JINKI 307 いい人の条件

 悪くはしないと言ったことでようやく警戒を緩める気になったのか、金枝は自分の背中に隠れながら付いてくる。

 脱衣所ではまず金枝を近場の椅子に座らせてからヘアスプレーを振る。

「その……小河原両兵は何をするつもりなんですか……」

「その頭じゃ出られんっつーんだろ。……どうにかする術を聞いてきた。まずは保湿……らしい。水分量を適切にして、ヘアオイルで髪の毛に余分な水分が溜まるのを防ぐ……っと」

 メモしておいた梅雨時の心得を読みながら髪の毛を触ろうとすると、金枝はむっとしてタオルを抑え込む。

「……何してンだよ」

「……髪は女の命ですよ? 粗暴な小河原両兵に触らせるのは……」

「……じゃあそのまんまでもいいんだな? 言っておくが、後から怖いのはオレなんかよりも柊だとかだぜ?」

 それを言ってやるとさすがに観念したのか、タオルを手離す。すると、ボンと金枝の髪の毛が弾け飛ぶ。

「……えーっと、まずはヘアオイルをまんべんなく塗る。それで水分量を調節するんだと」

「……何だか誰かから聞いたみたいな言い草ですね」

「実際聞いてきたんだ。……こっちはだいぶ不審がられたがな」

 とは言え、その分得られたものは大きい。まずは金枝の白銀の髪全体にヘアオイルを塗ってやり、コーティングしてからスプレーを振りかける。

「……あの。くすぐったいんですけれど」

「我慢しやがれ。んで……ちゃんと乾かすことが大事らしい。お前がやっていた濡れタオルで包むのはあんまりよくはないとのこった。髪質次第とは聞いたがな」

「……誰に聞いたんです?」

「誰でもいいだろうが。……えーっと、髪の毛が濡れた状態だと湿気を吸い込みやすいんだと。ドライヤーを使うぞ」

 乾かしてやりながらブラシを使い、あくまでも力を入れずに髪を梳く。その後、ヘアアイロンを使って髪型を全体的に整えてやる。

「……気味が悪いですね……。小河原両兵みたいな粗野な人間がこんな風なことを知ってるなんて」

「粗野は言い過ぎだ、馬鹿野郎が。……ブラッシングが大事なんだと。水分を均一にして、んでお前は髪の毛が爆発しちまうんだから、とにかく乾かして固めてやる、と。やっていたのがまるで逆効果ってことだな」

「……本当に気色悪いですね……。怪談話にはまだ早いですよ……?」

「黙ってろって。……なぁ、三宮。オレはそんなにおっかねぇか?」

「……ん? 何でそんなことを聞くんです?」

「前向いたままで答えろ。……まぁ参考までに、だ」

 振り向きかけたので前を向くように促すと金枝はつらつらと文句を連ね始める。

「まぁ、そうですね。顔は野生動物みたいな険がありますし、不潔ですし、のんべぇですし。いいところなんて一個もありません。よくこんな人間が育ったものだと、感心するほどです」

