「何やってんだー! 見送り三振なんて一番カッコつかねぇんだからなー」
両兵の野次を受けて、思わず赤緒は言い返す。
「い、言わないでくださいよぉ……。緊張しちゃうじゃないですかぁー!」
「前、前見ろって!」
「前って……ひゃんっ!」
「ストライークっ!」
どうやら今の投球は完全にストライクゾーンに入っていたらしい。
赤緒はヘルメットを被り直し、それからピッチャーに返って行くボールを見据えていた。
どうしてなのだか、自分はこうして慣れもしない野球場に駆り立てられ、日中の陽射しを浴びている。
袖を通したのは白いユニフォームだが、もしものことがあってはいけないので、インナーにはRスーツを着る際に纏うのと同じものを着込んでいたが少し蒸し暑い。
「……それもこれも、小河原さんがいい加減だから……」
ぼやきつつ、投手が思いっ切り振りかぶったところで赤緒は身構える。
白球がスパンと抜けて行き、赤緒はバットを振ったのであった。
コツンと軽い感触が指先に伝導し、打ったことを後々実感した身体が姿勢を崩す。
「馬鹿……っ! そこは一塁なんだってば! すぐに走って!」
次の打席を控えるエルニィの声で弾かれたように赤緒は走り出す。
よろよろとしたフォームで駆け抜けながら、赤緒は一塁ベースを踏む。
「セーフ!」
息を切らしつつ、ベンチで帽子を深く被った南が視野に入る。
「赤緒さーん! ナイスー!」
「あ、ありがとうございますぅ……。けれど、何だって私たちが野球なんて……」
じりじりと照りつける太陽を仰ぎつつ、赤緒は朝方に柊神社を訪れた両兵の言葉を思い出すのだった。
「――ふわぁ……五郎さん、おはようございますー……」
「おう、早いな、柊」
台所に顔を出して、そこに居るはずのない人物が居たので、赤緒は寝ぼけ眼を擦る。
「……あれ? ……あれ? 小河原さん? って、やだ……私、まだパジャマ……」
「別に気にしねぇよ」
「……私は気にするんですよ……って言うか、小河原さんが何だって台所に……?」
両兵と台所なんてほとんど正反対と言ってもいい取り合わせだろうに。
「それがですね……。小河原さんがコーチしている草野球チームが居るらしいのですが……」
五郎の説明に赤緒は胡乱そうにする。
「……何で、野球チームのコーチを?」
「それは行きがけって奴だろ。あんまりにも下手だったもんだからよ、ちょっとアドバイスがてら面倒看てやってたんだよ」
何だか両兵の習慣も分からないものだと思いつつ、赤緒はその話を最後まで聞く。
「……それで?」
「それでですね。今日は練習試合だったらしいのですが、どうにも夏風邪で人数が足りないらしく……」
「じゃあ、どうしようもないんじゃ……」
「柊、お前、テレビ観るだろ? 野球ってのはこっからのスポーツなんだよ。この季節の黒星は決していいもんじゃねぇ」
野球が夏を代表するスポーツなのは知っているが、それと自分たちの何の関連性があると言うのだろうか。
「……えっと、棄権は駄目なんですか?」
「残ったメンバー的に、今日の試合に穴を開けたくねぇんだと。それに、あいつらの強さも見ておきてぇしな。どんだけ強くなったのかってのをちゃんとはかる試金石ってもんなんだ」
それならば余計に自分たちは無関係なのでは、と思っていると五郎が言葉を振る。
「欠員が出た代わりに、私たちでメンバーの補充をしてはどうだろうか、と言う提案らしいんですよ」
「わ、私たちですか……? 野球なんてやったことないですよ……」
「それでも構わん。できるだけ試合に穴を開けたくねぇって話だからな」
「で、でも……足を引っ張っちゃうかも……」
「リトルリーグだ。勝ち負けよか試合数のほうが物を言うんだよ。それに、あいつらも言っちまうと全員が全員、めちゃくちゃ強豪ってわけでもねぇ。ガキん頃の勝負勘ってのは強いもんだ。一試合ごとにそういうのはな」
「……じゃあ小河原さんが出れば……」
「アホ。オレは立派な大人だろうが。さすがにリトルリーグに出ちまうとバランスブレイカーだ。そういう点で言えば素人入れたくらいがちょうどいい」
