JINKI 263 その気持ちに名前を付けて

「でも……綺麗なほうがいいし。こういうのは気持ちの問題だって、赤緒さんがよく言っていたから」

「柊も余計なことを教えるもんじゃねぇよなぁ。万年問題行動の立花じゃあるめぇし。……おい、黄坂のガキ。それ、捨てるもんじゃねぇって。まだ使えるだろうがよ」

「……そう?」

 小首を傾げながらルイは橋の下に構築した両兵の城であるところのソファ周りを清掃――と言う名の散らかしを行っている。

「……なぁ、そろそろ休憩にしようぜ。ただでさえ、最近暑くって敵わんのだ。川辺だって、そういう風に涼むんならまだしもよ。何だって慈善事業なんてやろうって話だってンだよ」

「でも……自分の住むところはちゃんと掃除しないと、五郎さんからも教えられているし」

 さつきはそう言って火ばさみで空き缶を拾い、ゆったりと回収している。

 相反してルイは要るものと要らないものの区別がつかないのか、ゴミと思しきものを袋に乱雑に放り込み、まだ使えるものを火ばさみを振って蹴散らす。

「あ、てめぇ……まだそれは使えるって言ってんだろ」

「……知らないわよ。もっと真っ当に掃除すれば? さつきじゃないけれど、要るものと要らないものの区別もつかないんだから」

「……それはてめぇのほうだろうが……ちと休憩……」

 座り込んだ両兵は川辺で寝転がり、川のせせらぎを聞く。

 少しばかり気も落ち着くか、と思っているとさつきの悲鳴が飛んでいた。

「る、ルイさん……! それはその……私たちにはまだ早いと思います!」

「エロ本なんてその辺に転がってるじゃないの。要らないものでしょ、これ」

 さつきは顔を手で隠しつつも指先から視線を覗かせている。

 ルイは涼しげな様子で川辺に捨てられている本を一冊ずつ検分し、それから紐で括ろうとして何度も失敗していた。

「……さつき、これ上手くいかない」

「……普段、雑誌の整理なんてしないからじゃないですか。えーっと、お、お兄ちゃん……? これって捨てていいの……かな?」

「恥ずかしくなるんなら聞くなよ、ったく。……何でこうなっちまったんだったか?」

 両兵は橋げたを仰ぎ見て、ふと呟いていた。

 ――別に気紛れだったわけでもなく、ただそう言えば、と思い返しただけである。

「ルイさん、おにい……小河原さんって普段、この辺の橋の下に住んでいるんですっけ?」

「そうね。小河原さんは橋の下が落ち着くんでしょ」

「……柊神社に来ればいいのになぁ。だってこれから先の季節、たくさん雨が降るんだし……」

「面倒よね、日本って南米の雨季ほどじゃないけれど、梅雨って言う鬱陶しい時期があるんでしょう? その上で……これも変っちゃ変な感じ」

 ルイは気に食わなそうに夏服のスカートを持ち上げる。

「あれ? ルイさんは衣替えって初めてなんですか?」

「カナイマは標高も高かったし、寒ければ厚着していたり、必要ないなら脱いでいたりしたものだから。いちいち、こうして……格式ばって衣替えって言うのがちょっと理解できないだけ」

