JINKI 289 暁の王者

 バルクスはワイヤーで巻き付けた《O・ジャオーガ》を敵機体の真横を抜けさせていた。

 敵は独楽を思わせる特異な形状の制圧兵器――否、これもまた人機の一種だ。

「特異兵装、《ヒシャ》……。有害な磁場を撒き散らし、ロストライフの土壌を生み出す悪辣なる機体か……」

 白亜の機体が滑り込み、《ヒシャ》の回転伝導率を下げようとするが、有するオートタービンの出力よりも《ヒシャ》の回転のほうが攻撃性は高い。

 今も放出され続ける妨害リバウンドの雷撃は人機の活動限界を縮めていた。

『隊長! 他の黒カラスは引き付けておきました……! 今は……!』

「分かっている。……如何に数が少ないとは言え、これは既存の人機の設計思想ではない。ヒトの活動だけを封じる……人界に仇する機体など……!」

 背面に保有した太刀を《ヒシャ》の回転機構に差し込み、オートタービンを大上段より翳す。

 その瞬間、空が拓けていた。

 ハッと振り仰いだバルクスは数機の《バーゴイル》に随伴される一体の黒き機体を目の当たりにする。

『……まさか、そんな……! 黒い、《O・ジャオーガ》……?』

 アイリスの声が通信網に焼き付く。

 バルクスは中天からこちらへと、杖を突きつける漆黒の似姿に絶句していた。

「いかん……隠れろ……!」

 バルクスは後方から支援する青い友軍機へと声を振り向ける。

 その直後――全てが弾け、事象の彼方に吹き飛んでいた。

「――酷い有り様だな……」

 ぼやいたハザマの声にアイリスがコーヒーを差し出す。

「……そうね。ここまでなんて……」

 黒々とした液体に視線を落としながらも、ハザマは目の前の惨状に眉をしかめる。

「……戦略人機、《ヒシャ》……。それがロストライフの地平を闊歩する黒き機体の中に混じり始めたのが、このひと月ほど……」

「本国はもっと、かもね。キョムとの戦線の最前線である日本だとか、南米だとかは。けれど、ここまでやるなんて誰も思っていなかった、それは正しい認識かも知れないわ」

 拳をぎゅっと握り締める。

《ヒシャ》の機影は失せていたが、それでも破壊の爪痕は克明であった。

「まずは電磁波で人機以外の全てのライフラインを断絶。その上で、対人機戦闘でも操主をまるで必要としていない単純な構造と単純な命令系統で破壊を撒き散らす。……これがキョムの……軌道要塞シャンデリアからこちらを見下ろす者たちの視座か」

「……やるせないわね。だからこそ、隊長も踏み切って前線に出たんだと思うけれど……」

 どこか歯切れが悪いのは、平時ならばバルクスを擁護するアイリスなりの苦渋だろうか。

 レジスタンスに対してこれまでだって善戦だったわけではない。

 今までも救えない地平はあった。

 救えない命は、数え切れないほどあった。

 だが、ヒトの命を吸い上げるロストライフの前哨戦として、人間を絶望に叩き落とすのがキョムの次なるやり口なのだろうか。

「……私には分からない。どうしてバルクス・ウォーゲイルは……ここまでやれるんだ。これまで信じてきた正義に裏切られ、これまで信じてきた……自身の称号にすら裏切られるなんて……」

