首を傾げるさつきへと、両兵はメモを捨ててから話題を振っていた。
「そういや、お前こそどうしたんだよ。あいつら、四人でツーマンセルだろ? それとも面子変えて乗り換えてンのか?」
「あ、ううん。私は単独で《キュワン》の機動実験があったから。……そう、だよね。ヴァネットさんとルイさん、二人ともお似合いだもんね……」
「気ぃ遣うもんでもねぇぞ? 黄坂のガキとヴァネットはどっちも自分が自分がってタイプだろ? 《シスクードトウジャ》に乗ってるからって、どっちが偉いってわけでもねぇ。それに、柊と立花もな。あいつら、呼吸がまるで合ってねぇ。もっと下操主席ってのは……そう単純でもねぇんだよ」
「心配してくれてるんだ、お兄ちゃん」
ぼやいているとさつきがふと微笑む。
「……少しは楽になったか?」
「あっ……ごめん。何だか私、嫌な子かも……。ルイさんとツーマンセルが解消かもって思って、それでヴァネットさんに嫉妬して……」
「いいんじゃねぇの、別に。誰だって、今までの経験が無駄になるかもって時にゃ、嫉妬の一つもするさ。だがな、オレは無駄になんかならねぇと思うぜ? さつきはちゃんと強くなって来ただろ? だから《キュワン》を任されてンだ。水の泡なんかにゃ決してならねぇ。そいつの努力はそいつが一番知ってる。それは間違いねぇよ」
「……やっぱり、お兄ちゃんは優しいね。私の言って欲しいこと、全部言ってくれた」
「そうか? そんな上等にできたつもりもねぇんだがな」
夕映えの堤防を歩いていると、こんな自分でも少しはマシに思えてくる。
元々、教官役を提案してくれたのは南だ。
人機を操縦していると、どのような人間であれ多かれ少なかれ「取り込まれる」現象には囚われる。
それを少しでも遅らせるための、次善策だ。
両兵はふと己の手のひらを眺める。
まだ人機の手を見間違うようなことは起きていないが、それも時間の問題。
ならば、自分は我を忘れる前にトーキョーアンヘルに少しでも貢献しよう。
そう願っての教官役だったが、自衛官相手に教えるのは少しばかり骨が折れる。
「……自衛隊の連中ってのは基礎体力はあるんだが……人機に慣れるって作業が思ったよりも時間がかかりやがる。要らない力が入り過ぎてンだよな……」
「でも、お兄ちゃん、先生なんだから。ちゃんと教えないと、でしょ?」
「……かもな。それも含めて、教師ってのは面倒くさい……」
そうぼやいていると、不意に金色の景色に一人の少女の姿が像を結ぶ。
――白銀の髪に、勝気な瞳。
そして何よりも、明らかにオーバーサイズの男物のコートに身を包んだ異様な立ち振る舞い。
「……小河原両兵……ですね」
「……お兄ちゃん……」
さつきを自分の背後に隠し、両兵は前に歩み出る。
「……何者だ、てめぇ……」
刀には手を添えてある。
いつでも抜刀可能だ。だが、相手の意図が読めない。
もし、八将陣の新たなるメンバーだとすれば――自分はこの場でさつきを守り通すことができるか。
思索を巡らせたのも一瞬、できるできないの理論ではないと断ずる。
できるできないではなく――やってみせる。
少女は一歩、歩み出る。
両兵は息を詰めて、声を搾り出していた。
「名乗る気はねぇのか? なら……斬られても文句は言えねぇぞ」
「……覚えてない……ですか。金枝のことを……」
「うん……カナエ……?」
その特徴的な一人称に、両兵はいつかの黄金の夕映えで遭遇した修学旅行生の少女を思い返す。
「……まさか、あン時の修学旅行生か? 何だってこんなところに……いや、そもそもこっちに住んでねぇンじゃ……」
思考の間に浮かんだ、僅かな隙。
それを突くかのようにして、少女は駆け寄ってくる。
「お兄ちゃん……!」
さつきの声が弾ける。
それと少女が懐に潜り込んだのは同時。
――やられた。
敵意を持つ相手ならば、心臓を射抜かれていてもおかしくはない致命的な隙である。
だが、痛みもましてや流血も訪れない。
男物のコートに身を包んだ少女は、両兵の胸元へと寄りかかる。
「……こいつ、どうしたって……」
その言葉が明確な意味を結ぶ前に、両兵は周辺より注がれる敵意の波を感じ取っていた。
「その少女を、返してもらおうか」
夕映えに黒点として浮かび上がったのは前傾姿勢の者たちを従えた詰襟服姿の男であった。
どこから現れたのか、と考える前に両兵はさつきへと意識を飛ばす。
「さつき……後ろは……」
「うん……後ろにもいつの間にか……この人たち、何なの……」
「アルファーで防御を固めておけ。……てめぇら、何者だ?」
「これはこれは。申し遅れました。私はアンヘル京都支部を管轄している責任者。加藤と申します」
加藤と名乗った黒服の男は学帽を傾けて会釈する。
「……どう見ても真っ当な奴らにゃ見えねぇが……京都支部って言ったか? アンヘルの?」
