JINKI 301-21 帰るべき場所へと

「あ、うん……。何とか、かな」

 エルニィには東京帰還と同時に少しの間、病院での診察を要請されていたがあと一日分ほどの猶予はある。

 元々、二泊三日だった京都旅行。

 外に出られなかった分、せめて元を取ろうとマキは泉とのトランプの傍ら、スケッチをしていたようである。

「……マキちゃん、それ」

「あ、うん。旅行の間くらいは漫画のことも忘れようと思ったんだけれど、娯楽がなくっちゃしょうがないよ。ちょっと窓の外をスケッチしてみたんだ」

 京都タワーに、並び立つ景観。

 自由はなかったが、それでも彼女にとっては得難い経験であったのだろう。

 スケッチブックを見ていると、不意に赤緒は自画像に行き当って驚愕する。

「ま、マキちゃん……! これ、私……!」

「あー、それ? いや、だって暇なんだもん。そらで描けるものなんて友達の顔くらいなもんだし」

 それにしては、きっちりと笑顔で克明に描かれている。

 スケッチブックにはいくつかの習作もあり、その中にあったのは――。

「……金枝ちゃんの、スケッチもあるんだ……」

「うん? 赤緒って三宮さんのこと、名前呼びだっけ?」

 あっ、と慌てて口元を噤んだのも一瞬。

 マキと泉は興味深そうにずいっと近づいてくる。

「まぁまぁ。赤緒さん、三宮さんと進展が?」

「気になるなぁ……赤緒! 赤緒だけずるいー! 私だって三宮さんと仲良くなりたいんだからね!」

「……だ、そうだよ? 金枝ちゃん」

「……大きな声で何を言ってるんですか。恥ずかしいですよ」

 部屋に入らず、わざと入り口で待っていたのも金枝らしい。

 紅潮した頬を掻いた金枝へとマキが尋ねる。

「じゃあさ……私も名前で呼んでいい?」

「……お好きにどうぞ」

「じゃあ……えへへっ! 金枝!」

 呼び捨てにされるとは思っていなかったのか、恥じらいを抱えつつも金枝は言い返す。

「……いきなり呼び捨てとか……やっぱりなし! 金枝は三宮です!」

「なし禁止ー! もう言質取ったもんねー」

「な……っ! じゃあ禁止の禁止っ! 三宮です!」

「じゃあ禁止の禁止の禁止ーっ!」

 らちが明かないと感じたのか、金枝は戸惑ってこちらへと決定権を乞うように視線を寄越す。

「……金枝ちゃん。私が呼んでいいんだもん。同じ親友であるマキちゃんと泉ちゃんも、いいよね?」

「……赤緒さんがそう言うのなら……。けれど! ……恥ずかしいので、びっくりしない程度に」

 ごにょごにょと濁す金枝へとマキは勢いよく抱き着く。

「金枝ーっ! 明日は自由行動だし、金枝の好きなところに行こう! 京都のこと、よく知ってるんでしょ?」

「……そ、それは……。金枝も外のことはよく分からなくってですね……」

「えーっ! 京都人ってみんな京都タワー上ったことあるんじゃないの?」

「そ、それは誤解です……! 東京人だって東京タワーにみんな上ったことがあるわけじゃないでしょう」

「じゃあ、何も知んないんだ。なら、ちょうどよかった!」

「金枝さん。マキちゃんと二人で、赤緒さんと金枝さんが帰って来た時に、京都をより楽しむために地図を作っておいたのですよ」

「えっ、本当? わっ、本当だ……! 見どころとかすごく丁寧に作ってある……!」

「えっへん! これでもマンガ描き! イラスト地図ならお任せあれっ!」

 胸を張るマキに、赤緒は金枝と共に地図を見やる。

「……本当に細かく描いてありますね……。ヒマだったんですか?」

「金枝ちゃん! 二人とも私たちのために作ってくれたんだから……!」

「まぁ、暇だったのは否定しないけれどねー。どこにも出ちゃ駄目って言うんだから、地図と睨めっこばっかり! これじゃ下手な京都人よりも詳しいかも?」

 そうマキが言うと金枝はどうしてなのだか対抗心を燃やす。

