JINKI 301-6 空白の追想

 石造りの牢獄の中で、自分は育った。

 別段、幼い頃は気に留めたわけでもない。

 ただ、狂っていくのはゆったりと。そして静かな足音を立てていただけだ。

 まず、両親が死んだ。

 ――否、違うのだと幼心に自分は感じ取っていた。

 振り返る。

 白い人工庭園の最奥。襖の森の向こうで、庭の白さとは相反した黒く、より黒く濁った存在が居たのだと。

 幼い頃は、それを怖いとは思わなかった。

 だから、なのか。

 それとも、因果は逆なのか。

 自分はその黒々とした老練の手を、いつの間にか絶対だと感じ取っていた。

 その声は、自分にとっての法。

 その言葉は、自分にとっての生きる指針。

 命令には順応するようにできていたはずだ。

 怒声には縮こまってただ耐えるようにできていたはずだった。

 小学校を卒業する間際に、他の家との交流が途絶えていた。

 親が死んだから気を遣ってくれたのだと思っていたが、そうではない。

 あらぬ噂が立っていた。

 ――両親を殺したのは、祖父であると。

 だが、何もその反応を予感しなかったわけではないのだ。

 両親は祖父の、その絶対的な姿勢に反感を持っていた。

 何度も怒鳴り声を聞いた。

 父親も、母親もだ。

 いつか連れ出してあげるから、と涙ながらに語り、自分を抱きしめてくれたのを覚えている。

 その温かさが、長続きしないだろうとどこかで冷静な自分が俯瞰するのも。

 両親が死に、本来ならば家を追い出されてもいい身分だが、祖父は決して追い出さなかった。

 それどころか、中学校に上がる頃合いには全ての交友関係から遮断されていた。

 愚かにも、それに気づいたのはあまりに遅かった。

 まず友人と呼べる相手が居なくなった。

 次に、社交辞令でも話をしてくれるような大人も居なくなった。

 そして最後に、一日のうちに声を出して笑うこともまるでなくなっていた。

 空っぽだった。空白であった。

 いつの間にか、十五年ほどで組み上げてきた自分と言う存在は極めて希薄となり、まるで幽霊のように誰の記憶にも存在しなくなっていた。

 何度か、家を抜け出して友人宅を訪ねたこともあったのだ。

 だが、話の切り出し方が分からない。

 親の死んだ、可哀想な同世代の少女が急に訪ねてくる――迷惑だろうと思った。

 だから、自ずと遊び場は友人でもなければ、同世代の少女らでもなく。ましてや親世代の大人でもなく。

 この街そのものになっていた。

 京都と言う場所。

 敷き詰められた碁盤を思わせる盤石でありながら、朧でもある景色。

 幽玄の道標は、いつでも自分を出迎えた。

 京都には余人の知らない道が数多に存在する。

 それを自分は「幽霊の小道」といつの間にか呼んで、その消えかねない霞んだ石畳を踏み進めていた。

 黄色い着物に、紅かんざしを付けて。

 白い鳥籠に囚われている時と違って、幽霊の小道は自由自在だった。

 都市部に出ることもあれば、全くの郊外に出ることもある、でたらめの小道。

 それをどうしてなのだか、自分は辿ることで束の間の自由を得ていたのだ。

 別に「友人なんて必要ない」。

 別に「普通であることを羨んだりしない」。

 ほんの数時間でいい。

 あの黒く、夜よりも深い祖父の庇護下から逃れることができるのならば。

 ほんのささやかでいい。

 自分はそれでよかった。

 ――あの日、京都を襲うキョムと相対する女性と出会うまでは。

 彼女は黄坂南と名乗った。

 人機と呼ばれる超常の存在。

 それを操ることができる、限られた逸材――血続。

 自分もそうなのだと、南は教えてくれた。

 そして――戦えるのだと。

 思ったこともなかった。

 こんな小さな手で、何かを守ることができるなんて。

 だが、南と交わした約束は途切れなかった。

 一人。柊赤緒と言う、どこかおっちょこちょいな少女と出会った。

 一人。黄坂ルイと言う、何だか頼りになる少女と出会った。

 そして二人。川本さつきと、メルJ・ヴァネットと言う、自分の常識とは埒外の少女らと出会っていた。

 自分はいつしか、幽玄の世界に居場所を見出していた。

 だが、夢もいつかは醒めるもの。

 祖父から逃れられないことは分かっていたし、祖父はいずれ自分を外には決して出さないようになるはずだとも理解していた。

 だから、これはほんのワガママなのだ。

 一時だけの。ひとはそれを反抗期と呼ぶような、ほんの束の間の。

 だから、許してくださいと、いつも心の奥底で乞うていた。

 どれだけ自由になろうとも、心は囚われたままだ。

