レイカル 69 小夜と配信者の世界

 問題なのは思ったよりも緊張している自分自身。心臓が爆発しそうなほど脈打つ。普段の仕事ならこんな風に弱気にもならないのに、どうしても不安だ。

「よぉーし。準備は完了! 小夜、大丈夫よね?」

「い、いつでも……」

「……声が震えているけれど? もう、小夜が言い出したんでしょ? あんまし待たせるもんでもないから。とっととやるわよー」

「ま、待って、ナナ子……。緊張でお腹痛い……」

「今さらそんなこと言っている場合? ……小夜のマネージャーさんも、この仕事が必要だって言っていたんでしょ? なら、いつもの小夜ならやる時はやる! って感じじゃないの」

「……だってこれ……このボタンを押したら、もう……」

「その通り。何度も言ったわよね? このボタンを押したら、小夜も配信者の仲間入りよ」

 エンターキーが遥かに遠く思えてくる。唾を飲み下し、何度目か分からないペットボトルの水に口を付ける。

「よ、よぉーし……どんと来い……」

「大丈夫? じゃあ、3、2……1、配信スタート!」

『お、おはよー……みんな、割佐美雷チャンネルを見てくれてありがとー』

 声がどうしても震えてしまう。そんな自分とは正反対に画面上に表示されたアバターである絵は軽快に動く。

「おっ、早速チャンネル登録が。結構伸びはいいわね」

 対面で的確に自分の配信の模様を分析するナナ子に、小夜は参り切った様子で予め用意されていた台本を喋る。

『じゃあ今日は……とりあえず自己紹介から。銃光戦隊トリガーVっ! トリガーイエロー、割佐美雷をやっている……じゃない。コホン。割佐美雷でーす』

 危ない危ない。ここで「キャラ」を崩してしまうと、これまで積み上げてきたものが台無しになってしまう。

 持ち直した小夜だったが、すぐにコメント欄にはリアルタイムで全世界より反応が寄せられる。

〈トリガーイエロー焦り過ぎてて草〉

〈おはよーって言った? 今、もう夜の九時だけれど?〉

〈リアル演者のキャラ持ち出すのは二流〉

 様々な感想が流れていく中で、小夜はこんな窮地に追い込まれたそもそもの理由を思い返すのだった。

「――ねぇ、小夜。小夜ってば!」

 何度も対面のナナ子に呼びかけられてようやく小夜はハッとする。

「……な、何よ……」

「何じゃないってば。どうしたの? ぼんやりしちゃって。熱でもあるの?」

 額に手を当ててきたナナ子に小夜は頭を振る。

「ね、熱なんてないってば……!」

「それにしては挙動不審って言うか。ねぇ、何か心配ごとでもあるの?」

 さすが、ナナ子は鋭い。いや、そういう部分を見せてしまうほど、自分たちの距離は近いと言うべきか。

「……その、ね? 新しい仕事の依頼が来たのよ……」

「あら、おめでとう……って言えるような仕事じゃなさそうねぇ、その言い草だと」

「わ、分かる……?」

「分かるわよ。栄転ならもっといい顔してるでしょうに。今の小夜、心ここに非ずって感じよ?」

 思った以上に理解されているのだな、と小夜は頬を掻く。

「その……私もこの仕事のこと、よく分かってないって言うか……」

「何よ、奥歯に物が詰まったような物言いねぇ。別に、今に始まった事じゃないでしょ? 芸能界はただでさえ忙しいし、色々なこともあるんでしょうし」

 理解してもらっているのはありがたいが、やはり言い出しづらい。そもそも、この仕事を明言化する術を持っていないのだ。

「その、私自身マネージャーに昨日話されてよく分かっていないんだけれど……。今のご時世、配信者って言うのは一つの職業みたいじゃない?」

「あら? 小夜にしては考え方が保守的って言うか、ちょっと古い? 一つの職業どころか、むしろ一大ジャンルよ? 近年じゃ、それにまつわる色々なこともあるからねー」

 相変わらずナナ子はこう言った文化に造詣が深い。だからこそ、簡単に言ってしまえないところもあるのだが。

「私はよく分かっていないんだけれど……配信をすること自体が価値を持つって言うか……芸能人でもやっている人が多いって言うんで……」

「それはそうでしょ。今や芸能人ってだけで有名かどうかってのは違うからね。配信者のチャンネル登録者が数百万人って言うのも珍しい話でもないし」

「数百万……? そんなに……?」

 思わず息を呑むと何でもないようにナナ子は肩を竦める。

「そんなに驚くところ? これまでリアルでしか対面できなかった芸能人や、それに伴う色んな業界人だとかは一斉配信者時代では等価なのよ? だからこそ、そういうのって慎重に行かないと駄目なんだけれど」

