「シールちゃん、やっぱりちょっと濡れてもいいから、傘買って来ようか?」
買い出しに付き添った月子の言葉に、シールはううんと呻る。
「けれどなぁ……買ったもんが買ったもんだろ?」
自分には似つかわしくない、少し高級なブランドの衣服の紙袋を提げ、シールはまたもため息であった。
「……何だって、こんなことになったんだろうな。元々、最近エルニィが私服を買ったってんで、それに触発されてのことだったんだが……」
「仕方ないよ、シールちゃん。日本って雨多いみたいだし」
「梅雨……って言うんだったか、いわゆる……。こんな憂鬱な季節を超えないといけねぇなんて、日本人っての馬鹿なんじゃねぇの」
「けれど、私たちだって日系だし。日本とは無関係じゃいられないよ」
「……だよなぁ。この辺、面倒っつーか、なんつーか……」
言葉を探り探りにしていると、あの、と声がかけられていた。
「先輩方……何も私にも新しい服を見繕っていただかなくってもよかったんじゃ……」
すっかり湿っぽさと一体化している秋が謙遜気味にそう言うと、月子はめっ、と指を突き付ける。
「駄目だよ、秋ちゃん。そんな風に卑下しちゃ。秋ちゃんが可愛いの、私たちは知ってるんだし」
「そーだぞ、秋。せっかく日向秋っていう、名前だけは馬鹿明るい名前なんだ。そう腐るなって」
「シールちゃん、名前だけは、ってのは余計」
へいへい、と応じつつ、シールは止まない雨脚を仰ぎ見ていた。
「けれど、日本に来てもう一か月ほどは経ったか? 案外、住めば都って言ったもんだな。格納庫で過ごすのも悪かねぇし、柊神社での生活も板についてきたところでこれだもんな」
「赤緒さんも、みんないい人でよかったね。私たちと顔見知りなのはルイちゃんとエルニィくらいなものだったけれど」
そのエルニィだって、ここまで日本に馴染んで――否、俗っぽくなっているとは思いも寄らない。
「ルイと一晩中ゲームしたって飽きねぇんだからな。あいつも……なんだかんだで変わったか?」
「どうだろ。そうかもね。エルニィ、三年前はまだ子供だったけれど……今のほうが楽しそう」
何かに一喜一憂したり、誰かと喜びを分かち合ったりするのは元来のエルニィの明るさもあったのだろうが、ここ数日間で彼女はまた違った一面を見せつつあった。
「それもこれも赤緒……か?」
「赤緒さん、エルニィにオカン気質って言われても悪い気がしてない気もするしね。二人はいいコンビなのかも」
「……まぁなぁ。赤緒はちょっと心配が過ぎるんだよ。その辺でオカン気質とか言われちまうんだ」
とは言え、とシールは身体を持ち直していた。
大きく伸びをしてから、灰色の曇天を眺める。
「……南米じゃ、腐るほどあった星も、東京じゃほとんど見えねぇな」
「空気が違うからね。それに、カラカス防衛戦とかに私たちは関わったわけじゃないし」
「……正直言うとよ。門外漢気取れるほどの距離でもなければ、関係者って言えるほどの距離でもないんだよな」
「でも、私たちが役に立ったから、青葉ちゃんは今でも戦えてるんでしょ?」
「……青葉、か」
南米に取り残した青葉は今も恐らく最前線で戦っていることだろう。
たとえ、自分の愛した人機が日本に居ようとも、それでも青葉は戦い続ける。
キョムとの決着がつくその日まで。
何だか、その在り方は苛烈で――そしてかつての彼女の明るさを知っている身となれば少しだけ胸が苦しい。
「……青葉にゃ、オレたちの造ったとっておきの人機に乗って欲しいもんなんだがな」
「トーキョーアンヘルにいずれ来てくれるようなことがあれば、その時に見繕ってあげればいいじゃない」
「……月子は前向きだなぁ。青葉がこっちに来なければいけないっていう意味、分かんないわけじゃねぇだろ」
青葉ほどの一級の操主が来日するとすれば、それは自分たちがキョムに大局を崩され、ほとんど撤退戦に陥るような事態であろう。
それだけは阻止しなければいけない。
トーキョーアンヘルの防衛線の要は自分たち、メカニックの領分でもある。
