「……分かったけれど……マキちゃん、間に合いそう?」
「うーん、心が挫けそう……」
それでも相当頑張っているのは見れば分かる。
赤緒が財布を取り出そうとすると、マキがそれを制する。
「あー、待って待って。さすがにお金は出すから。えっとぉー、財布どこだったかな?」
マキは普段はしていない赤縁眼鏡をかけており、髪の毛を頭頂部で一本に纏めている。
「マキちゃん、財布はこっちにありましたわ」
原稿の山から取り出した泉に、マキは後頭部を掻く。
「……参ったなぁ。ちょっと頭を一回休ませないとかも……」
「あ、マキちゃん。仮眠をするなら、ちゃんと起こすから。安心して休んでくれたほうが能率も上がるかも」
「そうかな? うーん、そうかも。……ちょっと四十分ほど仮眠するから、時間が来たら起こしてねー」
仮眠室へと向かったマキが寝息を立て始めるのは一分も経っていない。
「それにしても……今回も無茶なものですけれど、マキちゃんは頑張り屋さんですね」
泉の評に赤緒も首肯する。
「……だね。マキちゃんも大変そうだし……」
財布を受け取って近場のコンビニへと向かう。
深夜帯に近い時間でもコンビニだけは煌々と明かりがついていた。
こうして夜の宵闇で漂うようにして集まっていく人々も居るのだろう。
煙草を吹かすサラリーマンから視線を外し、足を踏み入れたところで見知った顔に声をかけられる。
「……あれ? 赤緒じゃん。何やってんのさ」
「……立花さん、に、ルイさん? ここ、コンビニですよ?」
「うん、それくらい分かってるってば。寝ぼけてるわけじゃないよ?」
赤緒は目を擦って、これが幻ではないことを確認してから、うん? と首を傾げる。
「……柊神社からここまで結構遠いですよね?」
「あー、それはさ。ほら、ルイ」
「私のせいだって言うの? 自称天才が、ここじゃないと売ってないアイスが食べたいって言うもんだから足を運んだのよ」
「それホントのことじゃん。もっと上手い言い訳を考えてってば」
「知らないわよ」
ぷいっと視線を逸らしたルイはお菓子の棚を検分している。
その模様を眺めて、赤緒は思わず口にしていた。
「立花さんもルイさんも……よくないですよっ。こんな深夜のコンビニに来るなんて、不良になっちゃいますっ!」
「……それ、この時間帯に遭遇しておいて言う?」
うっ、と手痛い反撃を受けて赤緒は後ずさる。
「……それで、私たちが不良だって言うんならあんたはどうなのかしら? 財布を片手に柊神社からこんなに遠いコンビニまで」
「そ、それはぁ……その、友達の都合で……ほら、マキちゃんって知っていますよね?」
「あー、漫画家志望の? あれ? でもその子は居ないじゃん。赤緒一人で来るってのも変な話なんじゃないの?」
理由を言えないでいると、ルイが目聡く察知する。
「……どうせ、また手伝いとかしてるんでしょ。赤緒のことよ、面倒なのに首を突っ込んでいるに違いないわ」
言い返せないでいると、エルニィはふぅんと訳知り顔だ。
「……何だか深夜のコンビニで出会ったのもあれだし、話くらいは聞こうかな。あ、ボクらがここに来ているのはナイショね? それは赤緒だってそうだろうし」
こればっかりは仕方ない。
赤緒は承服してから、コンビニ弁当の棚を漁る。
「……実はその……マキちゃん、ゲスト原稿の仕事が入ったみたいで」
「へぇ、躍進じゃん。こうなるといよいよ漫画家として頑張っていく感じかなぁ」
「そうなんですけれど……どうやら今回のはかなり〆切がギリギリみたいで……その上、その……」
「何さ、言い辛そうに。何だって言ってみてよ。ボクらに言ったところで、大して弊害はないでしょ」
「そうなんですけれど……今回はちょっと違って……」
赤緒はコンビニに並んでいる漫画雑誌を指差す。
そのうち一つをエルニィは目に留めていた。
