レイカル 56 5月レイカルと文明

「……あれ? でも普段ならドアから……」

 そう思った矢先、インターフォンが鳴る。

 思った通り、小夜とナナ子が佇んでいた。

「……えっと、どうしましたかね……?」

「どうしましたかね、じゃないでしょ。レイカル、来てるわよね?」

「あ、はい……ついさっき」

「困るのよねぇ……。レイカルにとってはそりゃあ、ちょっとは問題だったかもしれないけれど」

 どうやら小夜の口調から察するに、レイカルと何かしらトラブルがあったのは間違いないのだが、肝心の内容が分からない。

「……話、聞きましょうか。レイカルも何かよく分かんないことで困っているみたいで……文明? でしたっけ?」

「……そうなのよ。まぁ、ちょっとした話になっちゃうんだけれど……」

 嘆息をついた小夜は言葉の穂を継いでいた。

「――レイカルよ。今日は俗世間の機械に慣れてもらおう」

 今日も今日とてヒヒイロの掲げた宿題に、レイカルは首をひねっていた。

「……機械? 機械ってあれか? 創主様が持っている……パソコン? とか?」

「どこまでも疑問形ねぇ、あんたは」

 カリクムがツッコむと、何だと! とレイカルは反射的に噛み付く。

「私のほうが機械のことはよく分かっているはずだ! カリクム! お前なんかよりな!」

「……いや、それはないんじゃない? だって、レイカル、電話以外の機械なんてほとんど分かんないだろー」

「電話くらい使えるぞ! ……けれどあれ、どこが便利なのか分からないんだよな……なぁ、ヒヒイロ。あれって不便じゃないか?」

「……何故そう思う?」

「だって、ハウル通話で距離はほとんど関係ないし……電波? だっけか。あれだって要らないのに、何で人間はありがたがってるんだ?」

 どうやら相も変わらずレイカルの認識は虫食いらしい。

 ヒヒイロはふむ、と一呼吸つく。

「……どうにもたまに真理を突くようなことを言うから困るの、お主は。たとえば、そうじゃな。テレビがあるじゃろう。あれも電波の代物じゃ」

 お笑い番組が点いてはいるが、その前で座り込んだ削里は詰め将棋と睨めっこをしている。

 同席している小夜とナナ子は先ほどからのレイカルの模様を眺めていた。

「……何だか根本的に大変なことを伝えようとしているみたいね、あんたたちも」

「でもなー、小夜。レイカルの言うことも分かんないわけじゃないんだよ。何で人間って機械をありがたがるんだ?」

「そりゃー、あんた、人間は長い月日をかけて、色んなものを発明して来たのよ? それをありがたがらなかったらどうするのよ」

「けれど、小夜。確かに私たちって生まれてきた頃から文明をありがたがっている感があるわよ。もしかしたらレイカルの疑問が新鮮に思えるかも」

 ナナ子の提言に小夜は腕を組んで首を傾げる。

「そういうもん? そもそもレイカルの言う疑問って本当に何も知らないから生じるものであって……私たちってそれなりに生きているわけだから……」

「人間の発明って言うのは創主様からも教わったぞ。……オリハルコンがこの時代に目覚める前にたくさん、色んなものを造ったって言うのは」

「では、その原理を今日は突き詰めていくとしよう。たとえば、電話は離れた場所からでも会話ができるな? あれは元々、もっと重たくって不便なものであった。知っておるかは分からんが、小夜殿の持っている“すまほ”と言うのはここ数十年の進化じゃ」