 自分も目の当たりにした。

 漆黒の《O・ジャオーガ》。

 圧倒的な出力と推力を誇るあの機体は、自分たちの旗印である白亜の《O・ジャオーガ》を打ちのめしたのを。

 それは象徴としての意味合いを砕いたのもあるのだろう。

 レジスタンスの中でも、《ヒシャ》の圧倒的な破壊性能とその暴力性に誰も何も言えないでいる。

「……私、ちょっと行って来るわ」

 アイリスは隊員にコーヒーを振る舞いつつ、慰霊の言葉を振っているようであった。

「……誰が止められたのだろうな。あの背中を……王の名を冠することを許された、禊の白を纏いし武人の姿を」

「……言っておくけれど、隊長に生半可な言葉なんて意味はないわよ。それはハザマちゃんが思っている以上に」

 それでも、とハザマは熱いコーヒーを吐息で冷ます。

「……私たちは信じたかったのだろう。偶像だとしても、信念に殉ずる姿に」

「けれど、隊長は命を落としてでも、なんて考え方じゃない。……《O・ジャオーガ》は立ち上がる」

「どうだろうかな。……いずれにせよ、戦いはまだ続くわけだ」

 アイリスは青い《バーゴイル》で黒く煤けた地平に降り立ち、隊員たちへとコーヒーを振る舞う。

「次のために、私たちは戦うまでよ。……それがどれほどの地獄であったとしても」

 その言葉に、嘘はないようであった。

『――聞いているか? バルクス・ウォーゲイル』

 バルクスは廃病院の壁に背中を預けつつ、偽装通信で何重にもプロテクトをかけさせた相手へと返答する。

 不自然な黒電話から暗号通信が漏れ聞こえていた。

「……《ヒシャ》の行動予測。その上での協力、大変助かっている」

『別に妙な正義感でやっているわけじゃないからいいさ。それに、僕にしてみてももう少しだけ情勢が見たい。そのためにレジスタンスを利用している。ある意味では僕も立派な悪だろうね』

「その上で、聞きたい。《ヒシャ》は……いや、あれは人間の活動だけを阻害する邪悪なる兵装。あんなものを提言したのは……誰なのか」

『何だい。それはレジスタンスを束ねる人間としての問いかけかな? それとも、元八将陣としての負い目?』

「……どちらでもない。あんなもの……ロストライフの地平を作り上げるのには少しばかし……あのお方の理想にしては迂遠が過ぎる」

『あのお方、か。未だ忠誠心が抜けないと見える』

 そう言い含められれば、バルクスは返答に窮していた。

 自分は世界を黒に染めようとした存在――黒将に恩義を感じている。

 そのやり方も、辿る結末も間違っていたとしても、自分を一つの地獄から救ってくれたのには違いないからだ。

 ただただ無力のままに死んで行くだけだった、無知蒙昧なる戦士を「バルクス・ウォーゲイル」の名で蘇らせてくれた。

 八将陣として、《O・ジャオーガ》に配されたのは何もただの序列だけではない。

 世界を憎み、そして世界に取りこぼされかけた自分を黒将は知っていたに違いない。

 だからこそ、偽りの平穏に糊塗された世界の盤面を覆す八人に選ばれた。

 ――ゆえに、「八将陣」。

 将であることを宿命づけられ、血濡れの戦いを続ける運命の只中に居る。

 その延長線上がこの世界の片隅での戦いであるのならば、甘んじて受けようと言う気持であった。

 昨日までは。

「……私は、まだ弱いのか……」

『らしくない言葉繰りだな、バルクス・ウォーゲイル。だが、君でも弱気にはなるものなのかもしれない。一つ、いいことを教えてあげよう。トーキョーアンヘルは《ヒシャ》を退けた、その方法は――』

「そこから先は必要ない。私の戦いと彼女らは別だ」

 あえて攻略法を聞くような野暮なことはしない。

 その言葉振りが伝わったのか、通話先の相手が口笛を吹く。

『それは“王者”としての矜持かい? 言っておくが、《ヒシャ》と、そしてモニターされた人機には通用しないだろう。なるほど、グリムの技術かな。黒い《O・ジャオーガ》とは』

「……あれに敗北したのは、ただただ己の無力さによるものだけだ。力をくれ」

『いいのかな。君を信奉する者たちは、僕なんかに繋がっているなんて思いたくないのかもしれないが』

「……手段を選んではいられない。《ヒシャ》の電磁波でここいら一帯の村落はライフラインを絶たれた状態だ。彼らの明日を照らすのに、いちいち勇猛な策だけが意味を持つわけではないだろう」

『その結実が僕ら……“ハイド”への情報提供か。いいだろう。その意気は買った』

 バルクスは音もなく、廊下の先に佇んでいる黒い仮面の人影に気づく。

 咄嗟に腰に提げた太刀を抜刀し、その相手へと突きつける。

「……何者……」

『僕の手の者だ。その名は、そうだな。――J・Jとでも、今は言っておこうか』

「J・J……」

 黒い仮面を被ったその姿、そして何よりも気配が只者ではないのを告げている。

 何よりも、その仮面の形状は、かつて焦がれた忠誠の証。

 黒の男の威容を僅かに想起させる相手に、バルクスは今の自分の負傷具合を鑑みる。

 黒い《O・ジャオーガ》のリバウンド兵装の一撃を受けたにしては、自分はまだ軽傷と言えるだろう。

 ――片脚が咄嗟に利かんのと、片目をやられているが……。

 眼帯をつけたバルクスはしかし、刀を降ろすことはない。

 それは抵抗の証明であり、自分は決して折れないと言う気概の誇示でもある。

 瞬間、遠くであったはずの仮面の痩躯が掻き消える。

 直後には、二挺拳銃を構えたJ・Jが踏み込んでいた。

 息を呑む。

 その速力と迷いのなさだけではない。

 二つの拳銃を扱い、まるで隙のないJ・Jはまず下段からの銃身による打撃を用いてきたからだ。

 ――この間合いで、銃撃ではなく肉弾戦を選ぶか……!

