JINKI 309 ルイと次郎の予防接種

 その気迫には思わず次郎も息を呑む。ルイは次郎を抱えながら、赤緒の目を盗み、そのまま台所へと向かっていた。

「あれ? ルイさんに次郎さん? 赤緒さん、呼んでいましたよ?」

「そんなこと分かってるわよ。……赤緒の味方じゃないでしょうね?」

 さつきはこちらの問いかけにきょとんとして尋ね返す。

「味方って……何なんです? また、ルイさん。赤緒さんを怒らせちゃったんですか?」

「今回はこっちが完全な被害者よ。言いがかりはやめてよね」

 ルイは周囲を見渡した後、戸棚に隠されているせんべいと甘い茶菓子を持ち出す。

「あっ、駄目ですよ! ルイさん! そのお茶菓子は高級店のだから、みんなで食べるって赤緒さんが言っていたじゃないですか」

「……戦士の小休止よ。それよりも、さつき。あんた、赤緒の味方? それとも、私たちの味方なのかしら?」

 問われた意味が分かっていないのだろう。さつきは小首を傾げるばかりである。

「味方って……。そりゃ、普段は皆さんの味方ですけれど……、本当に何かあったんですか? また赤緒さんに失礼なことを仕出かしたとか」

「失礼なのはお互い様よ。……それよりも、決断なさい。ここで赤緒に与するか、それとも私たちの仲間になるか……」

 ずいっと詰め寄ってさつきに決断させようとする。次郎と自分の二人分の眼差しにさつきは困惑し切ったようであった。

「わ、私は個人的にはその……ルイさんも赤緒さんも、両方の味方でいたいと思っていますけれど……」

「今はどっちか、よ。どっちの味方になるの?」

 そう問われてしまえばさつきもどっちつかずではいられないのだろう。何度か確認を交わす。

「えっと、危ないこと……」

「じゃないわよ」

「じゃあその……失礼なこと……」

「でもないわよ。さつきは私たちのことを何だと思ってるの」

 嘆息をつくと赤緒の声が近づいてくる。

「ルイさーん、次郎さーん。どこ行っちゃったんですかー。出て来てくださいよー」

「……まずいわ。さつき。どうするの」

 こちらの緊迫感が伝わったのか、さつきは手を引いて台所の奥の扉を開ける。

「こ、こっちへ。……よく分かんないですけれど、今はルイさんと次郎さんの味方ですから」

「助かるわ」

 ぷぎぃ、と次郎が鳴いて感謝する。さつきはそのまま柊神社の裏手へと出てから、茂みへと手招く。

「ルイさん……。こっちなら、赤緒さんはしばらく来ないと思います」

「そうね。……けれど、相手は柊神社の巫女よ。どんな裏ルートを知っているか分かったもんじゃないわ」

「ルイさーん。……あれ、台所に誰も居ないのに電気が点いてる……」

 今しがたまで潜伏していた台所も看破されてしまったわけか。ルイはちっ、と舌打ちする。

「赤緒の眼から逃れるのは思った以上に大変そうね……。かと言って脱出するのもリスクが高いし……このままだとまずいわ」

「あの……結局どういうことなんです? 教えてもらえませんか? 何で赤緒さんから逃げているのか……くらいは」

「いいけれど……いえ、まだ油断は禁物ね。すぐ傍まで赤緒が来てるのよ。こうなったら、先回りするしかないわ」

「先回り……?」

「自称天才だとかが居る格納庫で匿ってもらうのよ。もう手が回っている可能性もあるけれど、条件次第じゃ一番見つかりにくいはずよ」

 しかし、神社の裏手に出てしまったせいで格納庫に行くのには一旦、大回りして縁側を通らなければならない。

 そうなれば必然、赤緒の目に触れる可能性も高いのだ。リスクを承知で格納庫に向かうか、それともここで息を殺してじっと嵐が過ぎるのを待つか。

 二つに一つだが、いつまでもさつきを引き連れていれば逃げられるものも逃げられないだろう。ここは危険性を承知で向かうべきだ、とルイは決断する。

「……あの、私も一緒に逃げなくっちゃいけないんですよね……?」

「当然よ。あんたも私たちの味方だって言うのならね」

「たち……って言うことは、次郎さんも?」

 ぷぎぃ、と次郎が前足を差し出すのでさつきはそれを握ってやる。

「……浮気者」

 ぼそっと言ってやると、次郎が大慌てで弁明するかのように両手を振るが、それを封殺してルイは頭を押さえつける。

「とは言え……ですよ。逃げ切れるんですかね……」

