「二人とも、抑えて……静かになったから声が聞けそう……」
南が耳をそばだてているので赤緒とエルニィも自ずと同じような姿勢になってしまう。
「……“今日もありがとう”……今日も? ってことはルイ、このところ毎日、ってこと?」
唇を読む技術はどこから仕入れたのだろう、という疑念はさておき、赤緒は声を潜める。
「その……やっぱり、そういう関係なんですかね……」
「不倫かー。ルイもとんだ面倒ごとを押しつけて来るもんだよ」
ルイが一礼してブルーシートを返す。
南はエルニィへと指示していた。
「……エルニィ、あんた潜入捜査。何でもないフリしてあの男の人に聞いてきなさい」
「えーっ! 何でボクが……」
「あんた、カラオケで散々歌ったでしょうが! カラオケ代、三人分! 私持ち!」
そう言われると反論できないのか、ぶすぶすと文句を垂れつつエルニィはマスクと帽子で変装する。
ルイが充分離れたのを見計らって、彼女はこほんと問いかけていた。
「花を一本貰えますかな?」
「あっ、いらっしゃいませー。花ですね、どんな花をご所望ですか?」
奥から出てきたのはまさかの女性店員でエルニィは咄嗟の判断に困ったらしい。
「あ、いやその……お、お綺麗ですねー!」
「あんの馬鹿……あんたがテンパっちゃってどうするのよ!」
「あの、南さん? ルイさん、逃げちゃいますよ?」
「あっ……! しょうがない、赤緒さんはエルニィを回収して。私はこのまま追うから、三十分したら柊神社で落ちあいましょう」
南へとルイの尾行は任せ、赤緒はすっかり挙動不審になってしまったエルニィの袖を引く。
「あの……南さん、行っちゃいましたから」
「えっ、ウソ……。南めぇ……ボクを囮に使ったなぁ……!」
「まぁ、それはいいとして……あの、お二人はお付き合い、されてるんですか?」
「えっ……」
互いに視線を交わし合い、ぽっと照れたところを見るに図星らしい。
だが、そうだとすればよりルイの行動が意味深になってくる。
「……その、さっきの子、えーっと、やんごとなき事情で知り合いなんだけれど、もしかしてあの子、お兄さんにヨコレンボとかしてますか?」
思わぬことを平気で言うものだから赤緒は大慌てでエルニィを羽交い絞めにする。
「た、立花さん! なんてことを言うんですか!」
「えーっ……だって、直に聞いたほうが早いし……ってか、ギブギブ。絞め過ぎだってば」
ハッとしてエルニィから手を離すと、二人は顔を見合わせてからふふっと微笑みかけていた。
「ひょっとして、ルイちゃんのお友達?」
「へぁ……っ? え、ええ……まぁ……やんごとなき事情で……」
「ボクと同じこと言ってるんですけど……」
睨みつけてくるエルニィに、赤緒が参っていると二人はそれなら、と封筒を差し出す。
「これ……よかったら」
「これって……」
「まさか、手切り金って奴……?」
息を呑んだ自分たちに男性は何でもないように笑いかける。
「違うってば。……ルイちゃんが手伝ってくれたのはこのためだし。僕たちのお店が潰れちゃいそうって言うんで、なら今日からバイトとして雇って欲しいって言い出して……。それで商店街の活気付けになれば、って紹介したんだ」
赤緒とエルニィは顔を見合わせてからこわごわとその封筒を手に取る。
どのような金額が封入されていてもおかしくはない――そう思っていると、中に入っていたのは一枚の細長い紙であった。
「……これ、お金じゃない。……チケット?」
「シャッター街ができると個人的に困る、って。ルイちゃんが買って出てくれたの。何でなのかな、ってずっと思っていたけれど……あなたたちみたいな素敵なお友達を招くために、きっと用意していたのね」
封筒から取り出されたのは、「商店街一日招待券」と銘打たれたイベントのチケットであった。
「赤緒……、これ……」
その項目の中にエルニィは「一日市長のライブイベント」と書かれているのを発見していた。
「じゃあ、ルイがカラオケで練習していたのって……」
「――とうとう、追い詰めた。さぁて……何を企んでいるのかしらね、あの悪ガキは……」
南は息を切らしながら河原へとルイを尾行していた。
それにしても、と高鳴る胸の鼓動に南は微笑む。
「久しぶりね……こういうのも」
カナイマアンヘルではルイの突拍子もない悪戯に対し、よくこうして出回ったものだ。
