少年野球の世界とは言え、女子が不自然な打率を上げるわけにはいかないと言うのは、ルイにしてはちゃんとした意見だ。
「く……っ! うちのエースのつもりだったのに……」
「勝てばいいってわけじゃねぇからな。今度は頑張って来いよ」
「で、でもよ、両兵……俺、姉ちゃんたちほどそんなに打てねぇかも……」
不安げに面を伏せた少年へと、両兵は帽子の上から頭を撫でる。
「心配すんな。このオバちゃんも含めてこいつらバケモンだからよ。お前なりに毎日練習してンだろ? それでいいんだよ」
「誰がオバちゃんよ!」
南の拳が両兵の頭部にクリーンヒットして、彼は再び声を上げる。
「痛って! ……ったく、大人げねぇ大人ってのは困るよなぁ……。お前らも! ……自分のできる野球して来い。こいつらはあくまで助っ人だ。勝ち星までの保証はできん」
赤緒は何だかんだで面倒見がいいのだから、と両兵の横顔を眺める。
勝つか負けるかは彼らの領域だ。
自分たちは応援に来たのであって、彼らを無理やり勝たせるために来たのではない。
勝負ごとにきちんと線を引けているという点で言えば、両兵のスタンスは立派であった。
「……小河原さん、ちゃんと分かっているんですね」
「アホ。どれだけこいつらの稽古してやってると思ってンだよ。……援軍が活躍食っちまうと意味ねぇだろうが」
「……それが分かるだけ、小河原さんは偉いですよ。ちゃんとみんなのことを見てるんですから」
「まぁな。大人げなくアルファー持ち出す奴とは違うってこった」
「……何よ。さつきちゃんにさすがに怪我させるわけにはいかないでしょうが」
とは言え南も少し反省しているのか、頬を掻いて視線を逸らしている。
再び試合続行の声が夏の近づく空に吸い込まれる。
今日の試合結果がどうなろうと、自分たちのやったことは無駄ではないはずだ。
少年が速球を見事に打ち返す。
白球が澄み渡った青空へと甲高い音と共に上がっていく。
両兵の仕込んだだけはあって、彼らの地力は相当なものだ。
ここ一番での勝負強さは両兵譲りなのだろう。
「……小河原さんは、ちゃんと監督してあげられたんですね」
「ん……何だかそう言われちまうとむず痒いな。オレは所詮、あいつらにとっちゃ道楽ついでに野球教えてくれる大人なだけだろうさ。すぐに忘れちまうよ」
「そんなことないですよ。……きっと、いい思い出になるはずです。だって、小河原さん、ちゃんと向かい合ってあげているじゃないですか。大人の引いた目線とか、そういうんじゃなく。それってすごく……いい大人だと思うんです」
「オレがいい大人ねぇ……。ついぞ聞くことがねぇ評価だな。オレなんていい加減なもんさ。それくらいでちょうどいいんだよ」
しかし、少しは照れているのか馴染まない言葉に戸惑っている様子であった。
赤緒は微笑んで両兵へと言いやる。
「……小河原さんはきっと、そういうこと、無償でやれるのがすごいんです。それって、簡単じゃないですから」
「別に、そこまで高尚に出来上がったわけでもねぇよ。オレはただ自分の暇潰しに誰かを使ってるだけさ」
「でも、それなら私たちはこうして来ないでしょう?」
その言葉が図星だったのか、両兵はこちらへと視線を合わせて、きょとんとする。
「……まぁ、そう思いたけりゃ好きにしろよ。オレは別に、そこまで期待なんざ――」
「両兵ーっ! ボク打ち足りないーっ! 何でスポーツ万能なボクの出番が一回きりなのさー!」
後ろから組み付いたエルニィに首元を押さえられ、両兵がベンチをタップする。
「や、やめろ、馬鹿……! てめぇ、スポーツなら何でもござれって黄坂にうまいこと乗せられたんだろうが……!」
「だってぇー! サッカーと全然違うんだもん! 小さい球なんて追っかけるのなんて、性に合わないー!」
「た、立花さん……! 野球とサッカーは全然違いますよ」
制そうとしたさつきに対し、エルニィはむっとする。
「……さつきはいいよねー、ホームランなんだもん。ボクも打ちたかったなー、ゴリラみたいな強打」
「な……っ! あれは実力じゃないですし……たまたまみたいなもので……」
「はいはい、喧嘩しないの。監督命令よー。……あら? そうこう言っているうちにもう九回ねぇ」
