両兵も南も絶縁体の手袋を装着しているが、それでも正直に言えば危うい。
「……ちょっと、両。あんた、今、私のお尻触ったでしょ」
「触るわきゃねーだろ、損しかねぇよ、んなもん」
返答するなり南の浴びせ蹴りが鼻っ面に突き刺さり、両兵は声を上げる。
「痛って! 何すンだ! 触ってねぇのに蹴られるいわれはねぇぞ!」
「黙らっしゃい! 損しかないとは何よ、もっとありがたがりなさいよ!」
「ケッ。馬鹿言え。そんなもん、触ったって何にもなんねぇだろうに。……つーか、まだなのかよ、立花」
「うーん、もうちょい! もうちょい南、気持ち上を目指して!」
屋根の下でエルニィが指示を飛ばすので、南はアンテナを高く掲げる。
「こ、こう? 正解が分かんないんだってば。本当にこんなのでどうにかなるの?」
「知ンねぇよ……。第一、屋根の上に上がって来たのはお前らのほうだろうが。オレは気持ちよくうたた寝していたところをよ……」
「えっと……電波状況は改善されていないかも。小河原君、もっと南さんを高く支えてあげて」
月子が境内で筐体相手に分析しながら、シールへと伝達する。
「要はもっと高くねぇと意味がないんだっつーこった。南ももうちょいやれねーのかよ」
「……無茶言ってくれちゃって……。って言うか、いいの、こういうの。ほら、電波法とかあるんじゃないの?」
「知るかよ。……電波法を守っている連中か? 下の奴らが」
「確かにね。……けれど、あんたも災難ねぇ。巻き込まれた私はもっとだけれど」
両兵は脚立を支えつつ、南があっちこっちにアンテナを飛ばそうとするのを必死に押さえ込む。
日本の建築方式でしかない電波アンテナにトーキョーアンヘルのメカニックが改造を施したとっておきだが、法律云々を守っているとは到底思えない。
「……って言うかよ。メカニック三人娘! てめぇらこそこういうのの専門だろうが! 何だってオレらに任せるんだよ!」
「そりゃーな。バレた時に赤緒の制裁が怖い身分なもんでよ。もしもの時には逃げさせてもらうぜ」
「小河原君に南さん、今回ばっかりは頼らせて? 私たちは機器を調整する仕事もあるし」
「せ、先輩方……受信電波は依然としてフラット。やはり、東京の電波基準では厳しいものがあるのでは……?」
秋の報告にシールと月子は揃って肩を落とす。
「やっぱり無理なんじゃねぇの? 柊神社でこんな……いつ赤緒と五郎さんが帰って来るかも分かんねぇのに……」
「うーん、でもエルニィのお願いだし、叶えてあげたいでしょ?」
エルニィの願い――そう言い出されればメカニック三人娘は従うしかないようであった。
そもそも言いだしっぺのエルニィはと言うと、じっと筐体と向き合っておりどうしてなのだか予断を許さない様子である。
「……まだ駄目だね。南ー、もっと高く掲げることってできないのー?」
「もっと高くって……人力じゃこれが限界……。やっぱり人機を使うべきじゃないの?」
「駄目だってば。人機を使ったら形跡が残っちゃうじゃん。赤緒にも五郎さんにもバレたくないんだもん」
「……何だか立花にしちゃ、珍しいこともあるもんだな。柊たちに秘密、とは」
「そう? 案外、あの子も秘密の二個三個を抱えるのも慣れちゃっている身分よ。私もそうだしね」
まさかこんなところで世間話とも想定しておらず、両兵は嘆息をつく。
「なぁ、黄坂よぉ……お前、最近ちょっと……秘密主義が過ぎるんじゃねぇのか? 立花だってそうだ。トーキョーアンヘルの連中を信じてねぇってわけでもねぇのに」
「そりゃーね。私の仕事はかかる火の粉をどうにかして少しでもマシにすることですもの。秘密くらいは抱えるのが……」
話しながらアンテナ感度を調整していると、南が倒れかけたので大慌てで両兵は脚立を据え直す。
「余計なこと喋りながらじゃできそうにねぇなぁ、ったく。しかし、こんなことをして本当にできんのか?」
「あの子が言うんだもの。やってみなくっちゃ……分かんないでしょうに……っと!」
「なぁー! まだなのかよ、立花!」
「もうちょいー! 何てたって地球の反対側の電波拾うんだもん。時間はかかって当然だよ」
両兵はその言葉にどことなくひとりごちる。
「……地球の反対側、か。遠くなっちまったもんだな、それにしても」
「――うーん……また駄目なんだ。回線が悪いんだからなぁ、もう」
エルニィは悩みつつ電話線をいじっているのをシールに発見され、早速訝しげな目線を振り向けられる。