 きっとルイも少しずつの歩みではあるが日本文化に馴染みつつあるのだろう。

 それを嬉しく思わないさつきではない。

 くすっと微笑みかけると、ルイは眉間に皺を寄せる。

「……何よ。馬鹿だって言いたいの?」

「あ、いえ、違って……。何だかこういう風に色んなことが新鮮に思えるの、ちょっといいな、と思って。立花さんもそうですけれど、ルイさんも」

「さつきのクセに生意気……って、話していれば、じゃない」

 ルイが指差した先には川べりで寝転がっている見知った背中があった。

「あれ? 小河原さん……?」

 周囲を見渡し、人の眼がないことを確認してから河川敷を降りていた。

「何をやっているんだろう……」

「死んでいるのかも」

 澄ました様子でルイが言うものだからさつきは心臓がきゅっと収縮したのを感じていた。

「も、もうっ……冗談でも駄目ですよ、ルイさん。……本当に、死んでない……よね?」

 抜き足差し足で近づくも両兵は気付いた様子もない。

 うつ伏せで寝転がっているので、どこか痛めたのだろうか、と観察する。

「……って、お酒?」

 ころんと両兵が寝返りを打ち、その腕に抱いた酒瓶が露わになる。

「どうやらどんちゃん騒ぎをしていたようね」

 冷静に事態を分析するルイに、さつきはため息を漏らしていた。

「小河原さーん、起きてくださいよー。……もうっ。お兄ちゃん? 起きてー」

 肩を揺さぶると両兵はむにゃむにゃと寝言を漏らす。

「……もう食えん……」

 寝言のテンプレートのような返答に再び陰鬱なため息が出る。

「……毎日こんななのかな?」

「そうじゃないの? ……これは上質なお酒ね」

 何の躊躇いもなく酒瓶を振って確かめたルイに、さつきはすかさず没収する。

「ルイさん! お酒は二十歳からで――!」

「赤緒みたいなこと言わないでよ」

「……うっせぇなぁ……眠れねぇだろうが……って、何だってさつきと黄坂のガキが……ああ、なるほどな。夢ってわけか」

「夢じゃないってば。……お兄ちゃん、ずっとこんな調子なの?」

「こんな調子って何だよ。……ふわぁ……よく寝た」

 欠伸をかみ殺す両兵にさつきはほとほと呆れ返る。

「お酒はほどほどにしないと駄目だよ。あと、何でこんな硬い地面なんかで寝ていたの? 身体を痛めちゃう」

「んあ……? あー……ちょっとうろ覚えだが、じわじわ思い出してきた。そういや、昨日は橋の下の連中とどんちゃん騒ぎで……いい酒が入ったところまでは覚えているんだが……妖怪ジジィに呑まされ過ぎたな。あいつらは……っと、さすがに火の元は消してからとんずらしたか」

 どうやらルイの推察が合っていたらしい。

 それどころか、川辺で火を囲んでの酒盛りとなれば穏やかではない。

「……もう。お兄ちゃんはトーキョーアンヘルのリーダーなんだから、ちゃんとしてよ。赤緒さんや南さんに顔向けできないってば」

「柊や黄坂みてぇなこと言うなって。……まだ眠ぃ……仮眠取っていいか?」

「仮眠って……今まで寝ていたんじゃ」

「いや、言った通り硬い地面だったから寝た気がしねぇンだ、っと。やっぱ我が家は落ち着くよなぁー」

「……これが、我が家?」

 ソファの周りは派手に散らかっており、酒瓶やビールの空き缶が散乱している。

 それだけではなく、恐らくは風に吹かれたか、川べりの生活をしているせいだろう。

 よくよく目を凝らせば、両兵の身の回りは酷い有様であった。

「……これ、ゴミ屋敷って言うんじゃ……」

「滅多なこと言うなって。立派な我が家だっつーの。何なら城みてぇなもんだな。あーっと、何だったか? ほら、ことわざでも住んでみれば案外都内だの何だのっつー」

「……ここは元から都内だし、それを言うなら住めば都、でしょ」

「そう、それだよ。贅沢なことは言わねぇ。オレは自分のプライバシーの一環として、橋の下を選んでるだけなんだっての。柊神社にゃ、有事の時には駆けつけるし、腹が減りゃ世話になることもよくあるだろ? 今さらじゃねぇの」

 ソファに寝転がった両兵が雑誌を手に取ろうとしてその手が彷徨う。

 さつきが本を差し出して補助しようとしたが、その先にあったのは十八禁の代物だ。

「……お、お兄ちゃん……? こ、これって……」

「あー、そっちはエロ本コーナーだったか? バイクとかのコーナーあるだろ? そっから一冊くれよ」

「コーナーって……本は全部散らばっちゃってるじゃない……」

「そうだったか? 面倒だな、こういうのも」

 散乱している雑誌を拾い集めてよろよろする両兵の姿が何だか見ていられなくって、さつきは尋ねていた。

「……いつからこういう生活してるの?」

「あー、いつだったか。密航してからずっとだからもうちょうど半年くらいか? いや、都内に来るまでまぁまぁ転々としたから一年くれぇは経ってるかもしれんな。なかなかないんだぜ? これくらいいい具合の橋の下ってのはよ。つるんでる連中も悪くねぇ奴らばっかだし、たまに野球やってるガキ共とかに稽古付けられたりもするしな」