「……あれ? 少女漫画誌? 確か、少年誌志望じゃなかったっけ?」
「そうなんですよ。マキちゃん、今回の原稿は少女漫画を描けって言われているみたいで……でも、マキちゃん、少年漫画ばっかり読んできたからその、困っているみたいで……」
嘆息をつきながら、赤緒は事の次第を思い返していた。
「――赤緒ぉ! 助けてぇ!」
登校するなり縋って来たマキに赤緒は瞠目する。
「ど、どうしたの? マキちゃん……」
「それがぁ……うぅ……キラキラした瞳がぁ……」
さめざめと涙するマキの様子は只事ではない。
一体何が、とこちらが窺う前に泉が補足していた。
「マキちゃん、どうやら新しい漫画を編集さんから頼まれたようなのです」
「そうなの? すごいじゃない、マキちゃん!」
「そう……うん、それはいいんだけれどぉ……」
どうやら一筋縄ではいかなさそうだ。
泉へと視線を投げると、彼女も困り果てている。
「ジャンルが、問題なのですよね。マキちゃん」
「そうなんだよぉ……どうしよう、見たことも読んだこともないのを描けって言われてもぉ……」
「そんなに大変なジャンルなの?」
マキは自分の机に案内すると、問題の掲載誌を翳す。
そこには、キラキラとした――。
「……これ……少女漫画?」
「どうやら今回の漫画は少女漫画を要求されているらしく……マキちゃんは一週間、悪戦苦闘しているらしいのですが」
「あれ? でもマキちゃん、少年漫画志望なんじゃ……」
「そうなんだよぉ……。少女漫画って何が大事なのかよく分かんなくって……」
しかし、マキはそれなりに器用なはずだ。
これまでもマスコットキャラクターの造形や、専門外の漫画も描いてきたはずである。
それなのに少女漫画だけ苦手だと言うのは、少し意外であった。
「……マキちゃんは何で少女漫画が苦手なの?」
「うぅーん……何て言うのかな。この、独特のキラキラって言うのが……私の感性と合わないって言うか……」
「ですが編集さんからある程度のストーリーの流れはいただいているようで……その流れに沿って描くように要求されているらしいのですが」
マキの困り果てた様子を鑑みるにその想定が上手く行っていないのは明白だ。
「どうしよぉ……全然よく分かんなくって……」
目を回すマキに赤緒はあわあわとフォローする。
「だ、大丈夫っ! マキちゃん、私も手伝うから!」
「マキちゃん、赤緒さんもこう言ってくれているんですし、今回も甘えてみてもいいのでは?」
「うーん、でも、赤緒とロボットのパイロットのみんなに毎回何かしらしてもらうのも悪いし……」
どうやらマキは以前自分たちが手伝ったのを気にしているらしい。
ここは少しでも心労を減らすことが肝心だろう。
「わ、分かった! じゃあ私だけ手伝うからっ! さすがに毎回、立花さんたちに手伝ってもらうのは悪いし……」
それに、マキの仕事場兼自宅は柊神社から離れている。
学校を挟んでちょうど対角線上にある距離なので、自分だけ抜け出すのはできても全員で押しかけるのは少し迷惑だろう。
「ホント? じゃあ、赤緒に助けてもらおうかな……それくらいならバチは当たんない……よね?」
「うん。でも、私も少女漫画って全然読まないから、よく分かんないかも……」
今しがたマキから差し出された漫画をペラペラと読み進めると、ちょうどヒロインが美形に迫られているシーンに遭遇してしまい、赤緒はぼっと顔が赤くなる。
「ま、マキちゃんこれ……!」
「あー、うん。そうなんだよねぇ……畑違いだとやりにくいったら……」
「そうじゃなくって……! ……えー、ここまでしちゃうんだ……。男の子の漫画とは……えっと、その……また違うんだね……」
すっかり釘付けになっているとホームルームの予鈴が鳴る。
「では赤緒さん、マキちゃんの仕事場で集合にしましょう」