「ふ、ふんっ! 金枝は生粋の京都人ですよ? ちょっと地図を見て描いた程度で、粋がってもらっちゃ困りますね……!」

「じゃあ、金枝がちゃんとエスコートしてくれる? もちろん、京都タワーには上るよ?」

「お、お安い御用です! 京都タワーは……えっと、何円だっけ……」

「2000円ほどあれば展望台まで行けるそうですよ? 金枝さん、一緒に行きましょうか」

 マキと泉の歓迎に金枝は少しだけ面食らう。

「……あの、何も聞かないんですか。急に……薄気味悪いことを仕出かしたり、人機で戦ったりして……金枝が居ないほうがよかったのにって……」

「全然! そんなことないってば! それに……金枝が助けてくれたんでしょ? 赤緒から聞いたよ」

「そうですわ。それに、夢灯篭の街並みはとても幻想的で素晴らしかったですし、よければもう一度案内して欲しいほどですから」

 ぽかんとする金枝へと赤緒はウインクする。

「ね? 心配することなかったでしょ? 金枝ちゃん!」

「……お気楽ですね。でも……そうですか。本当に怪我は……なかったんですね」

「赤緒と金枝が助けてくれたんだって、みんな噂で持ち切り! 美少女転校生、修学旅行生を救う! って具合にね! ……おっ? これは創作のヒントになるかも。メモメモ」

 金枝の絵が描かれたスケッチブックの隅っこにマキがメモをするので、恥ずかしそうに金枝は手を振る。

「ま、マキさん……! 金枝が見えて……何だかむずむずします……! 隠してください!」

「えー、いいじゃん。ちょうど次のマンガの主人公は薄幸の美少女にしようと思ってたんだよねー。金枝はそのモデルってことで!」

「やめてくださいよぉ……! それに、金枝をモデルにするのなら……もっとマキさんのこと、ちゃんと知りたいですし」

「おっ、じゃあウチ来る? 赤緒たちも来たことあるよね? 仕事場!」

「あっ、それいいかも。マキちゃんの仕事場ってすごいんだよ! 本当の漫画家さんのお仕事をしているところなの!」

「……そ、そんなところにお邪魔していいんですか……?」

「全然大丈夫! それよかさー、モデル料払うからもっと色々見せて欲しいなー。ほら、金枝の裸ってまだ見たことないし!」

「は、ははは、裸……? 何を言ってるんですか! マキさんのえっち!」

「あははっ! 金枝は反応が新鮮で面白いや! 心配しなくたって、女同士じゃん」

「お、女同士だからって……裸は……」

「そう言えば旅館のお風呂、まだ私は入ってなかったなぁ」

「赤緒さんも金枝さんも、この旅館を楽しむといいと思いますよ? 天然温泉らしいですからね」

「天然温泉……? じゃあ、一緒に入ろっか! 金枝ちゃん!」

「赤緒さんまで……! うぅ~……金枝は貞操の危機です……っ!」

 羞恥の念でいっぱいになった金枝を中心にして、こうして笑い合う。

 赤緒はその片隅で、まだ京都に残された事柄を反芻していた。

 それは南とエルニィから予め聞かされていたことでもある。

 ――金枝ちゃんのお祖父さん……。立花さんと南さんは、その人と対面しないといけないって、言っていたけれど……。

 ――すっかり暗くなった丑三つ時に、祇園の一等地へと両兵が合流した頃には既に金枝は南とエルニィと共に訪れていた。

「……三宮さん。ここが、あなたの……」

「はい。金枝の……家です」

 木造造りの立派な門構えに、枯山水の庭。

 こうして帰って来るとは、まさか思ってもみなかった。

「……三宮から聞かされた通りに、なんだけれど、本当にこんな遅くに来てもよかったの?」

「……明日は修学旅行の最終日ですので。その後は……まだ」

 金枝自身、決めかねていた。

 だからこそ、必要なのだと。

「どっちでもいいが、三宮よ。何でオレまで来ることになってンだ? 別にこの二人だけでもいいだろうが」