「うーん……けれど、野球って男の子のスポーツですよね? 私たち、一応女子……」
「何だよ、古い価値観持ってんだな。日本にゃ女子野球とかもあるンだろ? 別に投げる打つを全部やれとは言わん。ただあいつらの手助けをしてやっちゃくれんかと言ってるんだよ」
そこまで譲歩した条件ならば、と考えたところで台所へと南がやって来る。
「五郎さーん、朝ご飯まだー? あれ? 両じゃないの。何の用なのよ、あんたみたいなのがここに来て」
どうやら南は知らされていなかったらしい。
途端に両兵は渋い顔になる。
「……お前に言うまでもねぇよ」
「何よぅ、教えなさいよぅ。……おっ、茶柱」
湯飲みを覗き込んだ南に両兵は後頭部を掻く。
「……野球に欠員が出てな。てめぇは知ってんだろ、オレの監督してるリトルリーグの連中だよ」
「えっ、野球できるの?」
どうしてなのだか目を輝かせた南に、赤緒は小首を傾げていた。
「み、南さん? 私たちがでもやるって言うのちょっと無理ですよね? だって男の子のスポーツ……」
「何言ってるのよ、赤緒さん。そういう考え方は古いわよ? 女子だって野球くらいはできるんだからっ! あ、そうだ! エルニィたちも呼んじゃおーっと!」
どうしてなのだか言葉尻を弾ませて南がまだ起床していないエルニィたちを呼び寄せてくる。
両兵は、まずったな、とぼやいていた。
「……あいつ、野球好きなんだよなぁ……」
「あれ? じゃあ、好都合なんじゃ……」
「それが問題なんだよ……」
どうしてなのだか不服そうに呟く両兵に、南はすぐに取って返して来て尋ねる。
「せっかくだからさ、この際、トーキョーアンヘル総出で立ち向かいましょう! アンヘル野球部、結成よ!」
「……構わんが、いいのかよ? さつきやらヴァネットやらが承諾するか?」
「承諾させるわよ。日本に来て野球なんてできるとは思っていなかったわー」
嬉しそうに語る南に、赤緒は問い返す。
「南さん、経験者なんですか?」
「まぁ、我流だけれどね。カナイマに居た頃は時々、整備班とやったもんだけれど、あっちの連中の弱いのなんのって。その時には両、あんたも居たでしょ?」
「……覚えてねぇな」
わざとぶっきらぼうに返した両兵に、機嫌をよくした南はエルニィたちを起こしにかかる。
「じゃあ、メンバーを呼んでくるわね。せっかくだから、シールさんや月子さんも呼んじゃいましょう!」
自分を尻目に俄然、やる気を出す南に両兵は困惑顔だ。
「……あいつ、言い出すと聞かねぇからな。欠員は四人程度だから、それだけ補充出来ればと思ったんだが……」
「で、でも野球ってその、別に試合に出なくってもいいんですよね? ベンチ……ですっけ?」
「……まぁ、そういうのもあるが、今回はフルメンだからな。あいつらに経験積ませる意味で取って来た練習試合だってのに、無茶苦茶にしねぇだろうな?」
「さ、さすがに南さんもそこまで大人げないわけじゃないと思いますよ……多分」
小さく付け加えた嫌な予感が今は当たらないことを願うのみであったが……。
「――ストライクッ! バッターアウト!」
それがまさか、本格的な選手としての参入になるとは想定しておらず、赤緒は一塁ベースで項垂れる。
「……参ったなぁ……。私たち、だって素人よりもよっぽど性質が悪いって言うんだもん」
「えーっ! 何で? 何で当たんないのさー!」
文句を垂れるエルニィがベンチへと帰っていく。
「馬鹿ねぇ、エルニィ。何の考えもなく全部振っちゃう人間が居るもんですか。あえて待ちに打って出るのも戦略なのよ?」
「そんなのボクの戦略じゃないー! ……って言うか、何で南が監督? 両兵じゃないの?」
「……オレよかやる気があるからだと。と言うか、こいつ本気のところで言えば自分が打席に立ちたかったって言い出すんだから始末に負えねぇよ」
「あら? だって私は女子でしょ? 小学生のリトルリーグならちょうどいいんじゃないの?」
「……女子って、よく言うよ」
「だよなぁ?」
