JINKI 301-20 望む結末のために

 無数のディスプレイと向かい合う少年はジュリから教えられた限りでは、彼こそがキョムの頭脳なのだと伝えられていたがにわかには信じられない。

 それでもアンナにしてみれば、キリビトの装甲を纏った《モリビト礫号》を完璧にしてもらわなければ困る。

「坊ちゃん。こうしてキリビトの外装と《モリビト天号》の拿捕。どれもこれも、特一級の功績だと思うわよ」

「確かに。八将陣ジュリ。君には監視だけを頼んだはずだったが、よくやってくれた」

 一ミリも感情の表層には浮かべていないような論調にジュリは鼻を鳴らす。

「……褒められたくってしたわけじゃないわよ。こっちに来なさい」

 ジュリに手を引かれ、アンナは天地が逆さまになったシャンデリアの内部へと足を進める。

「……衛星軌道上に、こんな遺跡めいたものが」

「意外だったでしょう? 世界を見渡す万能の鍵であるシャンデリアの中身にしては」

「いえ……。これは、グリム協会の者たちが遺した遺物なのですね」

「あら、分かるのね。やっぱり」

 記憶の奥底に残響めいたものはある。

 それもこれも、元々はドクターオーバーの生み出した人形の一つであることが起因しているのだろう。

「私は……ただの人形。ただ敵を滅ぼすことにだけ長けた、模造品」

「そう思い切るものでもないわよ。そういえば、名前は月代アンナ、でいいのよね?」

「……まだその名前を捨てる気になれないだけです」

「それは今も《モリビト礫号》の修繕を急がせていることに影響しているのかしら?」

 ジュリは聡い。

 分かっていて聞いているのだと、アンナは眼鏡越しの瞳を伏せる。

「……《モリビト天号》は今日まで私と金枝と共にあった機体。それで世界を塗り替えるのに、過去は清算しなければならない」

「たとえそれが対立であっても、ね。あなた、やっぱり可愛いわ」

 振り返ったジュリが身を引き寄せる。

 熱い吐息が漏れ、アンナは思わず声を発する。

「……私は……ただの人形です」

「人形を愛でてはいけない決まりはないでしょう? あなたは可愛い可愛い、私だけのマリオネット。そして、醜く麗しい厄災の乙女」

「……自分の力を持て余しているだけです……っ」

 ジュリの蛇のような指先がスーツで固めた理性の内側へと滑り込む。

「あなたの心を知りたいわ。どんな風に武装したって、鋼鉄の中には剥き出しの女が居るものよ」

「……私に、心なんて……兵器に心情は不要でしょう……んっ」

 艶めいた息と脈打つ鼓動。

 ジュリの声が、視線が、指が、自分と言う名の檻を解きほぐしていく。

 解けた糸の内側にジュリは入り込み、穢れた指と唇で消えない痕を残す。

 感じる熱と、そして女でしかない自己。

 煽情的で情熱的な手つき。

「……アンナ。あなたはどんな結末を望んでいるの?」

 沸騰する脳内で、ジュリのその言葉だけが妙に醒めて刻まれていた。

「――マネージャーを取り戻させてください」

 自分たちに頭を下げた金枝に、赤緒は困惑する。

 エルニィもその難しさは分かっているようで、渋面を突き合わせる。

「……あっちからキョムに寝返ったんだ。それを加味して、言ってるんだよね?」

「立花さん……! それはあまりにも……っ!」

「いや、赤緒。これは言っておかないといけないよ。ボクらは全力で《キリビト・レキ》を打倒した。正直、あの段階までなら作戦は成功だったんだ。だって言うのに、《モリビト天号》に乗り込んだ月代アンナ一人のせいで、戦場は移り変わっている。決着がつかなかったのは、彼女のせいでもあるんだ。それを三宮は……あくまでも?」

「……あくまでも、です。どんな結末になっても、金枝はマネージャーを裏切りたくないんです」

 嘆息を漏らし、エルニィは南へと視線を振る。

「……三宮さん。京都支部の支部長は捕縛し、金剛グループはデータさえも残さずに逃亡した。けれど、キリビトは倒され、私たちの目的は終わったはずなの。……その結末じゃ満足できない、そうなのね?」

 金枝は頷き、再三頭を下げる。

「……こんな結末……代償ありきの終わりなんて、金枝もマネージャーも望んではいません。お願いします。……金枝は他に……何も要りません」

「三宮さん……。立花さん、何とかなりませんか?」

「……うーん。ボクにしてみても何とかしたいのはやまやまなんだけれど、今の戦力で再び、キリビトタイプと……もう《モリビト礫号》か。あれと再戦して勝てる試算は、正直低い。これまでの戦術が通用しないかもしれないんだ。キョムが手を加えれば、京都支部と金剛グループよりも強大な敵となるかもしれない」

