レイカル 67 レイカルと花めく季節に

「創主様っ! まだこれを食べちゃ駄目なんですか?」

 抱えていた重箱の蓋の上でごろごろするレイカルを視野に入れて作木は困り果てる。

「まだみたいだね……。高杉先生もそろそろ合流してくる頃合いだって言うんだけれど……」

「なに? 寝過ごしてしまって車を出すのに時間がかかる? ……ああ、分かったよ。別に大学職員と言うのを軽んじているわけじゃない。分かってるってば。何度も通話口でデカい声を出さないでくれ。ただ……こっちには作木君とレイカルたちだけなんだ。俺の店でヒヒイロが最後まで荷物を見張ってくれているはずだから、それを預かって……ああ、うん。分かってるよ」

 がちゃん、と公衆電話の受話器を置いた削里が嘆息をついたので作木は尋ねる。

「その……上手くいきそうですか?」

「それがだね……。ヒミコは今しがた起きたばっかりだから、俺の店に集合してくれている編森さんたちを乗せて来るのには時間がかかるんだと。悪いね、朝早くから呼びつけたのはこっちだって言うのに」

「……僕が言うのも何ですけれど、削里さん、携帯電話って持たないんですか?」

「携帯? 俺は君たちみたいに毎月お金を払ってまで拘束されるのは好まなくってね。それに、ほら。東京なら公衆電話もその辺にあるだろ? 店なら固定電話もあるし」

 削里の店には古式ゆかしい黒電話が置かれていたことを思い出す。

 とことんまでアンティーク趣味なのと、本心から携帯電話などの近代的な代物が必要ないと思っているのだろう。

「……ですかねぇ。けれど、高杉先生が遅れるってなると、おとぎさんたちも……」

「だろうなぁ。ヒミコの車に乗って全員集合って言ったもんだから、完全に任せたのが仇となったな。まぁ、俺と君の二人だけってわけじゃないだろうし。伽は電車で来るってことだし、今回は交通費をケチろうとした連中が割を食ったってわけだ」

