想定外の言葉に青葉は戸惑ってしまう。
「あ、いえ……! だって私、二人にお世話になりっ放しで――!」
そこから先の言葉を柿沼は指で制する。
「だからこそ、だよ。お世話になるって言うのは、互いに、でもあるんだ。メカニックで世話になっている分、恩を返してあげておくれ」
恩を返す――それは一生できないと思っていただけに、青葉は言葉を失う。
ブラジルに来てから、あらゆる人々に世話になって来た。
両兵も、エルニィも、シールと月子にも――もちろん、柿沼と水無瀬も。
人の営みの分だけ交錯する運命があり、そして交わされる縁もある。
それは決して、無駄ではなく。
「……はい。私、ちょっとでも恩返しができれば……」
「謙遜するものじゃないさ。どうか、導いてやっておくれ」
満足げな面持ちで柿沼が立ち去っていく。
「た、助かったぁー……。青葉、グッジョブだぜ!」
「わ、私は何もしていないってば……。けれど、そうだね……。私、何か恩返しができるのかな。みんなに……」
「何言ってんだ。恩返しならいくらでもしてくれてるだろうが。《モリビト2号》を動かしてくれるのもメカニック冥利に尽きるってもんだ。……操主が元気で、人機がちゃんと戦える。これに勝る恩返しがあるかよ」
そう言われてしまえば、青葉は満たされるものを感じていた。
ギブ&テイクではないが、こうしてお互いに支え合える。
それが今は、とても嬉しい。
「青葉ー! 日本人はこれでボディペイントして、イカした感じで踊るんでしょ? とっとと外に出ようよー!」
「エルニィ! これはボディペイントじゃないんだってば……。まぁ、羽子板とかやるんならそうかもだけれど」
「ハゴイタ……? 何だかマヌケな名前だなー。どんなの?」
「どんなのって……。そう、だね……。せっかくだし、エルニィたちにも知って欲しいかな。日本のお正月。どんなことをするのかって。何をして……一年のはじまりを祝うのかって……」
それはきっと、先に繋がる道。
エルニィたちがこの先どうなるのかはまるで分からない。
それでも、きっと進んでくれるはずだ。
己の信じる未来を。
人機がいずれ戦いの道具で終わらない世界を。
それを目指せるのは操主だけではない。
「じゃあ、まずは……書初めのコツである……とめはねはらいから。一緒にやっていこっか」
「――あれ? こんなのありましたっけ……?」
赤緒が居間に戻ると大量の半紙と書き殴られた書初めが散乱している。
「あー、それ? 何個か試したんだけれど、やっぱコツって言うのかな……? 難しいよねぇー」
「難しいって言うか、今は夏が近いんですよ? 書初めって、お正月……」
「カタいこと言わない! ……ねぇ、赤緒ってさ。書初めしたことはあるの?」
問われて赤緒は思案する。
「ありますけれど……私もあまり得意なほうじゃないんで、むしろちょっと苦手かも……」
「まぁ、得手不得手はあるよねぇ」
とは言いつつ、エルニィの書き初めは結構、達筆だ。
加えて発想が自由なのか、半紙を横にしてそこに英語で何やら綴っている。
「……立花さん。書初めって普通、“賀正”だとか、“新年”だとかだと思うんですけれど……」
「赤緒ってば、甘いなぁー。書初めは自由な世界! 自分にできることや書けることを、祈りにも似た気持ちで書くのがいいんだってば!」
そのうちの一つに英語で“今が一番楽しい!”と言う文面の書初めを発見する。
「……今が一番……」
「楽しくないんじゃ、せっかくの書初めも半減でしょ? ボクは結構、この硯も好きなんだよねぇ。精神統一って、ばーちゃんたちは言っていたかな」
「柿沼さんたちに教わったんですか?」
その問いかけにエルニィは悪戯っぽく微笑む。
「それはヒミツ、かな。赤緒もさ、ちょっとはやってみなよ。案外、楽しいし」
首をひねりながら台所に戻ろうとするとさつきと鉢合わせする。
「あっ、さつきちゃん」
「赤緒さん、それって立花さんの書初めですか?」
「うん。……立花さんって誰かから習ったのかな? 私より上手いかも……」
そうこぼすとさつきは心得ているかのように応じる。
「きっと、一緒に楽しんでくれる人が居たんですよ。その人に……今は会えなくっても立花さんなりのやり方で縁を感じているんだと思います」
「縁、か……。けれど、ちょっと変だよね。“今が一番楽しい”って、英語で書初めするなんて」
「けれど、そう思ってくださるの、嬉しいじゃないですか。私たちも、多分、そう思えていますし」
さつきはエルニィの書初めブームに関して少し知っているのだろうか。
赤緒は妙に達筆な英文に視線を落としつつ、そっか、と呟く。
「立花さんは今が一番、大好きなんだ……。なら、私も、かも」
季節外れの書初めも、今が一番楽しいのならば、それはきっと称賛されるべきだ。
何が起きても絶対大丈夫なのだと、どこか楽観的でありつつも、文字が物語る。
墨の匂いが匂い立ち、赤緒は深呼吸していた。
「……これが立花さんの努力の匂い、かもしれないよね」