであったが、すぐにぐだっとしてまたしても陰鬱なため息が漏れる。

「……ねぇ、赤緒ってさー。好きな人とか居たっけ」

 唐突に問いかけられたものだから、赤緒は思わず吹き出していた。

「な、何言って……! い、居ないよ……今は」

 精一杯取り繕った自分の顔は赤くなっているのが分かる。

 しかし、マキはそれ以上追及せずに泉へと声を振っていた。

「泉は? 居たっけ?」

「今は居ませんね。けれど昔、憧れていた男の人が居た時にはマキちゃんに背中を押してもらったこともありましたね」

「あ、そんなこと……あったんだ」

「あった、あった。小学校の時の話。あの時は本当に困ったよー。だって泉ってさ、高校生を好きになっちゃったんだもん」

 泉は頬に手を添えて少しだけ口元を緩める。

「まだ大人への憧れがあったんですよね。結局、答えはぼやかされてしまいましたけれど」

「そんなこと……ああ、そっか。私、中学から一緒だったから」

 知らないのも当たり前ではある。

「ふぅーん、思い出深いのもあったねぇ。けれど、さ。何て言うのかな。好きってのは、やっぱりちょっと辛いね」

 ぼんやりしたマキに赤緒はその顔の前で手を振る。

「マキちゃーん? ぼやぼやしているけれど大丈夫?」

「赤緒は、さ。告白ってしたことあったっけ?」

 またしても出し抜けの質問に赤緒は戸惑ってしまう。

「な、ななな……! 何言ってるの、マキちゃん。……したことないよ、まだ……」

「だよねぇ……。じゃあ相談したってなぁ……」

 何だか心ここに非ずと言った様子のマキに何か言葉を投げようとして、始業のチャイムが鳴っていた。

「ほらー、席につけー。出席取るわよー」

 ジュリが顎をしゃくって生徒たちをめいめいに着席させていく。

 赤緒もそれには逆らえず、席へと戻っていた。

 マキの席はちょうど自分の数個後ろなので、彼女がどのような表情をしているのかを観察することはできない。

 しかし、席につく直前、マキはまたしてもどこか憂鬱気にため息をついたのを赤緒は何だか消化できずにいた。

「……マキちゃん、何があったんだろ……」

 ――つつがなく授業が終わり、赤緒は教科書を整えている最中、マキがジュリへと駆け寄っていったのを目の当たりにする。

「……マキちゃんがジュリ先生に?」

 疑問符を浮かべていると泉が歩み寄っていた。

「赤緒さん、一緒に帰りましょう」

「あ、うん……。マキちゃん、珍しいよね。普段は女王バチって嫌煙しているのに」

 泉もマキの背中を認め、小首を傾げる。

「もしかすると勉強で不安なところがあるのかもしれませんね」

「……けれど、それなら私たちに言ってくれたっていいじゃない。何だか……隠されている気分だよ」

 別段、マキは勉強ができないと言うわけでもないが、熱心に点数を取っていくタイプでもない。

 それなのに、ジュリに相談する時点で、ある種奇妙さが浮き立つ。

「……赤緒さん、今日、ちょっといいですか? 時間」

「あっ、うん。大丈夫だけれど……」

 どこか囁くようにして提案した泉に、赤緒は応じていた。

 マキと肩を並べず、泉とだけ帰るのは少し稀で、赤緒は少しだけ緊張しながら帰路にある喫茶店に立ち寄っていた。

 二人ともコーヒーを注文してから、赤緒は切り出された言葉に当惑する。

「ずばり、恋の悩みなのではないでしょうか?」

 水を飲もうとした矢先だったので、思わず赤緒はむせてしまう。

 何度か咳き込んで調子を取り戻してから、問い返す。

「こ、恋? マキちゃんが……?」

「そうです。だって、あんな風にため息をついたりするマキちゃん、らしくないでしょう?」

「それは……まぁ、そうだけれど……」

「いつでも元気なのがマキちゃんのいいところじゃないですか。なのに、私たちに対して核心をつくような質問を避けたり、そうかと思えば好きな人がどうとか尋ねるのは……やはり恋なのではないでしょうか?」

「……ってことは、えっと……誰か好きな人が居てってこと?」

 運ばれてきたコーヒーに泉は砂糖を加えてから、首肯する。

「やはり恋は人を変えるのですよ。赤緒さんにも、覚えはありませんか?」

「覚え……か」

 何故なのか分からないが両兵の顔が脳裏に浮かんで、赤緒は大慌てでその像を掻き消すべく、ブラックのコーヒーを喉に流し込む。

「うっ……苦っ……」

「マキちゃん、マンガのことなら私たちに相談してくれるはずじゃないですか」

「まぁ……そうだよね。アシスタントみたいなこともやってきたし……」

「そうですよ。それなのに、ここ一番で相談できないって言うことは、きっと恋なんです」

「うーん、でもそうなら余計にその、突っ込んだ質問はできないよね? マキちゃんの恋路なんだし……」

「けれど、あんな風なマキちゃん、見ていられません。恋の応援くらい、できないでしょうか?」

 泉はそう言えば自分よりも長くマキと親友をしているのだ。

 思うところも自分とは違うのかもしれない。

「……泉ちゃんは、そう言えば高校生との初恋って言うのは……」

 話題に出ていた泉の恋に言及すると、彼女はティースプーンを手にコーヒーへとミルクを混ぜていた。

「……まぁ、取るに足らないことですよ。大人っぽい男の人だったんで、それで憧れて……。まだ小学生でしたから、恋と言うものを分かっていなかったんです。だから、告白と言うのも全然……」

