裏があるに違いないとすぐさま判断した自分の目に飛び込んできたのはカリクムがウリカルの肩を叩く光景だ。
さすがにこれはもしかすると悪い夢なのかと疑って頬っぺたをつねるがただただ痛いだけで目が覚める様子はない。
「小夜、これは現実よ」
まさか漫画以外でそんな言葉を聞くとは想定しておらず、小夜は青ざめていた。
「……な……もしかして色々なことがあって……こんな世界線に飛び込んじゃったとか……そういう……?」
「漫画の読み過ぎじゃない? それとも最近の流行りの映画だとか? ……そうじゃなくって、ちゃんと目の前でレイカルはヒヒイロの肩を揉んでいるし、カリクムはウリカルの肩を叩いているってば」
二度もナナ子に言われればさすがにこれが現実なのだと小夜も飲み込んでいたが――。
「……どうして? 何があったって言うのよ、カリクム!」
思わず一世一代の声が漏れてしまい、カリクムが眉根を寄せる。
「……何で裏切り……みたいな言い方をするんだよ、小夜。……これは何て言うのかな、レイカルがまた言い出してさ」
「レイカルが……?」
「なぁ、ヒヒイロ。これでキンロー? の感謝になるのか?」
「ふむ。また色々と間違っておるようじゃが、肩を揉まれるのは悪い気はせん」
「キンロー……? あっ、もしかして勤労感謝の日のこと?」
そう言えば今週末は勤労感謝の日だ。
まったく意識の外であった祝日に小夜はようやく椅子に座り込んでいた。
「……びっくりしたんだから、もう……。私は自分だけ別の世界に放り込まれたんだと思ったわよ……」
「小夜は大げさだな……。私たちだって、こういう祝い事はすべきなんだって、レイカルが言い出すもんだから」
「……けれど、カリクム。何でウリカルの? ヒヒイロはまだ分かるけれど……」
「私から言い出したのですわぁ、ナナ子様。ウリカルは日々勉学に励んでおります。よって、少しはカリクムとレイカルにも見習うところがあるのでは、と」
ラクレスはと言うとその模様を面白がっているのがありありと伝わってくる。
「……もう、寿命が縮まったじゃないの。勤労感謝の日か……。具体的に何をするんだっけ? 単に祝日としか認識してなかったけれど」
「法律上は日本の歴史で言えば“勤労をたつとび、生産を祝い、国民がたがいに感謝しあう”、とありますが、まぁ現代人にしてみればピンと来ない観点でしょう。それに、日本人は働き過ぎとの言説もあります。分かりやすく言えば、今年最後の国民の祝日という点はありますが」
「あっ、そっか。……もう年の瀬なんだ……」
何だか一気に疲れが押し寄せてくる感覚で小夜は呟く。
今年も色々あったような気がするが、何事もなく来年が訪れるのだろう。
「十一月にもなると寒い日が増えるかもと思ったいたけれど、先月まで暑かったからあんまり感覚はないわよねぇ」
「ここ近年の気温の上昇は異常でしょうね。少し暑いと思っていたくらいだったのに、もう寒くなっていくとは」
「毎年そうなんじゃないか? そりゃー、サイクルとしては秋が短くなった感じはするが、それも人間の感覚ってもんだろうさ。悠久の時を生きるオリハルコンにしてみれば一瞬のことだろう」
削里は将棋盤をヒヒイロと挟んでいる。
駒を打つと即座にヒヒイロが返してくるので、削里は長考していた。
「……待った」
「よいですが、待ったは五分までですよ。さて、レイカルや。もうよい」
「もういいのか? ラクレスの奴は一日中これをするのがキンローなんだと言っていたぞ?」
「……何てこと教えるのよ、あんたも」
「さぁ? 私は労働する者すべてに感謝すべきとしか言っていませんが」
涼しい顔で嘘をつくのだからこれで侮れない。
「レイカル。せっかくの祝日なんだから作木君とかに感謝しなさいよ。創主なんだから」
「……だが、創主様はこの時期は忙しいみたいで……」
「あー、ワンフェスだっけ? 何だか作木君も正直、貧乏ヒマなしって感じよね」
ナナ子はスーツケースから手荷物を取り出し、趣味の裁縫を始めている。
「……あんたたちは趣味人だからいいわよね……。私は結局テレビスケジュールに振り回されちゃうから」
「いいんじゃないの? 年末の特番にも出られるとかこの間言ってなかったっけ?」
「……今やっている戦隊のキャストと生配信番組。忙しいのはいいことなんだけれどね」
とは言え、このままではせっかくの年内に作木と遊ぶことも少なくなりそうだとは実感している。
思えば、きちんと理由を付けなければ作木の予定を押さえることも難しいだろう。
「……ねぇ、レイカル。作木君、最近どうなの? まさか、この暑さ寒さにやられているとかはないわよね?」
「うーん……創主様は布団の乗り換えが大変だとは言っているが、ここ最近は作業に没頭できる気温で助かっているとは言っていたな」
確かに秋が短かった感覚はあるものの涼しくなってきたのは事実だろう。