 両兵は今の生活に満足しているようであったが、さつきにしてみればかなり怠惰な生活に映っていた。

「……決めた。お兄ちゃん。それにルイさんも」

「うぉ……っ、何だよ。柊みてぇな言葉振りで……」

 びくついたのは両兵だけではなく、バイク雑誌を読み漁っていたルイも、であった。

 さつきはふんと鼻息を漏らし、言い放つ。

「掃除、しましょう!」

「――……ってなもんなんだよなぁ。掃除なんてしたって無駄だっての。川なんだからよ、流れて来るんだよ、ゴミやら何やら。オレが散らかしたわけじゃねぇってのに」

「諦めたほうがいいわ。ああなったらさつきは赤緒よりも強情よ」

「……本当かよ。ってか、ああ、馬鹿! それは捨てねぇ奴! 数少ないシュミの一つなんだからよ。分かれって」

 バイク雑誌を紐で括ろうとしていたルイを制し、それらを保護する。

「……バイクなんて何がいいの?」

「女には分かんねー、男のシュミってのがあるんだよ。日本に来た当初から、バイク雑誌だけは娯楽の一つだったんだからよ。カナイマに居た頃もよく取り寄せていたろ?」

「……私は小河原さんの趣味はよく知らないから」

「ああ、そっか。お前は黄坂に娯楽教えられてたんだっけか。……なぁ、今も集めてんのか? 黄坂の奴、あいつよく着れもしねーファッション誌見てたろ?」

「南の趣味は私も理解できないわよ。万年同じ服なのに、何がいいのかしらね」

 肩を竦めたルイに、違いない、と両兵は笑おうとしてうっぷと口元を押さえる。

「……いけねぇ。あいつの悪口言ったからか? 気持ち悪ぃ……」

 吐こうとして、慌ててさつきがエチケット袋を差し出す。

「わわ……っ! 大丈夫……?」

「ああ……にしても、この川辺も随分と世話になったもんだよな」

「……でも、赤緒さんはこんな生活、するべきじゃないってよく言ってたよ?」

「……柊の奴、ンなこと言ってんのか。余計なお世話だっての。第一、柊神社に厄介になるのも悪ぃだろうが」

「……別に私はその……大丈夫だけれど……」

「ん? 何だってそんなもじもじして……顔赤ぇぞ?」

 さつきの額に手をやり、自分の額の熱と比べる。

「お、お兄ちゃ……」

「うーん、熱はねぇみたいだな。気ぃつけろよ。もうすぐ梅雨とかになるらしいからな。あーあ、面倒だぜ。聞いた話じゃ、結構降るんだろ? ま、南米のスコールに比べりゃ、大したもんじゃねぇだろうがな」

「……その、お兄ちゃんはでも、梅雨が来ればさすがに……柊神社に来る……よね?」

「そりゃー、お前。そん時にならねぇと分からねぇな。オレも日本の梅雨は久しぶりだからな。できりゃー、この橋の下で過ごしてぇが、立花に聞いた話じゃ結構危ねぇとも言ってたな。こういう橋ってのは、梅雨になると泥水でいっぱいになるだとか」

「そ、そうだよ……。それに、今日はせっかく綺麗にしたんだし……その……」

 何やらおどおどとしている風のさつきに疑問符を浮かべていると、ルイがきゅっと紐を縛って言いやる。

「要は柊神社に呼ぶ口実が欲しいんでしょ。本当、さつきってばその辺、ハッキリ言えばいいのに」

「る、ルイさん……! えっと、その……」

 その段になって両兵は、ああ、と理解する。

「心配すんなって。いくら川の傍に住んでいるからって溺れたりはしねぇから。これでもカナイマじゃ整備班との素潜り合戦でも優勝したことがあるんだぜ?」

「……もう。そういうことが言いたいんじゃないんだけれどなぁ……」

 とは言え、と両兵は周囲を見渡す。

「かなり小奇麗になったんじゃねぇの? もうこんなもんでよくね?」

「だ、駄目だってば。やり始めた以上はちゃんと最後まで全うしないと」

「ふぅん……にしちゃ、黄坂のガキはもう休んでいるようだが」

 ルイは雑誌を束ねるのをサボってバイクの紙面を捲っていた。

「あっ……! もう、ルイさーん!」

「ちっ……ちょっと休んでいただけじゃないの。マジメ過ぎるのよ、さつきは」

「ルイさんが不真面目過ぎるんです! ……でも、まぁまぁ綺麗になったかな……?」

「それに関しちゃ、マジに感謝だけれどよ。こんなことしても散らかっちまうだろうが。橋の下はオレだけのもんじゃねぇし。掃除って意味あんのか?」

 そう問いかけると、さつきは心底呆れ返ってから、懇々と言い聞かせるように返す。

「……お兄ちゃんってば……いい? お掃除って言うのは、気持ちから入るものなの。ちゃんと自分の身の回りを掃除すれば、その分自分の気持ちも晴れ晴れとするものなんだから!」