「……それでも、三宮さんはここまでしてくれました。今朝の戦いでも三宮さんなしじゃ勝てなかったんです。……お願いします。私からも……」

 隣で頭を下げた自分に金枝は瞠目してこちらの肩を掴む。

「な、何してるんですか……! これは金枝だけの問題で……柊さんが頭を下げることなんて……」

「ううん、私にも背負わせて。……三宮さんはもう、私にとっては友達なんです。立花さん、お願いします……っ!」

「柊さん……」

「あー、もうっ! 二人ともワガママなんだからなー! ……これじゃ断ったほうが悪者みたいじゃん! ……シール、ツッキー。用意はしておいてくれたよね?」

「もちろんだぜ。《モリビト礫号》に関してだが、《キリビト・レキ》からダウングレードしている可能性が高い。Rフィールド装甲を持たず、それでいて短期間で修繕するとなれば……その方向性は……」

「恐らくは火力特化だと思う。その場合のプランは大きく見積もって二つ。キリビトとの適合率の低い《モリビト天号》をベースにするのなら、外装にリバウンド兵装は使わず、実弾で固める可能性が高いよ。リバウンドの雷撃が来ないのなら、私たちの残存戦力でも拮抗はできると思う」

 シールと月子はこの場合にも備えて筐体で想定戦力を弾き出していたのだ。

 エルニィは《モリビト天号》が寝返った時点でどのような敵がやって来るかを予期していたのだろう。

「……要は、私たちだってただただやられるばっかりじゃないってことよ。赤緒さんに三宮さん。二人とも顔を上げて。私たちトーキョーアンヘルは、みんなで勝ちに行くのよ」

 南の声に赤緒は顔を上げるが、金枝は面を上げられないようであった。

 当然だ。泣き顔を見られるのがこれほど辛いこともない。

「……ありがとう……ございます……っ」

「泣きじゃくるのには早ぇぞ、三宮。相手が来るのは恐らくは夜までの間。その僅かな間にオレらは戦力を整えなきゃならねぇ。突貫工事だ。できるンだろうな? メカニック」

「当然だろ! オレらはいつだって、操主を万全にしてやるのが仕事なんだからな! 月子! 秋! 飛ばしていくぜ!」

「うん! みんなはそれまで準備を整えておいて! トーキョーアンヘルの底力、見せてあげよう!」

「せ、先輩方……そのことなんですが、舞鶴の《ビッグナナツー》から入電。お師匠様からです。“ちゃんと仕事しないと承知しないよ”とのことです」

「げっ……! ちぇっ。せっかく調子が出てきたってのに、何だかやる気なくなっちまうよ……」

「シールちゃんってば、分かりやすいんだから。心配しないで、赤緒さん。それに三宮さんも。いつだって! トーキョーアンヘルのメカニックは完璧なんだからね!」

 ウインクする月子に赤緒は安堵して金枝の肩を叩く。

「三宮さん。みんなが戦ってくれる。だから、もう一人じゃ……」

 最後まで言い切る前に金枝は自分の手を振り切ってテントの外へと出ていく。

 追うか迷っていると両兵が声にする。

「……追えよ、柊。お前にはその資格がある」

「……じゃあ……小河原さんはいいんですか?」

「あいつのしたいようにさせてみろ。……案外、お前らに負けじと頑固な奴だ。もしかしたら思わぬところで勝因になるかもしれねぇ」

「……行きますね」

 全員分の視線の承認を得て赤緒はテントから飛び出し、《モリビト燦号》の整備タラップで座り込む金枝を発見する。

「……三宮さん。足、速いんだね」

「……逃げ出すのだけが上手なんだって言ってるんですか」

「……そんなつもりはないよ。あのさ、マキちゃんと泉ちゃんから聞いたんだけれど、もう一日。修学旅行は延長してくれるみたい。旅館も無事だったって。……三宮さんのお陰だよ」

「……大層なことをしたつもりはありません。どれもこれも……アンヘルの皆さんにお世話になりっ放しで……」

「うん。そう思えるんなら、三宮さんもちゃんと、みんなと仲良くなれると思う。私、すごく時間がかかっちゃったと思ってるんだ。ルイさんとも、立花さんとも、さつきちゃんやヴァネットさんとも。……もっと早く、もっと器用に仲良くなる方法があったんじゃないかって。けれど、そんな近道なんてない。今ならばハッキリとそう言える」

