「あ、いや、その……川本……さつきさん」
何だかかしこまった様子で名前を呼ばれたのでさつきは頷く。
思えば河川敷で出会って以来まともに話したことはない。
自分もあまりコミュニケーション能力が高いほうではないので、金枝相手にどう話せばいいのかは探り探りだ。
「……は、はい。どうしました? あっ、お腹が空いたのなら、お菓子でも食べます?」
「いや、そういうわけじゃ……」
黙って見合っていても状況が好転することはない。
さつきは緑茶を湯飲みに注ぎ、それを話の嚆矢にしようとしていた。
「……お茶、入れましょうか。三宮さんは緑茶、平気ですか?」
「あ、……まぁ、はい」
夕暮れ時の台所を任されている自分にとって、金枝の闖入は想定外だったが、それでも落ち着く術はいくらか知っている。
まずはお茶を。
そしてゆっくりと、話したいことだけ話せばいい。
それがトーキョーアンヘルに所属してから、さつきが手に入れた数少ない処世術の一つであった。
「……大変でしたよね。まさか同じ学校に通うことになっちゃうなんて」
金枝はお茶をずずっと啜ってから、顔を明るくさせる。
「……美味しい」
「五郎さんのとっておきなんです。あ、五郎さんって言うのはこの柊神社に詰めていらっしゃる神主さんで……赤緒さんの保護者、みたいな感じで」
「……柊、赤緒……ですか」
何やらひと悶着でもあったのだろうか。
赤緒の名前を口にする金枝には、秘めたものがあるような気がしていた。
「……赤緒さんのクラスになったんですよね? どうでした? 一日目は」
「……分かりません。分かりませんけれど、でも……みんながみんな、あんな風なんですか。あんな風に……何でもないように笑えて、何でもない風に談笑できて……」
「……マキさんと泉さんと話したんですか?」
「な、何でそれを……? さては川本さん、エスパーなんですか?」
思ったよりも反応がよかったので、さつきは悪戯めいた微笑みを向ける。
「赤緒さん関連で驚くとすれば、きっとあのお二人だなと思っていたので。……お二人ともとてもいい方ですよね。赤緒さんがああいう風に……柔らかい人になったの、納得です」
「……柊赤緒……さんは、記憶喪失なんだって聞きました」
想定していたよりも踏み込んだ話をしたのか、とさつきは感じたが口には出さないでおく。
「……みたいですね」
「……だって言うのに、あんな……普通に居られて。金枝には理解できません。自分の境遇に一ミリでも嫌な……暗い影があったら、何で普通に笑えるって言うんです? 支部長が来た時もそう。あの人は自分以外のために、どれだけでも自分を切り売りできる。金枝にしてみれば、それが何だか……」
「自己犠牲、みたいに思えちゃいますか?」
金枝は静かに頷く。
さつきは夕飯の仕込みをしつつ、自分自身も急須のお茶を入れて金枝へと話しかける。
「そうですね……。赤緒さんは確かに、ちょっと自分を軽視するところがあったのは、そうでしょうけれど、でもそれは私もそうなんです。お兄ちゃん……小河原さんにちゃんと救ってもらわなかったら、私はとっくに戦う意味を見失っていたと思います」
「……小河原両兵の妹さんなんですか? 姓が違うようですけれど……」
「……兄のように慕っている、だけなんですけれどね。でもお兄ちゃんはそれでいいって言ってくれたから、私、多分すごく救われたんです。どこにも行き場がなくって、誰とも心の奥底では打ち解けられないまま、私は心を閉ざしていたんだと思います。でも、赤緒さんやお兄ちゃん、それにルイさんたちが居てくれたから、私は前に進めた。トーキョーアンヘルの操主として……今は少しでも役に立ちたいんです」
「……前向きなんですね、川本さんは」
「前向きとかじゃないですよ。……ただ、そう思える自分が、ちょっとずつ好きになれる。それが何だか私にとってはとても大事で……」
「自分を好きに、ですか。……金枝には何も分からないんです。マネージャーが傷つきながらも金枝を逃がしてくれた、その意味がまだよく……分かんないのかもしれません。だって、誰かに大事にされたことなんて……一回もないから」
金枝の事情に関して自分は伝え聞いていない。
しかしそれでもいいと思えていた。
何も、相手の事情を知ることだけが歩み寄りの手段でもない。