「……小夜さんたちもお店で待機しているはずですよね?」

「そうだと聞いているよ。今回の場所がちょっと特殊なのもあるからね。しかし……ここ数日は寒暖差も激しい。弁当が駄目になってしまわないようにしないとな」

 巾着に包まれた重箱は朝一番にそれなりの高級店で買い付けた一流品だ。

 だからなのか、レイカルは弁当にしがみついて離れない。

「創主様ぁー。まだ食べちゃ駄目なんですか?」

「駄目だってば。お腹が空いたのは分かるけれど……これはみんなで食べるんだからね」

「あの……作木さん。私は別に大丈夫なんですけれど……」

 パーカーに入っているのはウリカルで何度も自分の足で歩もうとするが、作木は制する。

「いや、さすがに人も多いし……レイカル一人なら誤魔化せても二人ってなると目立つから」

 本当ならばレイカルも鞄の中に隠しておきたかったのだが、高級弁当の匂いにつられて出て来てしまうので仕方ない措置であった。

「とは言え、だ。桜の花見では一番に大事な役目を背負っているわけだから、俺たちもふらついてはいられないんだよな。作木君、ブルーシートを広げるのを手伝ってくれ」

「あ、はい……。それにしても、多いですね……」

 わいわいと混み合っている花見会場を見渡す。

 都内では結構な名所であり、口コミも高かったために今年の花見はここだと決めたのだったが、作木にしてみれば少しだけ肩身が狭い。

「……苦手かい? こういう場は」

 見透かしたようなことを削里が言うので、作木は愛想笑いを浮かべる。

「……ここんところ、ずっと部屋の作業が多かったですから。人酔いしちゃうって言うんですかね。よくないとは思うんですけれど」

「大学生はただでさえ春休みが長いだろうからね。だからこそ、こうして呑気に平日の昼間から花見としゃれ込めたわけだが」

 今年は日々のダウンオリハルコン退治の懇親会も兼ねている――と小夜から伝え聞いていたが、それにしたところでここまで人気の多い花見となると作木は気後れしてしまう。

「まぁ、小夜さんたちもここ一番で騒ぎたいのは本音だったって言うか……。あっ、メッセージ来てますね」

 携帯の画面に小夜からのメッセージが連投されてくる。

〈作木君、どうやら高杉先生のせいで私たちは遅れそうだから、さっさと削里さんと始めちゃっていいわよ。ナナ子とカリクムたちには了承済みだから〉

 そのメッセージにあたふたと作木は返答する。

〈でも……みんなが集まらないと……〉

 優柔不断な言葉を返すと、すぐさまマスコットキャラクターによる「いいから!」と急かすスタンプが飛んでくる。

〈私たちも今日は珍しく行き帰りをサボろうとしたツケなんだし。それに、作木君と削里さんってあんまり喋らないでしょう? 男同士、積もる話もあるんじゃないの?〉

 そんなものはないのでは、と返答しかけて削里がじっとこちらを眺めていることに気づく。

「……ど、どうしました……?」

「いや、作木君。そっちを押さえてもらえないと風で飛んでしまうんだ」

「あっ……! す、すいません……! メッセージに夢中で……」

「いや、いいさ。君らの間で流行ってるんだろ? SNS……で合ってるんだったか。ソーシャルネット……なんたら。俺にはとんと縁がないもんで、どうにも馴染まない話ではあるんだがね」

「……削里さんが携帯を持たないのはそういう理由もあるんですか?」

「どうかな。ただ単に縛られたくないって言う我儘だよ。それにね、あれって買うと二年くらいずっとまぁまぁの高額を払わないとだろう? いつも使うとは限らないものに毎月金を惜しまないってのは、正直現代人の価値観だな」