 しかし、近接武装を持つ自分に優位があるのは疑いようもないはず。

 瞬時に脇腹へと差し込まれかけた銃身を刀で打ち返していたが、問題なのはもう一方の銃であった。

 突きつけられたのはゼロ距離の殺意。

 しかして、自身にも腕に覚えくらいはある。

 咄嗟に片手を刃から外し、敢行したのは白刃取りであった。

 両腕に残った渾身の力で眉間を狙い澄まそうとしていた銃を下段から抑え込み、突き上げることで銃弾を逸らす。

 廃病院の窓が割られ、大仰な音が響き渡る。

 バルクスは奥歯を噛み締め、眼前の姿へと拳を振るう。

 金髪が揺れ、埃まみれの廃病院へと転がっていた。

 打ち据えた感触と、鉄拳の食い込み方でバルクスは看破する。

「……女か」

『……やるじゃないか』

 まるで今しがたの応戦も計算内であるかのように通話先で返答される。

「……私を試したのか。あるいは、この女をか」

『よくお分かりで。J・Jはまだ僕の部下としては今一つでね。少しだけ実戦経験を積ませるのも兼ねての試運転だ』

「……悪趣味な」

 J・Jはよろりと起き上がる。

 必死に今の一撃が効いていないように装おうとしているようであったが、呼吸が乱れている。

 自分が平時、ゾールに打ち込むのと同じ打撃を鳩尾に叩き込んだのだ。

 息をしているだけでも僥倖であろう。

『そうかな? 駒は使える時に使う。戦略の定石だ』

「そうであろうとも……人でなしになろうとは思っていないのでな」

『それはまたしても意外な言葉だね。八将陣になった時点で人としての道なんて外れていると思っていたけれど』

 即座に応戦の舌鋒を振るうことはできず、バルクスは押し黙る。

 それを面白がるように相手は声にしていた。

『冗談だよ。そう怒らないで欲しい。J・J』

「……はい。ビットウェイ様」

 凛とした女の声であった。

 だが、その声はどこかで聞いた覚えがある。

 自ずと戦場の記憶が呼び起こされ、どこで聞いたのだったかと手繰っている間に、眼前の女性がアタッシュケースを開く。

『それが黒い《O・ジャオーガ》――こちらでは《ダークO・ジャ》の識別信号が振られている機体の情報だ。J・J相手に重傷だろうに善戦した、そのちょっとした報酬かな』

「……女を駒扱いするか」

『軽蔑するのは違うんじゃないかい? 彼女だって立派な戦士なのは打ち合えば分かるはずだよ。それに、今さらの論法だろう? 男だの女だのって言うのは』

 バルクスは情報が封じ込められた記憶媒体を握り締め、それから通話先に問いかける。

「これに黒い《O・ジャオーガ》……いや、《ダークO・ジャ》か。それの情報があると言っていたな?」

『ああ、間違いないとも。その行動予測と、そして機体特性も――』

 バルクスはそれを最後まで聞き終えるまでに、記憶媒体を廊下に叩きつけ、踏み抜く。

「……どういう……」

 思わず、と言った様子でJ・Jが口走ったのが分かる。

 バルクスは澱みなく応じていた。

「この通りだ。これがどれほどに……千載一遇の好機であろうとも、まして攻略法であろうとも。私は悪辣なる手段に打って出るつもりはない。戦士としては失格だろうとも、レジスタンスのリーダー、バルクス・ウォーゲイルとしての己が許せない」

