JINKI 226 大事な今のために

「……しかし、まさかこんなことになろうとはな」

「事態はいつだって読めないものよ、両。あんたに同席してもらったのは他でもないんだからね」

 薄暗い作戦会議室で、両兵はふんぞり返っていた。

「……別にいいけれどよ。オレが参加する意味あンのか?」

「何言ってるの。それしかないじゃない。あんたが参加しなくっちゃ誰が参加するのよ」

「……柊は? 見たのは柊なんだろ?」

「赤緒さんは事の重大さを教えるとぼろが出ちゃうから。同じような理由でさつきちゃんにも今回は参加してもらってないわ」

 それほどまでの重大な事案――ではあるのだろう。

 両兵は南へと視線を配る。

「けれどよ、それもこれも、オレたちが首を突っ込むことじゃねぇんだろ?」

「いいえ、これはかなり差し迫った脅威よ。トーキョーアンヘルのこれからに直結するかも」

 そう言われてしまえば、やはりこの重苦しい空気を脱する術はなく、両兵は唾を飲み下していた。

「……さっき言ってたの、マジな話なんだろうな?」

「マジもマジ、大マジよ。まさかこんな風になるなんてね……」

 両兵は腕を組んで、そもそも何故、こんな作戦会議に陥っているのかを思い返していた。

「――立花さん! パソコンの使い過ぎはよくないですよ。ゲームと同じで、目が悪くなっちゃうかも!」

 注意を飛ばした赤緒に、エルニィは肩を竦める。

「赤緒ってば、前時代的だなぁ。パソコン程度で目が悪くなるんなら、人機の設計図とにらめっこしているボクはとっくに眼鏡だよ」

「で、ですけれど……! パソコンもやっぱり、時間を決めたほうが……」

「あー、はいはい。オカン気質なんだから、もう。これも仕事だよ。時間を決めてどうこうってわけにはいかないじゃんか。それに、赤緒には報告書作れるの?」

 問い返されてしまえば、そのような能力はないことを思い知らされて赤緒の言葉振りは少しばかり弱々しくなる。

「……け、けれどですよ……。最近、立花さん、ずーっとパソコンですし」

「それだけ忙しいってことだよ。悪いことじゃないでしょ? アンヘルの業務をボクだけで捌いているんだから、少しは感謝して欲しいもんだね。第一、パソコンを使えるのがボクと南とだけってのが間違ってるんだよ。かといってまたパソコン教室を開くのもなぁ……。赤緒たち、好き勝手するし」

「す、好き勝手なんてしませんよ……。報告書って難しいんですから」

「だったら、その難しいのをやってるんだから、少しは配慮してよね。……喉渇いちゃった。赤緒ー、お茶ー」

 その物言いにはさすがの赤緒もむっとしてしまう。

「……立花さん? 私はお茶じゃありませんよ」

「カタいこと言わない。もうっ、じゃあ自分で入れてくるから、いいよー」

 パソコンの前から席を立ち、エルニィは台所へと向かっていった。

 その後ろ姿を見送りながら、赤緒は嘆息をつく。

「……パソコンばっかり四六時中……よくないと思うけれどなぁ」

 そうぼやいて赤緒はパソコンに表示されたウィンドウを流し見ていた。

 その中にメールらしき項目があったので、赤緒は思わず注視する。

「……えーっと、なになに……? “立花博士へとご依頼したい仕事がありまして……”ってこれ、珍しく日本語……。“我が社へと是非とも、総務役のポジションで”……? どういうこと? 立花さんが、会社の役員に……?」

「赤緒ー。コーヒーどこだっけ?」

 不意に呼びかけられて赤緒はひゃんと素っ頓狂な悲鳴を上げる。

「えっと……コーヒーですか……?」

「そうそう」

「……上の棚に……」

「あー、あったあった。ありがとー」

 応対して何とかやり過ごしてから、赤緒はその文面を見やっていた。

「……これ、勧誘……みたいな。でも、立花さんはトーキョーアンヘルのメンバー……だよね?」

 迷いの胸中の中で小首を傾げていると、マグカップにコーヒーを注いだエルニィが居間へと戻ってくる気配を感じていた。

 別に悪さをしているつもりはないが、どこかばつが悪くて赤緒はパソコンから視線を外す。

「いやー、やっぱり長期の仕事には、コーヒーでシャキッと目を覚ますのが一番だなぁ」

「……あのー、立花さん?」

「うん? 何?」

「えっとぉー……仕事って具体的に何をやっているんですか?」

「……何さ、藪から棒に。えーっと、そうだなぁ。人機の開発とか、設計図の仕様とか、アンヘルの資金面での書類とか、報告書だとか。後は、一応人機の操主である、赤緒たちのデータベースの管理とか、かな」