「……よね。慎重にしないと……うん、そのはず」

「……小夜? もしかして事務所の方針で配信者になれとか言われたわけじゃないわよね?」

 まさしくその通りであったので、小夜は反応が一拍遅れてしまう。

「な、ななな……っ、何で知って……!」

「えっ、冗談じゃなくって本気で? それ、言われてきたの?」

 ナナ子に詰め寄られて小夜はしゅんと項垂れる。

「そ、そうよぉ……っ。悪い?」

 ナナ子はふぅーむ、と難しそうな顔になる。そんなに妙なことを言っただろうか、と小夜は心配になって尋ね返す。

「……ねぇ、配信者ってそんなに難しいの?」

「……まず、小夜。今、配信者を取り巻く色んなこと……いいことも悪いことも、理解してる?」

「そ、それは……マネージャーから色々言われたけれど……いまいち頭に入らなくって……」

 困り果てているとナナ子は額に手をやって、そうよねぇ、と重々しいため息をつく。

「そりゃー、小夜が分かるわけないわ……。マネージャーさんも酷よねぇ」

「な、何よぉ……! 一応、それなりに大変ってことは知ってるんだからね? 別に動画配信サイトを観ないわけでもないし――」

「甘い! 甘いわよ、小夜! そんなんじゃ、この大コンテンツ時代、生き残っていけないわ!」

 どんとテーブルを叩いてこちらを指差すナナ子に、小夜は完全に置いてけぼりを食らった気分で茫然とする。

 ハッとして、ナナ子が咳払いする。

「……つい熱くなったわね。反省」

「べ、別にいいけれど……そんなに大変?」

「……私の口から言ってもいいけれど、こういう時には第三者の意見を聞くのが一番よね。レイカルとカリクムも、こういうの耳にしたことくらいはあるんじゃない?」

 削里の店でいつものようにレイカルとカリクムは勉強に励んでおり、ウリカルはラクレスから直接教鞭を振るわれている。

「レイカルとカリクムはこのドリルを最後まで習得することねぇ……。あなたたちの学力レベルは著しく低いのだから」

「くそぅ……何でだぁー……! 何で足し算と掛け算はこんなにも違うんだぁ……っ!」

 苦悶して机の上でのた打ち回るレイカルに比して、カリクムは途中までは問題なく解いていくが、やがて明らかに頭打ちが来て後頭部を掻く。

「……なぁ、私がレイカルと一緒の学力ってやっぱり変じゃない?」

「それにしてはぁ……さっきから手が止まっているけれどぉ?」

「こ、これはぁ……っ! ちょっと分かんないだけで……」

「ウリカルはもうすぐ小学生のカリキュラムを終えるのよぉ……? あなたたちは……ようやく小学二年生止まり? 恥ずかしくないのぉ……?」

 ラクレスの分かりやすい挑発に、カリクムは頭を抱えて呻る。

「こ、こんな……! こんな何でもないはずの問題がぁ……っ! 何で解けないんだ……!」

「カリクム、お前も苦しんでいるのか……? 分かるぞ……。足し算と掛け算はまったく別だよな……?」

「……さすがに足し算と掛け算の違いくらいは分かってるわよ。……レイカルじゃあるまいし」

「何だとぅ! 大体、こんな戦闘力に何の関係もない、数式なんて何の意味があるんだーっ!」

 立ち上がって猛抗議するレイカルにカリクムは少し引いた目線で返答する。

「いや、さすがに何でもかんでも戦闘力に変換するのは違うだろ……。それに、私は別に……解けないわけじゃ……。ただ、七の段が……」

「……あれは当てになりそうもないわね……。カリクム、九九は小学校二年生なら誰でもできるのよ?」

「小夜ぉー……。掛け算、もう嫌だぁ……。そっちの話に混ぜてくれぇ……っ」

「小学校のカリキュラムを終えるまでは駄目よぉ……? ウリカルを見なさい? この子はもう分数の割り算ができるのよぉ?」

「ぶ、分数……? 嘘だろ、ウリカル……。まさか、そんな高等な問題を……?」

 衝撃を受けた様子のレイカルにウリカルはうろたえながら応じる。

「は、はい……。一応、もうちょっとで分数は終わりますけれど……で、でも大丈夫ですっ! レイカルさんもカリクムさんも! 物覚えはいいですからっ!」

 完全にフォローされた形の二人はショックを受けて机に項垂れる。

「……嘘だぁ……っ! 掛け算の上なんてあるわけが……!」

「ぶ、分数……? 七の段で躓いている私は、じゃあ一体……?」

「二人とも……相当にまずいわね」

 ならば、と奥の間へと視線を振り向けると、削里は将棋盤を挟んでヒヒイロと対局している。

 ぱちんとヒヒイロが一手を打つと途端に難しい顔になっていた。

「……待った」

「よいですが、待ったは三回までですよ。さて、配信者のお話でしたか」

「あっ、聞いてたんだ……」

「真次郎殿はスマホもパソコンも持っていらっしゃらないですが、それでもテレビはありますので。一応は情報としては知っております。配信者は今や、一個の巨大なコンテンツ。決して見過ごすことのできない重要なポイントでしょう」

