レイカル 59 8月 レイカルと猛暑日

 どうしてなのだかラクレスは艶めかしく服を脱いでいく。

 ウリカルは「克己」と鉢巻を巻いていたが、それでも暑さに抗う術はないのか、熱に浮かされて羊を数えていた。

「羊が一匹……羊が二匹……あれ? 羊って何でしたっけ……? 考えれば考えるほど分からなくなってきました……」

 あまりにも酷い様相に立ち寄った小夜は絶句していた。

「あんたら……一体何を……」

「割佐美雷! それ、くれ!」

 レイカルが懇願したのは小夜の手にある小型扇風機であった。

 さすがに哀れに感じられて小夜はそれを差し出す。

 風がレイカルの頬を振動させる。

「あー……生き返るー」

「うわっ……! 何この暑さ……。ちょっと削里さん? 扇風機くらいケチること――」

 そこでナナ子が息を呑んだようで小夜も居間のほうを覗き込む。

 すると、将棋盤に突っ伏している削里とそれとは反してテレビを観続けているヒヒイロを発見するのだった。

「な――っ! 大丈夫ですか、削里さん! ……えっと、救急車……?」

「だ、大丈夫……。ちょっと冷房が壊れてしまってね。……できればその手にある……」

 削里が震える指先でナナ子の持つ小型扇風機を指差す。

 先ほどのレイカルと同じようにようやく涼を得た削里が息をつく。

「だ、大丈夫なんですか……?」

「いやはや、死ぬかと思った。この暑さでは俺も真っ当じゃいられないな」

「真次郎殿。心頭滅却すれば火もまた涼し、ですよ」

「……それはハウルを操れるオリハルコンならでは、だろう? 危うく蒸し風呂状態で命を落とすところだったんだから」

「えっ、ヒヒイロは暑くないの?」

「体内に循環するハウルの熱量を調整すれば、人間社会で言う空調服のようなものを疑似再現するくらいはできます」

「……レイカルたちは……」

「ヒヒイロぉ……! さすがに私たちの実力じゃ無理だってばぁ……!」

 汗を掻くカリクムがうちわで扇いで何とか涼を取るもそれでもギリギリのようであった。

「……そういえばかなりここ近年は暑くなったわねぇ。昔ってこんなに暑かったっけ?」

「実際、ここ近年は平均気温が上がってきているようです。やはり、環境破壊や諸々によるものでしょう」

「……人類の責任、とか?」

「まさか。それだけではないでしょう。あまり思い詰めるものでもありません。ですが、この暑さで参ってしまう者も数多いようですよ」

『今日も熱中症で運ばれた人数はかなり多いようで……コメンテーターの皆さんはどう過ごしていらっしゃいますか?』

 お昼のワイドショーを垂れ流しているヒヒイロは彼らの面持ちを眺めている。

 大方、絶対に熱中症にかからないテレビの快適な場所からお送りしている文化が理解できないのだろう。

「……それはいいけれどさ。クーラー買わないんですか、削里さん」

「君らみたいに冷房点けっ放しなんてこっちはできないんだよ。扇風機が精一杯だね」

「その扇風機も……」

 ナナ子の視線はこの暑さで壊れてしまったのか、首振り機能が奪われたボロボロの扇風機に注がれていた。

 その扇風機も年代物で、羽根がところどころ黄ばんでいる。

「クーラー買いましょうよ。……こんなに暑いとおかしくなっちゃいますよ」

「いやぁ、そうしたいのは山々なんだが、この店まで取り付けに来てもらうとなると、なかなかの出費でね」

「削里さん、お金がないわけじゃないでしょう?」

「真次郎殿は守銭奴なのです。その割にはレトロ趣味なせいで要らない出費ばかり増えている気はしますが」

「心外だな、ヒヒイロ。俺は古いものを愛しているんだ。懐古趣味と言われようともそれは譲れないな」

 しかし、現に暑さでおかしくなっている者は居るようで、机の上のレイカルたちはめいめいに混濁した意識のまま声を発する。

「何でこんなに暑いんだぁー! 太陽のせいか? 太陽のせいなのか?」

「ちょっとレイカルー……! あんたもこっちを扇ぎなさいよぉ……! 私だけ、何だかさっきから損している気分なんだけれど」

「あらぁ、カリクムったらぁ……そういうのが好きなんだと思っていたわぁ……」

「……そういうお前は何で一枚ずつ脱いでるんだ……?」

 ラクレスはゆっくりと一枚ずつ、焦らすようにして脱いでいく。

 寝転がったウリカルがうわごとを発していた。

「羊が百匹……あれ? 百って数、何だか変じゃないですかぁー……? だって一の百倍ですよ? 百倍ってことは、私は百倍数えたってことで……」

「……かなり参っているみたいね。って言うか、この暑さじゃ誰も駄目になっちゃうか。今日ばっかりはお店でたむろってわけにもいかなさそうね」

 身を翻そうとした小夜へとカリクムが声をかける。

「ま、待てよぉ、小夜ぉ……。どこ行くんだよぉ……」

「どこって……こんだけ暑いんだし、喫茶店にでも行こうかしら」

「喫茶店……ッ!」

 レイカルががばっと起き上がり、目を輝かせる。

 しまった、と思った時には小夜へと縋りつく。

「喫茶店! 連れて行ってくれ、割佐美雷っ! この間、創主様と行った時にはすごかったぞ! あんなに大きくってお腹いっぱいになるのに、甘いものや辛いものが揃ってるんだ!」

