JINKI 309 ルイと次郎の予防接種

 さすがに交友期間が長いせいか、それとも次郎を引き連れていたからか、どことなく察してエルニィが自分に尋ねる。

 さつきは今しがた伝え聞いた話をすると、シールと月子は悩ましげにする。

「あー……確かに日本だとアルマジロをペットってのは珍しいだろうし、犬猫なら予防接種は要るだろうな」

「でも、アルマジロの予防接種ってあるのかな? どっちにしても、確かに柊神社で飼っているもんね。赤緒さんの言葉は間違いじゃなさそうだけれど……」

「……私が悪いみたいじゃないの」

 どうやらルイは赤緒に謝ることは難しそうだが、その背中を少し押してあげることはできそうだ。さつきはエルニィと視線を交わす。

「けれどさ、赤緒にしてみればルイと小動物を心配してのことだと思うよ? 確かに南米に比べるとアルマジロの予防接種なんてなかなか聞かないけれど、まぁGOに入らば、GOするべし、だっけ?」

「郷に入っては郷に従え、ですね。……ルイさん。次郎さんのことを一番心配できるのはルイさんじゃないですか。赤緒さんも次郎さんは飼ってもいいって言ってくださったんですから。これからの次郎さんのためにも、ですよ」

「そうだぜ、ルイ。犬猫であんだけギャーギャー言う赤緒が、アルマジロは認めたんだろ? なら、ある意味じゃ特別な許可を貰っているようなもんだからな」

「私たちも、次郎さんに関してで言えば強くは言えないし……。予防接種、大事なんじゃないかな?」

「分かってる……分かってるのよ……」

 ルイにしてみれば自分の予防接種も込みなのでなかなか承服できないのもあるのだろう。頬を掻いていると、赤緒の声が近づいてくる。

「ルイさーん。次郎さーん。ここ、居ますー?」

「まっずい、赤緒だ! と、とにかくルイは隠れて……! えーっと……じゃあ、そこの! 修繕途中のナナツーのコックピットに!」

 一応、匿ってくれと言って来たのでエルニィはルイと自分をナナツーのコックピットに導く。赤緒が格納庫の扉を開けたところがちょうどさつきの視界に入っていた。

「……ルイさんと次郎さん、来てませんでした?」

「さ、さぁ? ……どったの、赤緒」

 明らかに挙動不審なエルニィであったが、赤緒は予防接種のパンフレット片手に困り果てた様子であった。

「ちょっと怖がらせちゃったみたいなので……。できれば、ちゃんと話し合いをしたいと思ったんですけれど。ルイさんと次郎さんの予防接種……」

「……赤緒さん、やっぱり心配してるんですよ」

「……そんなことないわよ。赤緒のことだもの、どうせこの機会に予防接種が怖いのを笑おうとか考えてるんでしょ」

 息がかかるほどの距離でコックピットの中でぎゅうぎゅうに押し込まれたさつきはルイへと静かに諭す。

「……そんなことはないと思いますよ? だって、赤緒さんは一度だって他人を馬鹿にしたりはしないですし。それに、赤緒さん。次郎さんとも仲良くなりたいと思ってるんですよ。今はルイさんと私と……それにトーキョーアンヘルのみんながお世話してるじゃないですか。……赤緒さん、ワンちゃんとか猫ちゃんも好きですけれど、柊神社の巫女として、それは許しちゃ駄目ってことでしょうし」

「……そんなの、分かってるけれど……」

 分かっていても、納得できるかどうかは話が別と言うわけだ。困ったな、と当惑しているとナナツーのメンテナンスをしていた秋がひょいひょいと手招く。

「……柊赤緒さんは先輩方が対応しますので、こちらから……」

 ダストシュートを兼ねている裏口を開き、秋が唇の前で指を立てて静かに誘導する。さつきが急ごうとすると、ルイが袖口を摘まんできていた。

「待って。……待ってよ。私のワガママだって分かってるのに、何でさつきは私に手を貸すのよ」

「何でって……。言ったじゃないですか。今日はルイさんの味方だって。だったら、ずっと味方であり続けたいじゃないですか。それに、次郎さんも。私は大好きですから……!」

「……恥ずかしい奴」

 ぼそっと呟き、裏口から出たところでさつきは大柄な影と遭遇する。

「わっ……お、お兄ちゃん……?」

「うん、何やっとるンだ、二人して。おう、アルマジロの歩間次郎じゃねぇの」

 まさか格納庫の裏で両兵と行き会うとは思っておらず、戸惑ってばかりの自分に対し、ルイは次郎で顔を隠しながらぼやく。

「……どうせ、小河原さんも赤緒の言いなりなんでしょ……」

「……何のこった? まぁ、どうだっていいが。それにしても、こいつメシ食ってんのかよ。腹の辺りとかちょっと痩せたんじゃねぇの? ……ま、アルマジロの適正体重とかよく分かンねぇけれど」

 ぷにぷにと腹部をさする両兵にさつきは少しだけ意外そうな声を出していた。

「あれ……お兄ちゃん、次郎さんと仲いいんだ……?」

「まぁ、南米からの付き合いだかンな。メシ食えよ。そんでもって、病気とかになんじゃねーぞ。……こいつ、何考えてンだかさっぱりなんだよな……」

 じーっと両兵が次郎の顔を覗き込む。次郎はと言えば、首を傾げるばかりなので言葉が分かっているのかどうかは定かではない。

 しかし、どうしてなのだろう。

 この瞬間、ルイはと言うと次郎を翳して顔を隠しながら、まるで腹話術の人形のように声を発する。

「……小河原さんは、やっぱり病気になっちゃ嫌……?」

「うん? そりゃー、そうだろ。ただでさえ南米と日本じゃ気候が違うんだ。腹でも下したら大変だからな。アルマジロの健康なんて知らねーけれど、こっち来て体調崩されると寝覚めも悪ぃ。お前はオレらと長いんだからよ」

