JINKI 304 はなまるの努力を

 三人がめいめいに睨んでいるのは白紙の日本地図だ。

 何なのだろうと窺っていると、シールと月子がこちらに気づく。

「おっ、何だ、赤緒。今日の晩飯は?」

「えっと、今日は天丼に……って、これどうなってるんですか?」

「……はじめっ」

 さつきの号令で一斉に日本地図にペンを走らせる三名に、赤緒は戸惑う。

「よし……っ。いいスタートが切れたぜ。これならオレが一番にゴールできそうだな……」

「……ふん、言っていろ。こういう時に地力とでも言うべきものが発揮されるんだ。私が負けるわけがない」

「甘いわね。メルJも小河原さんも……ここまでお膳立てしたんだもの。私の優位が揺らぐことはないわ」

 めいめいにペンで日本地図に書き付けていたのは――。

「……えっと、県名?」

 僅かに垣間見ると、ルイが手で隠してじとっとした目線を振り向ける。

「ちょっと……赤緒が見て来るのが鬱陶しいわよ」

「な……っ! 鬱陶しいとは何ですか! ……でも、何で日本地図?」

 その疑問符にストップウォッチ片手のさつきがそっと耳打ちする。

「実は……」

「――……む。何だ、今日は珍しいメンツが揃ってンな」

「あっ、お兄ちゃん。まだ晩御飯には早いよ」

「分かってンよ。ちょっと小腹が空いたもんだから早めに来たんだが……何をやっとるんだ、ヴァネット」

 両兵の視線の先には教科書を読んで難しそうな顔をするメルJが居る。

「ああ、小河原か。私も少しは学ばなければならんと思ってな。……特に、地理に関してで言えば」

「地理だぁ? んなもん、別に覚える必要なんざ」

「いや、あるんだ。……実はモデル業のほうで遠征が予定されていてな。それに、この間の京都支部の暗躍もあった。日本地図を、頭に叩き込んでおかなければいけないだろう。そうでなくとも私は空戦人機の使い手だ。空から支援する以上、どこに何があるのか、を的確に把握せねばならんだろう」

「あー……言われてみりゃそうか。《バーゴイルミラージュ》に地形データくらいは入ってンじゃねぇのか?」

「それは確かに、プリセットの地形データはあるが、結局のところ操主の勘が一番に重視されるからな。殊に、咄嗟の機転などを考えるに当たって方向感覚は必須だろう」

 しかし、メルJは中学の地図帳に視線を落として、じーっと睨んでいる。

「……ヴァネット。もしかして、日本がどんな地形なのかも分からずに、これまで戦って来たとか言わねぇよな?」

「……シュナイガーなら問題なかったんだ。別に構わんだろう」

 地図帳で顔を隠したところを見るに図星なのだろう。

 まさかトーキョーアンヘルの火力の要であるメルJが日本地図の云々でさえも理解していないとは想定外だ。

「あっ、けれどお兄ちゃん……ヴァネットさん、だから私たちと一緒にお勉強してくれてるの。ほら、今度地理のテストもあるし」

「黄坂のガキもか?」

 同じように地図帳を眺めるルイはと言うと、パタンと教科書を閉じる。

「……いいわ、さつき。日本の県名を言ってみなさい。県庁所在地を当ててみせる……」

「えーっと、じゃあ、兵庫。兵庫の県庁所在地は分かりますか?」

「馬鹿にしないで。……兵庫の県庁所在地は京都よ」

「……ルイさん? 京都は確かに関西圏ですけれど、そもそも県が別ですよ? えっと、兵庫の県庁所在地は神戸ですね……」

「ややこしいのよ。何で東京みたいに同じ名前じゃないのかしら。それに、どうせ県庁所在地なんて日本独自のものなんでしょう? 覚えたって得にもならないわよ」

「まぁ、日本のように密接に結びついているものは少ないようだが……アメリカにも州都はあるようだからな。別段、日本だけの文化と言うわけでも……ところで、さつき。これは何と読むんだ? “ゆうかん”……?」

「あっ、それは“はこだて”ですね。北海道にありまして」

「北海道……。日本は妙な形をしているものだな。何で北のほうがこんなに大きいんだ?」

「知らないの? メルJ。日本は侵略宇宙人に対抗するために北の地に防衛基地を作っているのよ。だから縦長になっているってわけ」

 まるで子供のような問いかけをするメルJにルイが得意顔で嘘八百を返す。

「いや、その……それは夕方にやってるアニメの話で……。って言うか、ルイさん! ヴァネットさんに嘘を教えないでくださいよ!」

「あ、嘘なのか……? 信じてしまうところだった……」

「ほら! ヴァネットさんは海外の方なんですから、それっぽいこと言っちゃうと!」

「知んないわよ。第一、地理のテストなんてどこか重箱の隅をつくような問題ばっかりよね。私は都道府県を覚えるよりももっと難解なジャングルの湿地帯の名称を頭に叩き込んでいたのよ、これくらい」

