JINKI 267 その笑顔が見たいから

 ウインクしたエルニィは自分の手を引いて走り出す。

「じゃあ、ペンギンを見よー! ペンギン見れば、さつきだって笑顔に変わるでしょ?」

「わわっ……! もう、立花さんっ! 走っちゃ駄目ですよーっ!」

 ペンギンの展示コーナーに差し掛かり、エルニィは指差していた。

「何だか間抜けだなぁ。……へぇ、これで海の中じゃ素早いんだってさ」

「ペンギンさんはすごく寒いところで過ごしているんですよね……。でも、仲間同士で温め合ったりして……何だか今の私たちみたいで」

「もうっ! 赤緒もそうなら、さつきもだなぁ。恥ずかしいことを平気で言っちゃうんだから」

 今さらに羞恥心で口を噤んでいると、アナウンスが響き渡る。

『これより三時からのイルカショーのご案内を始めます。どうか皆様、お誘い合わせの上、ぜひご覧ください』

「イルカショーだって。せっかくだし、観に行こっか」

「……ですね。ペアチケットですし」

 イルカショー自体は何てことはない。

 水面より跳ね上がったイルカが輪を潜り、飼育員の指示で後ろ向きに泳いだりする。

 普段からテレビで観慣れている光景であったはずだが、エルニィは目を輝かせていた。

「す、すごい! 本当にイルカって賢いんだ……!」

「もしかしたら、イルカってすごいのかもですね。……帰りにイルカのぬいぐるみでも買っていきしょうか」

「うんっ! 絶対買う!」

 エルニィにしては素直なのは、少しは胸の内を明かしてくれたからだろうか。

 イルカのぬいぐるみを二人分、それから小さなペンギンのマスコットを買い付けてから、エルニィは壁に描かれたナポレオンフィッシュの絵を仰ぎ見る。

「また来てね!」と描かれたナポレオンフィッシュの姿に、彼女は足を止めていた。

「……どうしました? 立花さん……」

「ああ、そっかぁ……。あのさ、さつき。さっきのエピソード、ちょっとだけ誤解があったみたい。……ボク、澄ましてつまんなさそーにしていたって言ったでしょ。……違ったんだ、あの日だけは。じーちゃんと笑って、笑って……馬鹿みたいに笑って、子供みたいに駄々をこねて……。何だ、ボクも誰かさんのことは言えないなぁ。記憶の中でカッコつけたってしょうがないのに」

 涙を拭い、振り返ったエルニィは微笑みかけていた。

「……ボク、じーちゃんと笑顔でお別れができていたんだ。ちゃんと、水族館で。……だから、悪い思い出じゃなかった。ちゃんと、じーちゃんとのお別れができた、いい思い出だったんだ。……人間って身勝手だよね。今の価値観でその時の感情まで決めちゃうんだもん」

 さつきはエルニィの笑顔に、きっといい思い出の中できちんと離別ができたのだろうと思い直す。

 彼女にとって水族館は、悲しいだけの代物ではないはずだ。

「……立花さん。私との思い出、ちゃんと心の中に置いてください。きっと、いい思い出だったんだって」

「……だね。水族館、嫌いじゃなくなったかも。さつきのお陰でね」

 手を繋ぎ、さつきは出口に描かれたナポレオンフィッシュの絵に微笑みかける。

「ありがとう、立花さんに……いい思い出を、残してくれて」

「――で、何だって今度は植物園の?」

「しょーがないじゃん。この間、水族館に行ったんだし、じゃあ今度は、って。いやー、ご厚意を無碍にはできないよねー、社会人って言うのは」

 帰り道でまたしてもペアチケットを持ち出したエルニィにルイは呆れ返る。

「あんたの無計画さには相変わらずため息が出るわ。……さつき、またこの自称天才と一緒に行くの? 今度は私と行くわよ」

「えーっ! やだよぅ! 今度もさつきはボクと一緒に行くんだってばぁー!」

「……何で取り合いになってるんですか……。って言うか、今度はさすがにお兄ちゃんと行きたいなぁ……」

 呟くと、ルイがぱっと手を離したせいでエルニィ側に倒れ込む。

「……あんたって本当に小ズルいわね」

「いたたた……。そ、それは言いっこなしじゃ……」

「やったー! じゃあ、今度もさつきはボクとデートね!」

 抱き付いて頬ずりするエルニィに、さつきは辟易しつつ嘆息をつく。

「……立花さん、植物園には失敗エピソードはないですよね?」

「そうだなぁ……。さつきが付いて来てくれなかったら、それが失敗かも」

 そう言ってにっかりと笑う。

 相変わらずの身勝手さに振り回されつつも、それも彼女らしさか、と頷く。

「振り回されるのも……悪い気分じゃない、かもですね……」

「でしょー? 何度も何度だって、さつきを振り回して、そんでもってたくさん思い出作るんだー!」

 駆け出したエルニィの頬に斜陽の色彩が差す。

 さつきは、まったくもう、とぼやいていた。

「そうやって勝手ですけれど……いつだって誰かと笑顔になれるのが、立花さんのいいところなんですよね」

 なら、それにあやかってもいいのかもしれない。

 夏風が吹き込む。

 思い出たくさんの、彼女の笑顔が今は眩しい。

 その思い出を枯らさぬように、しっかりと保ちながら――夕映えは今日も輝く。

 理由なんてどうだっていい、その笑顔が見たいから、さつきはエルニィと共に駆け抜けていくのだった。

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