「……そうだよね。けれど、このまま……って言うのを祈っちゃいけないのかな? このまま、アンヘルとキョムとのパワーバランスが崩れないような、そんな状態を……」
月子の言わんとしていることは分かる。
これ以上、新型人機の開発を進めたところで、要らぬ横槍が入ってくる心配のほうが大きいのだ。
加えて、トーキョーアンヘルに戦力を一極集中したくない上の思惑も透けて見える。
恐らく、遠からぬうちに、何かしら大きな衝突があるであろう。
その時に、自分たちはアンヘルの一員として職務を全うできるのかは不安なのであろう。
「……末端って言ったって、オレはアンヘルの一人として、役割くらいは完遂するつもりだぜ。それがどれだけ間違っていようともな」
「……シールちゃん……。うん、そうだよね。それがだって、整備班の仕事なんだもん」
「……先輩方、私も同じ気持ちです。だって、そうじゃないとここまで来たんですから……っ!」
「何だよ、秋ー。いつになくやる気じゃねぇの。そうだよ、それくらいじゃねぇとアンヘルのメカニックは務まんねぇよな!」
「わわっ……頭撫でないでください、シール先輩っ。髪型乱れちゃいますから」
帽子の上から秋の頭を乱暴に撫でてやったところで、不意に一台の車が停まっていた。
「あれ? 何であんたたち、ここに?」
運転席から顔を出したのは南である。
「南さん? ちょうどよかった……! 乗せてってください」
「……まぁ、ちょうど自衛隊の駐屯地からの帰りだからいいけれど、ちょっと狭いわよ?」
指差された後部座席にはエルニィの注文か、筐体が積まれている。
「それでもいいって。ここで足止め食らうよかよっぽど」
「……んじゃまぁ、三人とも乗って。月子さんは助手席ね」
その厚意に甘えて車へと乗り込むと、南が渋った理由が分かってシールはげんなりする。
「げっ……両兵……」
「げっ、とは何だ、げっ、とは」
「……てめぇが乗ってるんなら、少しは考えるべきだったぜ」
「何だよ。嫌ならこの雨の中走って帰ンな」
「両、三人とも買い出しの帰りなんだし、それくらいで文句言わない。それにこの雨じゃ、夕方辺りまで止まないわよ」
南が車を出したところで、ただでさえ狭い後部座席の中、漂ってくる臭気にシールは顔をしかめる。
「……おい、両兵。フロ、入ってねぇだろ」
「……ん、そういやそうだな。最近めっきりだったところだ」
「めっきりだった、じゃねぇよ! 汗とか色んなもんで、とんでもねぇ臭いしてんぞ!」
「うっせぇなぁ……仕方ねぇだろ。こちとら年中、橋の下暮らしが板についてんだよ」
「どういう反論だよ、ったく……。人間として最低限のマナーだとかデリカシーは身に着けておけよ」
剣呑な空気に挟まれた形の秋が、思い出したように声にする。
「そ、その……お二方……! そう言えばそろそろ、新型人機のロールアウトですよね? 小河原さんも乗られるんですか?」
「うん? おお……そういやそんなことを立花が言ってたな。トウジャのアップグレード案だったか」
「小河原君、トウジャの搭乗経験はそんなにでしょ? だから、ルイちゃんかヴァネットさんが乗る時にはサポートしてあげてね」
月子の言葉に両兵は眉根を寄せる。
「サポート、ねぇ……。オレは勘で乗っているみたいなところあるからな。そういう点じゃ、ヴァネットと黄坂のガキにゃ熟練度じゃ負けるよ」
「けれどあんた、新型人機のシミュレーターには積極的じゃないの。自衛隊の人たちも、助かっているって評判よ?」
南の言はシールからしてみれば少しだけ意外であった。
「……両兵が、他人の役に……?」
「立っちゃ悪いかよ。シミュレーターはカナイマにも簡単なのはあったからな。その延長線上でメンテを頼まれりゃ、それくらいはやってやるさ」
「……面倒見がいいんだな、意外と」
「意外ってのは余計だっての。知ってたか? 自衛官ってのは結構、上手い酒の店知ってんだよ。それを対価にもらってるから、仕事に手は抜けねぇな」
やはり、両兵がやる気を出すとすればそういう方向性なのは何となく窺えたところで、シールは窓辺に頬杖をついてこぼす。
