「馬鹿を言うな! カリクム、私の戦闘力で花粉なんかに負けるわけが……ぶぁっくしょん!」
「よいから鼻をかめ。それにしても春先の心構え、ですか」
ティッシュを差し出したヒヒイロの言葉に小夜は意外そうにする。
「あれ、聞いてたんだ?」
「そうでなくともこの時期は三寒四温と言います。体調を崩さぬよう、めいめいに思いやりが必要となるでしょうね」
「サンカン……? マンガの話か?」
「三寒四温ね。寒いと思ったらあったかくなるって言う、まぁ春先を表す言葉よね?」
レイカルへと補足したナナ子に小夜はうーんと呻る。
「正解が見えないのよねー、この季節。何だか急かされているような気もするし」
「二月は逃げる、三月は去るとも言います。この時期特有の、何やら慌ただしさは皆が感じていることでしょう」
「……二月が逃げる……? おかしなことを言うな、ヒヒイロも。月に足がついてるもんか」
「お前なぁ……。一月二月三月はそういう風に言うんだよ。人間はこの時期は忙しいんだ」
「……知った風なことを言うのねぇ、カリクムも。あんただって季節感はまるでないくせに……」
とは言え、オリハルコンに季節感と言うのも無理はあるのだろう。
以前、暑い寒いを議論した際にはハウルである程度の軽減ができると聞いたことはある。
「とは言え、お主らも。春先を舐めてはならんぞ? 風邪を引くことも大いにあり得るのがこの季節じゃ。如何にオリハルコンの身はある程度ハウルで誤魔化しが効くとは言え、一気に気温が下がって翌日には高熱、ということもあり得る」
「そんな弱々しいことになるもんか! 私は平気――へっくしょい!」
「……レイカル。お前が一番ヤバいからな? 自覚あるんだかないんだか、ったく……」
「小夜殿。ナナ子殿が太ったかどうかでしたよね? 私の所感でよければ、別段誤差の範疇だと思いますが」
「あ、それも聞いてたんだ……。うん、まぁね。同じルームメイトとしては心配じゃない。それに、着ぶくれしているようにも映るし」
「私は平気だってば。小夜のほうが薄着なくらいよ」
下手に反論できないのは、春先ならではか。
どっちの服装が間違っているのかなど、ここに居る誰も判定材料ではない。
「……削里さんは……」
「うん? まだ待ったのうちだが」
削里はどてらを着込んでおり、そのくせズボンは涼しげな素材の上に素足と言うアンバランスさである。
元々、男性と女性ではこう言った時の機微が異なるのは承知の上だが、ここまで奇妙なファッションセンスには閉口してしまう。
「……そもそも削里さんはほとんど店から出ないから、服装もないか……」
「小夜、そもそも私が太ったかどうかだけれど、それって小夜の帰りが最近遅いのにも起因しているんじゃないの?」
「……そうなの?」
「そうよ。せっかく夕飯作っておいても、小夜ってばもう食べてきただの、今日は夕飯を抜くだの言うじゃないの。残りは私とカリクムで平らげているんだからね」
言われてみると、ここ数か月は目が回る忙しさだった。
寒い時期にしかできない撮影もあれば、新春の番組に出たこともある。
夕食は簡単に済ませたり、出先で食べてきたりすることも珍しくはない。
「……カリクムは……」
「私は食べてもハウルに変換できるけれど、前も言った通り、創主とのパスがあるんだからな。あんまり無理すると小夜のほうに跳ね返ってくるし……」
そう聞くと正月時分の繰り返しは避けたい。
「……じゃあやっぱり、ナナ子が太ったのは気のせいってこと? 私の考え過ぎ?」
「まぁ、実際に太っていたとして、それは小夜のせいも多分に含んでいるって言いたいのよ」
そうなると、ここひと月ほどの生活習慣を見直すべきか。
しかし仕事量を減らすのは現実的ではない。
どうするか、と思い悩んでいると携帯にメッセージが届く。
「あっ、急な仕事みたい。……行ってくるわね」
飛び込みの仕事を引き受ける関係上、こうしてナナ子と対面することも減って来た。
思えばナナ子を久しぶりに見たから太ったように感じたのかもしれない。
「行ってらっしゃい。それにしても、私太ってる? そうかしらねぇ……」
思索を浮かべつつ、ナナ子はジュースを飲む。
