JINKI 301-3 それぞれの脅威

「姉さん、わたしがそんな迂闊な真似をすると思っているのか? 既にダミーデータは送信済みだ。それにしても、よく資材があったものだ。極東国家で人機を建造するとは」

 セリが画面上に人機の図面を起こし、なずなはその名称を横から垣間見る。

「……《モリビト天号》……これがハイドの脅威となるのならば、私たちは……」

「逸るなよ、姉さん。第一、ハイドの親玉はまだ沈黙しているのだろう? 賢明な判断だ。日本で新型機が建造されたからと言って、米国の息がかかった組織がそうそう動くべきではない」

 セリは《モリビト天号》のデータと向かい合いながら、欠伸を噛み殺す。

 なずなにしてみれば、この沈黙は不気味なほどであった。

 椅子に座り込み、コーヒーメーカーの抽出したブラックコーヒーに砂糖を小さじ一杯入れて口をつける。

 セリの要求でコーヒーメーカーを買ったのだが、自分にしてみても意外にいい買い物だったと思えてくる。

 考えてみれば、日本に潜入してから嗜好品と呼べるものをあえて買わずに来た。

 それは潜入先である日本への愛着や、この場所への執着をなくすためでもあったが、彼はこう言ってのけたのだ。

――「そのような雑事でパフォーマンスを落とすのは三流だよ」と。

そのせいか、数日前から通販で買ったコーヒーメーカーを含め、なずなの部屋には物が溢れていた。

部屋の隅に山積する段ボールを目にして、ため息を漏らす。

「……あのですね、ドクター――」

「今は瑠璃垣セリだ。どこに耳があるか分からないと言ったのは姉さんのほうだろう」

 遮って放たれた声になずなは深呼吸してから問い直す。

「……では、セリ。ことわざで好奇心は猫をも殺すと言います。天号のデータ、確かにハイドが横から掠め取っているのは事実でしょうが、あまりメインデータに手を出し過ぎると」

「要らぬ禍根を生む、かな。それに関してで言えば心配要らない。姉さんの所属するハイドは、この天号に関してのデータを別方面から得ているようだ。わたしが見ているのは三日も前のデータだよ。わたしが狙っていたのはね、トーキョーアンヘルがどれほどこの情報を掴んでいるか、その一事だ」

 まさかトーキョーアンヘルのデータにハッキングしているとは思わず、なずなは思わず立ち上がる。

「危ないことを……!」

「危ない? それは笑えてくるな。わたしの身分も、もっと言えば姉さんの処遇でさえ、危ないなんて領域は超えている。それなのに、今さら及び腰になれと? あまりにも諜報員としては弱腰だ」

 セリは嘲笑しながらもキーボードを打つ手を一時として休めない。

 なずなはここで落ち着きを失えば負けだと、椅子に深く座り直して尋ねる。

「……バレないんでしょうね?」

「無論、あちらにも天才は居る。エルニィ立花博士……だが、これには気づけまい。わたしは稀代の人形師であり、最高峰の頭脳だ。ここから先は読み合いだよ、姉さん。もちろん、キョムもこれを察知していることだろう」

「……キョムの横槍もあり得ると言うことでしょうか」

「と言うよりも、京都支部のデータベースは杜撰が過ぎる。これではまるで……そうだな、盗んでくれと言っているようなものだ」

「……わざとデータの機密レベルを下げて?」

「そこまでは分からないが、《モリビト天号》しか開発計画に上がっていないのも気にかかる。普通、こう言った場合には試作機を何機か用意するものなのだが……その兆候はない。これはかなりきな臭いな」

 セリが読み込んでいるデータには《モリビト天号》の実地運用も視野に入っているようであった。

 なずなはコーヒーメーカーを起動すると、彼は片手を上げる。

「わたしはブラックでいい」

 こちらの動きを見透かしたような物言いに少しだけむっとしつつ、なずなはセリの分のコーヒーを金属質なマグカップに注ぐ。

「……どこまで分かっているんです? 試作機がないと言うのは……」

 足元に置くとセリはカップを掴んでコーヒーをすする。

「正直に言わせてもらえば、まだ三割未満だ。掠め取るにしても、トーキョーアンヘルも京都支部からの逆探知を恐れて少しずつでしか情報を得ていない。だが、これは奇妙でもある」

