「で、デートって言うのはその……示し合せたり約束したりしてどっかに行くことで……」
「そうじゃないですか。今日は川本さんが誘って、私を連れ出してくれたんでしょう? これはデートじゃないですか」
それは寝耳に水と言うよりかは、想定外だったのもある。
何だか俗っぽい言葉は図書室の妖精である志麻涼子には似つかわしくなかったと言うか。
「……でも、そうなのかもですよね」
「川本さん?」
「……私、もっとちゃんと……! 志麻さんと、仲良くなりたいんです。図書室で会うだけだったですけれど、赤緒さんはマキさんや泉さんと、中学校の時に仲良くなったって言っていました。その時は……よく分かんなかったって。けれど、それって多分……!」
とても大事なことなのだと。
今になれば分かる。
赤緒の穏やかな性格や微笑みを絶やさない今の姿はきっと、彼女らが作ったのだろう。
誰かの横顔を作るのはきっと、その隣に居る人。
だから、なのかもしれない。
いつも夕刻の図書室で、寂しく目を伏せた志麻涼子を。
あの世界の終わりのような光景から連れ出してしまいたかったと言う衝動は、誰かに説き伏せられていい理由じゃない。
本のにおい。
新古書が混じり合った、独特な香りの中で志麻涼子はいつも一人であった。
孤独で、孤高で、そして隣り合う誰かを必要としない面持ちだった。
確かに世界にはそれでいい、その生き方を選んでもいい人間も居るのだろう。
それでも、さつき自身は自分の周囲だけは幸せになって欲しかった。
これが志麻涼子の望む幸福の形かは分からない。
自分の押しつけがましい傲慢の一言かもしれない。
ただ――自分が両兵やルイ、それに赤緒たちによって変えてもらえたように、その眼差しは誰かに変えてもらうことを願っているように映ったのだ。
在り方がどのようであろうとも、自分は一つくらい誰かの世界を変えてみたい。
本で繋がれるのなら、文字を交わし、言葉を同じくするのであれば。
どこかにきっかけだってあっていいはずだ。
どこかに縁だってあっていいはずだ。
少なくとも、夕映えの牢獄に囚われていい少女ではない。
「……志麻さん。その……身体が丈夫じゃないのは知っています。けれど……形が何であれ私たち出会えたんですから。もっと別の……可能性を模索したいって言うか」
志麻涼子はコーヒーに砂糖をスプーン一杯分だけ注ぎ、それから顔を上げる。
「何だか口説かれているみたいですね、私」
「く、くど……っ!」
いや、ここでうろたえては元の木阿弥だ、とさつきはテーブルを叩いていた。
「い、いえ……っ! 私! 志麻さんを……口説いています!」
「お静かに。喫茶店ですよ」
「あっ……すいません……」
顔から火が出る思いであった。
恥じ入って視線を落としていると、志麻涼子が返答する。
「……けれど、そうですね。川本さんの勇気は買いました。じゃあ……」
志麻涼子がこちらへと指先を伸ばす。
その指が頬っぺたについていたパンくずを取って、笑顔を形作る。
「――まずはお友達から、ではいかがでしょう?」
まさかそんな返答が来るとは思っておらず、さつきは頬をさすられたのと同じくして声を上ずらせる。
「そ、それは……その……」
「また図書室に来てくださいね、川本さん。けれど、一つだけ」
「あ、はい……? 何でしょう?」
何だか上手くかわされたような気がして、さつきは戸惑う。
志麻涼子は唇の前で指を立てて、艶やかに微笑む。
「図書室でも喫茶店でも、基本は静かに。ですよ」
「――あれ? さつきちゃん、また借りたんだ。読書家だなー……」
操主訓練を終えてさつきはハードカバーを読み込んでいた。
「あっ、赤緒さん! この間はありがとうございます!」
「……上手くいった?」
「はい! ……それでまた本を借りることになっちゃって……最新刊はまだ文庫化してないみたいで」
「そっかぁー……。さつきちゃん、その人といい関係なの?」
「どうなんですかね……。今でも返却期限を守らないと怒られちゃいますし、距離感とかはよく分かんないかも……」
ある意味ではルイやエルニィ以上に難解な相手だろう。
それでも、さつきは諦めたくなかった。
