JINKI 296 黒の女と星巡りの横顔

「ユズちゃん、あたしたちでできるだけ敵の布陣を引き剥がす。その間に」

「……はい。ロストライフ化した直後ですもんね……。まだ食べれるものや、生きている人が見つかるかもですし……」

 ロストライフの光が地より生じ、天へと還る――それはまるで聖書に刻まれた鉄槌の火の逆回しのようでさえあった。

 実際、世界は原始時代に逆戻りしようとしているのかもしれない。

 人の営みが前にだけ進むのだと誰も分からないのと同じように、この世界は不安定な盤面に据えられていないのだと誰が言い切れようか。

 漆黒の人機である《モリビト1号》はその地平で駆け抜ける。

 飛翔機能はジャンプ程度の推進剤。

 一度跳躍すれば大きなロスが生ずるのは自明の理だが、下操主席を担当するユズは上操主を務める黒の女の声を聞く。

「あたしたちが生き残るために! 《バーゴイル》部隊の仕事は分かるけれど、ここで墜とさせてもらうわよ!」

 全ては明日の糧のために。

 浮遊感が押し寄せる中で、ユズは照準を任されていた。

 しかし、黒の女たるシバはブレードを選択させている。

 人機の武器選択上、分岐優先システムが存在する。

 それは兵器として設計された時点から生まれ出でる致命的なエラーの一つ。

 だが、人機は上操主と下操主を分担することでその楔から解き放たれる――はずであった。

 やはりと言うべきか上操主の武器選択が優先させられ、照準による撹乱は成功しなかったらしい。

 接近戦を挑んできた《バーゴイル》の銃剣相手にシバは鮮やかな薙ぎ払いで応じる。

「なんの! あたしと《モリビト1号》なら!」

 押し返し、三機編隊へとブレードを投擲する。

 中心軸から敵影がぶれたのを見逃さず、袖口から放ったのはワイヤーガンだ。

 すぐさま《バーゴイル》を絡め取り、その頭蓋へと電流を流す。

《バーゴイル》の頭脳であるAIが集中した精密機器の塊である頭部を痙攣させれば、如何にこちらの手数を上回っていようとも僅かに優位を取れる。

 引き寄せ、シバは痙攣した《バーゴイル》を足蹴にしていた。

「このまま踏み台っ!」

 そのまま躍り上がり、ブーメランの軌道を描いて手元に戻ってきたブレードを握り締めて逆手で斬り上げる。

 血塊炉を引き裂き、残存した二機の《バーゴイル》の指揮系統を崩すことに成功していた。

 ユズはもう一息だと操縦桿を握ったまま呼気を詰まらせる。

 しかし、《バーゴイル》部隊はそれ以上深入りしなかった。

 電流を浴びせかけられた機体を捨て、二機は衛星軌道からの光に押し包まれる。

「……シャンデリアの光……! シバさん! あの機体も……!」

「ええ! 今回ばっかりは……逃さないんだからーっ!」

 ワイヤーガンをわざわざ装備したのはこのためでもある。

 最大出力で引き戻し、戦闘機能を失った《バーゴイル》を手元に留めたところでシャンデリアの光が血塊炉を含む《バーゴイル》の胴体を吸収する。

 その時には《バーゴイル》の腹腔はくりぬかれ、《モリビト1号》は飛行能力を失って砂礫の大地へと真っ逆さまだ。

「し、シバさん……っ! 落ちる……!」

「パニックにならないで。噴射剤を全開で逆噴射! ユズちゃん、機体姿勢制御、頼むわね……!」

「は、はい……っ!」

 主に人機の下半分を任されることの多い下操主席は姿勢制御と着地時のモーメント、そして不時着に足る操縦技術を時に求められる。

「逆噴射開始……! 3、2……」

「1ぃ……っ!」

 丹田に力を込めて着地時の衝撃に備える。

 それでもその重量が120トンを超える巨大兵器だ。

 命の息吹を吸い取られたカラカラの砂漠地帯で粉塵が舞い上がり、ギリギリで持ち直した《モリビト1号》は片腕で制動をかける。