 ヒヒイロは人間の文化に染まっているとは言え、それでも分からないものは分からないような響きを伴わせる。

「……まぁ、確かにスマホはオリハルコンの文化圏にはないか……。でも、これだって今の形にすぐ落ち着いたわけじゃないし、案外、進化の歴史よ、レイカル」

 呼びかけつつ、今も通知が来る画面を眺める。

「小夜、仕事の依頼?」

「……まぁね。昔は掴まるかどうかだって分かんないからって言うもんだったけれど、今はどこに居たってこうして掴まっちゃうのはある意味じゃ窮屈かしらね」

「割佐美雷、創主様の持っている“ケータイ”とは違うのか? 形も何もかも別のように映る……」

「作木君の持ってるのは何世代も前だからねー。そろそろスマホに変えればいいのに」

「……まぁ、苦学生の作木君に最新のものを持てって言うのは厳しいだろうし。それにしたって今頃メッセージアプリもない上に、音楽も聴けないのは不便そうだけれど……」

 とは言え、本当に大事な用事は電話で済ませると言うのも大事な文化の一つだろう。

 ある意味では、作木と自分たちは簡単な関係に集約されないと言う点では不便もありがたい。

「……分からないな。薄っぺらい板なんてありがたがったって、それならえっと……イワシの頭のほうがよっぽどだろ?」

「鰯の頭も信心から、か。お主にしては難しい言葉を使うのう。まぁ、確かに文明神話は享受する人間が居るから実在するのであって、誰もそれを信じなければ崩壊すると言うのは確かであろうが」

「ヒヒイロ、多分、そんな高尚なことを考えての発言じゃないぞ」

 その証拠のようにヒヒイロの言葉を処理し切れずにレイカルの頭の上には疑問符が何個も浮かんでいるようであった。

「えっと……文明が……要はすごいのか?」

「だいぶ大雑把な結論に落ち着いたわね、あんた……」

「……まぁ、難しいことは抜きにすれば、今の人類にとって不便と言うのはそれだけで生活の質が下がる代物であろうな。“すまほ”にテレビ、それだけではなく様々な文化は今の生活様式の上に成り立っておる。それは必要とされなければ意味を成さないのと同じじゃ。お主にしてみればただの板にしか見えないのじゃろうが、その実は現代科学の集約。だが、それも理解しなければ同じことであろう」

「ヒヒイロ、そんなことをレイカルに説明したって分かんないってば」

 案の定、レイカルの処理速度は停滞しているようで、ぷすぷすと処理落ちを起こしている。

「……えっと、文明は……意味がなくって……いや、意味があって……あれ? 分かんないと意味がない……?」

「堂々巡りになっちゃったわよ……。どうすんのよ、ヒヒイロ。この状態じゃ、作木君のところに帰せないってば」

「ふむ……。ならば実感させるのが一番分かりやすいでしょう。レイカルよ、たとえば鉛筆を使えば絵が描けるな?」

 ようやく自分の認識に降りてきたお陰か、レイカルは何度も頷く。

「そ、そうだな……うん! そうだ! 鉛筆があれば絵が描ける!」

「……何だか下手な翻訳の文章を聞いている気分ね……」

「では、今回の授業のために言ってみるが、鉛筆を使わず絵を描けば、それは同じ絵か、どうか」

「……たとえの意味が分からないな……。鉛筆以外で描いても絵は絵だろ」

「そうじゃな、ためしに……。ナナ子殿、“たぶれっと”を持っておいででしたね?」

「あっ、うん……」

 ナナ子がタブレット端末を取り出し、ヒヒイロへと差し出す。

 起動したのは単純な描画アプリであったが、画面に触れて線を出力したヒヒイロにレイカルは驚愕していた。

「ひ、ヒヒイロ……っ! 線が……!」

「このように。今は画面の中に線を描くことが……何をしておる?」

「いや……。これも機械……か?」

 レイカルが爪先で恐る恐る画面上に描画すると、同じように震える線が表示されていた。

「……まぁ、分かる範囲でよい。機械や文明と言うのはいつだって日進月歩であり、認識を新たにせねば、我々のハウルによる技術とて、すぐに古くなってしまうと言うのを分かってもらおうと思っただけじゃ」