 京都支部の上層部の大人たちの気配が、ある日を境に変わったのが分かった。

 南に言わなくていいのかとは思っていたが、伝える術がなかった。

 一か月ほど、経ったであろうか。

 自分の才覚を見出すために、あらゆる実験が行われた。

 血続としての力、自由になるための力を武器にするべく。

 実際、自由に成りたかったのかは分からない。

 祖父からそうまでして逃れたかったのだろうか。

 何もかも、分からなくなってしまった。

《モリビト天号》と呼ばれる黒い人機があてがわれるようになった。

 まるで祖父のようだ、と黒い躯体に鋭い眼光と相対した時に思ったことをよく覚えている。

 血続としての実験は続いていた。

 やがて、起動実験と称してこれまでとはまるで別の、自分の内側に眠る何らかの力を欲されているのが分かってきた。

 非常に疲れる実験が十日ほど続いた。

 疲弊は目に見えて強くなっていく。

《モリビト天号》のシミュレーションと並行しての実験は、自分の身を削っているようであった。

 南は、現れてくれなかった。

 ルイは、連れ出してくれなかった。

 いや、それも自分の身勝手な期待だ。

 だから、自分はもういいのだと。

 このまま、何に使われるのかも分からないまま、ただただ身を粉にして戦えばいいのだと。

 そう理解できればどれほど楽だっただろうか。

「金枝。私があなたを連れ出してあげられる」

 その言葉を信じなければよかった。

 衝動に身を任せて、南やルイ、それに――いつかの金色の夕映えで出会った、あの青年に再び会うための逃避行。

 目指すは東京。

 そして彼の名前は、確か――。

「――……あれ」

 夢の皮膜が解け、自分は泣いているのだと知覚した時、思ったよりも疲れが溜まっていたことを自覚する。

 これまでの道筋を夢に見るなんて、きっと未練があるのだ、と。

「はぁ……それにしても、この枕……硬くってちょうどよく……」

 枕をさする。

 岩のように険しい硬さを誇る枕の触り心地に、むっ、と顔を上げる。

 自分を抱く形でぐーすか眠りこけている相手の顔を目の当たりにして――仰天していた。

 何故ならば。その相手こそが、因縁の相手であり、そして夢の中で名前を思い出せなかった青年――小河原両兵その人であったからだ。

「け……け……」

「あン? 何だ、何かやわらけぇもんがあるな……何だこれ……柊かさつきが持ち込んだ枕――」

「けだもの――ッ!」

 金枝の掌底が両兵の顎を打ち据え、その肉体がベッドからずり落ちる。

「痛って! 何だこいつ……! って、てめぇは……!」

「な、ななな……! 何をしたんですか! あなたは! はっ! まさか……金枝の貞操を……! 何で金枝のベッドに居るんですか!」

「は、はぁ……? 何でって……ここはオレのベッドだからなんだが……つーか、顎……! 的確な一撃を喰らわせやがって……どういう教育されてンだ、てめぇは!」

「金枝のベッドです! 何をしてくれてるんですか! やっぱり! 小河原両兵!」

「……な、何だよ……」

「ハッキリ分かりました! 金枝はあなたのことが嫌いです!」

 ベッドからずり落ちた姿勢のまま、両兵はぽかんと口を開ける。

「は、ハッキリ分かったって、何だ! その言い草……! 第一……ここはオレのベッドで、柊神社じゃどうしよーもねぇってンで……救急外来の病院に連れて行かれたはずだろ?」

「何事……!」

 騒ぎを聞きつけて南やエルニィらが駆けつけてくる。

 南は扉を開けるなり、自分と両兵を見比べて視線を泳がせる。

「……ちょっと待って。……うーん、ロード中……」

 扉が閉められたので両兵が猛抗議する。

「おい! 思考を放棄すんな! オレが被害者だろ!」

「か、金枝が被害者です! 小河原両兵に……うぅ~……穢されちゃいました~……」

「なにっ! ……両兵……てめぇは本当に女の敵で居やがんな……」

 またしても騒ぎを聞きつけて整備士の女性が駆け寄るなり両兵へと掃除用のモップを掲げる。

「待て! 待てって! 本当に誤解だっつーの! ……一回落ち着け!」

「小河原君……目が覚めたんだ……」

「覚めたも何も、顎にいいの喰らっちまって、寝るに寝れなくなっちまったんだよ……。おい、ここは病院だよな? オレの記憶が正しいんなら……」

「ああ、病院だぜ……病院で淫行に走ろうとは……随分と太い神経じゃねぇの……!」

「だから! 誤解だって言ってンだろうが! ……あと、そいつ……。確か三宮金枝だろ? いいのかよ。ふん縛っておかなくって。京都支部の話とやらはあの姉ちゃんから聞いたんじゃねぇのか?」