このままでいいはずもないのだ――そう思うと、小夜は居ても立ってもいられなくなっていた。
「よし……! 今日の仕事が終わったら、じゃあ……」
――シチューを作っている最中、そういえば、と思い直す。
「……小夜は今日も遅いんだっけ……」
こうしてルームシェアをしているせいで、二人分、否カリクムとミスリル姉妹も含めて五人分作ることも多くなってきていた。
何も考えていないとついつい作り過ぎてしまうのだ。
「……太った、かなぁ……」
思い悩むのは自分らしくないとは考えつつも、ナナ子は鏡の前で見返す。
小夜の言ったことも半分ほどは当たっているのだろうが、こうしてルームメイトの帰ってこない夜はついつい食べ過ぎてしまう。
「いっけない。お菓子は控えないと……」
伽からのメッセージが届いており、来週は動物園に繰り出す予定だったが、思えば伽は自分を全肯定してくれるものの心の奥底ではどう思っているのだろう。
〈伽クン。私、太ったかな……〉
そんなメッセージを打つと即座に返答が来る。
〈何言ってんだ! ナナ子はどんな姿でもオールオッケーだぜ!〉
「うーん……そう言ってくれるのは嬉しいんだけれど……」
今はその優しさも辛い。
こうしてシチューを持て余してしまうのも、何だか自分の至らなさの象徴のような気がしてしまう。
「……しょうがない、もったいないけれど、食べ切れない分は捨てるしか――」
そこでインターフォンが鳴る。
誰なのだろうと思って出ると、想定外の人物に面食らう。
「あれ? 作木君……?」
「あっ、こんばんは、ナナ子さん。何でも……小夜さんが言うのには、今日も遅くなるとのことで」
「……小夜に聞いてきたの? そうなのよねー、あの子、最近じゃ零時回るまでに帰ってくることも稀で……」
「その……こんなことするのは何だかちょっと意地汚いみたいなんですけれど……」
玄関先で困り果てている作木のパーカーからレイカルがひょっこり顔を出す。
「ナナ子! 夕飯を食べに来たぞ!」
思いも寄らないとはこのことで、ナナ子は仰天してしまう。
「えっ……っと、何で?」
「その、小夜さんからのメッセージです、これ」
作木の古い携帯には小夜からのメッセージが打たれている。
〈ナナ子の晩御飯を食べに行ってくれない? 私ができることって言えば、あの子に寂しい思いをさせないことくらいだし。作木君もお腹は空いてるでしょ? ウィンウィンよ〉
「……とのことで……こんなことを言うのは何ですけれど……晩御飯、食べに来ました」
「ナナ子! 私も創主様もお腹ペコペコなんだ!」
きっと小夜なりに気を回してくれたのだろう。
そう言えばここ数日間、すれ違いが多かったような気がする。
それは夕飯だけではなく、気持ちの面でもだったのかもしれない。
「……なるほど。馬鹿ね、小夜も。そんなことをわざわざ気にかけてる暇があったら、自分の仕事に集中しなさいって言う……」
「けれど、小夜さん。電話もくれて。……一人の晩御飯は寂しいから、って。僕にちゃんと自分の言葉で言ってくれたんです」
そう言えば小夜の家庭も今は父子家庭だったか。
母親が亡くなってから、小夜自身一人の夕食も多かったに違いない。
それも込みで、慮られているのだとナナ子は実感する。
「……小夜ってば。けれど、ちょっと安心した。芸能界に揉まれて擦れちゃったんじゃないかって思った時もないとは言えないし」
「その……いいですかね? 今日は寒くって……」
作木は軽装だ。
大方、新しい服を買い揃える余裕もないのだろう。
春先では服装をミスすることもよくある。
それと同じように、誰かとの距離感を違えることも、たまにはあるのだろう。
それを補正するのもまた、生きた人間の義務なのだ。
春に新しい服に袖を通すように、凝り固まった関係性に風を通すかのようにして。
「……いいわ。入って、作木君! さぁ、ナナ子キッチンの開幕よ! 三寒四温も何のその! クリームシチューであったまってちょうだい!」
「じゃあ、お邪魔します」
「遠慮しないで。いつもは作木君の家に押しかけてるんだもの。くつろいでくれていいわよ」
「わっ……! 何だ、レイカルと……その創主……。何で来てるんだよ……」