「……できるんだろうな?」

 尋ねてみると、ルイは鼻を鳴らす。

「造作もない、ってところね」

「……じゃあ北から順番に言ってみてくださいよ……」

「北海道でしょ? その下は……カガワ……だったかしら」

「香川は四国なんですけれど……。もう! こんなんじゃルイさんも赤点ですよ!」

 つーんと澄ました様子のルイへと両兵も地図帳を手にふむふむと見渡す。

「それにしても、日本地図なんざ十年以上見てねぇなぁ」

「……お兄ちゃんは、日本の地名は……?」

「住んでいた土地のことしか分からん。元々、東京近辺にゃ土地勘はあったんだが、関西だとか東北のほうはてんでだな。オレも行ったことねぇ場所も多いからな」

「……小河原は元々、カナイマアンヘルの所属だったか。日本人ばっかりだと聞いていたが」

「とは言え、連中も南米の土地に縛られて云十年ってところだったしなぁ。オレよかあいつらのほうが酷ぇんじゃねぇの?」

 思えばカナイマアンヘルの面々が現代日本に来たとして土地勘があるとはまるで思えない。

「……ってなると、やっぱりルイさんもとことん勉強するしかないですよ。ヴァネットさんも」

「とことん勉強ね……私の嫌いな言葉だわ」

「それには同意だな。そもそも、だ。日本は島国なのだろう? こんなの覚えたところで……」

「要らないところで意見が一致すンな。だが、オレも同意見だぜ。自分が住んでいる土地以外は覚えなくっても何の苦労もしねぇだろ?」

 あまりにも不誠実な対応だったせいか、さつきが拳をプルプルと震わせて一気に吐き出す。

「もう! それじゃ、ルイさんは赤点ですし、ヴァネットさんはいつまでも日本に馴染めないじゃないですか! お兄ちゃんも!」

「お、オレもかよ……? けっ。どーせ、方向音痴だって別に困ることなんざ……」

「だが、小河原……。空戦人機で目的地を見失うと……孤立する羽目になるぞ?」

 メルJの言葉に両兵は上手い返しが思いつかずに言葉を詰まらせる。

「……空は繋がってンだ。どうせ飛んでりゃどこかしらに辿り着くだろ」

「でも、それだと日本の常識が通じなくって困るじゃない。お兄ちゃんだって、いつの間にか国境超えてたら困るでしょ?」

「……ベネズエラじゃ、一応英語と日本語ができりゃどうとでもなったが……確かに知らんうちに領空侵犯はヤベェな。黄坂に迷惑かけちまう」

「でしょ? だったら、ちゃんと勉強しようよ。地理なんて一回覚えちゃえば何とでもなるんだから」

「さつき。それは語弊がある言い草だわ。日本がいくら狭いとは言っても、普段私たちは東京から出ることなんて滅多にないのよ? それなのに脳のリソースを割くのは効率的じゃないでしょうに」