「……何やってんだよ、エルニィ。あんまし柊神社をカスタムし過ぎると赤緒や五郎さんにどやされんぞ?」
「でもさー、全然なんだってば。ほら、回線が遅過ぎて画像が来ないんだもの」
シールがパソコンの筐体を覗き込む。当の問題であるのは画像送信の距離と時間だ。
何度やっても灰色のまま、なかなか画像が送付されてこないので作業を始めたのだったが、画素の粗い画像しか表示されない。
「あー……まぁ、遠いからなー。地球の反対側っつーのは難儀なもんだ。これ、そんなに今すぐに必要なのか?」
「……うん、まぁ。できれば赤緒たちが帰って来るまでにね」
頬を掻いて誤魔化そうとするが、シールはこういう時に目聡い。
何かあるのだと確信して、アイスのフィルムを剥がしてから詰め寄る。
「……エルニィ。この画像、何があるんだ?」
「な、何もないよ……いやだなー、シールってば。あはは……」
挙動不審になってしまった自分に、シールはアイスに齧り付いて画面を注視する。
その目線から逃れようと筐体を動かそうとしたが、少しでも位置がずれてしまえば駄目なのか、またしてもローディング画面に戻ってしまった。
「あーっ! ……まーた、振り出しだよ。もう! シールのせいなんだからね!」
「何でオレが……って言うか、前はできたじゃねぇか」
「あれはテキストメールだから簡単だったの! 今回は画像なんだからファイルサイズの問題と、それに柊神社のネットワークの問題でどうしても時間がかかるんだってば!」
以前からチャットでやり取りはしていた上に、メール程度ならば開けるのだが、いざ大きなサイズの画像データとなると柊神社のネット速度では限界がある。
「……なぁ、エルニィよぉ。別に今にこだわらなくってもいいじゃねぇの」
「駄目。どうしても赤緒が帰って来るまでにしたいんだってば。そのためにプリンターも買ったのに!」
少ない小遣いをやりくりして買ったカラープリンターはまだ日本では馴染みがないのか、秋葉原で数軒回ってようやく手に入れた代物である。
「南米から送ってもらえばいいだろー? 何だって日本製にこだわってんだ?」
「南米から送ってもらうと、赤緒に見つかっちゃうじゃん」
どうしてもそれは避けたい事態であった。
こちらが譲らないでいるとシールもそれとなく重要度を悟ったらしい。
「……なるほどな。じゃあ、オレらで何とかすっか。月子ー、それに秋もー。ちょっとエルニィを手伝ってやってくれよ」
「どうしたの? あれ? 何で電話回線なんて使ってるの?」
月子も秋もシールと同じように赤緒が居ない間にアイスを失敬しようとした様子で、三人揃ってソーダ味のアイスキャンディーを持っている。
「……あのさ、ボクが言えた義理じゃないけれど、アイス。勝手に食べると赤緒が怒るよ?」
「でも、暑くなってきたんだもの。不思議だよね、ちょっと前まではそこまでだったのに、最近ちょっと蒸して来たって言うか」
「格納庫は万年蒸し風呂状態なんだ、しゃーねぇだろ? クーラー付けてもらったって言ってもよ、電気代がどうのこうのうっせぇってんで本当に詰めて作業する時くれぇしか使わせてもらえねぇんだよ」
メカニックの懐事情は知っているつもりであったが、思ったよりも切迫しているらしい。
「ばーちゃんたちに頼んでもっといいの作ってもらえばいいじゃん」
「……元々、師匠たちにゃクーラーを付けてもらったせいで強く出れねぇんだよなー。その上でもっといいのを付けろだの、電気代を払ってくれだの言えば、今度こそこれだぜ?」
シールが首元を親指で掻っ切る真似をする。
「私たちも先生にはあまり要求できないの。それに、二人とも《ビッグナナツー》で頑張ってくれているんだし、私たちは陸だからまだマシだって思わないとね」
「ふぅーん、三人とも大変だなぁ。まぁ、ボクはまだこっちに居ることのほうが多いけれど、格納庫で徹夜もするじゃん? その時はどうしてるの?」
「その時は……なぁ? 月子」
「まぁ、ねぇ……? 夜の間くらいは私たちも結構好きにしてるって言うか……」
メカニックは普段、赤緒たちの目がある昼間は節制しているが、どうやら徹夜で詰めるとなれば我慢はできていないようだ。
それも無理からぬことと思えるのは、エルニィ自身、首からタオルを下げているからでもある。
蝉しぐれが鳴き出すとそろそろ夏の合図なのだと赤緒から伝え聞いていたものの、日本の夏の到来は思ったよりも情緒がなく、そしてやけに素早い。
「……暑っちぃー……。こんなにじとっとしてるんだ。イメージだともっと涼しいと思っていたけれど」