「……三宮さんはじゃあ、これからたくさん大事にしてもらえればいいんだと思いますよ?」
「……これから? これからなんて、金枝には……」
「ないなんて誰も言い切れないじゃないですか。三宮さんは大事にされたことがないって仰いますけれど、別に今が絶対じゃないですから。私は三宮さんのこと、何も知らないですけれど、でも昨日、ああして必死になってお兄ちゃんに助けを求めようとしてくれたこと、覚えていますから」
「……それは金枝が弱いから……」
「同じですよ。私も……弱い自分がすごく嫌いでした。でも、それも込みで、最後の最後まで足掻いてみせろって、お兄ちゃんは言ってくれたんです。状況を変えたのは、お兄ちゃんだけじゃない。自分の力でもあるんだって、今はちょっとだけ誇らしいんです」
「……自分の力……」
「三宮さんにも、誇れる何かがあるといいですね」
ちょうど鍋が煮立って来たので火を止めていると、金枝が並び立つ。
「……その、お手伝いをしに来たんです。けれど、金枝は……思えば何もしたことはないなって。でもだからってただ夕飯を待つのも、何だか居心地悪くって……」
「……いいですよ。じゃあ三宮さんはお皿を準備してください。人数分と、それに三宮さんと月代さんはお客さんですから。棚の三段目にある模様のあるお皿を取ってください」
「……お客さん、ですか……?」
「はいっ。お二人のために、今日はみんなで食べられる夕食にしたんです。お口に合うかどうかは分からないですけれど」
「えっ、でもそれは……」
金枝が困惑する。
それも込みでさつきの思った通りの夕飯であった。
「……西日本じゃだしが違うって聞きますので、ここは関西風で。皆さん、あったかくなって欲しいですから」
丼鉢に少しだけ汁を注いでから、丁寧に茹った麺をほぐす。
「――おっ、今日は関西風うどんとは。豪勢ねぇ」
夕食の席についた南に対して、赤緒は白米を取り分ける。
「おかわりならまだありますから。……三宮さんもお腹空いたでしょ?」
「あ、いえ……金枝は……」
「三宮さん、夕飯を手伝ってくださったんですよ? だから、ちょっとだけ本場の味が入っているかもしれません」
さつきの言葉振りに金枝がうろたえる。
「か、川本さん……! 金枝は薬味を盛り付けるのを手伝っただけですから、そんな大仰に言われちゃうと……!」
どうやらいつの間にかさつきと金枝は距離を縮めたらしい。
自分だけではないのだ、と赤緒は少しだけ嬉しくなる。
「私、本場関西のうどんって食べたことないんですよねー。三宮さんは関東風は?」
「……か、金枝は京都から出たのはこの間の修学旅行だけなので……一度も……」
「あ! そういえば立花さん! 勝手にクラス分けまでしちゃうんですから! 三宮さんも困ってましたよ!」
「ふぇっ? そんなことないよねー、三宮」
うどんをすすっている途中だったエルニィが金枝に呼びかける。
金枝は少しだけ肩を震わせた様子だったが、赤緒は懇々と言い聞かせる。
「ああいうことは事前に言ってもらわないと。……私、挙動不審になっちゃいましたよ」
「赤緒が挙動不審なのはいつものことじゃん」
「な――っ! そんなことを言う立花さんには今月のおこづかいはあげませんっ!」
「えーっ! 横暴だぁー!」
「ちょっとー、エルニィ、汁が飛んでる……。あんたももうちょっと行儀よくしなさいよねー」
南はうどんを味わいつつ、肘でエルニィを小突く。
「赤緒。ごはんおかわり。コネ宮も食べるわよね?」
「あっ……まだ金枝……食べてる途中……」
ルイは皆まで聞かず、金枝の茶碗を引っ手繰る。
「コネ宮もおかわりよ」
「もうっ! ルイさんは最後までちゃんと聞いてくださいよぉ! それと、他人の分までおかわりを要求しないでくださいっ!」
そうは返しつつも、赤緒はちゃんと炊飯器から白米をよそう。
「けれどさー、来週でしょ? どうすんのー、修学旅行。ボク、こんなに教職員が大変なんて聞いてないー」
「……自分から先生になったんじゃないですか。立花さんは私たちのクラスの引率で……」
さつきが苦言を呈すると、エルニィはむっとする。
「……先生って大変なんだよー? 名簿の確認だとか、何回も何回も段取りの説明だとか。これなら大学で講義したほうがまだマシだってば」
「自称天才はそう言って楽しんでいるクチでしょうに。……赤緒、私のごはんちょっと少ないわよ」