 ヒヒイロは人間の文明は侮れない、と言うのを教えたかったのであろうが、レイカルはタブレット端末へと絵を描くのに夢中になっている。

「わっ……! すごいな、これ……鉛筆がないのに線を描けちゃうなんて……!」

「レイカル、こうすれば色も塗れるのよ」

 ナナ子がペンキツールボタンを押すと一気に白色のキャンバスが黒く染まったのでレイカルは腰を抜かして後ずさる。

「……わわっ……! 真っ黒になってしまった……」

「ミスしてもこうすれば、っと」

 一瞬で白色に戻すと、レイカルは目を見開いてナナ子を仰ぐ。

「……これは魔法か?」

「大げさねぇ……って言うか、レイカルは今の文明がどれくらい進んでいるかはよく分かってないんだっけ?」

 小夜の疑問に応じたのはウリカルの算数学習を担当していたラクレスであった。

「そのようですね。作木様が最新のものを持っていないのも影響しているのでしょうが、レイカルはここ近年に開発されたものには疎いようですわぁ……」

「……ウリカルに教えているのは……ようやく掛け算?」

「ウリカルは物覚えがいいのでこのままなら分数の割り算にすぐに突入できます。この調子でね」

「は、はい……っ!」

 ウリカルは素直なので教え甲斐があるのだろう。

 ラクレスにしては教師としてしっかりと担っている。

「……で、当のレイカルは現在の文明に恐れ戦いて……いい加減慣れなさいよ」

 先ほどからペンキツールを使って色を付けては消してを繰り返しているレイカルは、機械に怯える猫や小型犬のようであった。

「線で囲うと……中に塗るだけになるのか……。ヒヒイロ! これも文明……か?」

「基礎の基礎ではあるがのう。他にたとえば……真次郎殿」

 しかし削里は応じない。

 ヒヒイロが指先をひねると、削里の耳に嵌められたワイヤレスイヤホンが浮かび上がる。

 そこから落語の演目の声が漏れ出たので、レイカルは後ずさっていた。

「……ひ、人の声が、こんな小さな機械から……?」

「あ……ヒヒイロ……落語くらいは聞かせてくれよ」

「真次郎殿も最新の機械の魅力には抗えないようですね。ヒミコ殿から渡されたワイヤレスイヤホンを使って、朝も夜も落語三昧とは」

「しょうがないだろ。ヒミコが珍しくタダでくれたんだから、活用しないのももったないいし。……レイカルは何を怯えてるんだ?」

「いや、だって……笑い声がたくさん聞こえるぞ……。これって何なんだ!」

 ヒヒイロと削里は顔を見合わせてから、レイカルが恐怖しているのを感じ取っていた。

「……これはイヤホンと言って……ラジオに周波数を合わせておる」

「い、イヤホン……? これも文明か……? この中に何人入ってるんだ?」

「……大昔の人みたいなことを言い出すのね、レイカルも。別に落語だけが聞けるわけじゃないでしょ。タブレットと同期すれば……っと」

 ナナ子がタブレットから音楽を再生させ、イヤホンから歌声が漏れ聞こえてくる。

 音階にレイカルは爪先から頭の頂点まで震え、直後にはその手からハウルの砲弾が噴出していた。

「な……何なんだー! これ、絶対ヘンだぞ!」

「……あっ、こら! レイカル! 変じゃないってば。こういうもんなんだって――」

「絶対ヘンだ! 文明なんて嫌いだー! 創主様ぁーっ!」

 飛翔したレイカルは店から飛び出し、一路空を突っ切っていく。

「……行っちゃった。ちょっとおどかし過ぎたんじゃない?」

「おどかすも何も、こういうものに慣れなければレイカルは文明社会で生きて行けないでしょう。私も人類の発明とやらには目を瞠るものがあります。それをきっちりと認識できなければ読み負けることもあるということです」

 一方で、オリハルコンサイボーグであったはずのウリカルはラクレスより小学生レベルの算数を教わっている。

 ヒヒイロにしてみればウリカルを受け入れるのならばこれくらいは、という気持ちだったのであろうがどうやら文明の享受はレイカルには早かったらしい。

「……まだ、あの子は子供みたいなものなんだからさ。そういうのはもうちょっと人に慣れてから……って、私の言い分もまるで小型犬とか猫にするようなものよね」

 とは言え行先くらいは分かる。

 ナナ子がタブレット端末を持ち上げ、こちらへと目配せしていた。

「……まぁ、レイカルには早かったのかもね。とは言っても、いずれは分かっちゃうのよね。それもそれで、寂しいと言うか……」

「……まぁ、レイカルなりに純粋だから。そういうのに中てられちゃうのも見たくないわよね。できれば……そうね、ゆっくりとした歩みで理解ができれば、なんだけれど」

「小夜、作木君のところに行くんでしょ。カリクムたちも来なさい。どうせ今日はお開きでしょうし」

 カリクムはこちらへと一瞥をくれてから、まぁ、と呟く。

「レイカルには早かったんだろ。そういうのもあるよな」

「あんたが言える立場じゃないでしょうが。この間までタブレットから音楽が鳴ることにビビっていたくせに」

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