「……面倒見がいいっての、前言撤回だな」
「何でだよ。面倒見はいいだろうが。酒で手打ちにしてるんだぜ? 人機操主として素人もいいところの連中のサポートもしてンだからよ」
「……そういうところだっつの。青葉も赤緒も、これじゃ呆れるばっかだぜ」
「何でここで青葉と柊の名前が出てくんだ? っつか、てめぇもメカニックだろうが。アンヘルのサポート役だろ。《モリビト2号》のマニューバ、今のままじゃ柊にはちと重ぇ。次の戦闘までにペダル精度を上げといてくれよ」
「……何でオレが、両兵の言うこと聞かなくっちゃいけねぇんだよ」
「オレは一応、操主だろうが。まぁ、オマケだろうがな。今の人機が血続トレースシステムをメインフレームにしているとは言え、必須だとは思うぜ。そういう感覚っての」
重い沈黙が流れる。
南は努めて明るい声で話題を変えようとしていた。
「そ……そういえば、四人とも! お腹減ってない? ちょっとそこ、寄ろっか」
南が指し示したのはドライブスルーのハンバーガーショップだ。
両兵が不遜そうに応じる。
「……趣味じゃねぇんだが、ああいうの」
「あんた、普段もっと身体に悪いものばっか食べてるでしょうが。……私の奢りだから、いいからちょっと寄るわよ」
車が緩やかにドライブスルーに入り、南が注文する中でシールは両兵の横顔を窓越しに見やる。
相変わらず、抜身の刀のように鋭い眼光だったが、不意に大欠伸を掻いていた。
「……こいつがもしもの時のアンヘルの備えだってるんだから、困ったもんだぜ」
「……何か言ったか?」
「別にー。赤緒たちも大変だなって思っただけだよ」
「……お前よぉ……さっきから柊たちの名前出すが、オレのこと、嫌いだろ?」
「言わなくったって分かるだろうが」
「……まぁ、好かれることをやった覚えもねぇし、だろうな」
「ほら! あんたたち! 腹が減っては要らないことでもイライラしちゃうものよ! とっとと食べる!」
「……ハンバーガー、か。久しぶりに食うな」
「オレはこの間食ったな。さつきと一緒に」
思わぬ言葉にシールは目を見開いていた。
「……お前がさつきと? 二人でか?」
「……何か問題でもあったかよ」
ハンバーガーに齧り付き、頬張る両兵にシールは戸惑う。
さつきのような少女が両兵とハンバーガーショップに訪れる状況とはどのようなものなのだろうか。
というよりも、自分はやはり知らないのだな、と痛感する。
さつきのことも、両兵のことも。
知らないことのほうが多い新参組なのに、下手に両兵と反目し合うのもよくないのかもしれない。
そう思った矢先――両兵は秋を飛び越えて自分へとその手を伸ばしていた。
そういう性質ではないのに、思わず硬直してしまう。
両兵の真剣な顔が至近まで迫り、シールは声を絞り出そうとしたところで、その手が頬に付いていたらしいタルタルソースを拭う。
「付いてんぞ、もったいねぇ」
何でもないように指で拭ってハンバーガーをがつがつと食い付いた両兵に、シールは反射的に拳を見舞っていた。
両兵の顎にヒットし、狭い車内が揺れる。
「痛ってぇなぁ! 何だよ! ちょっとした親切心だろうが!」
「そういうのは親切って言わねぇんだよ! ……ったく、これじゃ先が思いやられるぜ」
バックミラーでこちらを覗き込んでいた南は両兵の言動に呆れ返っているようであったが、ハンドルを握りながら声を投げる。
「……両、あんたっていつもそうなのよねぇ……」
「何だよ、黄坂。てめぇも文句あるってのか? せっかく守銭奴のてめぇが奢るなんて言ったんだ。だったらタルタルソースの一滴でも惜しいだろ」
「いや、あんたそれでもねぇ……シールさんは女子なんだから」
「女子だから何だよ。オレはそれでもてめぇが奢るなんていう千載一遇のチャンスを逃したくねぇって言う……ああ、だから雨か」
「……どういう意味よ。ったくもう」
シールは早鐘を打つ鼓動を鎮めようと、早口でまくし立てる。
「やっぱ、両兵ってのは女の敵だな! 恥を知れ! 恥を!」
「ンだと、てめぇ……。黄坂南って奴の金への執着をてめぇは知らんから言えるんだよ」