「……同じアンヘル内での、攻防戦、ですか」

「あるいはアンヘル内でも派閥があるのか。確か、南米にはカナイマ、ルエパ、ウリマンの三種が居たな。そのうち、ウリマンアンヘルは軍部との結びつきが強く、主にトウジャを開発したのはここだと聞く。姉さんの使っている《ナナツーシャドウ》もここ製か」

《ナナツーシャドウ》は現在、アイドリングモードでアパートから数百メートル離れた駐車場に光学迷彩で隠している。

 三日ごとに秘匿場所を変えることで関知され辛くしていたが、キョムの科学力ならばすぐに《バーゴイル》を寄越す可能性もある。

 その場合、セリを守りながら戦えるか、というのが目下のところなずなの命題であったが、彼はそのようなことなど意に介さず画面に集中している。

「……あまり知り過ぎるのも考えものですよ」

「どうかな。……それにしても、この天号とやらはスペックだけで言えば現状のトーキョーアンヘルの機体を凌駕しているな。飛行ユニットなしでの継続飛翔機能、中距離から近距離に特化した性能。その上でリバウンドシールドも有しているとは。まさに新世代のモリビトタイプという評価が正しい」

「それ、アンヘルも同じ所感だと?」

 セリはコーヒーをすすりながら、データを整理する。

「まずもってそうだろうな。天号だけでアンヘルの所持する人機で言えば、三機分に相当する。性能で言えば、モリビトと言うよりかは《ブロッケントウジャ》が近い。換装も視野に入れて運用する、これ一機で万能と言うわけだ」

「……だから、試作機がないのでは?」

 こちらの意見にセリは肩越しに落胆の視線を振り向ける。

「……姉さん。操主と言うのはそこまで人機の進化には無頓着なのか?」

「……そんなに変な質問をしましたか? 完成し切っている人機なら、試作機がないと思うのも当然じゃないですか」

「いや、一足飛びにこれだから妙なんだ。トーキョーアンヘルにはルエパの技術者も多いと聞く。それならば、納得できる。ルエパアンヘルは別種の技術力を持っているからね。だが、京都支部はそうじゃない。人機開発で言えば、素人に近い集団だ。そんな連中が、現行機のいいとこ取りの人機を一回で開発できるとでも?」