「……よくそんな偉そうな言葉が出るな、黄坂ルイ……」

「長年の差よ」

 どうやらルイは譲るつもりはないらしい。それどころか勉強をサボろうと言う煩悩まみれだ。

 メルJは、と言うとシャーペンで北海道の地形をなぞっている。

「ヴァネット、何やってんだ?」

「形から入るのも手かな、と……。シルエットを覚えれば親密感が増すのではないか?」

「何だかヴァネットさん、ちょっと可愛いですね」

「な……っ! やっぱり今のはナシだ! こんなやり方、私らしくはない!」

「いえ、でもいい手段だと思いますよ? 形と記憶って密接に結びついているらしいですから」

「そ、そうか……。さつきがそう言ってくれるのならば、いい学習法なのだろうな」

 応じつつ、メルJは紅潮した頬を掻く。

「馬鹿ね、地形とは言え四十七個もあるのよ。それら全部を頭に叩き込んでいたら、何日かかるか分からないわ。ここは……上から順番に埋めていく戦法を取らせてもらうわよ」

 一個一個を覚えるのではなく、上から流れるようにして県名を覚えるのも一つの手だろう。

 その場合、一個でもずれればおしゃかだが、ルイほどの策士だ。そのデメリットを埋める術も持ち合わせているに違いない。

「えっとその……、替え歌にして覚えるとかもありますね。リズムで物にするって言うか」

「実際のところ、能率のいい覚え方なんて千差万別なんだ。オレは……そうだな。ゴロで覚えちまうか。千葉だとか佐賀だとか、似たような名前はあるだろ?」

 地図帳と睨めっこしながら、それぞれ覚え方を模索する。

 メルJは形と名前を合致させる道を選び、ルイは上から順番に覚えようとしていく。

 両兵はと言えば、十分も経たないうちに欠伸を噛み殺す。

 それを咎めるのは三人ともであった。

「小河原……モチベーションが下がる」

「本当そうね。欠伸なんてされたら馬鹿馬鹿しくなっちゃうわ」

「お兄ちゃん……」

 三人分の糾弾を受け、両兵は手を払う。

「だーっ! 分かった、分かったよ! 今回ばっかしはちゃんと向き合う! それでいいだろうが……!」

 しかし、生来のサボり癖と勉強嫌いは丸暗記には向いていないようだ。

 語学ならばまだ日常で使う分、応用のしようもあるのだが問題なのは日本の地理にミリの興味も引かれないことであろう。

「……えーっと、兵庫県の県庁所在地は……」

「さっきもやったでしょ。青森よ」

「ルイさん……神戸ですよ。さっきもやったじゃないですか」

 堂々巡りの勉強模様にさつきは嘆息をつきつつ、時折アドバイスを投げてくれる。

 正直、今の両兵にはそれがありがたい。

 元々、座学はたとえ人機関連だとしても性に合わない。

「……なぁ。何分経った?」

「まだ十五分だけれど……」

 チクタクとやけに時計の音が耳朶を打つ。

 その上、まるで何時間も勉強しているかのような錯覚に襲われる。

「……オレ、自分で思ってるよりも興味ねぇ分野にゃ全然だな」

「それは私も同じだ。……何で日本列島はこんな奇異な形をしているのだ」

 メルJはそれぞれの県をなぞりつつ、一個一個地道に覚えていく道を選んだらしい。

「北海道、青森……」

 比してルイは完全に丸暗記に頼っている様子で、順番を間違えないようにだけ留意しているようである。

「……なぁ。そろそろお茶……」

「そうね。渋い緑茶を所望するわ、さつき」

「……だな。あまり根を詰めても仕方あるまい」

 全員分の懇願を受け、さつきはため息をこぼす。

「……しょうがないですね。けれど、ちゃんと勉強してくださいよ」

 台所へとさつきの背中が遠ざかったのを見計らって、両兵は頬杖をついて地図帳を眺める。

「……なぁ、ヴァネットに黄坂のガキ。お前ら、マジにこんなの覚えてどうすんだよ。正直、京都支部が作られるから関西圏はまだ覚える意味はあるんだろうが……他は覚えたってしょうがねぇんじゃねぇの?」

「それは……。私とて、いつまでも日本のことが分からぬままではあまりにも頼りないではないか。黄坂ルイもそうではないのか?」

「私の辞書に学習意欲なんて言葉はないわよ。日本に居たってやること自体は南米とさほど変わんないし。テストで赤点を取るのだけは勘弁願いたいところなだけで」

 理由を問い質せば、何だか全員とも消極的である。

「……けれどよ、何かしらご褒美があるとやっぱ違うよな。何かねぇものか……」

「そういえば、南が買い付けていた特注のチョコレートケーキがあったはずよね? あれはどこに隠したのかしら」

「なにッ……! そんなもんがあるんなら早く言えよ。……とは言え黄坂の奴がそういうのを察知させるとは思えんし」

「黄坂南のことだ。私たちにくれてやる気が元々あるのかも分からんな」

 地図帳と睨めっこしていると不意に境内の格納庫から声が発せられる。

「だぁーっ! 暑っちー! まだ六月になるかならないかってところだろ? 何だってこう蒸し暑いんだよ、やってらんねーな!」

 シールが飛び出し、作業服の前を開けるのを月子がたしなめる。

「シールちゃん! 前、隠して! はしたないよ!」

「あん? 誰も見やしねぇだろ……って、居たのかよ、両兵」

「……何かと思えばメカニック三人娘かよ」

「せ、先輩! 前を隠さなくっていいんですか……!」

 おどおどする秋にシールはケッと毒づく。

「両兵の眼なんか気にしてたらやってけねーよ。……何やってんだ? ヴァネットとルイまで……」

「……日本地図を丸暗記しているのよ。今度のテストでね」

「そりゃまた、学生は大変な身分だよな。……って、それなら何でヴァネットと両兵が関わってんだよ」

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