 しばらく突き進んだ後に、黒い砂がコックピットへと降り注ぎユズは咳き込んでいた。

「けほ……げほ……っ! し、シバさん、大丈夫……」

「何とかね……って、あれ……?」

 途端、《モリビト1号》が傾ぎ、その巨体が黒い大地へと倒れ伏す。

「……えっと、主電源は大丈夫。多分、今の逆噴射で推進剤が一時的にショートしちゃったんですかね」

「うーん、人機は精密機械だからねー。ちょっと降りてみますか」

 後頭部を掻き、長い黒髪を梳いてシバは上操主席から舞い降りる。

 その所作でさえもどこか画になっている。

 ユズは、と言うと下操主席の足元からひょっこりと顔を出した相手の声を聞いていた。

「……なんて操縦だ。もっと上手く使いこなしてみせろ。お前らは素人と言うわけでもないんだろう」

「クロマ……! シバさんだって頑張ったんだし、私だって……」

 薄紫色の体表をしたアルマジロであるクロマは存外に不満そうだ。

「第一、空戦人機を相手に一時的な浮遊しかできない《モリビト1号》で挑んだところで仕方ないだろうに」

「あれ……? それは知ってるんだ……?」

 ユズの疑問にクロマ自身も戸惑う。

「……どうしてなのだかな。人機に関する記憶はおぼろげながらある。操縦技法に関しても、だ」

「もしかして、クロマの前世は名のある操主だったんじゃ? どう思いますー? シバさーん」

「知んない。ってか、そのアルマジロとよく喋る気になれるわね。あたしは馬が合わないったら」

 シバは血塊炉付近を蹴ってから装甲を持ち上げようとして諦める。

「おい、人機は精密機械だ。特に血塊炉はなかなか産出されない貴重なブルブラッド鉱石を使っている。駄目にさせたら元も子もないぞ」

「そんなの分かってるってば! ホント、うざったいわね……。だからこそ、今回の作戦でしょうに」

 戦闘に入る前に、ユズはシバから伝え聞かされていたことを思い返す。

「えっと……人機の動力源である血塊炉をフルパワーで使える時間は有限だから、キョムの使う最新型の血塊炉に繋げて安定供給を、ってことですよね?」

「そういうこと。車のバッテリーが逝っちゃうと電気を充電しないとでしょ? それと同じことが、人機にも言えて……」

「要は貧血、と呼ばれる現象だ。キョムは最新鋭のブルブラッドエンジンを使っているからな。《バーゴイル》と言う末端機体とは言え、新型の血塊炉から血を貰おうと言う魂胆だったのだろうが、実際はこうだ」

 クロマが顎でしゃくった先にはシャンデリアの光によって血塊炉を回収されてしまった不格好な《バーゴイル》の骸がある。

「……キョムは無尽蔵の資材があるんじゃ……?」

「解析されるのが面倒なのよ、連中はね。戦うのがあたしたちみたいなアウトローとは限らないじゃないの」

 そう言えば以前、レジスタンスと名乗る集団と遭遇したこともあった。

 アンヘルも各地で展開しているとも聞く。

 敵が単独とは言え、キョムにしてみれば一機の分析だけでも何が不都合に転がるのか分からないのだろう。

「けれど、せっかく捕らえようとしたのに……」

「むしろ、向こうはこういうのに慣れているのかもね。あたしたちみたいに明日の糧だけを求めて戦っているほうがレアケースなのかも」

 シバは《バーゴイル》の電脳に機械を繋げてデータを洗い出そうとするが、やはりと言うべきか途中で断念する。

「……駄目ね。電流で焼いちゃったから」

「そうですか……。ワイヤーガンで無効化するのはいい作戦だとは思ったんですけれど……」

 これくらいは想定されているのだろう。

 シバは《バーゴイル》の頭蓋を足蹴にして、残骸の上で欠伸を噛み殺す。

「せっかく距離がある街までロストライフの気配を察知して来たってのに、これじゃあ空振りねぇ。ユズちゃん、あたしはここで待っているから、いつも通り宿の手配よろしくー」