 僅かながら沈黙が流れる。

 相手にしてみても想定外だったのだろう。

『……敵わないなぁ、そういうの。正義の味方なんてやるつもりはないんじゃなかったの?』

「……私はただただ、女子供の前で暴力だけで手に入れた価値に、意味はないと感じただけだ。そこには何も……信念も正義も、何もない。それは己自身が……」

『知っている、か。少し、君を見くびっていたかな。J・J』

「……はい。ビットウェイ様。これは交渉決裂と見ても……」

『いや、気が変わった。その“紛い物”ではなく、“本物”を差し出すといい』

「……しかし、それは……!」

『逸らないで欲しいんだよね。僕はあくまで調停者。正義でも悪でもない。世界の天秤において、公平であれと決めた。それが僕ら、ハイドのあるべき姿だよ』

「……承知しました」

 J・Jはアタッシュケースを捨て、隠し持っていた別の記憶媒体を差し出す。

 銃のグリップに隠されていた小さな記憶媒体を、バルクスは受け取っていた。

『それは壊さないほうがいい。勝者への本物の報酬だ』

 自身の行動を制するように口にしたビットウェイに、バルクスは記憶媒体を懐に仕舞う。

「……一つ聞かせろ。貴様は……キョムに属するでもない、かと言って、アンヘルに味方するでもない。貴様は、この堕ち行く世界において、どちらなのか」

『そうだね。沈黙を答えにさせてもらおうかな。それこそが影であることへの本懐』

「言っておくが、真に価値のある沈黙とは金に値する。口走っている時点で、それは三流だ」

『おっと、いけない。ついつい、君相手になると喋り過ぎてしまう。それもこれも、八将陣から脱落してまで戦い抜いている酔狂な男への、そうだな。ある意味では褒賞めいたものもあるのかもね』

 通話は一方的に切られる。

 バルクスは今しがたまで使っていた黒電話をその拳で叩きつけ、破壊していた。

「……ビットウェイ様はお怒りですよ」

「ヒトをヒトとも思わぬ者に、どう思われようと知ったことか。それよりも貴様だ。……人間とは思わず、全力の拳で応戦してしまったな。痛むのならば……」

「それも必要ないこと。私は人間扱いされたくって……あのお方に与しているわけではないのですから」

 J・Jは飛び退り、音もなく消え失せる。

 その立ち振る舞い、そして先刻の銃を使った技量はただの末端とは思えない。

 記憶のどこかに似通った人物を想起しかけたところで、不意に背中に声がかかる。

「……隊長……! その怪我で抜刀して……!」

 アイリスが息を呑む。

「……何でもない」

「何でもないってことはないでしょう! ……隊長、嘘だけはつかないって言ってくれましたよね? 私を仲間に引き入れてくれた時に」

「……むっ。そうであったか」

「そうですよ! 大体、隊長は迂闊なんです! 何でもかんでも暴力でケリがつくと思ったら大間違いですよ!」

 何だか自分はアイリスの前では小僧のように無力になる。

 しかし、嫌な気分ではない。

 むしろ、溌剌とした彼女の言葉は希望でさえもある。

「……悪かった。しかし、敵が……」

 いや、敵と呼んでいいのだろうか。

 ビットウェイと盟友を結んでいるのは自分だけの秘密だ。

 他の者たちに気取られたくはない。

「……敵? キョムですか?」

「……いいや。何でもない」

 その返答にアイリスはむくれ顔になる。

「……何故、そのような顔になる」

「分かってないんですね! 隊長、もっと色々と……ちゃんとしてください! この廃病院だって、元々は……!」

「ああ。ロストライフで運ばれてくる病人が居たのだろうな。だが今は……」

 バルクスは病室へと目線をやる。

 埃まみれのベッドの上には黒い人型が染みついている。

「……分かっているんならなおさらですよ。今は一糸乱れぬ連携だけが必要なんです」

「ああ。……そろそろ夜が来るな」

「……あの黒いの。また来るんですかね……」

 アイリスも不安を抱えているようであった。

 如何にレジスタンスの副隊長であっても、性能差を突きつけられれば彼女とて一人の女性だ。

 だが、それ以上に戦士でもある。

 バルクスはアイリスを軽んじなかった。

「……心配するな。《O・ジャオーガ》で出る」

 松葉杖をつきながら、バルクスは崩れた廃病院の一角で項垂れた愛機を仰ぎ見る。

「一応、修復はしておきましたが……荒療治です。それに、レジスタンスの修繕がどれほどキョムに通用するかは未知数で……」

 アイリスが言葉を濁したのはその場凌ぎのメンテナンスと、そして包帯姿の《O・ジャオーガ》の姿に思うところがあったからだろう。

 全身に包帯を巻いた《O・ジャオーガ》の相貌をバルクスは確かめる。

 ――まだ、その瞳の闘志は死んでいない。ならば。

 その時、不意打ち気味に村落を襲ったのはリバウンドの銃撃であった。

「まさか! こんなに早く……!」

「生かしておく理由もないのだろうな。禍根の芽はここで摘む、か。ならば私は、太刀でのみ応じよう。……皆を起こしてくれ」

 バルクスは松葉杖を捨て、開かれた《O・ジャオーガ》の掌に飛び乗る。

「隊長……! 私は……死んでいいなんて思っていませんよ。それは、誰も……」

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