JINKI 296 黒の女と星巡りの横顔

 赤い装束の女はクロマをしげしげと見つめる。

 その時になって後ろ手に縛られていることに、ようやくユズは気づいていた。

「貴様……! いや、最早抵抗は無意味か。……おれたちを殺すのだろう。それがやり口だ、八将陣ジュリ」

 クロマが無抵抗を貫くも、ジュリと呼ばれた女性は興味深そうにクロマの身体を揺すったり、上下にしたりする。

「……本当、どうなってるのかしらねー、これ? よくできたロボットってわけでもないし。けれど私、生き証人……いえ、生きアルマジロ? そんなのを残すとは思えないんだけれど」

「やめろ……! おれは……自分でもよく分からない。貴様らの生態兵器じゃないのか?」

「生態兵器? こんなマヌケなの、あの完璧主義者のセシルの坊ちゃんが造るものですか。……っと、喋り過ぎちゃったかもね。さて、あなただけれどステルスペイントの雨合羽に、ちょっと物騒だからこれも預かっちゃった」

「……私の銃……!」

 手の中で拳銃を慣れた所作で転がし、ジュリは微笑む。

「それで、どうする? 私を殺すのなら、いくらでもチャンスはあったでしょうに。なのに、あなたには引き金を引けなかった。……理由くらいは聞いてもいいわよね?」

「それは……」

 あの局面、確かに自分はジュリを殺せたはずだ。

 そういう風に「作り直されて」いた。

 そう――シバとの日々が、人の命を奪うことへの躊躇いと、そして自分の命こそが守るべきものだと言う希望を抱かせていた。

 これは確かに希望だ。

 ロストライフの死の淵に立ったあの時――村で死に絶えるのを待つだけだったあの日々ではきっと芽生えなかった感情。

 自分はあの日より、生き返った。

 ロストライフで命を啄まれるのではなく、誰かとの出会いで。

 蘇って、今一度世界に問うことができていたのだ。

 自分の存在理由と、あの星の夜、黒の女は何を考えていたのかを。

 そんな些細なことが気になってしまう、心の篝火を。

 ジュリは自分の瞳を覗き込み、それから微笑む。

「……諸共死を、って感じの顔じゃないわね。まだ生きていく希望に満ちている。誰が、そうさせたのでしょうね。少なくともこのアルマジロじゃなさそうだけれど」

「……私は、何も話さない」

「そう? 私は色々聞きたいけれど」

「……私には守りたい人が居る。その人に……もう一回だけ、聞きたい。あの時、何を感じていたのかを……守り人の意義を……だから」

「だから死ねない、か。単純な動機で私好みではあるわね」

 手刀で縄が切られ、クロマを投げ捨てられる。

 ユズは慌ててそれを抱きかかえると、ジュリは冷徹に告げていた。

「どうせ、ロストライフ化した村の偵察なんて退屈だと思っていたけれど、あなた、ちょっとだけ面白いわ。この死の地平でまだ“生きた”眼差しをしている」

「……そう言ってどうせ《バーゴイル》を呼ぶ。貴様らの手口だ」

「あら? 信用されてないのよねぇ。けれど、あなた……あの黒の男に……いえ、これは言わないでおこうかしらね。とにかく、ここじゃ殺さないわよ」

「……本当に……?」

「安心して。私、女の子には優しいの。ただ……見知った顔だった場合は、その限りじゃないけれどね」

 クロマを抱き寄せ、ユズは睨み返す。

 その眼差しに笑みを浮かべ、ジュリは銃をこちらに返す。

「はい、これ。必要でしょう?」

「あ……何で……」

「何でって、生きていくためによ。他に理由なんてある?」

「……銃を返せば撃たれるかもしれないのに……?」

「その言葉にはこう返すわね。世界を敵に回した時点で、そのくらいの覚悟はある、って」

 ジュリは気高い。

 その気高さに眩暈さえ感じる。

 騙し討ちをしようとしていた自分が、眩むほどには。

「あっ、それあげるわ。この辺じゃなかなか手に入らないでしょ? 便利だからねー」

 片手を振って何でもない別れのように立ち去っていくジュリ。

 その背中に照準しようとして、ユズは躊躇っていた。

「……私たちだって、ただただ伊達に生きているわけじゃない」

「それなら命は大切にしたほうがいいわよ。人機もないんだしね。ただ……ヒトの身一つで守り人を気取るその心意気、嫌いじゃないわよ」

 撃てないまま、ジュリの姿は遠くに離れていく。

《CO・シャパール》が再起動し、シャンデリアの光に吸い込まれていった。

 光が拡散して風を巻き起こす。

 その旋風の中で抱えたクロマが口にする。

「……殺されなかったな。おれたちは」

「うん……。何でなんだろう」

「分からん。分からんがおれの知っている八将陣ジュリは、このような手ぬるい真似……いや、おれは……何を知っている……?」

 クロマの記憶に何か干渉したのだろうか。

 あるいは別の何かか。

 ユズはジュリの残していったものを見返す。

「……これ……」

「――遅ーい! 何やってたのー?」

 どうやらシバは《バーゴイル》の装甲の上で一眠りしていたらしく、ジープで戻るなり追及が飛ぶ。

「ちょっと色々と……あって」

「むぅ……ユズちゃんとクロマだけでご飯食べたりしてたんじゃないでしょうね?」

「それは誓ってない」

 むくれたシバに、即答するクロマ。

 何故なのだろう。

 八将陣ジュリに関しては伏せたほうがいいような気がしていた。

「あれ? それ……カップラーメンじゃないの」

「……カップラーメン?」

「そうそう。お湯をかけたら三分で出来上がる優れもの! そんなのあったんだ? この辺じゃ絶対見ないものだしねー」

「……そんな魔法みたいな食材があるんですか?」

「あるんだよねー、これが。……なに、本当に何かあったの?」

「いえ、その……シバさん。この間の星を見ていた時って、何を考えていたんですか」

「星を? うーん、そんなの知りたい?」

 こくりと頷く。

 死の淵で思い直したこの世への未練、自分にとっては重要だ。

 シバはうーんと思案してから、何でもないように応える。

「……お腹空いたなー、とか。星も砕いたらパチパチして美味しいんじゃないかなーとかじゃない?」

「……そんなこと……?」

「そんなことで悪い? 明日の食糧にだって苦労してるんだもの。そりゃ、あたしだって考えるのはそんなことよ」

 そのような些末なことが――否、些末だからこそ分からなかったのかもしれない。

 隣に立っているのだ。

 嫌でもこれから先、分かることはあるだろう。

「……シバさん。今日はこの辺で野営しましょう」

「おっ、じゃあカップラーメン食べちゃう? ホント、何で日本以外だとあんまり見ないのかしらねー、これ。すごい便利なのに」

 お湯を沸かしている最中、ユズは黒の女の横顔を眺める。

 整った相貌は、今はカップラーメンを好奇心旺盛に上下させてまるで子供のように輝いている。

「……いいや。だってずっと一緒に居るんだもん。いつかはきっと、分かるよね」

 言葉にしなくとも。

 新しい始まりの旅路への準備は、もう整い始めているはずなのだから。

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