「えぇっ! またですかぁ!」

「だってぇー、あたしが宿の交渉に行くと色々と厄介なんだもーん。他のことはちゃんとするから、今日の晩御飯と、それと寝る場所ねー」

「もう、シバさん放っておくとすぐ寝入っちゃうんですから。ここいらだってロストライフの地平なんですし、いつキョムが来るかなんて……」

 返事がない。

 どうやら朝早くから戦闘したことを悔いているのか、それとも《バーゴイル》の残骸の上で昼寝としゃれ込もうと言うのか。

「……しょうがない。私たちだけで行こっか、クロマ」

「……おれは行く前提なのか?」

「だって、クロマだけでどうこうできないでしょ? ジープを降ろすからちょっと待ってね」

《モリビト1号》のウェポンラックに収納しておいたジープを降ろし、何度かエンジンを吹かす。

 古びた排気筒から黒煙が生じ、ようやく準備完了だ。

 クロマを抱えて助手席に乗せ、ユズはハンドルを握る。

「えーっと……結構遠くまで来ちゃったな……。街までは三十分くらいかも」

 戦闘しているうちに目標である街とは正反対の砂漠地帯に追い込まれたのだろう。

 タイヤが巻き上げる砂が目や口に入って来て、少し苦い。

「……娘。どうしてあの黒の女と行動を共にする?」

 クロマは物々しい言い回しを使うが、どう見てもアルマジロなので威厳自体はまるでない。

 しかし、その問いかけは幾度となく、ユズが一人の時に重ねられてきた。

 その度にはぐらかしてきたが、今はシバの耳はない。

 どうせ《バーゴイル》の装甲の上で寝息を立てているのだろう。

「うーん……言わないと駄目?」

「理解の外だからな。……言っておこう。ただの村娘身分であるのならば、あの黒の女と一緒になんて居ないほうがいい。死期が早まるだけだ」

「……でも、シバさんは私の世界を……ううん、運命を変えてくれた人だから。役に立てることなら役に立ちたいの。それじゃ、変、かな……?」

「奇妙には違いないな。先ほどの戦闘も分かっているだろう? 黒の女の戦闘センスはずば抜けている。お前がお荷物になっていないとも限らない」

「……でも、シバさんはいい人だから」

「いい人? 何を言っている。いい人がキョムと徹底抗戦なんてするものか」

 クロマは心底、自分のことを心配しているのか。それとも人間のことをまだよく分かっていないのか。

「……クロマのほうこそ、少しは思い出せた? 自分が何なのかって」

「……おれは……相変わらず記憶に靄がかかったようになっているな。一部は、どうしてなのだか分かるのだが……」

「人機に関しての知識とか、戦闘に関しては覚えてるのにね。キョムのことも知ってるし……」

「ともすればおれは……キョムの生態兵器なのかもしれんな。だからキョムのことは分かるし、人機のことも分かる」

「生態兵器? じゃあ今頃、私もシバさんも殺してるでしょ」

 正直、ユズはクロマを匿ってから危険だと感じたことはない。

 それどころか、クロマは自分たちが居なければとっくに飢え死にをしていてもおかしくはないのだ。

「……それが分かれば苦労はしない、な。自分が何者なのか、か。まるで禅問答だ」

 赤い瞳を細めるクロマに、ユズは街の中心部から百メートルほど離れた場所でジープを横付けする。

「……ここからは歩くよ。ほら、よっこいしょと」

 クロマを抱えてあげようとすると、彼は自分の手を振りほどく。

「一人でも歩ける。愛玩動物扱いするな」

 しかし、クロマの小さな手足では一日かかっても到達できるか分からない。

 仕方なく後ろから抱きかかえ、ユズは街へと歩みを進めていた。

 街並みに人気はない。

 それどころか、当たり前のように静謐の只中にある。

 ――これがロストライフ。

 人の命だけを摘む、死の現象。

 ロストライフ化した街にしては、まだ新しい。

 恐らく食糧は残されているはずだ。

 ロストライフ化は生きている人間だけを消し去るのならば、食糧やそれに付随する生活部品は残されていることのほうが多い。

 音を聞き取り、ユズは身構える。

 シバから護身用に持たされていた拳銃を構えると、ちょうど鍋が噴きこぼれていたところだった。

 息をついてガスの元栓を閉める。

「……こんなことをいつまで続けるつもりだ?」