作木にしてみれば暑い間はずっとショッピングモールに籠城していたのだから、本格的に寒さが訪れる前に作業を済ませたいのかもしれない。
「……何か、みんなそれぞれって感じよね。もっと秋を楽しみたいけれど……」
「紅葉もいつの間にか、って感じよね。もっと昔ってゆったり時が流れていたような気がするけれど」
四季があると言うのに慌ただしい日々に埋没している気になってしまう。
それは自分たちが下手に大人になってしまったからか、あるいはここ近年の異常気象が原因か。
恐らく両方だろうなと胸にひとりごちて、らしくない感傷だなという思いが掠める。
それもこれも、秋になってセンチメンタルな気分に浸っているせいだろうか。
「……秋って気持ちが落ちるわよね。何だか」
「涼しくなると不思議とそう言った感慨に足を取られるものです。それもまた風情と言えば風情」
ヒヒイロの返答に何だか見透かされたようで小夜は頬を膨らませる。
「……風情ねぇ。それはそうと、カリクム。いつまでウリカルの肩を叩いているのよ」
「えっ……あっ、レイカル! 何でやめてるんだよ!」
「キンローは終わったんだぞ? カリクム、お前こそいつまでやってるんだ。マヌケだな」
「何をぅ……お前にだけは言われたくない!」
とは言え、レイカルとカリクムも何度も巡る季節にそろそろ慣れてきたのだろうかと尋ねる。
「ねぇ、あんたたちって普段何してるのよ。ウリカルほど勤勉であれとは言わないけれど、少しは創主の役に立つこととか」
「うーん……昨日はトンボを追っかけていたっけか? その前は空き地で押し相撲とか……」
「何であんたたちは小学校低学年の放課後みたいな日々を過ごしてるのよ……」
だが、レイカルなら少しは分かっているのだろうか、とそれとなく小夜は聞いていた。
「作木君があまり構ってくれないって言うんでしょう? それなのに平気なの? あんたは」
「それは……それは寂しいが……創主様だって仕事だって言うんだし……」
なるほど。
ラクレスが勤労感謝の日を持ち出した意味がようやく少しだけ分かってくる。
「……あんたが我慢するのが作木君にとって一番辛いんじゃないの?」
「そ、そうだろうか……割佐美雷……。私は、創主様の迷惑になっちゃいけないと思って……」
「何よ、らしくないことを言うのね。……って、それも秋のせい、か。センチメンタルになってるのは何も人間だけじゃないってことね」
しかし、レイカルと作木が自ずと空気を読む関係になると言うのは自分にしては少し考えものだ。
そうでなくともレイカルの空元気が自分たちにとっていい意味に働くことも少なくはなかった。
「……レイカル。せっかくなんだし、作木君に勤労感謝の品でも贈らない?」
その言葉に沈んでいたレイカルの顔がぱぁっと明るくなる。
「い、いいのか? 私がそんなことをしても……」
「あんたらしくない感傷はすっ飛ばしてさ。……まぁ、秋のせいだとしても。レイカルがそんなふうにしおらしくなるなんて私たちが調子狂っちゃうわよ」
「……小夜ー。じゃあ私は? 私はどうなんだよー」
「カリクムは……そうね。最近、枕の齧り癖がなくなったのはいいことかしら……」
「私は猫が何かかよ! ……ったく、小夜も小夜だよなー。忙しいって理由で私たちをほっぽって出かけることも多いだろー」
「それは……あんたらを起こすのも悪いと思って」
「小夜。それも秋のらしくないセンチメンタル? 私たちはせっかく家族みたいに過ごしてるって言うんだから遠慮はなしで行きましょうよ」
ナナ子にそう言われてしまうと反論もできない。
思ったよりも気が滅入っていたようである。
「……まぁね。じゃあ明日からはちゃんと起こすけれど……朝弱いカリクムは文句言わないでよ」
「……文句なんて言うもんか。私は小夜のオリハルコンなんだからな」
「とか言っちゃって、朝早くに起こすななんて言ったら朝ご飯なしだからね」
「だから! 私はペットじゃないっての!」
自分たちのやり取りを眺めていたウリカルは勉強机で試験を解く手を止めてぼんやりと呟いていた。
「……いいなぁ……皆さん」
「何を言っているの。ウリカルだってちゃんとそうして勉強していて偉いわよ。何なら、ちゃんと甘えたっていいんだからね? あんただってちゃんとしたオリハルコンで、私たちの仲間なんだから」
「で、でも私……ご迷惑をかけるわけには……」
ウリカルの言葉をラクレスは唇に指を立てて制する。
「まぁ、今ばっかりは創主に甘えてもいいのよ。それだって立派な経験だし、それに、ウリカルも作木様のオリハルコンなんだから」
「ラクレスさん……。そう、ですかね? 私、ちゃんと作木さんの……お父さんのオリハルコンとして……」
「難しいことを言うな! お前だって創主様はちゃんと見ているぞ!」
こういう時に打算のないレイカルの言葉はありがたい。