泉の提案でハッと我に返った赤緒は、周囲を気にしつつ雑誌を返す。
「……う、うん……。けれど、大丈夫なのかなぁ……」
――マキの仕事場にはいつも数百冊の単行本があるのだが、今回は少女漫画メインとなっているためか、作業机付近には資料のための本が山積していた。
「……へぇー……ここまでしちゃっていいんだ……」
「赤緒。読みふけるのはいいけれど、まずは作業! 手を動かさないとね」
マキに促されて赤緒はハッと少女漫画を戻す。
「えっと……前に頼まれた限りだと、トーンを貼ったりだとか、ベタ塗りだとかは何とかできるけれど……」
「話は私が考えるしかないよねぇ……それが一番難航してるんだけれど」
ネームは既に切られているが、何度も何度も本原稿に入りかけてはやり直しているようであった。
「……泉ちゃん、もしかして結構な日数、こんな感じ?」
「そうですわね。普段は原稿に入ると一気なんですけれど、今回はちょっとだけ入り込むのが難しいようで」
「もうー、泉ももうちょっと考えてってばぁー! 私一人じゃ全然リアリティないから頼んでいるのにー!」
そう言えば、と赤緒は椅子に座りながら考えていた。
「マキちゃん、自分にとってリアリティがないと入り込めないんだっけ?」
マキが普段、少年漫画に打ち込めているのはそこにリアリティを感じているから――らしい。
どうにも、少年漫画もマキからたまに読まされる程度な自分では推し量るしかないが、マキにとってはリアルな恋愛や学生生活よりも豪快な必殺技や戦いのほうが身近なようである。
「そうなんだよねぇ……イメージで補えるのもあるんだけれど、完全な畑違いってなると一から構築し直しって言うか……」
「でも、マキちゃんも最初のほうは女の子向けの漫画がはじまりだったんじゃないの?」
「うーん……私はお父さんの影響でずっと少年漫画だからなぁ……。少女漫画ってほとんど読んだことないんだよねぇ……」
マキはペンを器用に片手で回しながら原稿に入りかねているようであった。
「そうなの? ……えっと、泉ちゃんは?」
「私はそもそも漫画と初めて遭遇したのがマキちゃん経由でしたから。マキちゃんのおススメしか読んだことがなくって」
「そっか……そう言えば私も少女漫画ってちゃんと読んだことないかも……」
赤緒は資料用の単行本に手を伸ばす。
相変わらずキラキラとした景色で、女の子の理想のような世界が詰め込まれている。
どちらかと言うと自分には少年漫画よりこちらのほうが合っていそうだが、読みふけるとマキから注意が飛ぶ。
「こら、赤緒。作業してくれないとどうしようもないって言うのに、夢中になってどうすんの」
「……ハッ……! えっとー、これは違って……」
「まぁ、フツーの高校生女子ならそっちのほうに夢中なのも分かるんだけれど、私はなぁー……少年漫画に憧れてきたクチだから」
マキは何度か原稿に向き合いかけて、それを躊躇っている様子であった。
「……ネームのほうはできているんだよね……? 読ませてもらっていい?」
泉と共にマキの描いた漫画のネームを読む。
あらすじ自体はよくある話で、お嬢様学校にひょんなことから通うことになった普通の女子高生が主人公で、転校初日に同じクラスの美形の少年と出会い――と言う筋立てが描かれている。
今回限りの読み切りなので、余分な話の膨らみはない。
言ってしまえば割とベタな流れだが、マキが明らかに苦戦しているのは主人公が好意を寄せることになる美形男子のキャラ造形のようであった。
「……こう、絵に描いたような美形って描いたことなかったかも。私の理想って泥臭くっても前に進む! って言うタイプだったし、何の苦労もしてなさそうなボンボンはなぁ……」
マキの理想が高いと言うよりも、少女漫画の平均が分かっていないようであった。