 恐らくレイカルの言う喫茶店は作木とのダウンオリハルコン退治帰りに立ち寄ったチェーン店の喫茶店のことだろう。

 ほぼ一日中同じサービスを提供する喫茶店と言うだけでレイカルにしてみれば物珍しかったのだろうが、規格外のそのボリュームのある提供商品も気に入った一因のはずだ。

「……とは言え、作木君の財布事情を考えると何度も行ける場所じゃ……って言うか、今日は作木君は……? まさか……!」

 灼熱のボロアパートで見つかる変死体を想起した小夜は青ざめたが、カリクムがそれはきっちり否定する。

「レイカルの創主は勉強だってさ。図書館? とか言う、涼しいところなんでしょ、そこは」

「あっ……それなら安心……ってわけでもないけれど。それでレイカルたちは暇を持て余してここに来たら……」

「地獄だった、と……」

 彼女らの苦労も推し量るべきだが、それにしても作木にしては少し冷たいのではないか、と小夜は感じてしまう。

「レイカルだけなら図書館に連れて行ってあげればいいのに……何でここに?」

「あっ、それは私が図書館で大きな声で本を読んでいると何度か追い出されそうになったからじゃないか? でも、変だよな。本があるのなら読むのが当然だろ?」

 人間社会の尺度をレイカルに期待したのが間違いだった。

「なるほどね……作木君にしてみれば夏の課題を何とかしなくっちゃいけないのにレイカル付きじゃ無理ってわけか」

「でも、私たちの大学ってそんなに無理な課題とか出ていないはずだけれど……」

「それはヒミコだろ。特別授業だとかで作木君を顎で使ってるって聞いたことがあるし」

 削里からの思わぬ言葉に小夜は開いた口が塞がらなくなってしまう。

「……高杉先生も鬼ねぇ……。ま、その辺は単位を落としがちな作木君も悪いんだけれど……。とにかく、アパートで手遅れになるのだけは回避したようで安心したわ。レイカル。その図書館に行ける?」

「行けるが……本を読んじゃいけないのに図書館と言うのは不便な場所だよな。それなら家でいいじゃないか」

「……あんたの言うのは相変わらず小学生低学年みたいな物言いねぇ」

「でも、小夜。ここで削里さんとヒヒイロを見殺しにもできないわよ。さっきからウリカルもかなりヤバそうだし……」

「羊が百五十匹……百五十ってキリがいいようで悪い数字ですよね……割ると七十五ですし。七十五は割れないですし……」

 ぷすぷすと脳細胞が焼かれている感覚がするウリカルと、何故なのだかさっきからストリップを繰り広げているラクレスの対比が謎だ。

「ふふっ……もっと脱いで欲しいってぇ……? じゃあ、もっとたくさん声援がないとねぇ……」

「二人とも明らかに限界ね。……小夜、最終手段を取るわ」

 そう言うなりナナ子はバケツに水を注ぎ、冷蔵庫から氷をいくつか詰め込んでからウリカルとラクレスをそこに沈めさせる。

「あっ……! ちょっとこれ……大丈夫なの?」

「大丈夫だってば。言っちゃえば水風呂だし。少しは目も覚めるでしょ」

 その言葉通り、ウリカルがハッとして周囲を見渡す。

「ここは……海……?」

「あらぁ……何で私、脱いでいるのかしらぁ……?」

「う、海なら……この暑さも納得ですね……」

「海なら……水着に着替えないとねぇ……」

「何か、さらに悪化してない?」

 怪訝そうな眼差しを向けると、ナナ子は声を張っていた。

「ウリカル! ラクレスも! ここは海じゃないわよ!」

「……当たり前のことを言っているわね」

 呆れ返っていると、ラクレスはぷかぷかと浮かぶウリカルを抱える。

「……バケツの水……私は今まで一体何を……?」

「ようやく気付いたわけ。……でも、いつもならしっかりしているウリカルとラクレスがここまでなっちゃうなんて、今年の暑さは相当ね」

 小夜はと言うともしかしたら元に戻らないのではないのかと言う意味で嫌な汗を掻いていたが、そうでなくともこの猛暑日だ。

 どうしたって暑さで脳をやられると言うのに、無理をするのは納得できない。

「……レイカルたちも、今日は無理せず休みなさいよ。この暑さで動いたってロクなことにならないでしょうに」

「うーん……でもなぁ……何にもしないのも損だし」

「あんたは夏休みの小学生かって言う……。大人に成れば何もしないのも過ごし方のうちよ」

「でも、私たちが小学校くらいの時って本当にこんなに暑かったっけ? プールに繰り出したりしていたから麻痺してるのかもしれないけれど」

 言われてみればここまでの暑さを記録するような夏ではなかったはずだ。

 それなのに、いつの間にか夏と言えばせいぜいクーラーの効いた部屋で過ごすのが当たり前になっている。

「……とは言え、私たちが文句言ったってしょうがないんだから。レイカル、それにカリクムも。溶けちゃわないうちに涼しいところに行きましょう」

「溶ける? ……やっぱり暑過ぎると私たちは溶けて消えてしまうのか……!」

 愕然とするレイカルに例え話だと言おうとして、そう言えば、と思い返す。

「……あんたら、オリハルコンって言う素材のフィギュアなのよね……? もしかして、溶けるってのは誇張じゃない……?」

「冗談言わないでくれよ! 私たちはオリハルコンと言う風に生まれた時点で人間と同じように暑さは感じるもんなんだからさ!」

 カリクムの抗議に小夜はむぅ、と思案する。

「……でも、これだけ暑いとどうしようもないわよ。頭も動かないし、それに何よりも、身体に悪いってば。こういう時は……ナナ子」

「ええ、もちろん!」

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