 頬を紅潮させて初恋の思い出を語る泉に、赤緒はそれとなく切り込んでいた。

「駄目……だったの?」

 頭を振って泉は受け止める。

「駄目とか……それ以前の問題でしたね。恋愛対象として見れないから、いつか大人に成ったらって言う、今にして思えばとても紳士的な対応をしてもらったものです」

「それってでも、現場にマキちゃんが居たんだよね?」

「元々、後押ししてくれたのもマキちゃんで。絶対無理だって、心臓が爆発しそうだったですけれど、やってみないと分かんない! って言うのがその頃からマキちゃんの口癖で」

「あ、今でもそうだよね、マキちゃん」

 お互いに微笑み合ってから、だから、と泉は言葉の穂を継ぐ。

「そういうことで悩んでいるのなら、力になりたいんです。だって、一度助けられたんですから。友達のピンチに、何もせずに傍観するのはしたくないので」

「友達のピンチかー……。私、大したこと何にもできないかも」

 ミルクと砂糖を加えて、赤緒はコーヒーを口に運ぶ。

 その懸念に泉は提言していた。

「けれど赤緒さんだって、この先、恋をすることはあるかもしれないでしょう? マキちゃんの助けになるのも、悪くないんじゃないですか?」

「けれどなぁ……私、恋とか全然だし……」

「アンヘルの皆さんは? そういうことを考えていらっしゃる方も多いのでは?」

「アンヘルのみんな……? みんなは……」

 言い澱んだ赤緒はそれぞれの面々の反応を脳内でシミュレーションする。

 エルニィは恋だとかそういうのは完全に脳内には存在しなさそうだ。

 ルイはクールなので問いかけると藪蛇なのはこちらのほうだろう。

 さつきは年相応に何かありそうではあるが、結局のところを教えてくれなさそうではある。

 メルJは彼女もどこかでそういうことは考えていそうだが、それはそれ、これはこれという風にはぐらかされてしまうだろう。

「……ない、かなぁ……?」

 自分が窺い知らぬところで彼女らには彼女らの恋路がありそうだが、それを詮索するほど野暮でもない。

「私は、こう言っては何ですけれど、そういうこと、あまり考えたこともないですので。マキちゃんの助けになりたい、それだけで」

「……マキちゃんは喜んでくれるのかな」

「分かりません。分かりませんけれどでも、いつでも元気なマキちゃんを見られるのが何よりも力をもらえるんです。だったら、私は何か、力添えをしてみたいとは思うんですよ」