「……小河原両兵はもっと責任を自覚すべきです。金枝は……だからこそ、あなたが嫌いなんですからね」

「……そうかよ。ま、いずれにせよ、これから会うってのは京都を牛耳っている爺さんってんだから始末に負えねぇよな」

「牛耳っているって言うのは言い過ぎかもしれないけれど、三宮家は名家だって言うのは話した通りよ。失礼のないようにね、特に両」

「あいよ。……ってか、そんな名家で育ったにしちゃあじゃじゃ馬じゃねぇの」

「な……っ! ……まぁ、その……あまり礼儀作法は教えられてこなかったですから」

「雑談はここまで。……入ろうか」

 エルニィも緊張しているのか、門扉を前にして少し力んでいるようだ。

 金枝が静かに門を押すと、重々しい音を立てて扉が開いていく。

「神社みてーだな、ここもある意味じゃ」

「両兵。ここはもう、三宮家なんだ。くれぐれも失礼のないようにね」

「何だよ、立花。オレが失礼をしたことなんざあンのかよ」

「……いっつもじゃんか。って、こういうのも駄目なんっけ?」

 ついついいつもの調子になってしまう様子のアンヘルメンバーを他所に、金枝は慣れた所作で本殿へと進む。

 いくつかの廊下を折れ、いくつかの扉を潜った先で不意に空気が変わったのを三人とも感じ取ったらしい。

「……おい、こいつぁ……」

「しっ。……三宮。頼むよ」

「……はい。――お爺様。金枝はここに」

「遅かったではないか」

 龍と虎が絡み合う襖一つを挟んで、金枝は祖父と対面していた。

 黒々とした、肌を刺すような緊張感。

 両兵は提げた刀に手を添えていたが、それも無理からぬこと。

 祖父と対峙して、無事であった人間は一人も居ない。

 同時に、祖父が誰かと顔を合わせる機会も、生まれてから片手で数えるほどしかなかった。

 京都支部の加藤でさえ、祖父との対立は避けたがっていた様子であったのだ。

 もちろん、祖父は全て知っているはずだ。

 自分が幽霊の小道を手に入れた時のことも。そして、力を見込まれて何度も家を抜け出していたことも。

 知っていて、祖父は黙っていた。

 金枝は目をきつく瞑る。

 いつかの情景の中にあった、黒く皺だらけなだけの祖父の手。

 怖かったのを覚えている。

 その眼差しで見据えられれば、たちどころに心臓が収縮したのも。

「金枝。その者たちは京都動乱の原因だな」

「……お爺様……ッ! この人たちは……京都を……救ってくださったんですよ……?」

「構うものか。同じだ。あの機械人形を使い、京都を誰の許しもなく踏みしだいた。それを今さら儂に問い質しに来たのか」

「いえ。私たちの用件は、たった一つ。……三宮金枝さんを、解放していただきたくって来ました」

 南が佇まいを正して口にする。

「解放だと。馬鹿馬鹿しいことを。女狐め、貴様が金枝をたぶらかしたな」

「お爺様……! 違うんです……! 南さんは何も悪くありません……。金枝が……! 金枝が、自分で……」

「自分で。何だ。言ってみせよ」

 息が詰まる。

 呼吸さえもできないほどの重く沈殿した空気。

 滞留した、停滞と言う名の絶対遵守。

 この声に、他者の意思など一つも介入する余地がないように断ずる声音に、自分のこれまでは潰えてきた。

 そうだ、思えば全て無為なることだったのだ。

 京都支部の蛮行は許されてきたわけではない。

 ただただ、襖一枚を隔てた空間で、祖父がその掌で転がしていたのみ。

 全て、何もかも意味を持たない。

「……いえ、金枝は……」

 言葉を仕舞おうとする。

 やはり祖父に歯向かうなど無理なのだと、汗の滲んだ掌で金枝は棄却しようとしたところで不意に声が静寂を破る。

「おい、待てよご老体。三宮は自分で選んでここまでわざわざ舞い戻ってきたんだ。ずっと、逃げることだってできただろうさ。それをこいつはよ、あんたともう一度、話をするために来たんだろうが」