肩を抱いて笑い合う二人を見ていると自然と心洗われる気分になる。
「……勤労って、別に仕事の話だけじゃないのかもね。こうして当たり前のように一緒に居ることを自覚できるから、その年最後の祝日なのかも」
「割佐美雷! 創主様にとっておきを作りたい! 私も、ウリカルも……っ!」
「じゃあ、これから寒くなるし、とっておきを教えてあげるわ。レイカル、こっちに来なさい」
ナナ子が手招く。
彼女が先ほどから作業している内容を小夜は察して、なるほどね、と頬杖をつく。
「寒くなるからこそ、深まる絆もあるってこと」
「そういうこと。心配しなくっても小夜の分もあるし、もちろん! 本命は伽クンのだけれどね!」
「はいはい、見せつけてくれちゃって。……まぁ、でも、いいわよね。そういう特別な感じはしないけれど、特別な日があったって……」
――買い出しをしていると、そろそろ長袖一枚では辛くなって来るなと感じて、作木は身を震わせる。
「……うぅ、ちょっと寒い……。今年も寒さは厳しくなるのかなぁ」
吹き付けてくる秋風に、作木は色づき始めた街頭を視野に入れる。
この季節になればオータムフェスタから冬支度になりつつある。
思えば秋もあったようでなかったような気がする。
こう考えるのは自分が下手に大人になったからだろうか、それともと考えて詮無いことだと思考を打ち切る。
「……この間はようやく焼き芋の季節だと思ったけれど、思ったよりも早く冬がはじまりそうだなぁ」
秋は足早に去り、そうして冬の到来と年の瀬が待ち構えている。
今日の分の制作スケジュールを組んでから作木が部屋の鍵を開けようとすると、案の定、鍵は開いている。
「……あら? 作木君、今日はちょっと遅かったじゃないの」
当たり前のようにくつろいでいる小夜と、キッチンでは調理中のナナ子が居た。
「作木君! 今日はちょっと寒くなって来たし、乾家特製、ナナ子鍋を作ってあげる! これはねー、私の家に伝わるちょっとしたピリ辛仕立ての鍋よ!」
バッチリとエプロンに身を包んだナナ子がサムズアップをするので作木は生返事をして小夜の隣に腰を下ろす。
「……どうしたの? 元気ないわよ?」
「あ、そう見えますかね……。いや、ちょっとあまりにも年の瀬が明確に見えてきたからか……ちょっとナーバスになっていたと言いますか」
自分らしくないと思っていると小夜は、なるほどね、と応じる。
「私も、ちょっとしたセンチメンタルにはなっていたのかも。でも、これもいいのよね。別にずっと気持ちハイテンションって言うのも変じゃない? 多少気持ちが落ちたって、また持ち直せばいいのよ。それも季節の醍醐味ってね」
「季節の醍醐味……ですか。そう考えられると確かに……涼しくなってきて、過ごしやすいのも感じますね」
そういえばレイカルたちが居ないな、と作木が周囲を見渡すと、不意に机の下からレイカルたちが飛び出す。
それと同時に弾けたのはクラッカーの音だ。
「創主様! キンロー、お疲れ様です!」
想定外のことに面食らっているとレイカルは小箱を差し出す。
「えっと、これは?」
「キンローの証とのことです! 寒くなりますのでナナ子とウリカルと一緒に作りました!」
収められているのは水色のマフラーであった。
ウリカルはもじもじとして少しだけ目を伏せる。
「上手くできたか分からないですけれど……レイカルさんとナナ子さんがちゃんと教えてくださいましたので」
「そっか……勤労って、勤労感謝の日? 何だか過ぎ去ってしまうからこの時期はあんまり覚えてなかったっけ」
「そういうの、よくないわよ? レイカルたちと過ごすのは慣れてきたかもしれないけれど、この子たちにとって一年は特別なんだからね? ……寄り添ってあげて。作木君なりにね」
そう言って小夜が差し出したのは水色のマフラーとは別の少しだけ目が粗い手袋であった。
どちらも心のこもった手作りであるのが窺える。
「……あ、その……僕、返すものが……」
「いいのよ。こういう、何でもない時間がね。ちゃんと替え難いんだから」
作木はレイカルらが作ったマフラーを巻き、小夜の手袋を付けてみる。
「……ありがとうございます。あったかいんですね、こういうのって」
「そうよ。……まぁ、出来はよくないかもだけれど……」
「小夜ってば、照れ隠ししたって同じよ? プレゼントは気持ちが一番、ってね!」
「な、ナナ子……! もうっ。まぁ、私も作木君たちと同じく、秋の気配にやられちゃったってこと!」
そう言って無理やり纏めようとする小夜はいつになく照れているのが分かった。
「……ありがとうございます。大事にしますね」
「創主様! 私たち、ちゃんとキンローに感謝できてますか?」
「うん。そうだね。レイカルたちが元気なのが、僕にとっては何よりも……勤労感謝になるのかな」
レイカルとウリカルを褒めてから、ナナ子が本格的な鍋料理を振る舞う。