 誰かと絆を育むのに近道なんて決してない。

 思いっ切り時間をかけて、思いっ切りお互いに自己嫌悪してからでも遅くはないはずなのだ。

 時には仲違いもあるだろう。

 時には気持ちが伝わりにくいこともあるだろう。

 それでも、諦めてはいけないはず。

 誰かと対話することに、歩み寄ることに。

「……柊さん。金枝はワガママですかね……」

 金枝は顔を伏せ、表情を見せないままに尋ねてくる。

「……うん。私と同じ」

「……同じ……?」

「私もよく、ワガママだって言われるから。でも、ワガママでちょうどいいじゃない。何だって、手に入れたいものも手に入れなくっちゃいけないことも。全部諦めないで前に進むのならワガママくらいでいいんだよ」

「……柊さん。金枝はちゃんとできているんでしょうか。皆さんにワガママだけ言って……何もできていないんじゃ……」

「そんなことないよ。三宮さんが居たから、マキちゃんと泉ちゃんは助かった。クラスメイトに怪我をした人なんて一人も居ない。三宮さんの力だよ」

「……金枝の……。あの、その……今さらで申し訳ないんですが、お願いを聞いてもらえますか」

 どうしてなのだか困惑し切ったような声を出すので、赤緒は首を傾げる。

「うん……? どうかしたの?」

「……その、柊さんって呼びにくいので、名前で呼んでもいいですかね……。マキさんや泉さんは、名前なので。も、もちろん……金枝のことも名前で呼んでいいんです……から」

 紅潮した頬を掻いて、金枝は呟く。

 赤緒はそんな横顔が愛おしくなって、肩を引き寄せる。

「……うん。よろしくね、金枝ちゃん……っ!」

「……は、恥ずかしいですよぉ……やっぱり、まだ苗字のままで……」

「駄目っ! もう金枝ちゃんの言質取ったもん! 私のことも名前で呼んで!」

「……うぅ~……っ。何だか赤緒さんには……ずっとペースを掴まれっ放しです……」

 ようやく呼んでくれた、と嬉しくなった赤緒は金枝へと微笑みかける。

「……これからだよっ。もっと仲良くなろっ! ……そのために、勝たないとね。戦いを……!」

「……はい。それは、金枝も尽力します。マネージャーを、絶対に取り戻すために……!」

 山々が黎明の光を湛えて輝く。

 決戦は今宵――それを確信して赤緒は拳を握り締める。

「……絶対に、勝つんだ……!」

「――南さぁ。そんな距離で何やってんのさ」

 人機の整備を進めるエルニィに声をかけられ、南は目線を振る。

「……私? 私は別に……」

「ウソ。南ってさ、三宮に対していい人で居ようとし過ぎじゃない? そりゃー、嫌われるのは嫌だし、三宮の境遇には同情の余地もある。けれどさ、南のそのスタンス、傷つくのを怖がっているようにしか見えないよ」

 いつの間にかエルニィの瞳にはそのように映ってしまっていたのか。

 これでは後ろから見守る責任者失格だな、と南は後頭部を掻く。

「あんたには敵わないわねぇ。……本音を言うとね。三宮さんはここで私たちと一緒に来るのが正しいのかどうか、まだ分かんないのよ。それこそ、ご実家のこともある。京都に一度帰って来たのならば、ちゃんと筋を通さないといけないこともね。……けれど、今はいいのかなってちょっと思ってる。これってズルよね。三宮さんの問題は先延ばしにできないって言うのに」

「加えて、当のマネージャーも敵になったんだ。……話で聞いた限りじゃ確かに三宮は大変だよ。だけれどさ、誰かがその壁を打ち破らないといけないんだと思う。その点、赤緒はよくやってくれると思ってる。普通にしてくれ、なんてボクらの注文にちゃんと応じてくれてるんだもん。できないよ、ボクじゃそんなの」

 普通にしてくれ、か。南は回顧する。

 金枝の事情を聞かされ、一方的に彼女を遠ざけていたのは自分のほうかもしれない。

 赤緒は何も知らないまま、金枝の心の扉をきちんと開けたのだ。

 赤緒なりの、がむしゃらで愚直でも真正面な方法で。

 ならば、自分には何ができると言うのだろう。

 両兵は下操主として金枝に向き合える。

 赤緒は友人として金枝と向き合えている。

 自分は、ただただ賢しいだけの大人としてでしか金枝を救えないのではないか――そんな思いが、一歩引いた目線になってしまっている原因だろう。

「……私ね。もっといい加減な大人だと思ってたのよ。けれど、あんたたちに向き合ってきて、その上でトーキョーアンヘルの責任者をそれなりにやってきて。何だかね、三宮さんの事情に尻込みしちゃってるのかも。……怖いのよね、私もまた」

