「ただいまー……あれ? 赤緒さんと立花さんが言い合いしてる……?」
さつきがひょっこりと顔を出すと、参った様子の赤緒と毅然とするエルニィの対立はまるでいつもの正反対であった。
赤緒はどうにか許しを乞おうとしているが、エルニィは頑として聞き入れない。
「立花さん……私、これ飲めなくっても生きていけると思うんですけれど……」
「いーや! 許されないね! 赤緒はボクらにはきつく当たるくせに、こういう時に甘えさせちゃ駄目なんだから!」
「えっと……どうしたんです?」
「あっ、さつきちゃん、お帰りー……」
「自称天才に、赤緒……? 何をやってるのよ」
自分の後ろからルイが状況を見渡す。
居間に正座した赤緒は金色の液体を前にして、完全にエルニィにしてやられているようであった。
「聞いてよー! 赤緒がさ、これだけは飲めないって聞かないんだから!」
指差されて赤緒はむっとする。
「そ、それはぁ……! だって、こんなのよくないですし……」
「よくないって、それ、ボクらを前に言えるのー? 赤緒ってばいつも言うよね? 二言目には“好き嫌いは駄目”だって」
それを持ち出されると赤緒も抵抗できないのか、困り果てている。
「でも……身体によくないって聞きますし。飲めなくっても平気なのでは……?」
そこまで赤緒が譲らないのは珍しい。
食べ物に関してで言えば、赤緒は好き嫌いなどほとんどないほうだ。
甘いもの、苦いもの、辛いものでもとりあえず食べてみると言うスタンスであったはずなのだが、さつきには赤緒が嫌いそうなものが思い浮かばない。
「立花さん。きっと事情があるんですよ……。でも、何なんです? これ……炭酸水なら、好き嫌いだとか飲めないとかあるんじゃ?」
「違うよ。ってか、炭酸水は飲むじゃん」
そう言えばよく三時のおやつのお供に炭酸飲料を愛飲しているところを見たことがある。
加えて、別段、赤緒が炭酸系が苦手であったと聞いた覚えもない。
「普通の清涼飲料水は飲めるんだけれど……これだけは……なんだかなぁ……」
そこまで赤緒が拒絶する飲み物などあるのだろうか。
さつきが探る目線を向けていると、ルイがひょいとコップを手に取る。
「赤緒が飲めないもの……? 何なのかしら」
そう言うや否や、グイッと飲んでしまうのでさつきは思わず止めていた。
「る、ルイさん……っ! 危ないものだったらどうするんですか!」
「危なくなんてないってば。だって、それは――」
直後、ルイがけぷっ、と軽くゲップする。
「……これ。ジンジャエールじゃないの」
「え……? ジンジャエール……って、あのジンジャエール?」
完全に呆気に取られていると、赤緒がむぅと頬をむくれさせる。
「よく飲めますね、それ……。何とも言えない変な味みたいで嫌じゃないんですか?」
「いやまぁ、一部の炭酸飲料は湿布の味だとかそういう間違った知識が流布されているのは事実だろうけれど……これは見紛うことなく、ただのジンジャエールだし、赤緒ってばこれ飲めないって言い出すの。……何だかおかしくない?」
「さつきもためしに飲んでみる?」
差し出されてさつきはおずおずと口に運ぶが、特に大したものではない。
間違いようもなく、ただの市販のジンジャエールである。
「えっと……これが赤緒さん、飲めないんですか? お酒が入ってる……とかでもなく?」
そう言いやると赤緒もなかなか認めがたいものがあるのか、うーんと呻る。
「……だって、ねぇ? 誰しも苦手なものがあるって言うか、そういうのの延長線上って言うか……」
「でも、ただのジンジャエールだよ? 何を苦手意識があるってのさ」
エルニィの言及に、赤緒は戸惑う。