「逃げ切るのよ。じゃないと……ジエンドなんだからね」

 さつきの手を引き、ルイは裏側から境内へと駆け抜ける。足音でバレる可能性もあったが、今は一秒でも早く格納庫に向かわなければならないだろう。

 が、その道中で赤緒を発見して身を隠す。

「あっ、赤緒さ――」

「馬鹿。隠れなさい!」

 思わず、と言った様子でルイは通路を折れる前にさつきを制する。目線の先では境内で射撃訓練をするメルJに対し、赤緒が言葉をかけていた。

「ヴァネットさん。ルイさんと次郎さん、見なかったですか?」

「黄坂ルイと、あの小動物か? ……いや、見ていないが……」

「そうですか。うーん……どこ行っちゃったのかなぁ……」

「何かあったのか?」

 メルJに尋ねられて、赤緒は言い辛そうに呻る。

「それがその……このまま放置しておくと大変なことになるのかもしれなくって……」

 気になるのか、さつきも聞き耳を立てている。ルイは抱えている次郎へと視線を落としていた。

「厄介なことになったわね……」

「――あっ、駄目じゃないですか。次郎さんを神社の中で歩かせるのは……」

 赤緒は居間で次郎を歩かせているルイを注意する。

「だって、この天気じゃ運動不足になっちゃうわよ」

 外に視線を投じると曇り空が広がっており、今週の天気は雨が多いと言う。

「うーん……次郎さん、って言うかアルマジロって運動不足とかになるんですか? それは南米でも?」

 疑問視するとルイはぴくりと眉を跳ねさせて視線を振る。

「……南米では、そうね。下僕だもの。細かいことは考えていなかったわ」

「じゃあ、日本でも同じでいいのでは……」

 そう言うとルイは次郎の背中に足を乗せてぐりぐりといじめ抜く。

「赤緒、あんた……このだらしがないこいつの腹を見なさい。こんな調子じゃ、肥えるだけ肥えてしまうわよ。……赤緒みたいに」

「な――っ! 私みたいにとは何ですか! ……もうっ。でも、アルマジロのお腹って……ちょっと……」

「気持ち悪いわよね」

 言葉を濁しているとルイが断言する。次郎はと言えば、ルイにぐりぐりとされるのも慣れているのか、ごろんと横たわって気持ちがいい場所を探っているようであった。

「き、気持ち悪いとまでは……その、言ってないって言うか……」

「別に、変に気を遣ったってしょうがないでしょう。こんなの、ただのアルマジロなんだし」

 ぷぎぃ、と肯定のように次郎も鳴くのでこの扱いももう通常運転なのだろう。しかし、赤緒は気にかかっていた。

「あの……最近の流れは分かんないですけれど、動物虐待とかその……言うんじゃないですかね」

「動物……? こいつは下僕よ。動物なんて、赤緒、案外冷たいのね」

「そ、そんなつもりでは……!」

 確かにルイにしてみれば、次郎はただのペットと呼ぶのにはあまりにも距離が近いのかもしれない。そう考えるとこういった発言もよくはないのだろう。ルイはふんと鼻を鳴らして次郎のへその辺りを撫でる。

「私とこいつの間よ。そうね、十年くらいの仲なのよ。ペットだとかそんな薄情なことを言うものじゃないわ」

 そう言われてしまえば赤緒には立ち入るような隙もない。しかし、犬猫を飼うことにそもそも反対であった赤緒にしてみれば、アルマジロとは言え居間に上げるのには抵抗がある。

「……その、衛生面とかあるじゃないですか。ここって一応ご飯食べる場所ですし……」

「あら? 随分と気にするのね。南米じゃこれくらい当たり前だったのよ。それに日本の衛生観念が強過ぎるのよ。過剰とも言えるわね」

 ルイが次郎の首筋を撫でてやると、嬉しそうな声を上げる。赤緒も当初ほどペットに関して厳格な考えを持っているわけではない。ただ、未だにアルマジロと言うものを理解できていない部分もある。

「でも、ペットって最後まで面倒を看てもらわないと。南米と日本じゃ違うんですから。あ、そう言えば……」

 赤緒は玄関先まで向かってポストに入っていた書面を見やる。今朝方届いていた回覧板に挟まっていたのだった、とルイへと見せに戻っていた。

「何よ、それ。回覧板?」

「まぁ、そうなんですけれど、パンフレットが挟まっていて……。えっと、ペットの予防接種みたいな。それと人間も、ですね。ルイさんって、日本に来てからちゃんと予防接種打ちましたか?」