「知っておいでかと思います。アンヘル京都支部は東京と幾度となく協力体制を敷いており、その一つが人機開発。その少女の名前は三宮金枝。我が方の所有するテスト操主です」
「……三宮、か。てめぇら、こいつに何の用があって来やがった」
「そう敵意を向けないでいただきたい、小河原両兵君」
「……オレのことを……! いや、当然か。京都支部って言いやがったな」
「はい。物分りがよくって助かります。そこの三宮金枝はテスト中に逃走しましてね。慌てて追ってみれば、まさか東京まで逃げたとは思いも寄らない。つい数分前にようやく追いついたのですが、どうしても戻ってこないと言い出すので困っていたのです」
「……こいつはテスト操主ってことは、京都支部で人機に乗っていたのか」
「参りましたね。これは機密事項の一つなのですが、我が方が開発している新型機、《モリビト天号》の専属操主なのです。ですが、分かっていただけますね? あなたはトーキョーアンヘルの責任者、小河原両兵。それならば、最適解くらいは」
両兵は周囲を固める影へと視線を巡らせる。
その数、五人分。
だが、立ち振る舞いから男なのか女なのかも分からない。
まるで影のように凝った姿は、ともすれば戦闘用の構成員なのかもしれない。
「……その論法で言えば、専属操主は返すべきなんだろうな」
「その通り。《モリビト天号》を動かすのに三宮金枝は必要な人材なのです。差し出してもらえますか?」
両兵は寄りかかる金枝の相貌を覗き込む。
疲弊し切った面持ちに、頼るべきものさえも見失ったかのような少女の佇まい。
「……あのよ、一つ聞いていいか? てめぇらにこいつを返したら、どうなる?」
「どう、とは。ナンセンスではありませんか? 操主なのですよ? 我々にしてみれば、貴重な、とても貴重な。大切に扱うに決まっているでしょう。《モリビト天号》のロールアウトも近い。それに……京都支部で観測した限りでは、間もなく戦いが起きる。大きな戦いがね」
「……大きな戦い? それはキョムとか?」
「おっと、喋り過ぎましたね。これ以上は機密事項。さぁ、お渡しください」
「……そうだな、言ってるこたぁ裏は取れるだろうよ。立花も知ってるだろうし、黄坂だっそうさ」
「でしょう? なら――」
「だがな。理論で読み取れるのと、感情で飲み込めンのは別の話さ。……さっきからこいつは、眠っているってのにオレのコートを掴んで離さねぇ。それってのはつまり、てめぇらのところにゃ帰りたくねぇってことじゃねぇのか?」
「そのようなこと。確かに操主としての訓練は厳しいもの。ですが、それらも全て、平和のため。ロストライフを阻止するために」
歩み寄ってくる加藤へと両兵は鞘に仕舞ったままの刀を突きつける。
「……てめぇの言い草ぁ、それに喋り方も。さっきから反吐が出るぜ。オレが嫌いなタイプだ。ニヤニヤしやがって、腹ン中で何考えてんだか分かったもんじゃねぇ。こいつは渡すかよ。特にてめぇみたいなのには一番、渡しちゃいけねぇんだって、本能のところで分かるぜ」
「……背信行為となりますよ? 東京と京都支部の間には協定がある」
「そうかよ。じゃあ知ったことか。オレは別段、偉くなったつもりは――ねぇんでね!」
鞘に収めたままの刃を振るう。
加藤の前に黒々とした影の者が割って入り、鋭利な爪で刀を弾き返す。
両兵は金枝を抱いたまま、さつきへと言葉を飛ばしていた。
「さつき! こいつら、強硬手段に出やがるつもりだ……連中を呼べ!」
「うん……! 赤緒さんたちに連絡を――」
「させると思っているのですか。アンチアルファーシールド、展開」
周囲の影が逆さ紋様のアルファーを翳す。
すると力場が形成され、両兵は縛り上げてくるエネルギーを感じていた。
「このエネルギー量子……! てめぇら、何を企んでやがる……!」
「企むとは、失礼な物言いだ。まるでけだものですな、これは」
加藤が学帽を被り直し、手を払う。
「さつき……! 柊たちに連絡、できるか……?」
「やっているけれど……! 全然、アルファーが応答してくれないの!」
「それも当然。これはアンチアルファー障壁。血続によるアルファーの通信、そして能力の行使を妨害する。我々がただ単に血続操主に頼っているとお思いか。既に事象は動き出しているのですよ」
両兵は奥歯を噛み締め、四方からの電磁波に耐える。
身を焼く痛みと苦しみ、そして内臓を抉り出すかのような感覚に声を上げる。
「ぐぁ……っ! こ、こんなもん……!」
「屁でもないと? さすがは小河原両兵。まるでゴキブリ並みの耐久能力だ。我々としてはその肉体サンプル、ぜひ欲しいところですな」
加藤が顔を覗き込んでくる。
両兵はその鼻先に噛み付こうとして、相手はさっと踵を返していた。
「三宮金枝の確保を。小河原両兵と、そして操主サンプルである川本さつきはここでいい。――殺しなさい」