「……言わせておけばだな、てめぇは……」

「……けれど」

「……けれど、何だ?」

 金枝は少しだけ頬を染めて、ぼそぼそと口にする。

「……その、そんな横柄な人間でも、まぁ少しは美点もあるんじゃないですか? こうして金枝みたいに、面倒くさい人間も、えっと……見捨てないじゃないですか」

「そりゃあ、お前……。こんだけ面倒なことを言われて放っておけるかよ」

「そういうところが……。ああっ、もう! 何だって金枝が気を遣ってるんですか!」

「知ンねぇよ。黙って前見てろ。……お前は縮れ毛なもんだから、ブラッシングにも時間がかかる……」

「ち、縮れ毛って言いましたか……! 金枝はぱーふぇくとでびゅーてぃふぉーな美少女なんですよ!」

「前見てろっての! ……ったく、こんだけワガママ放題な奴が、なぁーにがパーフェクトだよ、アホらしい……」

 とは言え、ある程度髪型が纏まって来たので、この方法は有効であったらしい。メモを読み上げ、金枝の髪の毛を整えるのにも最終段階に至る。

「えーっとだな……。普段からトリートメントだの何だのを使って保湿と水分量を調整しろとのこった。面倒だな、女の髪ってのはよ」

「……その面倒をみんなやってるわけなんですけれど」

「……まぁ言われてみりゃあそうか。柊もさつきも……大変だろうな。ほれ、これで少しはマシになっただろ?」

 金枝が枝毛を気にして指で巻くがそう簡単に髪型が崩れるような失態は犯さない。思ったよりもふわっとした髪になったことに金枝は驚愕しているようだ。

「……こんなの自分でやった時にはならなかったのに……」

「だろ? まぁ、細かいところはプラモだとかと変わんねーな。根気強く付き合って、粘り強くやっていくしかねーってことだろうな。……何だよ、妙な顔をしやがって」

「あっ、いえ……。何だか小河原両兵らしくないなと言うのと……あと、素直に気持ち悪いです」

「気持ち悪いたぁ何だよ。……さぁ、これでガッコに行けんだろ。とっとと行け。オレは軒先で寝る」

 面倒ごとからはとっとと離れるに限る、と両兵は身を翻そうとしてその袖口を摘ままれていた。

「あっ、その……。雨は嫌いなんです」

「それは分かったがよ。ガッコまでの道のりくれぇは分かるだろ?」

「あ、いや違って……。雨が、嫌いなので……途中まで一緒に行ってくれますか?」

 今度は両兵が面食らう番だ。

 金枝は整ったばっかりの髪の毛をいじりながら、目を伏せる。

「構わんが、要らん噂が立つんじゃねぇの?」

「そ、その……ここまでやってもらったので……。そ、そうです! ご褒美だと思ってくれていいんですよ……!」

 ふふーんと胸元を反らして自信満々に言い放つ金枝に、両兵はげんなりする。

「……やっぱガキだな。ったく、この雨空で外に出る支度なんざ面倒だっつーのに」

「いいですから……っ! 金枝も準備をしますから!」

 二階へと駆け上がるのを見送りつつ、両兵は手の中にあるヘア用品を見返してから呟く。

「……我ながららしくねぇなぁ……」

「小河原両兵! どうです? 最高にきゅーとな金枝が来てあげましたよ!」

 制服姿で一回転する金枝に両兵は無反応で玄関口を開ける。

「さて、とっとと傘を……」

「無視! してるんじゃないんですよ! 小河原両兵……っ!」

 頬を思いっ切りつねられ、両兵は軽くあしらう。

「へぇへぇ、キュートでよろしいこって」

「……全然感情が籠っていませんが、よしとしましょう」

 傘を差して踏み出すと、金枝が玄関口で踏みとどまる。

「……ん? どうしたんだよ。とっとと行かねぇと昼間になっちまうぞ」

「そ、その……。傘に入っていいですか……?」

「傘ならまだ余ってンだろうが」

「そ、そうではなく……! 小河原両兵の傘に……入ってあげようと言ってるんですよ……!」

「……よく分からんところで妙なプライドがあるんだな。まぁ、いいぜ」

 とは言え帰りまで自分が請け負うわけにもいくまいともう一本の傘を携えながら金枝を待つ。

 ひょっこりと入って来た金枝の肩が濡れたので、両兵は引き寄せていた。

「もっとちゃんと入れ。……ったく、柊に大目玉だな、こりゃ」

「その……小河原両兵……」

「何だ? ガッコまでの道が分からんとか言い出すなよ」

「そ、そうではなく……。傍から見ると、これはその……」

 ごにょごにょと濁すので相変わらず金枝は分かり辛い。両兵は慣れないことはするものではないとぼやく。

「……ま、どっちにしたってオレはお前らの背中を押すことしかできねぇよ。ガッコが辛かったらまた言ってみろ。話だけなら聞いてやる」

「……そんなの。小河原両兵にしてみれば厄介なだけなんじゃないですか」

「厄介でもまずは話してみろ。……そうだな、お前から見ておっかなく見えねぇんなら、それくらいでちょうどいい。柊にも言えねぇこともあらぁ。何でも話してみろよ」

 そんなくだらないあれこれを聞くことが、彼女らの歩みを補強できるのならば。

 自分の役割も決して、悪くはないのだろう。

「――……あの、小河原両兵」

「ん? 何だよ、三宮」

 夕飯を腹に収め、今日は橋の下に帰るかと腰を浮かそうとしたその時に金枝が顔を覗き込んでくる。

「……ちょっとこっちへ」

 見れば金枝の髪の毛はまだ水が滴っている。どういうことなのだろうと思っていると、脱衣所で金枝が椅子を引き寄せて座り込む。

「……一人じゃできないので。やってください」

「もしかして、お前……教えただろうが。髪の毛の湿気を飛ばして、そんでもって整えてだな……」

「む、難しいこと言わないでくださいよ……。もう、この季節は小河原両兵に整えてもらわないと、駄目になっちゃったんですからね。責任は取ってください」

 とんだ注文だと辟易しながらも、両兵は一個ずつ言い聞かせるようにして髪の毛をドライヤーで乾かしてやる。

「いいか? まずは保湿をしてだな。その後に油分を整えてやって……」

「ふふーん♪」

 鼻歌交じりに金枝が身震いする。

「……おい。オレがやる必要、ねぇんじゃねぇの?」

「駄目ですよ。金枝の髪の毛、せっかく触らせてあげたんですから。言ったじゃないですか。髪の毛は女の命、だって」

 どこか秘密めいたことを共有するようにして金枝は唇の前で指を立ててウインクする。

「……そんなもんかねぇ……」

 どうにも実感できないまま、両兵は白銀の髪をブラッシングする。

「命を預からせてあげてるんですよ? なら――ちゃんと最後まで面倒を看るのが、いい人の条件ですよね? 小河原両兵♪」

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