「それは……えっと、言ったほうがいいですかね?」
頬を掻く作木にナナ子は茶目っ気たっぷりにウインクする。
「だぁーめ! カリクムー。今日は七人分よ! 久しぶりに腕が鳴るわ!」
「な、何なんだよ……一体……。って言うか、食べてくのかよ」
「どうだ! カリクム! 自慢じゃないが、私も創主様も腹ペコだ!」
「……本当に自慢じゃないな。とは言え、ナナ子。……これも一つの解答って奴なんだろ?」
カリクムなりにここ数日間の少し寂しい食卓に思うところはあったのだろう。
ナナ子はキッチンで微笑む。
「ええ! 答えはいつだって一つじゃないってね! ……こんな解答方法があってもいいのかもね。小夜も忙しいでしょうし、帰って来ても食べられる保存の利く一品でも仕上げておきますか!」
「創主様! すごくいい匂いがします!」
「そうだね。……ナナ子さん。僕にできることってこの程度なのかもしれないですけれど、助けができれば言ってくださいよ。創主同士、助け合いじゃないですか」
「……もう、作木君、カッコいいこと言い過ぎ。そんなこと言って、実のところはここ数か月の出費が痛いんでしょ? 小夜もその辺を分かって誘ったんだろうし」
「……すいません、当たりです」
後頭部を掻く作木に、ナナ子はクリームシチューの味見をしてから、再び鍋を火にかける。
冷め切った関係性なんて自分たちにはお呼びじゃない。
いつだって、ホットなものが必要なはずだ。
「じゃあ、今日は腕によりをかけるわね! レイカルも作木君も、ちゃんとお腹いっぱいになって行って!」
おずおずとソファに座った作木へと、カリクムが胡乱そうな声を出す。
「……レイカルの創主。そこは私のスペース……」
「あっ、ごめん……。えっと、どこに座ればいいかな……」
「別にいいんだけれどね。……そこのクッションをちょうだいよ。それがないと落ち着かないんだから」
猫のデザインをあしらったクッションは小夜の所有物だ。カリクムも何だかんだで寂しさを感じているのだろう。
「あっ、はい……」
「それと。夕飯を食べに来るのはいいが……。この家では私のルールが絶対! なんだからな!」
「何をぅ! カリクム、お前、創主様に偉そうに!」
「何だと!」
「はいはーい、喧嘩しない! 喧嘩する悪い子は晩御飯抜きなんだからねー」
ナナ子がキッチンに立ったまま仲裁すると、二人ともしゅんとする。
「……何だかナナ子さん、お母さんみたいですね」
ぽろっと作木がこぼした言葉にナナ子はハッとする。
「……私がお母さん……?」
「あっ、失礼でしたかね……」
いや、それならばある程度飲み込めることもある。
太ったかどうかなど些末な問題だ。
みんなが帰って来られる場所を守るのが、そう――偉大な母としての役割ならば。
「……まぁ、手のかかる同居人が四人も居ればね。お母さんにだってなるわよ。作木君、言われたの今日だけじゃないんでしょ?」
「お見通しですか……。実は自分が遅くなる時には今月中は来て晩御飯を食べて行って欲しいって言われてて……迷惑じゃなければですけれど」
「迷惑なもんですか。私はあなたたちの……そうね。お母さん、なんだからね!」
多少の失礼には目を瞑ろう。
また、小夜が安心して帰って来られる夕食の席を務めるためにも。
「じゃあナナ子はオカンなのか?」
「あっ、こらレイカル……オカンってあんまりいい言葉じゃ……」
諌めようとした作木に先んじてナナ子はふふーんと胸を反らす。
「そうよー。私はあんたたち、オリハルコンと小夜のオカンみたいなものね。いいじゃない、オカン上等よ!」
腕まくりをしてその言葉に応じていると、携帯にメッセージが受信される。
〈ごめん、今日も遅くなる……作木君たち、ちゃんと来られた?〉
謝罪のスタンプと共に少し及び腰の小夜のメッセージ。
「……まったく。心配性なのはお互い様ね」
ナナ子は写真を撮る。
ちょうど騒がしくなり始めた食卓を撮影し、メッセージで小夜に送信してから渾身のシチューを取り分けていた。
「さぁ! みんな! 私のシチューであったかくなってよね!」
三寒四温な春先はまだまだ――みんなが身を寄り添い合える季節のはずなのだから。