「……その、炭酸飲料は飲み過ぎると骨が溶けちゃうって聞きました。だから、なのかな……。特にジンジャエールは味とか色々苦手で……」
「いつの時代のことを言ってるの。第一、ジンジャエールが飲めるだけありがたいと思いなさいよ。カナイマじゃ嗜好品の一つだったのよ」
ルイの論調にそれでも赤緒は飲み込むのが難しそうである。
「……ですけれど、何だか苦手で……」
「分かんないなー。そう言えばシールとツッキーは結構、炭酸系の飲み物に造詣が深かった気がするけれど……シール! ツッキー!」
エルニィが呼ぶと格納庫の前で休憩していた二人が歩み寄ってくる。
「なんだなんだ? 緊急かよ」
「緊急も緊急だよ。シールとツッキー、ジンジャエールは飲めるよね?」
「ジンジャエールだぁ? そんなの、飲めるに決まってんだろうが」
「炭酸が目を覚ますのにちょうどいいんだよね。私も愛飲者だけれど、何かあったの?」
エルニィがにひひと笑う。
普段、馬鹿にされていることが多いからここぞと言う時に赤緒に仕返しができると思っているのだろう。
「赤緒ってば、ジンジャエールが飲めないんだってさ」
「の、飲めないって言うか、苦手って言うか……あまり特筆して美味しいと思わないって言うかぁ……」
「それを苦手だとか飲めないだとか言うんじゃねぇの? 何だよ、あんだけメシの場でうるさいクセに、自分はジンジャエールが飲めねぇのか?」
確かにシールと月子の手前、あまり弱々しい様子を見せると普段の赤緒の威厳が損なわれることもあるはずだ。
何とか持ち直そうと赤緒はジンジャエールをコップに注ぐが、やはりと言うべきか躊躇が勝るようである。
「……あの、炭酸が抜けてから飲んでも?」
「駄目に決まってるじゃん。って言うか、炭酸が駄目なの? 味が駄目なの?」
「うーん……どっちも、ですかね……。ラムネとか、他の炭酸飲料は飲めるんですけれど、合わさると駄目みたいな……」
「まぁ、でも、ジンジャエールがメインの食事なんざ滅多にねぇんだから困らねぇだろ? エルニィにしてみりゃ、赤緒をイジる要素が増えただけだろうが」
「ところが、ですね……。三日後に実は、トーキョーアンヘルの懇親会って言うか、ちょっとしたパーティーみたいなのを開こうってなっていまして……。そこで振る舞われるのがピザなので……」
「あー、確かに。ピザにはジンジャエールがありだよなぁ」
懇親会はここまで戦い抜いてきた戦士たちへのささやかな休息としての意味合いが強かったが、そもそもまさかここに来ての弊害が赤緒がジンジャエールが飲めないことなど思いも寄らない。
「赤緒さん。炭酸とか生姜っぽいのが駄目なら、確か鼻をつまめば大丈夫だとか聞いたことがありますけれど……」
「それもさっき試したけれど……。何だか、赤緒はそもそもジンジャエールと相性が悪いみたいだね。どうしても駄目なんだってさ」
「だ、だったら……! オレンジジュースとかを飲めば……」
「いいえ、さつき。それは赤緒のためにならないわ。何よりも、ピザにジンジャエールは鉄板よ。それを赤緒の一存で崩されたんじゃ、堪ったものじゃないわ」
「だよねぇ。ピザにはジンジャエールとコーラが一番!」
結託したエルニィとルイは、恐らく普段から赤緒よりこっぴどく叱られていることも原因しているのだろう。
この機会に赤緒をこってりと痛めつけようと言うのだ。
何だかその気持ちが全く分からないわけではないさつきは、しょんぼりした赤緒の顔を覗き込む。
「そ、その……誰だって駄目なものの一つや二つはありますよ。私だって、苦手な食べ物くらいは……」
「うぅ……あるの? さつきちゃんも……?」
そう問われると、自分の中に苦手意識のある食べ物はほとんど存在しないことに気づく。