 よっ、とブルーシートの四隅を留めていく削里に、作木は先刻小夜から促されたことを思い返す。

「……男同士……」

「うん? どうかしたかい?」

「い、いえ……っ。その、削里さんはでも、ほとんどお店ですよね? 通年……」

「まぁね。資材を買い付けた時くらいか、里に降りて来るってのは。俺だって何も仙人ってわけでもない。たまには俗世間に降りて来ないとって時はあるさ」

「……その、自転車で……?」

「自転車が一番能率もいい。タイヤが駄目にならない限りは自分のスタミナだけだからね。車だとかバイクだとかはこう……複雑でいけないな」

 削里が不格好にバイクのハンドルを握る真似をするので、小夜がよく言う「浮世離れした」という印象が強くなってしまう。

 そう言えば、小夜たちのイベントで店に行くことはあっても、削里を純粋に訪ねてというのはなかなかない。

 大抵、ヒヒイロやその他の理由がついてのことが多いので、こうして唐突に二人っきりになると何を話していいのか分からなくなってしまうのだ。

「削里さんは……その……ご趣味は……?」

「何だい、その問いかけは。まるでお見合いだな」

 言われてしまえばあまりにも迂闊な言葉であったと恥じ入る。

 しかし、小夜たちが合流してくるまで削里と膝を突き合わせて喋ると言うのはそうそうない機会でもある。

「……その、案外喋らないなって、僕も思ったので。レイカルたちは……」

 レイカルは重箱にしがみついてよだれを垂らしている。

「……創主様。割佐美雷やカリクムを待つことはないのでは?」

「……まぁ、とりあえずお弁当にはしようか」

 弁当箱を開くと、普段はなかなかありつけない高級食材の数々に作木は気圧されてしまう。

「これは……! 創主様、大変です! こんなに豪華なのはお目にかかれません!」

「うん、それは本当なんだけれど……ちょっとへこむかな……」

 確かに普段のレイカルには自分の節制に次ぐ節制生活を見せているので高級食材が詰め込まれている弁当と言うだけで興味が引かれるのだろう。

「ウリカル! お前も降りて来い! この金ぴかは何ですか……!」

「あっ、数の子だね。すごいなぁ……僕も何年も食べてないよ」

「ではまずは創主様から! ウリカルも!」

「えっと……いいんですかね? 作木さん」

「まぁ、小夜さんが弁当は開けていいって言っていたし。ウリカルもお腹空いたんじゃ? レイカルがこの調子だし」

「創主様! これは何ですか! 黒く輝いています……!」

「わっ……本当に……! 何なんですか? 作木さんっ!」

 ウリカルの言葉尻もどこか楽しそうである。

「これは……黒豆だね。僕も十年くらい食べてないかな……」

「では創主様から! いいよな? ウリカルっ!」

「はいっ! 作木さんがまず代表して!」

 うずうずしているのは目に見えて明らかで、創主である自分が食べないとありつけないのだと二人とも本能的に察しているらしい。

 一応、削里へと目線を振ると彼は何でもないように詰め将棋の文庫本を取り出して読書している。

「うん? ああ、どうぞ。俺は全員ついてからありつこうかな」

 もしかして無理をさせているのだろうか、と作木は勘繰ってしまう。

「……レイカル。ウリカルも。まずは削里さんに食べてもらうのはどうかな……?」

「俺に? 気を遣わないでいいさ。お腹空いてるんだろ?」

「それは……まぁその通りなんですが……」

「じゃあ若者が先に食べたほうがいい」

 それっきり詰め将棋の本に夢中の削里に、何だか遠慮してしまうところがあったのも事実だ。

 重い沈黙が降り立ち、耐え切れなくなって作木はすくっと立ち上がる。

「……ちょっと、お手洗いに……」

「そっちの桜の木を挟んで向こうだよ。迷わないようにしたほうがいい」

 本から目線を上げずに片手を振った削里に、作木はレイカルとウリカルを引き連れて早足で桜の木の反対側に向かう。

「創主様? お腹痛いんですか?」

 心配して顔を仰ぎ見るレイカルに、いや……、と作木当惑する。

「……その、レイカル。ウリカルも。普段の削里さんはどんなことを喋ってるのかな……? ほら、僕はあんまり店には行かないから……」

 ここでレイカルとウリカルに妙案を借りようと言うのは少しズルい気がしたが、とてもではないが小夜たちが合流するまで時間が持ちそうにない。

「どんなことを……と言われましても……」

 レイカルがウリカルに目線を振る。

 ウリカルも困り果てたように首をひねっていた。

「……その、師匠の創主様……なんですよね? えっと……普段は確か……」

「待った、はよく言ってるよな?」

「あっ、そうそう。待ったはよく言っていますね」

「……それってヒヒイロとの将棋だろう? 僕は正直……将棋は全然したことはなくって……」

「でも将棋以外で喋ってるか?」

「いえ……私は師匠にお世話になってはいますが……それは勉強中の話なので……。すいません、削里さんのこと、よくよく考えると全然知らないかもです……」

 正直なウリカルに対し、レイカルは少しでも小気味いいエピソードをひねり出そうとしているようで頭を悩ませている。