 そこまで説明されればなずなでも違和感に気づく。

「……つまり、その形であることそのものが奇妙だと?」

「そうだ。加えて、こいつの性能試験は毎日のように行われている。これも違和感の一つだ。そう容易く、実験機に乗ってくれる血続操主が見つかるとでも?」

 セリはペン先を画面に突きつける。

 血続操主は貴重な存在だ。

 自分も血続とは言え、ハイドも発見には苦心したと聞く。

 極東国家に血続が集中している可能性をキョムは説いているらしいが、それも眉唾と言えばその通り。

 必然性があって物事が収斂するのだとしても、都合よく人機に乗ってくれる血続操主は容易く見つかるまい。

「……名前は? 名前くらいは分かるでしょう。天号のテスト操主」

「分かるが……何だ? 姉さんもここに来てようやく興味が出てきたと言うわけか。遅い好奇心だな」

「……何とでも言ってください。私はハイドの諜報員として知らなければならないでしょう。上が何も言ってこないとしても、現場判断と言うものがあります」

「現場判断、ね。わたしの好きな言葉だ」

 セリは素早くキーをタイピングしてテスト操主の顔写真と名前、そして経歴を丸裸にする。

「こいつだ。名前は、カナエ。カナエ・ミツミヤ。日本名で言えば」

「――三宮、金枝……」

 導かれるようにしてなずなは口にしていた。

 真正面を向く、まだあどけない少女の相貌はこれから先の未来に対し、茫漠とした不安と強い嫌悪がない交ぜになったかのような表情であった。

「――のう、お主。最近は板についてきたではないか。教官役と言うのが」

 駒を打つヤオの声に両兵は悪態をつく。

「ケッ。てめぇなんざに褒められたくってやってるわけじゃねぇよ。第一、何で知ってやがる妖怪ジジィ。さすがにその恰好で自衛隊の駐屯地まで来てりゃお縄だろうが」

「ほっほ。こちらも色々と伝手があってな」

 相変わらずヤオの思考回路は読めないが、それでも先回りされている感覚は気に入らない。

「そうかよ。……なぁ、妖怪ジジィ。てめぇらは最終的に何がしたい?」

「今は穴熊を決めるお主を引き出そうと思ってな」

「将棋の話じゃねぇよ、たわけが。キョムに関して、少しは話してくれてもいいんじゃねぇかって思ってンだよ」

「何度も言わせるな。儂はお主らの味方ではない」

「それ、敵じゃねぇって思っていいのか? まぁ、いずれにしたって、てめぇはそのハラぁ読ませる気なんざねぇんだろうが。キョムの八将陣だろ? そろそろこっちに王手決めに来る頃合いかと思っていてな」

「ほっほ。確かにトーキョーアンヘルがこのまま、弱腰のままならばいずれは痺れも切らすじゃろう。だが、今は別の興味があるようでな」

「そうかよ。……その別の興味ってのは、今のところオレらには害はねぇと思っていいのかねぇ」

「どうかのう。お主も気を付けておいたほうがよい。脅威と言うのはいつも足音を殺して、後ろから迫って来るものじゃからのう」

「……そいつは忠告どうも。だがな、こっちだってちゃんと気ぃ張ってンだ。いつだって闇討ちが通用するたぁ……思わねぇこったな!」

 振り返り様に刀を握り締め、背後に迫っていた人影へと振り返ったところで――両兵は買い物袋を提げていたさつきを見据える。

「わっ……お、お兄ちゃん……? どうしたの?」

「……何だ、さつきかよ。この妖怪ジジィが焚きつけたもんだから敵かと思ったぜ」

「……えっと、妖怪ジジィってのは、どこに……?」

 両兵が周囲を見渡すとヤオの姿は忽然と消えており、先ほどまで座っていた河川敷の座布団の上には呪符だけが置かれている。

「……あんのジジィ……。あっ! 賭け金はきっちり回収しやがった……! おい! 聞いてンだろ! まだ勝負はついてねぇだろうが!」

 しかし声は橋の下に残響するばかり。

 ヤオの気配が完全に途絶えたのを感じ取って、両兵は舌打ちを漏らす。

「……返事もしやがらねぇ。しゃーねぇ。さつき、帰るぞ」

 将棋盤を片づけている最中、王将の下に小さなメモが敷かれているのを発見する。

「あの、お兄ちゃん。橋の下で将棋なんて危ないよ。それに、うんしょっと……。赤緒さんたちもお兄ちゃんと帰れるように待ってくれていたのに、先に帰っちゃうなんて」

 さつきは買い物帰りなのだろう。

 重い荷物を抱えていたので、両兵はそれを持ってやっていた。

「寄越せ、それ。……ったく、柊たちの着替えだとか待ってると時間がいくらあったって足りねぇよ。こちとら身の丈に合わねぇ役割を課せられてンだ。できれば一刻も早く帰りてぇってのが正直なところさ」

「あっ、ありがとう……。でも、お兄ちゃん、人機の先生ってできたんだね」

「……先生、か」

「どうしたの?」

「……いいや、何でもねぇ。思ったよりも重い称号だと思ってな。ただそんだけだ。そんでもってあの妖怪ジジィ……“身の振り方には気を付けることだ”たぁ、余計なお節介じゃねぇの」

「身の振り方……?」

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です