 コーヒーを啜ったエルニィに、赤緒は問いかける。

「それって……他の人って言うか、誰かにバレたら……マズいですよね?」

「マズいって言うか、守秘義務だし。赤緒も学生やってるからって色々あることないこと言わないでよね。これだけで国防がどうのこうのってなるレベルなんだから」

「こ、怖いこと言わないでくださいよ……」

「別に何も怖いことなんてないでしょー。これまでだって散々やってきたじゃんか」

 変わるところもないようにエルニィはキーボードを叩き始めるが、赤緒の脳裏には先ほどのメールがちらついていた。

「あれ? 赤緒さん、どうしたの、ぼうっとして。おっ、茶柱」

 湯飲みを覗き込んだ南が台所で茶を啜っているところに、赤緒はふと尋ねてみる。

「……あの、立花さんってトーキョーアンヘルのメカニックですよね?」

「うん? エルニィはそうでしょ。そりゃー、あの子は操主でもあるけれど基本はメカニック業だからねぇ」

「その……立花さんってメカニックでももしかして……すごい人だったり?」

「そうねー。普段はそんなそぶりもないけれど、エルニィはIQ300の天才少女だし。あの子の力やさじ加減一つで人機産業が動いていると言っても過言じゃないわ」

「あ、あわわ……っ! じゃあどうしましょう……!」

 慌て始めた自分へと南は軽く視線を向ける。

「どうしたのよ、赤緒さん。別に赤緒さんがどうこうしたところで、エルニィがどうにかなっちゃうわけじゃないでしょう?」

「いえ、あの……そうなんですけれど! ……見ちゃって」

「……何を?」

 少し強張った南の声音に、赤緒は素直に口にしていた。

「その……立花さんのパソコンのメールに……勧誘? みたいなのがあって……」

 途端、ガっと肩口を掴まれる。

 うろたえ調子の赤緒へと、南は問い質していた。

「赤緒さん……それ本当?」

「えっ……あ、はい。本当ですけれど……」

「……まさか。いえ、でもあの子に限って……。これってヘッドハンティングって奴……なのかしら?」

「ヘッドハンティング……ってなんでしたっけ?」

「優秀な人材とかを引き抜く……そういう勧誘ね。さっきも言ったけれど、エルニィはあれでもIQ300の天才少女で、人機研究の権威で、なおかつ国防の矢面にも立っていて……」