エルニィと両兵が同じ調子で合わせたものだから、南が大仰に咳払いをする。
「……コホン。あんたたち……?」
「……ま、まぁ、生物学上は女子だし……? ねぇ? 両兵」
「お、おう……」
「……でも、私が打席に立っちゃいけないって、何でなのかしら……」
ぶつぶつと文句をこぼす南に、赤緒は一塁ベースの位置からでもその理由が分かっていた。
恐らく、審判は南が経験者であることを看破したのだろう。
そうでなくとも、どこかでホームランくらいはかっ飛ばしそうな勢いだ。
「……だからって、私たちで試合になるのかなぁ……」
続いて打席に立ったのはさつきである。
「さつきちゃん! 頑張って!」
「さつき、あんま力入れんな。コツンと当てるくらいでいいんだからよ」
「は、はひ……っ! ……野球なんてやったことないけれど……」
構えたさつきに相手投手もさすがに力を抜こうと判断したのだろう。
明らかに自分に比べて緩い球速が投げられ、さつきが振り切る。
「え、えいっ!」
振る瞬間に目を瞑ってしまっていたが、バットの芯が打球を捉える。
直後、淡い光が宿り打球は遠くフェンスを越えていた。
投手が唖然とする中でさつきがわたわたとバットを降ろす。
「え、ええっと……打ったらバットを置いて……走る……っと」
まさかホームランが出るとは思っておらず、赤緒は遅れて駆け出していた。
ホームベースに帰ったところで、南へと問い詰める。
「み、南さん……っ? 何かしました……よね?」
「い、いやー……さつきちゃんの打力には色んな意味で不安があるからって……アルファー持たせたんだけれど……」
白状した南に赤緒は茫然とする草野球の少年たちへと目線をやる。
恐らく彼らにしてみれば、数合わせで入った程度の素人が想定外の打力を持ち合わせているとは思っていなかったのだろう。
「り、両兵……あの姉ちゃん、もしかして本当はゴリラ……?」
「あ、いや……まぁ、そういうこともある……って言っていいのか?」
返答を濁しつつ、両兵は困り果てている様子であった。
赤緒はホームベースに帰ってきたさつきからアルファーを返してもらう。
「……南さん? 勝つためとは言え、インチキは駄目ですよ」
「い、インチキじゃないわよぅ……。これだって私たちの実力じゃない……」
「とにかく! ……アルファーは駄目ですっ! さつきちゃんが誤解されたらどうするんですかっ!」
「さつきちゃんも打てて嬉しいと思うんだけれどなぁ……」
「あっ、その……打てたのは嬉しかった……ですけれど、やっぱり実力以上のことなので……」
殊勝なさつきの態度を受けて南は不貞腐れる。
「わ、分かったわよ……アルファーは今後、使いませんってば」
「とは言え、オバちゃん。二点取れたのはでかいっすよ!」
全く悪気のない少年の声に、南は両兵の後頭部に鉄拳を下す。
「痛って! 何すンだ、黄坂!」
「あんた、監督でしょうに! ……“お姉さん”だって、ちゃんと言っておきなさいよ」
「直接殴りゃいいだろうが! 何でオレを殴りやがった!」
「馬鹿ね、両。さすがに子供に手を上げるほど、大人げないなんて思われたくないでしょうに」
「……どっちが大人げねぇんだか。アルファーで打率上げておいてよく言うぜ」
「とは言え、次はルイね。これは貰ったも同然ね。あの子の身体能力なら、リトルリーグなんて一人で制覇できちゃうわよ」
ふふふ、とほくそ笑む南に比して、澄ました表情でルイはバッターボックスに入る。
先ほどのさつきの強打の印象があったからか、ルイへと速球が投げられる。
「甘い球! やっちゃいなさい、ルイ!」
だが期待に反してルイは三球とも見送ってチェンジする。
茫然とした南に、ルイは何でもないようにベンチへと帰ってきていた。
「な、何やってるのよ……! 打てたでしょ?」
「打てたけど、さすがにね。続けざまにゴリラだとは思われたくないし」
どうやらルイなりに先ほどのさつきの打球は気にかけているらしい。
確かに二人連続でホームランをかませば、自分たちはとんでもない助っ人と言うことになってしまう。