そんな日々は日本では送れないと無意識に決め込んでいた手前、赤緒とエルニィを引き連れた今日一日は少しだけ充実していた。
「ルイが最後に来たのは……っと。あれ? ここって両の家がある橋の下じゃないの」
「小河原さん、聞いてる?」
その確証を噛み締める前に、ルイが座り込んで話し始めていた。
「おーっ、聞いてンよ。お前、何だってバイトなんざ始めたんだ? あそこの花屋の兄ちゃんと姉ちゃん、もうすぐ結婚するんだとよー。その矢先に、店が潰れるってンで意気消沈していたってのに、最近はいい顔するようになったんだよな」
「……ルイ。そのために……?」
「……別に。ほんの気紛れよ。金払いがいいから潰れる前に絞れるだけ絞っておこうってだけ」
「そりゃ、てめぇらしいな。……そういや、噂ついでなんだが、来週、一日市長とやらで商店街総出でイベントやるみてぇだな。そこに呼ばれた奴もとんだ好事家だよな。大勢の前で歌ァ歌って、商店街の一員が欠けちまうのをどうにかしてぇって言う……とんだ大博打に出た奴も居たもんだ。いや、と言うよりもみんな、お人好しなんだろうな」
「ええ、とんだお人好しも居たものね。それに、恥知らずも」
両兵は火に木材をくべて、隣に座っているルイへと語りかける。
「だがまぁ、そういうお人好しのことは、嫌いにゃなれねぇな。……花屋、ねぇと困るんだろ?」
「そうね。その誰かさんは花屋がないと、どうしても困るって言うんだから。とんだ迷惑よ」
「……黄坂の奴、そろそろアンヘル責任者に赴任して一か月くらいだったな。キリがいいってのは偶然かねぇ」
「偶然よ。勘繰らないで」
立ち上がったルイへと両兵は言葉少なであった。
「そうかい。あともう一個。柊神社で飼うって成りかけていた母親の猫、最近エサ貰ってるみたいだな」
そこで南は思い出す。
ルイが撫でていた黒猫は一度、柊神社で飼おうという話になっていた猫そのものだ。
しかし、まさかメスの猫だったとは。
「……ってことは、もしかして……」
「黄坂の奴、喜んで泣き出すんじゃねぇの?」
「そうね、南はあれで涙もろいから。馬鹿みたいにギャン泣きするに決まってるわ」
「……オレはてめぇが何かするとは一言も言ってないんだが」
「……まぁ、どこかの誰かさんが、勝手に他人を救った気になって、勝手にやるだけよ」
そう言い置いてルイは柊神社への帰路につく。
南はルイが離れたのを見計らって両兵へと呼びかけていた。
「……気付いていたんでしょ、あんた」
「何のことだかな。……つーか、立ち聞きたぁ趣味が悪ぃ」
「……あんたは何だかんだであの子のこと、ちゃんと見てくれるのよねぇ、いっつも」
「お互い様だろうが。見守るしかできねぇ身分さ。……それと、当日が来たらしっかり泣いて、しっかり抱きしめてやンな。それがいい母親ってのの条件だろ。オレは知らんが」
両兵の言葉を聞いて、南はそっと微笑む。
「そうね、それがきっと……いい母親としての……できる精一杯……」
――壇上で歌うルイを一目見ようと、トーキョーアンヘルの面々が集まる。
今日のルイは商店街の一日市長であり花形だ。
彼女は花屋の男女から花束を受け取っていた。
それは大輪のバラがあしらわれた、ルイ一人で抱えるのには大き過ぎる代物である。
それを支えようと、赤緒は踏み出していた。
――と、それとなく全員が同じ心持ちでルイの花束を支えている。
「……これじゃ、何だか形無しね」
ルイの感想に赤緒は返答していた。
「そう……かもですね。けれど、感謝の気持ちは、ルイさんだけの専売特許じゃないですよっ」
赤い花束の先には、両手いっぱいの感謝でも足りないほどの功労者の姿がある。
ルイは目線を下げて、わざとぼそりと呟いていた。
「……南。トーキョーアンヘル赴任、一か月記念。これ」
南はうるっと来た涙を拭い、そして笑顔を咲かせる。
「……本当、素直じゃないところも私似ね、あんたは」
「うるさい。……歌、変じゃなかった?」
「とっても綺麗な歌声だった。……あんたもこういうところで頑張り屋さんなんだから」
そうして最大限の賛辞を、彼女へと送るのだ。
「おめでとう、南」
「……ありがとう。これからもよろしくね、みんなも!」
胸いっぱいの感謝を、伝えたい――それはきっと、誰でもない彼女自身のまごころなのだから。