だって、お友達からでいいと言ってくれたのだ。
ならば、歩み寄りはこれまでよりもずっとだろう。
「……また、次回作が映画になったら、行こうって言っているんです。あ、けれどその……」
「どうしたの?」
「いえ、でも……当たり前なのかもしれないんですけれど。まずはお友達から。だから、そうですね」
さつきは手元の便箋を引き寄せる。
少し古めかしいが、志麻涼子とはあの後、こうして本の感想を介して文通をする仲になった。
何だか距離が遠ざかったのだか近づいたのだか分からない始末である。
「レターセット……映画まで観に行ったのに?」
何だか今日の赤緒は少しだけ意地悪かもしれない。
さつきはうぅ、と困り果てる。
「……まぁ、ですよね。けれど、いいのかなって。だって、友達の形って色々ですし、これが私と彼女には合っているのかも」
それが自分の手繰り寄せた運命と上手く折り合いを付けていくことならば。
さつきは便箋に万年筆を走らせる。
その想いは、きっと誰にも途絶えさせることはできないはず。
書き出しにさつきは頭を悩ませる。
何度か手紙は書いたことはあったが、こういう関係性は初めてだ。
「……そういえば……赤緒さんはどうやって、マキさんや泉さんと仲良くなれたんですか?」
「私? うーん……マキちゃんはとにかく何も知らない私を引っ張ってくれたし、泉ちゃんもかな。記憶も何もない私に、とっても優しくしてくれたの。それが……今となってはすごく嬉しい。嬉しかったんだって思う」
微笑む赤緒の横顔にさつきはヒントを得ていた。
「そうだ、じゃあまずは……」
「――これ、借りさせてもらうわよ」
貸出の辞書をカウンターに出したジュリにシバは「志麻涼子」として振る舞う。
「貸出期限は五日間。その間に返してくださいね、八城ジュリ先生」
「それって何かの意趣返し? まぁ、いいけれどさ。……それ、どうしたのよ」
ジュリが指差したのはシバが返しあぐねている便箋であった。
「……川本さつきと、“まずはお友達からで”始めようと思っただけだ」
「へぇー……」
「……何だ、何が言いたい」
「いいえ。まぁ、あんたなりの歩み寄りだってことでしょう。それにしたって、今どき文通? シャイでいいわねぇー」
「放っておけ。……ジュリ、貴様教師だったな? こういう時に返答する定石みたいなのを知っているんじゃないのか?」
「駄目よ。他人の手なんて借りちゃ。それだと気持ちが籠らなくなっちゃう」
「……別段、気持ちを籠めて返したいわけでもない。ただ……書き出しが思い浮かばないだけだ」
「それが気持ちの問題、とは思うんだけれどね。あんた、ずっと図書室に居るんだから、それくらい本の知識でどうにかしなさいよ」
「……本には川本さつきへの対処法は載っていない」
困り果てた返答にジュリは訳知り顔で微笑む。
「まぁね。そりゃー、個人個人の対応なんて本には書いてないでしょう。じゃあ、まずは一文目はちょっとばかし、堅苦しくってもいいんじゃない?」
「堅苦しい……?」
ジュリはカウンター上にある紙切れにその文章を記す。
さすがは教師を名乗っているだけはあると言うか、文字は綺麗であった。
「ほら。こういうのよ」
「こういうの……と言われても。別にそう思ってないのにか?」
「そうね。でも、文通するんでしょう? なら、最初は相手のことを想うべき。そうじゃない?」
ジュリに相談したのが間違いだったか、と一瞬だけ感じたがシバはその通りの言葉をしたためる。
「……難しいな。想いを文字にするのは」
「ええ、そう。だからこそ、尊いんでしょうね。この辞書は借りていくわよー」
「……返却期限は守れ」
手をひらひらと振ってから、ジュリは図書室を立ち去る。
シバは――否、「志麻涼子」としての自分は書き出しを呟いていた。
「“親愛なるあなたへ”か。……まったく、どうにかしてしまったのかな。私も」
それでも、まずはお友達からで――便箋に文字を走らせる。
不格好でも、それでも最初の一歩はお互いに踏み出すことに、意義があるはずなのだから。
「だから、か」
人知れず微笑んで、図書室の妖精はペンを取っていた。