「……黄坂、もうちょいゲーム運びに興味示せよな。お前、カナイマに居た頃もルール無用の打球勝負みてぇなもんだっただろうが」
「昔のことは忘れちゃったわよー、そんなの。まぁ、勝てたらみんなでご飯でも食べに行きましょうか。当然、草野球チームのみんなとアンヘルチームで一緒に、ね?」
ウインクする南に両兵は嘆息を漏らしたようだ。
「……抜け目ねぇと言うかなんというか。どっちに転がってもうまい汁を吸おうとするのがてめぇらしいと言うか」
「何のことかしらねー。……けれど、ちょっと思い出したわね。何にも考えずにスポーツに打ち込むって言うの。そういうのもたまには、いいのかもね」
ゲームセットの号令がなされ、赤緒たちは選手として並び立つ。
「ありがとうございましたー!」
この胸に吹き込む涼やかな気分は、きっと自分だけでは得られない勝利の充足感なのだろう。
平時はキョムとの徹底抗戦と高校生活の両立を繰り広げているなど、今だけは忘れられそうな――。
「さーて! じゃあ勝利記念にみんなにラーメンでも奢っちゃおうかしら! 赤緒さんたちも、今日くらいはいいわよね?」
「……もうっ。どこまで計算通りだったんです?」
「最初から計算なんてなかったってば。……ただね、殺し合いだけじゃない勝負って言うのを、みんなに経験して欲しかったのかもね。別に必死なのだけが勝負事じゃないんだって。命の駆け引きでひりつくばかりが、勝利に繋がる経験だと思って欲しくなかったのかな」
「……私も、野球とかはちょっとまだ、全然ですけれど……人機で戦うことだけが、勝利の感傷じゃないんですね」
自分の場合は三年間だけの記憶しかないから余計にだったのかもしれない。
さつきはホームランをかましたせいか、少年たちからしきりに興味津々に尋ねられている。
「どうやってあんなすごいの打ったんすか? すごいっすよ! 両兵、この人、すごいよな?」
「待ちなさい、あんたたち。さつきへの質問は一人一回。私を通してになさい」
どうしてなのだか、ルイがさながらマネージャーのように割って入る。
両兵は、まったくとぼやいていた。
「とんだ助っ人も居たもんだ。……だが黄坂、また頼むこともあるかもしれん」
「ええ! いつでも頼りなさい。あんたを信じてるんだから。私だって、たまには頼られるのが性に合ってるのよ」
それは南と両兵の間だからこそ降り立った了承だったのかもしれない。
誰にも聞き留められない声音で、赤緒は呟いていた。
「そういうのも……何だかいいなぁ……なんて」
帰り支度を始めた野球チーム全員で堤防を歩いていく。
夕映えの光に風が吹き込み、赤緒は夏が近づく空を仰ぎ見ていた。
野球の季節はこれからだ。
だからこそ、今日の一戦を称えたい。
みんなとただ白球を追って笑い合えた、この一戦を。
――ガチャンとガラスが割れる大きな音が響き渡り、赤緒は大慌てで境内に出る。
「今の音……! って、何やってるんです? 立花さん」
バットを振り抜いた姿勢で固まったエルニィと、投球していた整備班の月子とシールに赤緒は歩み寄る。
「わ、わざとじゃないんだよ? たださぁ……練習しないと錆びついちゃうって言うか……」
打ち返した野球ボールが柊神社の一角へと突っ込んでいる。
「……境内で野球なんて……何やってるんですか、もうっ!」
「お、怒んないでよ……。ボクら、前回全然活躍できなかったから……」
「そ、そうだぜ……ほら! いつ呼ばれてもいいように、自主練って奴だ!」
「あ、赤緒さん? 私もちょっと悪ノリしちゃったけれど……今回は、ね?」
全員分の釈明を受けてから、赤緒は空に叫び返す。
「駄目ですっ! 皆さん、しばらくは野球禁止っ! 神社で野球するなんて、罰当りですよ!」
「や、野球はどこでやったっていいじゃんかぁ……そんなに怒んないでよ……」
「いーえっ! ちゃんと時と場所を守ってください! 基本も基本の心掛けですよっ!」
「……ちぇっ。自分はこの間の試合で打球飛ばしたからって……」
「何か言いました? 皆さん、今日は罰として境内の掃除っ! サボるなんて許しませんっ!」
赤緒の号令で三名が強制的な手伝いに駆り出される。
――そんな模様を野球ボールとミットを片手に今しがた言い出そうとしていた南は、そっと退散していた。
「……ま、確かに野球は時と場合を考えて、よね」