「人が増えたんですから、我慢もしてくださいよ……」
「にしてもだなぁー……。こうして大人数になるとは想定してねぇンだが」
両兵は全員を見渡してからうどんを勢いよくすする。
「あっ、お兄ちゃん……関西風って大丈夫だった? この間、関東風に限るってシールさんたちと言っていたの聞いたから」
「ああ、おう。実際に食ってみると美味ぇよな。関西風だとか関東風だとか言ってたのが人間がちっさかったって思うぜ」
「……よく言うぜ。こいつ、ブラジルに居た頃には、オレらと言い合いしたんだぜ? 年越しそばが関西風なんてあり得ねぇってな」
「シールちゃんは師匠からの教えで関西風のほうが美味しいって思っていたもんねー。私も関西風を仕込まれたから、結構懐かしい味かも」
「先輩方の味……私も何とかして追いつかないと……」
シールと月子、それに秋がめいめいに感想を漏らす。
両兵はケッと毒づいていた。
「……昔のこと引き合いに出すなよな。それにしても、よくこの味のバランスが出来上がったもんだ。さつき、腕上げたんじゃねぇの?」
「そうかな……旅館だとどっちも作る機会があったかからも。お兄ちゃんの言うように関西風や関東風じゃないとって人も結構居たし……」
「さつきちゃん、こいつのワガママ聞くことはないわよ。充分美味しいし、私が保証してあげるから」
「……黄坂。お前、食えりゃどっちでもいいんじゃねぇの?」
「よく言うわねぇ。私だってうどんに関してで言えば並々ならぬこだわりが……」
「南、よく麺類はスープが命って言ってたけれど、結局南の作るのって味が濃いのよね。しつこいって言うか」
「あっ、ルイー。それは言いっこなしでしょうが!」
箸でルイへと指摘する南に、エルニィは肘打ちを返す。
「箸で人を指さない。南ってば、こういうところでの習慣が出ちゃうんだから、やめてよねー」
「何よぅ。あんただって、ここ一番で私のサポートが要るでしょうが」
「失敬だなぁ。ボクはフォーマルな場での立ち振る舞いはちゃんとしてるもんねー」
「……立花さん、食べながら喋らないでくださいよ。……おかわり要ります?」
「あ、もらうもらうー!」
その時、金枝が箸を置く。
まさか、今までの様子が彼女の逆鱗に触れただろうか――そう思っていると、金枝は必死に笑いを堪えているようであった。
「み、三宮さん……? もしかして私たち、うるさかったかな……? でもいっつもこうだから、つい……」
「ほら、エルニィ。あんたのせいよ」
「南だってそうじゃん。……って言うか、ボクはまだ食事の場では静かだからねー!」
「……お前ら、よく言えるぜ。つーか、お互い様だろうが」
「何ですって!」
「何だって!」
エルニィと南が同時に両兵へと追及するものだから、金枝はぷるぷると震えている。
「……三宮さん? 私たち、やっぱり変……」
「あ、いえ……何だか安心しちゃって……」
微笑みかけた金枝に、トーキョーアンヘル全員で顔を見合わせる。
「安心って……?」
「はい。金枝は……こんな風にたくさんの皆さんと……なかなか食事の席を囲むことも、なかったですから」
「……三宮さん……」
「うるさかったら、全部エルニィと南のせいだかんなー。オレらはテーブルマナーは仕込まれてんだよ」
「花嫁修業の一環でね」
そう付け足すシールと月子に、金枝は自然体で笑う。
「……でも、それにしては皆さん、結構うるさかったですけれど」
「何だとぉ……!」
「シールちゃん! 抑えて抑えて! 最近、メンテナンス続きだから気が立っちゃって……!」
「せ、先輩方……。丼がこぼれちゃいますよ……」
秋が必死に留めるのがより可笑しいのか、金枝は笑い声を上げる。
「……何ですか、それ……。本当……皆さんって変なんですね……」
「……メシ時につらそうな顔をしてンじゃねぇのかってちょっと心配したもんだが、よかったじゃねぇか。そうやって笑えりゃあよ」
「あっ……金枝……。す、すいません! 別に皆さんを笑い者にする気は……!」
釈明する金枝に、エルニィが肘打ちする。
「いや、大成功だったんじゃない? 三宮にはこれから先、柊神社にしばらくは居てもらうんだし。初日にしては上々でしょ」
「まぁね。三宮さん、ここを家だと思ってくれていいのよ? 柊神社はトーキョーアンヘルのメンツにとってみれば、帰るべき場所なんだから」