噴き出した汗を拭い、エルニィはクーラー一つない居間で作業を続行する。
せっかく付けた冷房も赤緒とさつきの許可がなければ勝手に使うと怒られてしまうので、今回は徹底していた。
元々、赤緒たちの理解の及ばない電子部品の分野なのであまり形跡を残したくないのもある。
「エルニィよぉ……人機使えよ。《ブロッケントウジャ》に配線通して、それでシークレットアームを使って電波拾えばいいんじゃねぇの?」
「ブロッケンをそんなことに使えないよ。……あと、今整備中で自衛隊駐屯地に置いてあるから物理的に無理だし。かと言って、人機頼みだと赤緒たちが帰って来た時にすぐバレちゃう」
どうしても今回ばっかりは人力で電波を拾いたい。
そう思ってエルニィはこの蒸し暑い中で作業を敢行していたのだ。
しかし、柊神社の拾える範囲の電波では画像データを一枚読み込むのに三十分以上かかってしまう。
「……何だか大変そうだな。よし! 月子、それに秋も! 今はちょっとヒマだし、助けてやろうぜ!」
「うーん……私もその方針はやぶさかじゃないけれど、何をすればいい? 私たちだって回線の速度には限度があるし……」
「先輩方……アンテナをどうにかすればいいのでは?」
「アンテナ……かぁ。確かに電話回線をどれだけ強化したってアンテナそのものの強度に左右されちゃうし……! よし! 誰か屋根に上ってくれる?」
とは言い出したものの、この暑さの中、率先して屋根の上で日光に焼かれたい人間など居るはずがない。
自ずと譲り合いになってしまう空気が形成されていた。
「……月子、やれよ」
「私? 私は……ほら! 今日は日焼け止め塗ってないし……。秋ちゃんは?」
「わ、私も……日焼けするとヒリヒリしちゃいますので……」
どうにもやる気が感じられないメカニック三人娘相手に、エルニィはため息を漏らす。
「……ボクがやるっきゃないかぁ……。けれどアンテナをどうこうしている間に、またリロードしちゃうと意味ないから、誰か手があれば……」
「うん? 何をやってるのよ。四人も揃って棒立ちで。あっ、さては赤緒さんに黙ってアイスを失敬していることを誰か言い出そうとしてる? 言っておくけれど、私も今回は貰うからおあいこよ?」
片手に湯飲み、片手にオレンジのアイスキャンディーを掴んで居間を覗き込んだ南に、エルニィは手を叩く。
「そうだ! 南に任せりゃいいじゃん。南! カナイマじゃ、救難信号を打つためにアンテナをどうこうするとか慣れっこだよね?」
「な、何よ……確かにヘブンズじゃ色々あったけれど……。って言うか、全員で何を期待してるの? ……アイスはあげないわよ?」
「アイスはいいからさ! シールとツッキーがサポートしてあげてよ。ボクはここで受信されるまで待っておかないと駄目だし」
「な、何よぉ……一体、何のこと……あっ、茶柱」
湯飲みを覗き込んでいる間に、南はシールと月子に周りを固められる。
「悪いと思うが、逃げてもらっちゃ困るからよ」
「南さんっ! ごめんなさいっ!」
シールと月子に逃げ道を封じられた南は、ぎょっとしつつも理由があるのだと納得してくれたらしい。
「……何となくだけれど察したわ。ここで逃げてもためにならないってことが。……で? 何をしろって? 対価は高くつくわよ?」
「南は屋根の上のアンテナを持って調整してくんない? それをシールとツッキーがカスタムしてくれるから、できるだけ高く掲げて欲しいんだ」
「……できるだけ高く、ねぇ……。あのね、エルニィ。電波法って知ってる?」
「知んないけれど、今は言及しないほうがいい感じだね」
筐体と向き合いながらエルニィは画像データを読み込むための準備をする。
観念したように項垂れた南はアイスを頬張りながら脚立を持ち出していた。
「ここで逃げ場はない感じかぁ……。って言うか、いいの? 柊神社のアンテナを勝手に弄っちゃって」
「元には戻すので大丈夫ですよ! それはメカニックの腕を信用してください!」
「まぁ、南には感謝してるんだから、ほら! どーんと頼んだぜ!」
「……悪いことに乗せられてるわねぇ、私も。……って、両? 何やってんのよ、あんた」
「うおっ……! 何だ、黄坂、てめぇ……。屋根の上はオレの陣地だぞ? 何だって上がって来てンだよ……」
屋根の上の南の素っ頓狂な声からして、昼寝をしていた両兵とちょうど出くわしたらしい。
そうなのだとすれば話が早いと、エルニィは居間から声を飛ばす。