 そこまで言われれば赤緒にも事の重大さは理解できていた。

「どうしましょう……! 立花さんが……どこか他のところに……行っちゃうってことですか?」

「……赤緒さん。ここはひとまず、他言無用で。私に預けてもらえるかしら」

「み、南さん……立花さんを引き留められるんですか……?」

「それはやってみないと分からないけれど……ちょっとした会議は必要そうね……」

「――で、催されたのがこの会合か。しかし、私は分かるが、どうして黄坂ルイまで? こいつも操主だろう」

「エルニィのことをよく知っていると考えての抜擢よ。もちろん、両。あんたもね」

「……ガラじゃねぇんだがなぁ。こういうコソコソしたのはよ」

 不満を発した両兵を一瞥してから、南は議題を持ち出す。

「とにかく、赤緒さんの証言通りなら、エルニィのところに破格の条件で引き抜きが来ていると思うべきね」

「ちょっといいか? 何で薄暗いんだ? 別に明るい部屋でやってもいいだろう」

 メルJが部屋の照明に文句を垂れると、南は神妙に応じていた。

「気分よ、気分。このほうが事の深刻さが出るでしょう?」

「……普通に薄暗くって調子が合わないのだが……」

「質問。自称天才はそのヘッドハンティングに関して、何かそれっぽい匂わせは?」

 挙手したルイに南は全員を見渡す。

「そういうのがないか、ってのを聞きたかったのよ。さすがはルイね。メルJに両、あんたたちはそれっぽいこと聞いてない?」

「それっぽいこと、か……? そういえば……」

「――むっ。何だ、立花。いつもならば筐体を組み上げているところだろう。ぼんやりして」

 射撃訓練から帰ってくるなり、メルJは軒先でぼんやりしているエルニィを発見していた。

「……あっ、メルJ」

「あっ、じゃないだろう、まったく。たるんでいるぞ。何か、懸念事項でもあるのか?」

「あー……そう見えちゃう? 見えるってことは、うん。よくないね」

「……何かあるのなら黄坂南にでも相談すればいいだろう」

「うーん……メルJ、さ。ちょっと今の気分を変えたい時はどうしてる?」

 何だからしくない質問を振られた気分でメルJは思案する。

「今の気分を変えたい時……か? それなら、最近、赤緒の勧めでアロマテラピーというものを嗜んでいてな。少しばかり頭がすっきりする。飛行人機で酔うことは滅多にないが、赤緒はあれでも慣れが必要なのだろう。さつきにも勧めていたところを見たぞ」

「アロマテラピー、かぁ……。まぁ、そういうのも無きにしも非ずってところかな。うん、じゃあ、そういうのを試してみよっかな」

「……立花、お前はそれでも天才なのだろう? 自分の調子くらい自分で整えられるんじゃないのか?」

 その問いかけにはエルニィは唇を尖らせていた。

「それができれば苦労はしないやい。……まぁ、ちょっと悩みごとがあってねー。それに関しての話のつもりだったんだけれど……そっか。アロマテラピーねぇ……。悪くはないかもだけれど……」