 ヒヒイロが精通しているのは少し意外でナナ子も問い返す。

「ヒヒイロ、さっきまでの話聞いた限り、どうだと思った?」

 ヒヒイロは顎に手を添えて、仮面の相貌を傾げる。

「少し……難しいものがあるかと。小夜殿は自分自身がコンテンツになる覚悟はおありですか?」

「うん……? 私自身がコンテンツ……?」

 いまいち飲み込めないでいるとナナ子は反対にうんうんと頷く。

「そうよねぇ、それが問題なのよ。一個人でも情報発信が可能となった昨今。プロアマチュアを問わず、配信と言う形で誰でもタダ乗りができてしまうのも事実。それをもう少し、重く受け止めるべきだと思うのよねぇ、小夜も」

「はい。私も聞きかじった程度の知識でしかありませんが、配信者は時には大きなリスクを負い、時にはチャンスを手にするとも言います。その身に余るコンテンツ力は、活動そのものを捻じ曲げかねません」

「そ、そこまで大層なことじゃ……ねぇ? ナナ子」

「いいえ、ヒヒイロの言い分も一理あるわ。小夜は……そうねぇ、たとえ話で行くと、トリガーVの割佐美雷役でもあるじゃない? それはどう思ってるの?」

「どうって……まぁ、特撮番組の一つの役だし、そこまで重要とは……」

「それが甘いのよ、小夜。いい? 昔と違って、演者も一個のコンテンツに等しいのよ? そんな意識じゃ、どこかで足をすくわれるわ」

「加えて、その発言一つでコンテンツが腐ることもあると聞きます。小夜殿は、“えすえぬえす”、はしておられますか?」

「えっと、SNS……よね? うーん、メッセージアプリくらいしか……」

 まさかそこまで大それた話だとは思っておらず、曖昧に応じるとナナ子は腕を組んで頷く。

「まぁ、それが正解よね。SNSなんて特撮の演者があまり軽々に手を出すとよくないわ。何でもない発言が大炎上ってこともあるんだから」

「炎上って……脅かさないでよ……」

「脅かしてなんているものですか。むしろこれでも優しく言っているほうよ? 今の時代、一つでも火が点けば一瞬でパァになってしまうのも珍しくないし」

「良くも悪くも、ですね。小夜殿はトリガーイエローをやっていらっしゃるのです。何が危ないのかは、芸能事務所でもさすがに話題になるのでは?」

 そう言われてみれば、マネージャーからは再三口酸っぱく言われていることがいくつかあったか。

「えーっと……“今居る場所を特定されることは発言しない”だとか“簡単に賛同したり、簡単に反対意見も言わない”だとか……」

「マネージャーさんの心労が窺えるわよね。この時代、何が誰かの気に障るか分からないのよ? とはいえ、元々の論点は配信者だっけ。うぅーん……小夜には難しくない?」

「私もそう思います。そうでなくとも、小夜殿はトリガーイエロー、割佐美雷、という大役を担っていらっしゃるのですから。それに相応しい立ち振る舞いが求められるでしょう」

「べ、別に私がやりたいって言っているわけじゃないってば。……ただ、そういうのも活動の場としてどうかって……マネージャーが」

「まぁ、敏腕よね。今の時代を捉えた意見だと思うわ。……けれど、小夜のキャラとしてそんな器用なことができるとは到底思えないのよねぇ……」

「な、何よ、それ……。もしかして馬鹿にしてる……?」

「馬鹿にしてるどころか買ってるからこそなのよ。……小夜、もし何かあっても自分で火消しとかできる?」

「火消し……? えっと、何の?」

 戸惑いながら問い返すと、ヒヒイロとナナ子が視線を交わす。

「これじゃ、厳しそうねぇ……」

「ですね。あまり突飛なことはやらないのをお勧めします」

 ナナ子とヒヒイロの意見が自分の関知しないところで合致したのが気に食わず、小夜は思わず立ち上がる。

「じ、じゃあ何……? 私が自分でその……火消しだとか、配信者をやれれば……二人とも、謝ってよね……!」

「配信者って……小夜ってば、何が必要なのか分かってるの?」

 ナナ子の質問に小夜はうろたえながらも応じてみせる。

「えっと……パソコンでしょ? それと……マイクとか?」

 ナナ子とヒヒイロが目線を交わし、それから説得の論調で言ってくる。

「小夜、そんなリスキーなことをやるのはもったいないわよ。今の状態でも充分じゃない?」

「私もそう思いますね。小夜殿が配信者をやるのは時期尚早と言いますか……」

 二人して説得されてしまえば、小夜は性格上、退くこともできない。

「……じ、じゃあ! 私が配信者をできれば! 二人とも認めてくれるのよね……?」

 ついつい喧嘩腰になってしまうが、ナナ子は神妙顔だ。

「……小夜。やるとしても……それってどこでやるの?」

「どこって……部屋……」

「部屋は防音設備なんてないのよ? それに、特定される可能性もあるわ」

「じゃあその……どこで……」

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