 ぴくり、とルイが硬直する。

「予防接種……?」

「……知らないとかじゃないですよね? 学校も行っているんですし。ペットの予防接種って言うのが、日本にはあって。一応、次郎さんはペットと言う扱いですし、柊神社で飼っている以上、予防接種は必要なのかなって」

 ともすれば南米で既に接種済みの可能性もあったが、と言おうとするとルイの額に脂汗が浮く。

「……赤緒。それってもしかして、注射、じゃないでしょうね?」

「……もしかしなくても注射……ですけれど」

 すくっとルイは次郎を抱えて立ち上がる。突然立ち上がってどうしたのだろうと小首を傾げていると、すたすたとルイは玄関先まで歩いていく。

「……赤緒。ちょっといいかしら」

「は、はい……? どこかに出かけるんですか?」

 尋ねると、ルイは次郎を丸めてラグビーボールさながら小脇に抱える。何をするのだろうと思っていると、ルイは姿勢を沈めていた。

「旅に出るわ。……しばらく帰らないから」

 その言葉を完全に聞き終える前にルイは渾身の脚力で駆け出す。ハッとして気づいたその時には、ルイの姿は掻き消えていた。

「ルイさん! ……まさか、予防接種が嫌で飛び出してしまうなんて……!」

 大慌てで石段の下を覗き込むが、ルイの痕跡はない。どうやら柊神社を飛び出したのではなく、うまく自分の目をかわしたらしい。となると、恐らくはまだ境内の中に居るはずだ。

「も、もう……っ! ペットの予防接種は受けないと、大変なのに……! ルイさーん! どこに行ったんですかー!」

 ――事の次第を隠れ潜みながら聞いたさつきは、なるほど、と嘆息をつく。

「つまりその……次郎さんの予防接種のついでに、ルイさんも予防接種を打っていなかった、と……」

「……迂闊だったわ。けれど、南米じゃ予防接種なんてほとんどなくたってよかったもの。それに……」

「そ、それに……何ですか?」

 ルイは次郎を抱えたまま、言い辛そうに呟く。

「……ほら。色んな恐怖症があるでしょう? 世の中には。先端恐怖症だとか、密集してるのを見るのが怖いだとか」

「え、ええ……まぁ」

「……私はその……注射が……」

「怖い、と……」

 察したさつきにルイはむっとして首肯する。しかし、どうするべきか、とさつきも頭を悩ませていた。こうしてルイと同行したせいで、どうあっても赤緒の味方をするべきかルイの味方をするべきかの二者択一を迫られている。

 とは言え、次郎が予防接種を打っていないのは意想外と言うか、本当に野生動物であったところをルイは手懐けたのだな、と思い知る。

「それに、歩間次郎は私の下僕よ。……勝手に注射するなんて許さないわ」

「ルイさん……気持ちは分かりますけれど、日本だとペットの注射は義務なんですよ。それがその、飼い主としての責務と言うか……」

「そんな可哀想なことをしろって言ってるの……?」

 詰め寄られるとさつきはなかなか返答しづらかったが、次郎の瞳を覗き込む。まんまるとした眼は何を考えているのか読み取りにくいもののその前足をそっと掴む。

「次郎さん。次郎さんはその……柊神社の……トーキョーアンヘルの一員なんですから。ちゃんと安全に、それでいて元気に長生きして欲しいんです。ルイさんだって、次郎さんが病気になったら嫌じゃないですか?」

「それは……それとこれとは別よ。……赤緒が行ったわ。格納庫まで急ぐわよ」

 駆け出したルイにさつきは追従する。それは想定外であったのか、ルイは戸惑いの声を上げていた。

「……さつき。赤緒に告げ口したりしないの?」

「しませんよ。……今は、ルイさんと次郎さんの味方ですから」

「……ふんっ。好きにしなさい」

 格納庫まで押し入ると、もわっとした熱気が滞留しており、次郎が不満げに前足をばたつかせる。

「うわっ……! って、ルイかよ……。何だってんだ? 言っとくが、今日の茶菓子はオレらのもんだかんな」

 シールはこちらを認めるや否や、菓子盆の上に積まれた菓子類を後ろに隠す。

「そんなのどうだっていいわよ。……ちょっとここで匿いなさい」

 ふんすと座り込んだルイにシールは戸惑うも、首にタオルを巻いたエルニィが歩み寄る。

「……あれ、ルイとさつきに小動物じゃん。何かあったの?」

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