「ちょうどいいや。両兵ー! 南を手伝ってくれるー?」
「――……って具合なわけで……だが、アンテナなんて一歩間違えば危ねぇもんをよく扱う気になったな」
「私だって承服したつもりはないってば。けれど……エルニィがいつになく真剣だから、ちょっと手を貸してあげたくなったってわけ。あんただってそうでしょ?」
「オレぇ? オレは別に……つーか、屋根の上ですることじゃねぇだろ。いいのかよ、こんなに改造しちまって。柊にバレたらどやされんぞ?」
「お二方ー! もうちょっとですー!」
秋が声を飛ばすので、南は張り切って脚立の上まで必死に身を乗り出す。
「よぉーし……ここまで来たんだもの。両! あんたもちゃんと活躍してよね!」
「……しょうがねぇなぁ……。ケツ触っただとかまた言い出すなよ。こんなに身を乗り出していたんじゃ、押さえておかねぇと落っこちちまうぞ?」
「今回だけは許すわよ。……エルニィー! これでどう?」
「いい感じ! あと五分ってところかな」
「……今さらなんだが立花は何の画像を欲しいって言ってンだ?」
「さぁ? 私も全部聞き切る前に屋根の上に来ちゃったから……って、両。ちゃんと押さえといてよね! 頭っから落ちたら、さすがの私だって女子だから怪我の一つくらい」
「怪我の一つ程度で済むのかよ。……ったく、相変わらず化け物みてぇな奴だ」
「あんたにだけは言われたかないわね……、っとと! エルニィー! まだー? 腕が限界……!」
「よし、来た! 南ー! それに両兵も、いい感じー! 今の姿勢をキープして!」
「……っても、オレも足が……」
爪先立ちで屋根の上からアンテナを伸ばし、南は南で脚立からほとんど身を乗り出した形だ。
いつ落ちてもおかしくはない――そんな緊張感で唾を飲み下そうとしたところで階下からシールと月子が応援の声を飛ばす。
「二人ともー! もうちょいだ! あと五分気張ってくれー!」
「南さん、ファイトー!」
「お、応援してくれるのは嬉しいんだけれどさ……両、今気づいたこと言っていい? 最初から高い塔みたいなのを作って、そこからアンテナを伸ばしちゃえばいいんじゃないの……?」
「今言うな! ンな分かり切ったことを今! ……集中切らすとてめぇの体重を支えらんねぇンだよ……!」
「何よ、その言い草! 集中しないと抱えられない体重ってほどじゃないわよ!」
言い合いになると余計に姿勢を維持するのが難しくなる。
罵倒したいのは抑えつつ、両兵は努めて冷静になろうとしていた。
「……よし、黄坂。こうしようぜ……。降りたら真っ先にクーラーの効いた場所で涼む! それで手打ちでどうだ?」
「それに加えてアイスをお腹いっぱい食べるのも追加ね……。この際、赤緒さんにバレてもいいわ。今は涼しい部屋で、可能な限り涼みたい……!」
精一杯な声を出す南の身体を、両兵は何とか腕力で押さえるも、汗で手のひらが滑って限界に近い。
「立花! まだか!」
「もうちょい……! よし! 表示完了! これをプリントアウトして……っと!」
「プリントアウトって……そもそもエルニィは何で、南米から画像を……?」
「おい! 今さらのことを言うと集中が鈍っちまう! ……とにかく、連中が終わりだって言うまで、この罰ゲームみたいな状態を――!」
「あれ? な、何をやってるんですか? 小河原さんに南さんも!」
ちょうど石段を上がって来た赤緒に見咎められた瞬間、完全に力が抜け切っていた。
「あ、ヤベ……っ」
絶縁体の手袋が滑り、南の身体が落下しかける。
「ちょっ……! 両、あんた……!」
「黄坂! ……こんの……ッ!」
咄嗟に両兵は身体を反転させ、南の身体を抱えるも――落下の途上にあるのは間違いない。
視界の隅で赤緒が思わずと言った風にきつく眼を瞑る。
境内に落ちた途端、両兵は鈍い痛みが背中に広がっていくのを感じていた。
「……痛って……」
「ちょっと! 両! 両ってば……!」
自分を揺さぶる南の声が遠く残響する。
次第に暗くなっていく視界の中で、両兵は意識を手離していた。
「――何やってンだよ、黄坂。あんまし勝手なことしてっと、山野のジジィにどやされンぞ?」
南が整備格納庫の屋上で作業しているのを青葉から教えられ、両兵は屋根をよじ登る。
まだ時間帯としてみれば薄暗い。そんな中で懐中電灯の明かりは、このジャングルでは目立ったので発見できたのだろう。
「あら? 両。あんたもヒマねぇ。私がやってることなんていちいち見咎めたっていいことないわよ?」