「……こんなことって?」

 食料を調達すべく、ユズは冷蔵庫や保管庫を漁る。

 最初こそ火事場泥棒のようで遠慮が勝ったが、今や生活の一部となっている。

 何よりも、食わなければ生きていけないのだ。

 ならば、罪悪感やちょっとした盗み程度でいちいち心を痛めている場合ではない。

 そんな当たり前を、つい二か月ほど前までは感じることもなかった。

 正直者であることだけが取り柄の村娘であった自分が、人機の扱いと残された食材でその日その日を凌ぐことに長けるとは思いも寄らない。

「ロストライフ化は確実に星を蝕むがん細胞のようなものだ。不可逆性はあり得ない。星の息吹が元に戻ることも、ましてや死んで行った人間たちが生き返ることも、だ。おれはこんな真似、とっととやめてロストライフに身を任せて死んだほうが賢明に感じるが」

「……でも、それじゃ何も守れないじゃないの」

 自分の命だけならいい。

 誇りや、生きていくことに対してのありがたみ。

 そして――今日死ぬはずじゃなかった人々の怨嗟を吸い込んで死と言う結果だけを残すロストライフに、抗うために。

 無力なままでは、何もできないと知っているままでは、何一つ守れない。

「……守る、か。そこに矜持や、下手な人間性を感じているのだとすれば、お前も……待て」

「なに? 生きている人でも――」

 途端、ずずん、と地表が激震する。

 重々しい音を立てて、光と共に街に降り立ったのは真紅の痩躯だ。

「……何あれ……《バーゴイル》じゃ……ない?」

「あれはキョムの擁する八将陣の機体だ。名を《CO・シャパール》」

「……《CO・シャパール》……そんなの、私……」

 知らない、と言う前にユズは建物の陰に息を潜める。

 ここまで生き延びてきた経験則でまずは相手の出方を見るべきだと判断したのだ。

 クロマは声を発しようとしない。

 あれも人機なのだとすれば、操主が居るはず。

 ――ここで遭遇すると言うのか。キョムの操主と。

 これまで《バーゴイル》と戦うのは慣れてきたが、実際に誰かが乗っている人機とはほとんど会敵したことがない。

 加えて見たこともない種別の人機だ。

 細身であるが、どのような攻撃手段に出て来るか分かったものではない。

 よって、まずは観察。

 これも普段からシバに叩き込まれている技術の一つ。

「……相手の動きをよく見て……その上で立ち回りを考える……」

《CO・シャパール》は周囲を見渡している。

 熱源光学センサーで自分の生存が分かってしまえば意味がない。

 ユズは服の下に隠していた雨合羽を羽織り、クロマを抱き寄せる。

 雨合羽の表面にはキョムの実験型人機に使われていたステルスペイントが施されており、レーダー網を乱反射するはずだ。

 息を詰め、気配を殺す。

 すると、コックピットが開き、ユズの眼に映ったのは真紅の装束を纏った――。

「……女の人……?」

 軽やかに舞い降りたのは女性であった。

 シバよりも背丈は高く、すらっとしている。

 だが、その身に纏った戦闘の気配は只者ではないことを示している。

 ――シバと同等か、あるいはそれ以上の。

 シバから何度か戦闘術を叩き込まれたことはあった。

 だが、シバの刀の使い方や戦い振りに敵ったことは一度もない。

 できるのは、拳銃による牽制とそして相手が気づく前の狙撃の真似事程度のもの。

 雨合羽に包まれたまま、ユズは拳銃を構えるが明らかに射程が足りない。

 近づかなければ、と判断しかけてユズは自分の胸中があまりにも醒め切っていることに気づく。

「……私、あの人を殺そうとしている……?」

 今意識しなければ、一生意識しなかった感覚だろう。

 人機に乗っているから、だけではない。

 いつの間にか、純朴なだけが長所だった村娘の生存感覚から、殺さなければ殺される生殺与奪の領域に至っている。

「……なんで、私……」

 鼓動がうるさい。

 意識し始めれば、何もかもが赤く染まる。

 思えばシバが無人だと言い切っているから《バーゴイル》と戦えているのもある。

 一度でも有人であると疑ってしまえば、その戦いに亀裂が走る。

 ――人を殺すことに、何の躊躇いもなく……?