「確かに。マキちゃん、元気ないのは何だかちょっと……」

 気にかかる、と赤緒は冷めかけたコーヒーを啜っていた。

「――赤緒さん? 何か、心配ごとですか?」

「えっ、何で?」

 台所に立って夕飯の仕込みをしている最中、さつきに問いかけられたので赤緒は彼女へと振り向く。

「だって赤緒さん、ため息が今日は多いですよ?」

「あ、うん、そっか。出ちゃってた?」

「はい。心配ごとがあるのなら、言ってください。力になれるかどうかまでは、分かりませんけれど」

「ああ、うん。けれどアンヘルの関係じゃないし……。それに、ちょっとプライベートなことだから」

 何だかマキのことを誰彼構わず言ってしまうのは気が引けて、赤緒は困惑する。

「けれど、赤緒さんが元気ないの、ちょっと気にかかっちゃいましたから……」

 そうか、さつきから見れば、自分に覇気がないのも少し気にかかるのだろう。

 泉と自分がマキのため息が多いことに気にかかっているのと、起因するものはきっと同じく。

「……あのね、さつきちゃん。さつきちゃんは告白とか恋愛とか……したことある?」

 思わぬ問いかけであったのだろう。

 頬を紅潮させて、さつきは戸惑う。

「わ、わわっ……私、ですか?」

「あっ、ごめん。変なこと聞いちゃってるね、私……」

「い、いえ……。そういうの、その……あんまり縁がなかったもので……」

「そうなの? けれどさつきちゃん、可愛いから、男の子から言われることはあったんじゃない?」

「か、可愛くなんて……。それに、私、そういうのまだよく……分かんないので」

「まぁ、そうだよね……。私もよく分かんないんだ。恋とか、告白だとか……」

「赤緒さんは誰か気になる方が居るんですか?」

「いや、今回のは自分じゃなくって……」

「――話は聞かせてもらったよ!」

 不意打ち気味に声を発したのはエルニィで、いつの間にか自分たちの後ろで両腕を組んで佇んでいる。

「た、立花さん……? な、何ですか? 趣味悪いですよ、立ち聞きなんて……」

「いやー、赤緒もさつきも、全然だなー、全然。恋だとか告白? そんなの、簡単じゃん!」

 まさか、エルニィのような人間が恋を語るとは想定外であったので、赤緒は目をしばたたく。

「……た、立花さんのほうが経験豊富だって言いたいんですか……?」

「日本人ってこういうところだよねぇ。奥ゆかしいも過ぎれば毒ってものだし。まずは相手にアタック! それからでしょ!」

「け、けれどそんな風に強気には、なかなか成れないって言う話で……」

「って言うかさ、赤緒が恋に困ってるの? それともさつき?」

 その段階であったか、とがっくりと肩を落とした自分を尻目に、さつきが問いかける。

「赤緒さん……ですよね?」

「あっ、いや、違って……。えっと、立花さん、面識ありましたよね? マキちゃんって分かります?」

「あー、漫画家の子じゃん。うん、覚えているけれど何で?」

「その……マキちゃんがもしかすると……もしかすると、ですよ? 恋しちゃったのかなぁ、なんて……」

「誰に? 赤緒に?」

 問い返されて赤緒はぶんぶんと首を横に振る。

「そうじゃなくって! ……誰とかは分かんないんですけれど、泉ちゃんはきっとそうだって言っていて……」

「泉って言うと、お嬢様みたいな子だっけ? けれど何で? 何で赤緒がその子の恋とかを気にするのさ?」

「それは……一応親友ですし、困りごとがあるのならその……言って欲しいなって思うじゃないですか」

 こちらの返答にエルニィは度し難いとでも言うように肩を竦める。

「……何ですか、その態度」

「分かってないなぁ、赤緒も。親友だから言えないとかもあるんじゃないの? それに、何でも明け透けに言うだけが友達じゃないでしょ? きっとその、マキちゃんとか言うのもさ、その子なりの思うところがあるって言うんじゃない?」

「じゃあ……どうすればいいんですか」

「赤緒が協力できるところなんてたかが知れてるんだからさ。自分の範疇ってのを知らないと」

 何だか分かった風なことを言ってのけるエルニィに、赤緒は困惑し切って尋ね返す。

「……確かに何も出来ないかもですけれど、でも……マキちゃんの初恋、実らせたいでしょう?」

「まぁ、そりゃあね。実らないよりかは実ったほうがいいに決まってる」

「だから、それが分かんないんですってば。恋愛とか、駆け引きだとか言うの……」

「赤緒さん、ヴァネットさんが載っているファッション雑誌読んでいるじゃないですか。あれに何か書いてありませんか?」

「うーん、そりゃそういうのも特集されているけれど……」

「こういう時は門外漢の知恵も必要だね。赤緒もさ、少しはそういうことへの造詣ってのもないと」

 うんうんと何度も頷くエルニィに、赤緒は何だかしてやられっ放しも癪で、反撃していた。

「……立花さんだって恋愛とか分かんないくせに……」

「むかっ……分かってるよ! 少なくとも赤緒よりかはねー!」

「じゃあ私、その……勉強しますんで! ファッション雑誌をきちっと読んで!」

「まぁ、それもいいんじゃないの? 先人の知恵とかそういうのってさ、たまには当てにしないと始まらないだろうし」

「赤緒さん、私もそう思います。何よりも、赤緒さんの親友の方ですからっ! 恋愛成就、確か柊神社にも御守りありましたよね?」

 さつきの後押しに赤緒はよしっ、と拳を握り締めていた。

「マキちゃんの力に……なりたいから……!」

「――とは言ってみたけれど、よく分かんないなぁ、これ……」

 完全に途方に暮れた赤緒は一応、柊神社で取り扱っている恋愛関係の御守りを探ってみたが、安産祈願の物しかすぐには見つからず、その上ファッション雑誌を読みふけっても全く頭に入らなかったので、鞄に隠して学校へと持ち込んでいた。

 校舎裏で、赤緒は鞄からのそのそと雑誌を取り出して、熟読する。

「恋愛成就には占いがおススメ……? 占いって私、あまり信じてないからなぁ……。マキちゃんの誕生日は……っと」

 恋占いへと目線を走らせていると、不意に雑誌を後ろから取り上げられていた。

「赤緒にしちゃ珍しいじゃない。ファッション雑誌なんて」

「ジュリ先生? あっ、えっとその……」

 雑誌を取り上げたジュリはふむふむ、と読み取る。

「恋愛運、ねぇ。なるほど、女子高生らしい趣味だこと」

「か、返してくださいよ……」

「駄ぁー目。雑誌の持ち込みは禁止だからね」

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