返事に窮していると、赤緒は大仰にため息をついていた。
「……だよねぇ。ないよね……」
「す、すいません……。上手いこと言おうとしたんですけれど……」
「そもそもさ、ジンジャエールが飲めないってどれくらいのレベル? 身体が受け付けないなら仕方ないけれどさ。本当に何もかも駄目なの?」
ここに来て温情が勝ったのか、エルニィの質問に赤緒はうーんと困惑する。
「飲めない……わけじゃないんですよ? アレルギーだとかそういうんじゃ。ただ……何だか進んで飲むものじゃないって言うか、飲み物としてカウントしていないって言うか……」
「酷い言われようだな……オレらは結構、飲み比べとかもあるし、好きなんだがなぁ、月子」
「うん。ジンジャエールって意外とメーカーごとに特色が出ていて、もしかすると赤緒さんはクセの強いメーカーに当たっちゃったのかも」
「けれど、これって炭酸も強くない、普通のジンジャエールなんだけれどなぁ……」
改めて、今回の問題は赤緒自身に強く起因するのだと実感する。
「この際だし、赤緒の苦手を克服しちゃわない? ジンジャエール全般が駄目なのかも気になるし。それにボクにしてみても、何だか赤緒をイジメているみたいで気は進まないしね」
つい先ほどまでねちねちと言っていたとは思えない割り切り方だが、さつきはそれもどうかと返事する。
「でも、苦手な人に無理やり飲ませるのはよくないですよ……。別にジンジャエール以外の飲み物がないわけじゃないんですし、ここは穏便に……」
「甘いわね、さつき。言っておくけれど、ピザパーティーでジンジャエールを飲まないと言うのは、ラーメンでチャーシューを残すのと同じくらいの大罪よ」
ルイの素っ頓狂なたとえにエルニィは深く頷く。
「そうなんだよねぇ……。その辺も含めて、ボクはここに! 赤緒の苦手克服作戦を宣言するよ!」
「そ、そんな大げさな……」
「大げさなもんか! パーティーだって言うのに一人でも楽しめていないと損でしょ?」
とは言え、赤緒もジンジャエールが苦手だと言うのならば強制するのはよくないはずだ。
「立花さん! 飲める側の人間の論理で回すと、何だかよくないですよ……。それに、赤緒さんだってジンジャエールを克服したいとは思っていらっしゃらないんじゃ……?」
当の赤緒は項垂れつつも、テーブルの上のコップへと視線を落とす。
金色の液体を見据え、何度も手を伸ばそうとしては断念していた。
「……そもそも、昔聞いた気がするんですけれど、ジンジャエールを含む炭酸系って骨が溶けるって……」
「そんなの信じてるの? それ言い出したら、ボクとツッキーとシールは骨なんてないよ」
三人に目線を振ると、どうやら全員が愛飲者のようだ。
「まぁ、その上オレらはジャンキーって言うか、ちょっとクセのある味のほうが好きなんだよな。ただのジンジャエールって味気ねぇし」
「シールちゃんは湿布くらいきつい味のほうがいいって言うよね。エルニィもだっけ?」
「ボクはスタンダードスタイルだけれど、炭酸は強めのほうがいいよねぇ」
それらの話を聞いて赤緒は信じられないものを見るような目を向ける。
「皆さん……そんなのじゃ、きっとよくないですよ……。そ、それに! 甘じょっぱい上に炭酸なんて、何か悪いものが入ってるんじゃ……?」
「そんなもんか。ボクなんてお祝い事じゃ、絶対にジンジャエールは外せなかったけれどなぁ……。さつきはどうなの? 日本でもよくジンジャエールを飲むんじゃないの?」
意見を求められてさつきは戸惑う。
「赤緒さんの言う……骨を溶かしちゃうってのは聞いたことはありますけれど、でも本当かどうかは確か分からないはずで……。けれど、私はジンジャエール平気ですけれど」