「……大丈夫か? 呼吸数が多いぞ」

「だ、だい……じょうぶ……。だって、私がやらないと……」

「やらないと、何なんだ? “殺される”、か?」

 明言化されるとユズは呼吸できなくなっていた。

 喉元が狭まり、胃液が押し上がってくる。

 酸っぱいものを感じて呻いた瞬間、ユズは顔を上げていた。

 眼前にはこちらを観察していたはずの女の姿。

 真紅の装束を翻し、女の蹴りが鳩尾へと食い込む。

 あまりの流麗さに、意識が落ちる寸前まで一撃をもらったことに気づけなかった。

 音もなく、劇的なドラマもなく、ユズは昏倒に身を任せていた。

 ――火を囲んでいる。

 ロストライフの地平では氷点下を下回ることも少なくはない。

 だから、街々で資材を得て燃やすことで眠るまで暖を取る。

 そんな時に、シバは問いかけて来たことがある。

「……ねぇ、ユズちゃん。あたしと一緒に居て、楽しい?」

 出し抜けに問われたものだから、ユズは困り果てたのをよく覚えている。

「……楽しいも何も……あの地獄から私を救ってくれたのは、シバさんじゃないですか」

「うん、それはそうなんだけれど……別に地獄でもなかったかもなぁ、って。あそこでさ、村と運命を共にするのも選択肢だったわけじゃない? あたしは余計なことをしちゃったのかなぁって」

 そんなことで思い悩むなど黒の女らしくない。

 ユズは努めて明るく、それでいて罪の意識を感じさせない口調で返す。

「……何を言ってるんですか。まだまだ、私たちは救わなくっちゃでしょう? ロストライフに反逆するって決めたんですから。この星が……たとえこのまま最後の一欠けらになってでも……守るんだって。それが……」

「守り人の務め、ねぇ……」

 毛布に包まったシバの視線は自ずと愛機へと注がれていた。

 漆黒のモリビト、数々の地獄を渡り歩いてきた業火の使者。

 だが、それで救ってきた命もあった。

 守ってきたのは、何も伊達や酔狂ではないはずだ。

 だから、自分は今日この日まで迷いなくいられた。

 迷っていては死に足を取られる。

 ならば、黒の砂を超えて、いくつもの骸を踏み越えてでも前に――。

 その誓いと気持ちに一瞬でも亀裂を走らせることはなかったのに。

 今は星空を仰ぐシバの気持ちが分からなくなっていた。

 彼女は何を見ているのだろう。

 すぐ傍に居るはずなのに、その心が分からない。

 否、心なんてあるのか。

 ただの気紛れに巻き込まれただけなのではないか。

 黒の女には、最初から心と呼ぶべき欠片は、その身に一つもなく。

 戦闘本能と、時折見せる気紛れだけで動いている殺戮兵器。

 そうだ、クロマが生態兵器だと思えないのはそれもあった。

 何故ならば――自分はシバと言う、純然たる殺意の塊を直に見ているではないか。

 戦うためならば、何でも切り捨てる。

 勝つためならば、手段は選ばない。

 殺すためならば、何であろうとも使いこなす。

 それが自然現象であれ、人機の性能であれ、生きている「人間」であろうとも。

「……シバさん。私、シバさんの役に立ちたいんです。だって、こんな世界の最果てを行く旅路に、一人じゃ寂しいじゃないですか」

 その言葉に微笑んだシバの言葉が、どうしてなのだか掻き消される。

 あの時、シバは何と言ってくれたのだろうか。

 馬鹿だとでも、愚かだとでも――あるいは自分自身を嘲ったのだったか。

 思い出せない、思い出せないから、今は辛い。

 涙で濡れた夢の残滓を掴み取る前に、ユズは現実の瞼を開く。

「……おっ、起きた?」

 その声に身を起こそうとすると、クロマが声を発する。

「……おい、目が覚めたか、娘。覚悟を決めろ。こいつは八将陣のジュリだ。残忍なことは何でもしてくる。人殺しなんて当たり前の人種だ」

「ちょっとー、怖がらせるようなことを言わないでよねー」

「……クロマ……そうだ! クロマは……」

「あー、それ? まぁ、ロストライフの地平だもの。非現実的なことの一つや二つはあるわよねぇ」

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