 そう言って次郎の前足と両兵は拳を突き合わせる。何だか少しだけ奇妙な取り合わせだが、次郎は両兵に慣れているのか前足を器用にくるくると回して握手する。

「……分かった。言う通りにする……」

「……ルイさん?」

 ルイはそう言うなり、くるりと身を翻し、格納庫の前で途方に暮れていた赤緒の下へと向かっていた。

「あっ、ルイさん……。その、さっきはすいません……私、怖がらせちゃったかも……」

「いいのよ、別に。……こいつの予防接種と、私の。明日には受けられるかしら」

「……それは、多分……。はい、大丈夫ですけれど……何でここまで逃げてきたのに?」

 赤緒にしてみればそっくりそのまま主義主張が変わったのだから困惑が勝ったのだろう。ルイは次郎を盾にしつつ、紅潮した頬を隠しながら呟く。

「……べ、別に。そっちのほうが……心配してくれてる人も居るし」

「それなら……じゃあ、明日。ちゃんと予防接種しましょうか、次郎さん」

 ぷぎぃ、と次郎が鳴いたことで今日の騒動は収まったようだ。両兵はと言えば、貢献したと言うのに胡乱そうな視線を注いでいる。

「……何かあったのか? アルマジロと黄坂のガキに」

「……ううん。何でも。けれど……お兄ちゃん、優しいんだね。次郎さんに」

「……まぁ、そりゃあ、そうだろ。あいつには助けられたこともあったからな。南米じゃ、動物と人間だって別段、変わりゃしねぇ。同じようなもんさ。そんで、貸し借りがあるってンなら、オレは返したほうがいいと思っただけだよ」

「……次郎さんのこと、ちゃんと心配してあげられたのもそうなんだ」

 ルイと次郎は大人しく赤緒と肩を並べて柊神社へと戻っていく。その際、次郎がこっちへと振り向いていた。

 さつきが手を振ると、次郎は分かっているのかいないのか前足を振る。

「……あれで賢いんだか馬鹿なんだかよく分かんねぇんだよな。言葉は分かってる風なんだが」

 そうぼやいて両兵も踵を返す。

 さつきはそっと言葉にしていた。

「……でも、お互いに心配できる間柄なら……きっといい関係だよね」

 ――翌日の夕刻過ぎに赤緒に引き連れられて、ルイは次郎と共に近場の開業医に訪れていた。動物病院で次郎の予防接種を終えてから、次いでに内科で予防接種を打ってもらおうとしたのだが、その直近でルイはぎゅっと膝に置いた次郎の尻尾を握り締める。

 ぴぎぃ、と次郎が鳴くので赤緒がそれとなく視線を向けるとルイは小刻みに肩を震わせていた。

「……赤緒。私……その……」

「……ルイさん。手、握っておきましょうか?」

 普段ならこのようなことを言えば、馬鹿にしないでと平然とした言葉が飛んでくるのだろうが、今日ばっかりはルイも素直だ。

「……お願い」

 次郎の予防接種は簡素ですぐに終わったものの、問題なのはルイの予防接種であった。針を見ないようにしていたので、赤緒はその指先を包み込むように握ってやる。

「はい、終わりましたよー」

「……本当に?」

「本当ですってば。……ルイさん、偉かったですね。泣かなかったんですし」

「……まだ痛い」

 予防接種の痕のガーゼを憎々しげに見つめるルイに、赤緒は帰り際、コンビニに立ち寄っていた。

「……ちょっと待っていてくださいね」

 取り残された次郎とルイが駐車場で座り込む。

 その背中を眺めつつ、赤緒はアイスを三本分買い付けていた。

「ルイさんっ。次郎さんも。偉かったのでアイスをおまけしちゃいますっ」

「……いいの?」

「はいっ! とっても偉かったですから、今日はご褒美ですよ」

 何か言いたそうにしていたが、ルイはいつものように文句を垂れることもなくアイスを受け取る。次郎もアイスをしゃりしゃりと頬張り、上機嫌の様子だ。

「……その、赤緒。ワガママ言って、ごめん……」

「いえ。……でも泣かなかったから、いい子だったと思いますよ。次郎さんも、もちろん、ルイさんも!」

 そこまで口にして、ようやくいつもの調子を取り戻したのか、ルイがべっと舌を出す。

「……子ども扱いしないで。私はあんたなんかより……よっぽど大人なんだから」

「……そうですね。でも舌、真っ青ですよ?」

 ソーダ味のアイスを頬張ったせいでルイの舌は青くなっている。不覚、とでも言うように恥じ入ったルイへと赤緒は屈んで問いかける。

「……次郎さん、触っていいですか?」

「……バイキンまみれよ、こいつは。赤緒はそういうの、嫌なんじゃないの?」

「……まぁ、普段はちょっと。でも……とってもいい子だったのでなでなでして褒めてあげないと」

 ルイが次郎を抱え上げ、赤緒はそっと頭頂部を撫でてやると気持ちよさそうに身体を震わせる。

 こちょこちょとそのまま首筋に触れていると、ルイが自ずと同じように頭を差し出していた。

「……ルイさんもなでなで、要ります?」

「……馬鹿。忘れてちょうだい」

 かぁっと頬を染めたルイに、赤緒はそっと頭を撫でる。

 特別なものなど必要ない。ただただ、偉かったことを褒めるのに、立場なんて今は不要のはずだ。

 コンビニの駐車場に、夕映えが差し込んでくる。

 座り込んだ三つの影が、今だけは親密に寄り添っていた。

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