 それっきり言葉を濁し、エルニィは暮れかけた空を眺め続ける。

 何だかそれ以上に言葉を振るのも野暮な気がして、メルJは玄関のほうへと歩いて行った。

「――と言うのがあったのだが」

「それ! やっぱりあの子、悩んでいたんじゃない? ヘッドハンティングを受けるかどうかって」

「いや、これは早計な部分もあるだろうし……。それに、私とてコンディションを整える方法を問われただけだ。別に企業に降るかどうかを聞かれたわけでは……」

「いーえっ! メルJ、何でそこまで聞いておいて引き留めないのよ!」

 断定口調になった自分に、メルJが首を縮こまらせる。

「そう言われても困る……」

「私も。それっぽい兆候ならあったわ」

 続いて挙手したルイはエルニィの近頃の様子を語り始める。

「――小動物もだいぶ、トーキョーアンヘルに馴染んできたんじゃない?」

 日課の散歩を終えた自分へと語りかけて来たエルニィは屈んで次郎にお手をさせる。

「そうならいいんだけれど。この間の儲け話はチャラになっちゃたわね」

「そうなんだよねぇ……。こっちに居る限り、赤緒が財布握ってるからさ。……来月のゲーム、買えないどころかしばらくはゲーム禁止ですっ、って言われちゃって」

 エルニィの赤緒の物真似にルイは乾いた拍手を送る。

「今の。なかなかに似てるわよ、自称天才」

「でしょー。赤緒ってばホント、オカン気質で困っちゃうよ、もう。……これなら少しばかり……自由にできるお財布が欲しいところではあるよねぇ……」

「あんた、アンヘルの財政に関しては一任されているんじゃなかったの?」

「南と分担でトーキョーアンヘルの財務に関しては運用しているけれど、ちょーっと個人資産が欲しいって時にはないんだよねぇ。どこかで稼ぎ口でも見つけるかな」

「アルバイトでもしたら? あんた、それで頭だけはいいんだから」

「……失礼なことを言うなぁ、ルイは。けれど、そうだねぇ。稼ぎ口か……。となれば、やっぱりあの話、受けてみようかな……」

「あの話?」

「ああ、ううん。何でもないんだ。ただ……儲け話ってのは裏にロクなことがないのも事実だし、もうちょっと考えてからにしよっかな」

 エルニィは次郎の頭を撫でて、その首筋をくすぐる。

 ルイからしてみれば、エルニィのそういった態度は少し気にかかったが、別段、普段の悪ガキの側面から離れたわけでもない。

 この時は、気に留めるまでもないと思ったのだが――。

「――今にして考えると、あれって転職のことを考えていたのかも」

「何で、それを早く言わないのよ! それって十中八九、確実に考えているじゃないの!」

「南に言ったって解決するわけじゃないでしょ」

 むっとしたルイに、確かに、と南は考え直す。

「……まぁ、言われたからってすぐには対応できないけれど……」

「オレもいいか?」

「両も? って言うか、さっきからあんたたち、何なの! そういう兆候があれば、少しは相談しなさいよ!」

「……言われてもそこまでの事態だとは思わねぇだろ。なぁ、ヴァネットに黄坂のガキ」

 三人で頷き合うものだから、南は怒りを堪えつつ、両兵の話を促す。

「……それで? 両はどうしたって言うの?」

「ああ。これはよくやるザリガニ釣りの時の話なんだが」

「……あんたたちは普段、一体何をやっているのよ。で? エルニィがどうしたって?」

「ああ、今にして思えばってもんなんだが、ザリガニ釣りが思ったよりも盛り上がっちまってな」

「――いやぁ、今日も大漁だねっ! 両兵っ!」

「……何でてめぇは真っ昼間っからザリガニ釣りに興じられるんだよ。いいのか? アンヘルの財政は黄坂に言わせてみりゃ火の車って聞いたぜ?」

「いーの! どうせ、南なんて……ううん、何でもない」

「……何だよ。黄坂の奴と喧嘩でもしたのか?」

「……喧嘩って言うか、何て言うのかな……。あの、さ。両兵は、今……幸せ?」

「はぁ……? 何を言い出すかと思えば……」

「ちょっとマジな話……答えてくんないかな? 幸せだと思ってる?」

 少し深刻なトーンで尋ねられたので、両兵はザリガニ釣りの釣竿を垂らしながら頬杖を突く。

「……まぁ、幸せってのが人並みのもんを言うんだとすりゃあ、割合マシなところかな」

「何それ。それじゃ答えたうちに入んないよ」

「けれどよ、尋ねられる相手によっても違うだろ、そりゃあ。オレは、所詮、お前らにしてみりゃ脇役みてぇなもんだし」

「嘘言わないでよ。トーキョーアンヘルのリーダーでしょ?」

「……ガラじゃ、ねぇんだよ、そういうの。リーダーなんてそろそろ黄坂の奴に明け渡したいところさ。それに、責任者ってもんは色々と雁字搦めで大変だろ? オレとしちゃ、もうちょっと気楽な身分で居たいもんだ」

「……じゃあ気楽な身分からの目線でいいからさ。ボク、最近、どうかな……?」

「どうって……こうしてオレと変わらずバカやってる、エルニィ立花には変わらんが……」

「本当に、そう……? 南米の頃から、両兵にとってのボクって変わんない……?」

 そこまで遡られると返答も変わってくるので、両兵は釣り堀に垂らした糸を凝視して思い返す。

「……そういや、お前、南米で初めて会った時、ちょうどじぃさんが死んだんだったか」

「あ、ああ、うん。あの時はボクも結構、参っちゃってたかも……」

「けどすぐにテンション戻ったじゃねぇの」

「それは……! ……青葉と両兵が居てくれたからでしょ。二人がボクを立ち直らせたんだ」

「じゃあ、今もそうなんじゃねぇの? 何に悩んでいるのか知らねぇけれどよ。今のお前の傍には誰が居るんだよ。柊も居れば、黄坂だって居る。さつきもそうだし、メルJの奴もそうだ。お前は思ったよりもずっと、大きな縁みてぇなのに支えられてんのさ」

「……何それ。両兵にしちゃ、いいこと言うじゃん」

 脇腹を小突かれたので、うるせぇ、と言い返す。

「それに、言わせちまえばよ。お前がウジウジ悩んだって、そんなもんは仕方ねぇ。エルニィ立花一人で生きてるわけじゃねぇだろ。だったら、他人でも何でも、困った時にゃお互い様だ。お互い様で支えるのが、アンヘルの身内ってもんだろうが」

「……身内、ね。何だか不思議だなぁ。両兵にしてみれば、もしかしてボクも家族みたいなもん?」

「……違うのかよ」

 暫しの沈黙の後に、エルニィは少しだけ自嘲気味に応じる。

「……だよね。両兵は、そう言えばいっつもそうだった」

 そう言って笑ってみせたエルニィの横顔を仔細に眺める前に、大きな獲物がかかって両兵は立ち上がる。

「うおっ! こいつ……なかなかのパワー持ってやがる! 立花! 手伝え! こいつ釣りあげたら、今日は晩飯奢ってやる!」

「ウソ? 両兵にしちゃ、大盤振る舞いじゃん! よぉーし、手伝っちゃおっかな!」

「――ってのがあってだな……何だ、てめぇら。何で、こいつはいっつも……みたいな顔して呆れてやがる」

「いえ……何て言うのか、それは別の話な気もするけれど……って言うか、あの子も案外、こういうところは女子なのよね……」

「ンだよ、黄坂、分かった風なこと言いやがって。関係あるかもって言うから言ったんだが」

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