「り、両……! あんた……!」

「黙ってろって言うつもりだったんだろうがな。こんな状況で馬鹿正直にダンマリを決め込めるほど、賢しくなったつもりもねぇよ。爺さん、あんた何も分かっちゃいねぇぜ」

「何も分かっていないと。儂がか」

「ああ。三宮は京都を守るために戦った。今度こそは逃げずに、自分の意志で、だ。それをあんたは否定するような言葉を持ち合わせているのか?」

「……小河原両兵……! もう、いいんです……! 金枝が間違っていました。お爺様に歯向かうなんて出過ぎた真似を――」

 口にしかけた後悔の言葉を、両兵がぽかりと後頭部を殴る。

 その反動で金枝は思わず口走っていた。

「な――! 何するんですか! 乙女の頭ですよ! いきなり殴るなんて……! 野蛮人! 人でなし!」

「……ほらよ。あんたの孫はこんな調子で口が減らねぇガキだ。今のを聞いて、何とも思わねぇのか?」

「あ……いや……お爺様……」

「金枝。そのような言葉遣いを教えたつもりはないぞ」

 委縮しかけた自分を遮り、両兵は言いやる。

「そうかよ……。案外ガキってのは自分で成長するもんさ。あんたが思っているよりも、この馬鹿は直情的で、頭で考えるよりも先に口や手が出ちまう、そんな奴なんだよ。あんたは知ってンのか? こいつがどんな風に笑うのか。どんな風に……泣くのかを」