冷酷に絞られた声に、両兵は丹田に力を込めて吼え立てる。
「そんな真似ぇ……ッ! 死んでもさせねェ……ッ!」
抜刀し、両兵は取り囲む影の一人へと斬りかかる。
黒いスーツが割れ、中から現れたのは骸骨の相貌であった。
「……こいつ……! キョムのゾール……じゃねぇのか……」
「いけませんねぇ、正体が露見するなど。よくない兆候だ」
素早く飛び退ると同時に、ゾールにしか見えない相手が両兵の鳩尾に蹴りを浴びせている。
その速度、そして迷いなく急所を狙う正確性は人間のそれとは思えない。
「……こいつら全員……強化人間か……!」
「あなたは知る必要性はない。そして、そこの小さな小さな操主サンプルも。三宮金枝を差し出して頂きたい。それで万事解決です」
「……馬鹿ァ……言ってンじゃねぇぞ……! ヘラヘラしやがって気色悪ぃ……。オレはてめぇみたいなのに……膝を折るほどやわじゃねぇってンだ!」
「そうですか。残念です。できれば生かしたままホルマリン漬けにでもしたかった」
障壁が狭まり、力場が絞られていく。
全身の毛穴から幾百の針と呪詛を流し込まれているかのようだ。
肉体が委縮し、今に意識が途絶えかねない。
それでも、両兵は抱えた金枝を離さなかった。
「……さつきぃ……ッ! 柊たちを……呼べェ……ッ」
「でも! このままじゃお兄ちゃんが……!」
さつきのアルファーの守護でギリギリ崩壊に至るのを阻止できている。
もし、さつきの加護がなくなれば、自分など簡単に押し潰されてしまうだろう。
「……それ、でもだ……。こいつらに……! こいつらなんかに……負けてられっか、よ……!」
刀を構え、加藤を見据える。
しかし、彼は自分などほとんど敵とすら見なしていないようであった。
「……まだ生き意地汚く残る。シミのように醜悪だ。三宮金枝の保護と確保を。ここまで逃がしてしまったのは我々の落ち度だ。全ては収まるべきところに――」
その言葉が言い切られるよりも先に、金色の夕映えを覆ったのは、漆黒の機影であった。
「……なに……!」
『そこまでよ』
加藤を巨大な鉄拳が押し潰す。
それと同時に影たちの束縛が揺らいだ。
両兵は疾駆して刀で掻っ切り、一体を斬り伏せる。
流れる黒い血潮が強化人間であることを物語っていた。
「……こいつら……」
いや、それよりも。
仰ぎ見た機体の姿に両兵は絶句する。
黒き神秘の装甲に、斜陽と同じ橙色の眼光を宿す鋼鉄の巨神。
燃え上がったその魂の根は震え、撃滅のアイカメラが交錯する。
「……お兄ちゃん……! この人機……モリビト、みたい……」
茫然自失のさつきの声に両兵は頷く。
「……こいつは、モリビト……なのか?」
『少し、時間が必要そうですね』
「……女の声……?」
頭部コックピットブロックが開かれ、下操主席に収まった女性が露わになる。
黒スーツに身を包み、怜悧な眼鏡越しの視線を自分たちに向けていた。
「……失礼。私、三宮金枝のマネージャーをしております」
さっとコックピットから飛び降りた相手に、両兵は僅かに気圧される。
「……あんた、何者だ? ただの芸能人の付き人くずれじゃ、なさそうだが……」
「そうですね。小河原両兵。あなたにも会わなければいけなかった。かつて三宮金枝が遭遇していたあなたとそしてトーキョーアンヘルの面々だけが、私たちにとっては頼りだったのです」
「……オレの名前を知って……?」
「まずは自己紹介を。私はこう言った者です」
さっと名刺が差し出され、両兵は戸惑いながらそれを受け取る。
「……アンヘル京都支部所属、マネージャー……? ツキシロ……」
「――月代アンナ、と言うのが私の名前です。まぁ、それもこの世界に息づくための記号でしかないのですが」
加藤の遺体は完全に現れたモリビトタイプによって粉砕されていたが、影の者たちは散り散りに飛び退っていく。
「……あっ、おい! 待ちやが――ッ!」
追おうとして、全身を貫く激痛に思わず足がもつれる。
月代アンナと名乗った女性はそっとその肩に手を置いていた。
「無理はしないでください。アンチアルファー障壁は普通の人間ならば一瞬で潰されてもおかしくはないのですから」
「……ありゃ、何なんだ……。こいつは……」
「三宮金枝は私にとって、最も尊重すべき存在。私の存在理由……」
「……どういうつもりだ? 何で……こいつをてめぇらは追ってきた? それに、オレのことも……」
「存じています。トーキョーアンヘルの現リーダー、小河原両兵。そしてあなたたちが直面する脅威も。率直に言わせてもらいます。私たちを保護していただきたい。そして、戦って欲しいのです。向かい来る敵へと」
「向かい来る……敵、だと……?」
「……あなたたちは知らなければいけない。京都支部と……そして彼らを取り巻く暗部。金剛グループのことを」