「そもそもあいつ……全然喋りませんからね……。ヒヒイロに対して何か言ってるのは知ってるんですが、私たちにはほとんど何も言いませんので……」

「……つまり、削里さんに関してで言えば将棋以外の背景が全然分からないわけか……」

 思えばそこまで不明瞭な人物をここまで信用している自分たちも自分たちなのだろう。

 だが、ここで下手に話題を搾り出そうとしても作木は普段は小夜たちとは言葉を交わすものの、元々の気性が口下手なのだ。

 それなのに削里と真正面から向かい合って何を話せると言うのだろう。

 悩みに悩み抜いていると、風が吹いて桜の花弁が舞い上がる。

「あっ、これ……! ぺっぺっ!」

 レイカルの髪に絡みつき、桜の花びらが顔に纏いつく。

「あわわっ! レイカルさん、大丈夫ですか! ……それにしても、お花見って不思議ですね」

 ウリカルはそう言えば花見の席は初めてだったか、と作木は問い返す。

「えっと……ウリカルは苦手じゃないんだ?」

「苦手と言うか……びっくりです。こんなに人が集まって……みんな桜を見ているんですよね?」

 好奇心旺盛な瞳で周囲を見渡すウリカルにはまだ人ごみが苦手と言う感情さえもないようで作木は尋ね返す。

「……そういう点でもよかったかもね。ほら、僕の家に居たんじゃ、お花見って縁がないって言うか」

「いえっ! 作木さんたちにはいつも驚かされるって言うか……私の知らないことってたくさんあるんですね……メモメモ」

 ウリカルが手を翳すと彼女のアーマーハウルであるバロンイーグルが背中に抱えていたメモ帳と万年筆を与える。

「あっ、ウリカルは自分のアーマーハウルはすぐに呼び出せるんだ?」

「はいっ。師匠がいつでも勉強だと言ってくださっていたので、バロンイーグルには私のメモ帳と師匠からもらった万年筆を抱えてもらっていて……」

「いいなー、ウリカルは。ナイトイーグルはまだ私の言うことを完全には聞いてくれないんだぞ?」

 オリハルコンとアーマーハウルの在り方も千差万別ということなのだろう。

 ウリカルが達筆で感じたことを書き留める一方で、レイカルは桜の花びらに翻弄されている。

「創主様ぁ……っ! 花びらが全然取れないですー!」

「ああ、待って待って。そんなに暴れると髪に絡んじゃうよ……」

 と、そこで作木は桜の花弁を手に取って眺める。

「これって……ウリカル。ちょっと万年筆、借りていいかい?」

「はい? どうしたんです、作木さん」

「いや、その……ちょっと僕なりに、向かい合い方って言うのかな。それを思いついたって言うか」

 ――作木がなかなか帰ってこないところを見るに、大方退屈させてしまったのだろうと削里は考えていた。

「……まぁ、そうじゃなくっても若者とは波長が合わなくなっているよな」

 別段、老け込んだつもりもないのだが、普段から一人行動が多い自分と作木とでは少し異なるに違いない。

 彼を中心として自ずと人は集まっていくが、自分はまるで正反対だ。

 とは言え、別に今さら孤独を飼い馴らすことに慣れていないわけでもない。

 何度目か詰め将棋を頭の中で解いていると、不意に戻ってきた作木が視野に入る。

「ああ、作木君。遅かったじゃないか。弁当には手をつけていないから、早く食べるといい。新鮮な食材も多いだろうし」

「……それなんですが、削里さん。ちょっと一局指しませんか?」

 その言葉にようやく削里は本から視線を上げる。

「……おいおい、俺はいくらなんでも君に……そこまで気を遣わせたつもりは……」

「いえ、その……。僕が指したいんです」

「……だがここには将棋盤がないぞ?」

「それなら。ウリカルが達筆でしたので、きっと代わりにはなると思います」

 桜の花弁に記されていたのは将棋の駒の名前だ。ちょうど対局できる数が揃えられたそれらを作木は弁当の蓋を将棋盤に見立てて差し出す。

「……驚いたな。ウリカル、将棋の駒の名前なんて覚えていたのか?」

「いつも師匠と打っていらっしゃいますので……。えへへっ、記憶には自信があるんですっ」

 微笑んだウリカルに背中を押されたように、作木は向かい合う。

「……作木君。無茶することはないんだが……」

「いえ、その……僕らって造形とオリハルコン以外に共通言語がなかったって言うか……僕なりのちょっとした我儘なんです、これは」

 頬を掻く作木に、なるほど、と削里は笑みを浮かべる。

 ――老け込んだつもりになって誰かを遠ざけたのは自分も同じか。

 胸中にひとりごちて、詰め将棋の本を置く。

「……悪かったよ。喋り辛かったんだろう? 作木君」

「……まぁ、正直言えばそれもあるんですけれど。でも、僕も男同士、何かできることがあればって」

 ある意味では、彼も一端の創主としてオリハルコンとできることを模索し続けているのだろう。

 その道中にあったのが、自分と一局指すことであるのならば、その意思を尊重しないわけにはいかない。

 何よりも――彼なりの勇気なのだ、これは。

「……分かった。言っておくが、俺は初心者に負けるほど歯ごたえがないとは思わないでくれよ」

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です