「それに関してなんですがね……」

 うわっ、と全員が驚愕する。

 音もなく中年男性が現れ、手帳に視線を落として神妙そうに呻っていたからだ。

「……友次のオッサン……心臓に悪いぜ」

「いや、こちらも調査を進めまして。その結果分かったのがいくつか」

 金枝は両兵へと視線を向ける。

 包帯だらけで痛々しい傷跡が目立つ彼は、間違いなく自分を助けるために奮闘してくれたのに――。

「……なぁ、オレはお前に嫌われることをした覚えはねぇンだが……」

「何を言ってるんですか。金枝を襲おうとしたくせに。やっぱり小河原両兵は最低ですね」

「ケッ。ガキなんざ対象外だっつーの」

「が、ガキとは何ですか! 金枝はこれでも……かなりグラマラスなんですよ! 着痩せして見えるだけです!」

 胸元をはだけようとしたところで、両兵が視線を逸らす。

「そんなもん、どんだけ見たって得にもなんねー」

 あまりにも素っ気ないものだから金枝はカチンと来て両兵へと再び一撃を加えようとしたところで整備士の女性たちに止められる。

「ど、どうどう……! ったく、何で血の気が多い奴が二人一緒に居やがるんだよ!」

「知んねーよ、ンなもん! ……で? 友次のオッサン、あんたが出てくるんだ。話は悪いニュースから聞かせてもらおうか」

 その言葉に友次と呼ばれた中年男性は後頭部を掻く。

「……誤解されているようですが、おおむね間違っていないので続けましょう。三宮金枝、十五歳。中学校三年生。二か月前に京都支部のテスト操主として抜擢。これには南さんの推薦が大きい、と。乗機は《モリビト天号》。日本初の、純粋なモリビトタイプ。それがあなたの素性で間違いないですね?」

 あまりにも滑らかに丸裸にされる自分の経歴に金枝は疑いの目を向ける。

「……な、何ですか。この人は一体……」

「諜報員って奴だ。どこの現場でも、こういう気味悪ぃ人間は重宝されるんだとよ」

「……気味悪いってのは言い過ぎな気もしますが、続けますよ。マネージャーとして月代アンナさんを据えられたのは一か月ほど前。ちょうどルイさんやさつきさん、ヴァネットさんが京都に出向いたその直後だったと記録されています。この頃から金剛グループと京都支部の癒着が見られる、と」

「……何者なんです? こんなに他人の経歴を……」

「そういうオッサンだ。黙って聞け」

 友次は顎をさすりつつ、手帳に記されている事柄を読み上げる。

「月代アンナさんは下操主を務められる程度の実力の持ち主。それも当然、金剛グループの持ち込んだ強化人間の一つ……“ダテンシリーズ”の一角であるから、とのことで」

「それだよ。話の途中で《バーゴイル》が来たせいでそれを聞きそびれちまった。一体、ダテンシリーズってのは何なんだ?」

 両兵の問いかけに友次は問い返す。

「……聞きますか? 三宮さんが居る今」

 その言葉で両兵はここで自己を持て余している金枝へと視線を振り向ける。

「……聞いても構わんか」

「……金枝が決断できる領域をもう超えています。元々、金枝が京都支部に戻れば……何もかも元の鞘に納まったんです。それなのに……」

「それなのに、何だ。柊が要らんことをしたとでも言いたいのか」

「あ、……いえっ! そんなつもりじゃ……!」

 慌てて取り繕うも、結果はその通りなのだ。

 自分が加藤の言葉に従っていれば、誰も傷つかずに済んだかもしれない。

 それもこれも結果論に過ぎない。

 だからこそ、考えてしまう。

 こんな最悪の結末を手繰り寄せたのは他ならぬ自分自身なのではないのかと。

「……話ぃ進めてくれ。京都支部が金剛グループとかいう、マトモじゃねぇ連中とツルんでいるのは分かった。だがな、納得できねぇのは一つだ。……グリムの眷属やキョムならばともかく、ちぃとばかし金を持ってる連中が強化人間だとかアルファー対策だとかできるもんなのか?」

「それに関してなのですが、金剛グループの前身はどうやら軍事企業であったと聞きます。その取引先データの中にあったのが、ウリマンアンヘルと、そして偽装されていますがグリム協会の一部、と」

「……ウリマンの連中の技術か。ってなると、これもある意味じゃアンヘルの内側の膿でもあるってわけかよ」

「元々、南米で黒将に通じていた軍部の技術が流入したとなれば、《モリビト天号》の建造も、そしてデータにあったアルファー封じも頷けます。彼らは十全な準備を整えて、我々トーキョーアンヘルに挑んできたのだと」

「……けれどよ、友次のオッサン。それだと順序が合わないんじゃねぇの? この三宮って言うのが操主になるのと、金剛グループが出て来たのは前後しているじゃねぇか」

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