「けれど、赤緒は怖い以上のところを踏み越えたんだし。南は最初に三宮を見初めたんだ。そういう大人にしかできないことってあると思うよ」

「何よ。あんたも言うようになったわよねぇ」

「……本当、正直なところさ。ボクも南の苦労が分かってきたのかも。でも、何だかそれも嫌だなぁって。自分なりの抵抗って言うのかな。何でもかんでも分かった風になるってのは考え物だよ」

「分かった風に、ね……」

 金枝に必要なのは理解者だ。

 しかし、当の自分がその身分に収まるかと言えばそれも困難なのは分かっている。

 アンナがその役割を担ってくれていた。金枝はこの世で唯一の理解者から切っ先を向けられている。

 そんな状況で、ならば今度は自分ならば決して裏切らないなど言えるのだろうか。

 余裕ぶった大人の台詞だ、そんなもの。

 何度もぶつかって、足を取られて、そして不格好でも前に進んできた「黄坂南」の言葉か、それが。

「……エルニィ。ちょっと頼んだわ」

「任せてー。長くなっても大丈夫だよ」

 レンチを片手に振り返らずに応じてくれるのが今はありがたい。

 南は《モリビト燦号》の真正面で、どこか呆けたようにして時を待つ金枝を見据える。

「……三宮さん」

「あっ、南さん……。すいません、無茶なことを言ってしまって……」

「いいのよ、それは。みんな分かってくれてるんだし」

 重い沈黙が流れる。

 いつものお調子者な自分なら、こういう時に気の利いた一言くらい吐けるのに、自分自身の責任となると口が重くなる。

 我ながら情けないと思っていると、金枝が先に口を開いていた。

「……南さん。金枝は、操主になれてよかったと思っています」

「三宮さん……。私はね、本当はもっと早く、もっとちゃんと見てあげられればよかった。それなら、京都支部の暗躍にも気づけただろうし、こんな後々でサポートする形にはならなかったと思う」

 口からついて出るのは懺悔の言葉ばかり。

 違うはずだ。

 自分が本当に言いたいのは、金枝に本当に伝えたいのは、こんな言い訳めいた言葉では、決してない。

「……いえ、それは仕方のないことだったんだと思います。金枝も、もっと早くに助けを求められればよかったんですが、結局できなかった。マネージャーは、金枝が前にも後ろにも進めなくなる前に、東京に行こうって言ってくれたんです。……このままじゃきっと、自分も金枝も後悔するって。その言葉の意味が、今なら分かる気がするんです。マネージャーは、自分自身のことも重ねてくれていたんだと」

「……三宮さん。ごめんね、私……ズルいだけの大人だわ。三宮さんを人機操主に推薦しておいて、ここ一番の時にあなたの傍に居られなかった」

「いいえ。南さんは、金枝にきっかけをくれた人なんです。だから、卑下しないでください。金枝は……とっくの昔に、救われるきっかけがあったんですから」

《モリビト燦号》を仰ぎ見る金枝の双眸に、最早迷いはない。

 操主であることも、特別な力を有することへの躊躇いも捨て去っていた。

 こんな瞳をする少女たちに自分の人生は囲まれてきたのだと実感する。

 青葉もそうだった。

 決意して、どれだけ辛くとも前に進んだ。

 そんな風に何もかもを背負い込むような性質ではなかっただろうに、強く強く、悲しみを振り払って遠い異国の地で。

 自分の愛した人機との離別の瞬間でさえ、青葉は強くあろうとした。

 寂しさを自分たちに翳らせないように。

 未来だけを信じた真っ直ぐな瞳で――。

「……私はね、これからちょっとアンヘルの責任者とは言えないことを言うわ」

「……南さん?」

「正直なところ、自分自身の至らなさに腹が立つ。もっと器用なら、もっとちゃんとできる大人ならよかったのにって。……三宮さんと同じように、覚悟して人機に乗っているのはみんな同じ。赤緒さんも、誰も彼も。私はそんな彼女らに、無事に帰って来いという無責任な言葉しか吐けない。……どうしようもないのよ、もう私はね。けれど、覚えておいて欲しい。三宮さんと同じ視点で戦ってくれる人たちがいる。同じように悲しんで、同じように怒って……同じように笑って……」

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