赤緒の眼差しが一気に胡乱になったので、さつきは大慌てで取り繕う。
「あ! で、でも! 味は独特だし、もしかしたら太っちゃうかも……!」
「あー、それで赤緒は毛嫌いしてるわけか。納得ー……」
「変なところで納得しないでくださいよぉ……っ! もうっ! 私はただ単に……味だとか、炭酸が……その、あんまり過度に摂っちゃうとよくないような気がしていて……お茶じゃ駄目なんですか?」
「駄目だね。お茶でピザを食べようなんて冒涜だ」
断言されてしゅんと赤緒は項垂れる。
さつきは何とかして赤緒を慰めようとしたが、上手い言葉が見当たらないでいると、玄関が開いたのを感じる。
「あ、誰か帰って来たのかな……。って、お兄ちゃんと……ヴァネットさん?」
「おう、邪魔するぜ」
「さつき、ちょうど帰り道で小河原とばったりと出会ってな。柊神社に来ると言うので、案内していたところだ」
「何か腹に入れてぇと思ってたところでヴァネットの顔見てよ。何かあンだろ?」
「そう……なんですか。でも、今はちょっと……」
「もう! だったら赤緒はいつになったらジンジャエールを飲めるようになるのさ!」
「い、いつって……そんなの分かりませんよ……。そもそも、飲めたほうがいいのかどうかも……」
「そんなに不味いものじゃねぇと思うけれどなぁ……。ただ、ピザパーティーとなれば、ジンジャエールは必須だからよ」
「シールちゃんは特に飲むもんね。けれど、ピザに合う日本の飲み物って言うと……」
エルニィとシール、月子が渋面を突き合わせている。
両兵は案の定、面倒ごとだと悟って身を翻していた。
「……邪魔したな。今日は橋の下でいいや……」
「お、お兄ちゃんってば! 面倒だとか思わないで!」
「……とは言ってもよぉ……。どう考えてもこの状況……面倒だと思わないほうが変だろ」
「あっ、両兵じゃん。両兵はジンジャエール飲むよね?」
「ジンジャエールだぁ? ……カナイマじゃ、たまーに回って来たよな。黄坂のガキもよく知ってンだろ? アンヘルじゃ嗜好品扱いだったって。懐かしいが、嫌な思い出もあるんだよなぁー……」
「嫌? お兄ちゃん、ジンジャエール嫌いなの?」
完全に意想外の言葉に首を傾げると、両兵は後頭部を掻いてジンジャエールのペットボトルを眺める。
「いや、なんつーかよ。この世の中でまじぃもんでランクつけるとしたら、炭酸の抜けたジンジャエールって上位だと思うんだよな。カナイマじゃ、誰かが空けて数日経ったのを飲むこともあったからよ。何とも言えない味でぬるいのを飲んだ日には、その日一日が最悪な気分になったもんだ」
「お、小河原さんも……ジンジャエールが苦手……?」
僅かな光明が差したかのように赤緒が顔を明るくさせる。
その変化が理解できなかったのか、両兵は戸惑っていた。
「お、おう……まぁな。ぬるいジンジャエールは結構苦手……って、何の話なんだよ、こいつぁ……」
「馬鹿だよな、両兵は。ぬるいジンジャエールが飲めたもんじゃねぇのはオレらだって知ってんだよ。ちゃんと冷やして、キンキンにしたジンジャエールでピザの油を流し込む! これに勝る快感はねぇだろ!」
「……まぁ、言わんとしていることは分かる……って、何だ、柊。今度は重苦しい顔になりやがって……」
一転してずーんとテンションを落とした赤緒は首を横に振っていた。
「……ですよね……。はぁ……何でみんな、ジンジャエールなんて好きなんだろ……」
「何だ、こいつはジンジャエールが飲めないとかまさか言ってやがんのか?」
「どうせ、小河原さんは何でも食べられたり飲めたりすればいいんですよね……。味だとか苦手だとかはなくって」