「……何だか耳に痛いわね」

 説教されているようでルイは視線を逸らす。

 両兵は今一つピンと来なかったが、単純なところで言えば――。

「掃除すれば、気分もよくなる、と」

「そうだよ! ルイさんと立花さんもずっと散らかしているけれど、赤緒さんが毎回、すっごいため息ついてるの、気付いてます?」

「……流れ弾だわ」

「そりゃー、災難だな。まぁ、でも……ある意味じゃこれも清掃ってもんか。カナイマでたまにやってたもんだよ」

「……南米のアンヘルでも?」

「おう。格納庫だとかを散らかすと、何つーんだ? 一年のジェイだとかケイ? がどうのこうのってな。うるせー奴らも居たもんだよ」

「……一年の計、ね。あれ? じゃあ掃除の習慣だとかはあったんじゃ……」

「まぁな。掃除好きな奴も居りゃ、掃除なんざどうだっていいって思っている奴らも居た。ある意味じゃ、この橋の下と同じだよな。色んな奴らが居たよなぁって、今さらながら思い返しちまう」

 一旦座り込むと、さつきも視線を合わせて尋ねる。

「……そこにその……お兄ちゃんも、居たんだよね?」

「おう、オレ……ああ、ヒンシのことか。そういや、あんまし話す機会もなかったよな」

「ヒンシ……?」

「川本宏だから、ヒンシって渾名付けてたんだよ。あいつは……そうだな。お前と同じタイプだったな。掃除はしとけって、後はだらしない生活はすんなって……まー何だ。結構ぐちぐち言うタイプだったぜ。今にしてみりゃ、そっくりだよな」

 その感想は意外だったのか、さつきは茫然としていた。

「……そう、だったんだ。お兄ちゃんも、私と同じ……だったんだ」

「結構離れてるんだったか、トシは」

「……うん。何なら、お兄ちゃ……小河原さんよりも、かも」

 その声が少しだけ陰鬱に沈んでいたのを感じて、両兵はさつきの頭を撫でていた。

 ハッとした彼女にカラッと笑いかける。

「何つーのかな、よかった気もするんだよな。こうして、南米と日本だ、地球の反対側にまで離れちまったが、どっこい、オレは川本兄妹に世話ンなってる。何だかそれってよ……ちょっと考えちまうよな。ヒンシの奴、分かっていてオレに言っていたのかもな。こうしてさつきの世話になることになるぞー、ってな」

 そうやっておどけてやると、さつきは調子を取り戻したようであった。

「……何それ。でも、私、ちゃんとお兄ちゃんのために……なれているのかな……? これも身勝手だったりとか……」

「安心しろって! きっとな、ヒンシの奴もお前も、何だかんだで気にかけてくれてる、こういうの、ありがてぇんだよ、多分だけれどな。オレなんて気にかけねぇほうがいいに決まってンのに、あいつもよく言っていたもんだぜ。“両兵の生活じゃ、いつか破綻するぞ!”ってなもんでな」

 川本の真似をしたせいであろうか。

 さつきの笑顔は取り繕ったようなものではなく、自然なままに溢れたようであった。

「……そっか。私、じゃあこれでよかったんだ」

「おう。そうに決まってる。じゃあ、掃除はいい感じのところで切り上げてちょっと来いよ。いい場所に連れてってやるからよ」

「……いい場所……?」

 ――いくつか封鎖線の張られた階段を跨ぎ、さつきは屋上の扉に手をかけた両兵の背中を眺めていた。

「……そ、その……ここ、入っていいの?」

「安心しろ。ここは手つかずの廃ビルなんだ。橋の下の仲間が一時期根城にしていたらしくってな。そいつから聞いたんだよ」

 蹴躓きそうになりながら階段を上がり切ると、両兵が一つ頷いてから扉を開ける。

 途端、切り込んできたのは眩い斜陽の光であった。

「……わぁ……っ」

 ちょうど西日が差し込むタイミングで眼下のビル群や家屋が金色に輝く。

 大都会に不意に現れた、まるで稲穂の園だ。

 言葉を失っている自分へと両兵は言いやる。

「ここが一番、眺めがいいんだと。ほれ、今日の礼だ」

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