そのために資料をうず高く積み、それらに目を通しているようなのだが、どうにもしっくりこないらしい。
マキはあーでもないこーでもないと頭を悩ませている。
「……えっと……私は何をすればいいのかな……」
「赤緒には出てくる美形のアイデアとか出してもらうのが一番よかったんだけれど……それもなぁ……赤緒の周りの大人ってそういうストレートなのって居ないような気も……」
自分の身の回りの男性を思い浮かべても、確かにこう言った線の細いタイプは居ない気がする。
まず脳裏に浮かんだのは両兵だったが、彼はこの少女漫画の王子様的な役割とは正反対だろう。
「……小河原さんはこんなにすらっとしてないし……ってなると、五郎さん?」
「五郎さんは……どっちかと言うと女の人っぽいって言うか……」
マキも中学時代からの付き合いだからか、五郎のことはよく知っている。
「泉ちゃんは? 理想の人とか居る?」
「それは……まぁ、居ますけれどイメージを伝えるのが難しいと言うか」
少しだけ照れたのを目にして、あ、と気付く。
少女漫画の理想を語ると言うことは、自分の恋愛遍歴を語るのに等しい。
そうなのだと分からずに両兵や五郎の名前を愚鈍に出してしまった己の迂闊さに今さら赤面する。
「……ええっと、その……! 別に小河原さんはそういうんじゃないって言うか……!」
大慌てで訂正する赤緒であったが、マキは完全に参っているようで聞く余裕もなさそうだ。
「うーん……王子様……王子様ねぇ……」
赤緒は泉と顔を合わせて曖昧に笑っていた。
「……あ、あの! マキちゃん、出来ている原稿から進めちゃおうか! そのほうがいいだろうし……」
「うーん、かなぁ……?」
とは言え、王子様キャラのところは空白であり、その部分の造形だけはマキの中からひねり出すしかないだろう。
とりあえず、少しでもページを進めようと赤緒はペンを手に取っていた。
「――ふぅーん、なるほど。王子様キャラかぁ……」
「はい……。夜中まで粘ったんですけれど、そこだけがどうしても空白で……」
話し終えた赤緒はついでに買った缶コーヒーに口をつけていた。
飲み慣れていない無糖の苦さが染み渡り、うーんと呻る。
「少年漫画ばっかり読んでいるってのも大変なんだねぇー。とは言え、うーん、難しいな。今回は前みたいな人海戦術ってわけにもいかないんでしょ?」
「そうなんですよね……。人が居ればいいってわけでもなくって……」
大きめのため息をつくと、ルイが少女漫画誌をペラリと捲る。
「こんな風にキラキラした世界だと大変そうね、全員」
「ルイさんは少女漫画とか読むんですか?」
「さつきがたまに読んでいるわね。あれで本の虫だから、ジャンルで食わず嫌いしていないってことなんでしょうけれど」
「でもさー、少年漫画志望って言うんなら、それを活かすしかなくない? 今回はイレギュラーってことで」
「そうなんですけれど……マキちゃん的にこう……ときめくことができないと駄目みたいで……」
「ときめく? それって漫画のキャラに?」
問い返したエルニィに赤緒は力なく頷く。
「はい……。どうにも、自分の描いている漫画に心の底から感動できないと駄目みたいで……。出てくるキャラクターがその、恋に落ちるのならそれに見合った物がないとって言うか」
「なるほどねー。すらっとしただけの美形じゃ駄目ってことか。……うん? それじゃ今回、最初から詰んでない? だって、赤緒の友達のタイプって……」
「……はい。泥臭い漫画のキャラなんですよね……。どっちかって言うと王子様キャラとは正反対の……」
苦戦するのも当たり前だ。
普段描いているものと正反対のものと出せと言われれば、誰だってつまずく。
「困ったなー、助けてあげたいのは山々だけれど……問題の根っこが本人にあるって言うんじゃ……」