 しばし、沈黙が流れる。

 南とエルニィは完全に交渉が決裂したと思ったに違いない。

 両兵だけが自信満々に言い放っている。

「笑うのか。金枝」

「あ、いえ……」

 不意打ち気味に声を発したのは祖父のほうで、金枝は目を伏せる。

「おう、こいつは馬鹿みてぇに大笑いするぜ。恥も外聞もねぇのかって言うほどにな。……あんた、教えて来なかったのか? 色んな礼儀って奴を」

「小河原両兵……! 何を――!」

「笑うのかと、聞いている。金枝」

 再びの問いかけに金枝はどう答えればいいのか分からなかった。

 しかし、マキや泉。それにトーキョーアンヘルのメンバーと過ごした一週間。

 赤緒が自分の背中を押してくれた。両兵が恐れを吸い込んでくれた。

 だからこそ、言える。

 いや、ここで言わなければならない。

 言わなくって、何のために京都に帰っていたと言うのか。

「……お爺様。金枝は……笑います。笑えるように、なりました……」

「そうか」

 返答は短い。

 だが、金枝にとっては何年も前から置き去りにしてきた質問に思えていた。

「爺さん。三宮の言葉を聞いてやってくれ」

「両兵……! あんまし先んじたことを言うのは……」

「でもそうなんだろうが。三宮、自分の言葉で言え。何のために帰って来たのかを。その先もな」

 ここから先は誰も助けてくれない。

 安らぎも、平穏も。

 これまでの停滞からの決別。

 そして、自分の胸中と向き合う時。

「……お爺様。金枝は……この家を出てゆきます。東京に……向かうつもりです」

「東京で如何にする。機械人形に乗って戦うのか」

「……はい。金枝は……人機操主として、戦います。みんなの力になるために……みんなの、笑顔を守るために……!」

「そうか」

 言葉は少ない。

 もっと口汚く罵られるのだと思っていた。思い込んでいた。

 だからこそ、直後の言葉に金枝は目を見開いていた。

「そこに居る三名。孫を頼んだ」

 茫然自失の状態でエルニィと南は何も言えないようであった。

「……そ、それは三宮を……トーキョーアンヘルのメンバーとして加えていい、ってこと……?」

「何度も言わせるな。不出来な孫など勘当だ。三宮家に泥を塗ったのだからな。二度と顔を見せるでない」

 厳しい論調ではあったが、それがこれまで祖父が見せて来なかった温情なのだと、金枝だけが知っている。

「……おい、爺さん……! あんまし言葉が過ぎると……」

「いいんです……! いいんです、小河原両兵……」

「三宮……? だがこの爺さんの言い分じゃ、てめぇは……!」

「お爺様。……今日までありがとうございました」

 これ以上祖父から言葉を引き出すのは不可能だろう。

 それが分かっただけでもありがたいのだと、金枝は言葉を飲み込もうとして言葉が背中を押す。

「……待ちなよ。それってつまりはさ……三宮のじーちゃんが孫を見るのはこれっきりだって言いたいの……?」

「……エルニィ……あんた……」

 これまで空気に気圧されてきたエルニィが、喉の奥から声を絞り出す。

「何と言ったか。小娘」

「……何度だって言ってやる……! ああ、言ってやるとも……! 孫とじーちゃんの関係がさ……こんな風に終わるなんて誰も望んじゃいない! ……そりゃ、今もしんどいし、三宮が何も言えないのも分かるさ。けれど……生きている間に言えること……もっとあるはずだよ……っ!」

 エルニィとて祖父の存在感を分かっていないはずがない。

 ここで言葉を下手に重ねれば、無意味な争いになることも。

 それでも、彼女は自分のために言葉と勇気を振り絞ってくれている。

「……エルニィ……さん」

「立花の言う通りだ。……血が繋がってンだろ。もう分かり合えねぇみたいな決裂の仕方をするこたぁねぇ」

「……小河原両兵……」

 南が姿勢を崩し、仕立てのいいスーツのネクタイを緩めて言葉を練り上げる。

「……本当、あんたらってば私の苦労も知らずに……好き勝手言ってくれちゃってさ。けれど、それならついでに私も言わせてもらうわ。三宮さんはもう、自由になっていいんだって……! 第一、何よ、襖一枚隔てて偉そうに……! 三宮さんと向かい合って本当の意味で勘当だって言うんならねぇ……そんな偉ぶって方式だけ整えた風なことを言えるもんですか! あんた、この子の家族なんでしょうに……!」

 この時まで散々堪えてきた我慢の限界を、南は口にしたようであった。

「いや、南……そこまではボクら言えないかな……」

「ああ。黄坂、もうちょっと礼儀ってもんをよ」

「な、何よ……! 何で、あんたらがここで梯子を外すの? 私、何の後ろ盾もないのに言っちゃったのよ? ……あっ、これ、まずった……?」

 今さらになって口元を手で覆った南の仕草に、金枝は思わず笑みをこぼす。

 その瞬間、襖一枚の向こう側から声が漏れ聞こえて来ていた。

「そうやって笑うのだな。金枝」

 どうしてなのだろう。

 これまで怖くて仕方がなかったのに、今この瞬間。

 ほんの些細な理由と、ほんの些細なきっかけだけで、祖父を怖いと思えなくなっていた。

「……あっ、金枝は……」

「他の者。ぞんざいな態度を取ってすまなかった。だが最後くらいは、孫と二人で話させてもらえるか」

「……分かった。三宮、オレらは一旦下がる」

「……しょうがないよね。三宮、頑張って」

 エルニィと両兵が席を立つ。

 今しがた狼藉を働いた南だけは、その余裕に強張ったままであったが、やがてそのような空気ではないことを察したらしい。

「……何よ。私だけ言い過ぎちゃったみたいに……。けれどまぁ、決めるのはあなた自身よ、三宮さん。……頑張ってね」

 サムズアップを寄越して南は立ち去っていく。

 たった一人で取り残されたと言うのに、何故なのだろう。

 先ほどまでよりもちゃんと、向かい合えているような気がしていた。

「……お爺様」

「金枝。こっちへ寄れ」

 初めての言葉だった。

 祖父はそう言えばいつしか、襖を隔てでしか会話を交わすこともなくなっていた。

 幼少期の絶対的なその眼差しと、そして真っ黒な存在感だけが思い出であった金枝にとって、今の祖父と対面するのは何年振りだろうか。

「……いいのですか……?」

「今に発つ孫の顔が見たいのだ」

 襖を開ける。

 本当に、この一歩が百万歩以上の距離であった。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です