「……さっきから失礼ねぇ、二人して」
「あっ、南さん。私はその、ご馳走様です」
月子がフォローするも、自分と両兵は秋を隔てて窓辺を流れていく雨粒へと視線を投げている。
「あ、あのぅ……先輩方。すごい居心地悪いんですけれど……」
「我慢しろ、秋。オレだって、本当ならこいつなんかと同じ車に乗りたかねぇ」
「オレも似たようなもんだな。メカニックのお転婆野郎とは一緒に居たかねぇよ」
「誰がお転婆野郎だ! オレは女だぞ!」
「言われたかねぇのなら、もうちょい女らしくしとけ」
「女らしくって……さっきのは確実に……いや、いい。どうせ分かんねぇんだからな」
「……何だよ、それ。ったく、マジに分かんねぇの」
険悪になった両兵との仲に、南は空気を変えるべく話題を投げていた。
「あっ……そうだ、シールさん。最近、赤緒さんたちから人機が乗りやすくなったって評判なのよ。何かしたの?」
「ああ、ちょっと個別にペダル感度だとか、トレースシステムの重さだとかを設定し直してな。誰でも乗れるって言う人機の基本理念からは離れちまうワンオフの仕様だが、現状ならいいだろ。《モリビト2号》に赤緒以外が乗ることもねぇだろうし」
「へ、へぇー! すごいじゃないの! なら、これまで以上に首都防衛は強くなるかもね!」
明らかに話題を変えて少しでも車内の空気をよくしようという試みであったが、メカニックの仕事を褒められるのは悪い気分ではない。
「……そんなに違ぇのか? トレースシステムの感度ってのは」
一家言ありそうな両兵へと、シールは視線を合わさずに口にする。
「……一人ずつ、適切なシステム感度ってのは全然だからな。言ってしまえば個性だ。ルイみたいなタイプは踏み込みも早いし、元々マニュアル人機を使っていたタイプだから反射速度も抜群に鋭い。その上、《ナナツーマイルド》みたいな格闘戦特化のツーマンセル重視の機体じゃ、あまりにルイの感触に合わせ過ぎると先走っちまう。この場合は、さつきの《ナナツーライト》と足並みが合うように、わざと鈍くしたりしてんのさ」
両兵がまたも噛み付いてくるかに思われたが、存外反応はしおらしかった。
「……そうか。カナイマでもデブとグレンはそういや、いっつもそういうの担当してくれていたもんだな」
「そういえば、小河原君。古屋谷君とは今でも仲がいいの?」
月子は確か古屋谷に気があるのだったか。
その想いを知ってか知らずか、両兵はぶっきらぼうに応える。
「あー、あいつらけれど南米の機密地点で働いてンだろ? 手紙なんて来たって野郎からのラブコールなんざノーサンキューだからよ。知ンねぇけれど元気なんじゃねぇの? 知ンねぇけれど」
「……何で二回も知らないって言うんだよ……」
ぼやくと両兵が突っかかって来ていた。
「……ンだよ。別にデブとグレンならしぶとく生きてるだろ。泥だらけになったって、あいつら腐ってもカナイマアンヘルの整備士だ。わざわざ心配なんざしてねぇって」
「……だよ、ね。古屋谷君もきっと、元気だよね」
「……両兵。てめぇはやっぱりデリカシーがねぇな」
「ンだと、てめぇ……狭い車内で喧嘩売るたぁ、いい度胸じゃねぇか」
「こら! 狭い車内ってのは余計だし、あんたが暴れちゃ、こっちが迷惑なのよ! 大人しくなさい!」
「……わぁったよ。何でオレばっかり……」
ぶつぶつと文句を垂れる両兵に対し、シールは雨空を仰ぎ見る。
未だに燻るかのように降り続ける曇り空に、ふと呟いていた。
「……雨って止まないんだな」
「何言ってんだ、知らねぇのか? 雨っていずれ止むんだぜ? どんな雨だってな」
「……分かった風に言って……ってかさっきから喧嘩売っているのはそっちだろ!」
「メカニックの跳ねっ返りがよく言うぜ。どうせ、無計画に外に出たんだろ? これだから女ってのは……」
「あのねぇ……両。これ以上面倒なことをするんなら、そこで降りてもらうわよ」
さすがにハンドルを握る南には逆らえないのか、両兵はようやく喧嘩の矛先を仕舞っていた。
シールはふんと息をついてから、でもと言葉を継ぐ。