JINKI 312 頑張り屋のメモ帳

 シールに急かされて赤緒は大慌てで納品書のチェックを付けていく。

「わわっ……! 待ってくださいよぉ……っ! まだ朝の分の仕事が片付いていなくって……」

「赤緒さん、そう言えば朝方から仕入れておいたレンチとかどこに行ったのか分かる?」

 今度は月子から尋ねられ、赤緒は当惑しながらもメモ帳に視線を走らせる。

「あ、えっとぉ……朝に仕入れた分はあっちの格納庫ですよね……。自衛隊駐屯地のほうの……」

「赤緒ってばー! 自衛隊のお昼とか注文どうなってるの? いつもの牛丼でしょ?」

 エルニィはと言うと人機の整備を続けながら声を振ってくる。赤緒はそれを受けてメモ帳に書き留められた確認事項を順繰りに読み取っていた。

「えーっと……牛丼は確か十四人分、でしたよね? それは一応、注文しておきましたが……」

「朝から働いてるんだから、並盛りじゃ、足んねぇぞ! ちゃんと全員、大盛りで注文してあるんだろうな?」

「あぅ……それは、えっとぉ……」

 目の回る忙しさで赤緒はいっぱいいっぱいになってしまう。それでも、整備班を回すのが今日の自分の仕事だ。その証明のように今日の服装はいつもの巫女服ではなく、メカニックから支給されたツナギ姿であった。

「赤緒ー、お昼ぅー」

「赤緒! 納品書! とっとと回せよなー!」

「赤緒さん。レンチがないと、お仕事に差し障りが出ちゃう……」

「ま、待ってくださいってば……。そんなにいっぺんにできませんよ……」

「なにぃー? お前が言い出したんだろうが! 今日一日、秋の代わりをするって!」

「そ、それは……」

 もごもごとしている中で、赤緒は自分を信じて差し出されたメモ帳をぎゅっと握り締める。

 そこには「日向秋の整備メモ」と書かれており、整備班にとっての死活問題や毎日の日課などが細かく書かれていた。

 そもそも何故、自分がそれを引き受けているのか――整備班の雑用兼一員として仕事に勤しんでいるのか――話は今朝早くに遡る。

 ――ふわぁ、と欠伸を噛み殺しながら赤緒は朝の台所に立とうとして、もう既に準備を行っているさつきを目にする。

「あっ、さつきちゃん。やっぱり早いね……何時に起きてるの?」

「あ、赤緒さん。おはようございます。今日はそうですね……朝の四時半くらいには」

「よくやるよ……私、昨日の操主訓練で疲れちゃって朝までぐっすり……。このままじゃ成績落ちちゃうかも。最近、あんまり勉強できてないし……」

「学校に行きながら操主の訓練をするのって大変ですもんね。……そういえば、今日はまだいつも通りの方が来ていらっしゃいませんけれど……」

「……いつも通りの?」

「あ、はい。整備班にいらっしゃる、日向秋さんがこの時間になると、早めの朝食……と言うか、朝ご飯の前に喝を入れるために、おにぎりを四つ持って行かれるんです」

 完全に初耳の事実に赤緒はそれとなく声を潜める。

「……ねぇ、さつきちゃん。もしかしなくても、メカニックのみんなって、やっぱり朝早くって夜遅いのかな……」

「そうみたいですよ? よく深夜の夜食だけではなく、徹夜もなさるのでそのためのご飯を頼んだりされますし」

 何だかんだで自分の窺い知らぬところで整備班にも苦労をさせているようであった。少しでも楽をしてもらおうと、赤緒は握りたてほかほかのおにぎり四つのお盆を手にする。

「じゃあその、私が持って行くよ。日向さんも大変だろうし、それにシールさんや月子さんもね。まだ起き立てだろうから、機嫌悪いかもだし」

「じゃあお願いできますかね。……けれど、いつもは欠かさずこの時間帯にいらっしゃるんですけれど……どうしたんでしょう?」

 そこまでさつきが言ったところで、台所に秋が現れる。相変わらず帽子を目深に被っているが、どこかその面持ちには憔悴があった。

「あっ、日向さん……って、どうしたんです?」

「あ、あの……」

 赤緒が耳を傾けると、秋は目の前で倒れ伏す。まさか、とさつきと共に駆け寄る。

「日向さん! ……えっと、大丈夫ですか?」

「だ、だいじょう……ぶ……」

 どう聞いても大丈夫と思えない声音に赤緒はそれとなく額に手をやる。すると、火傷しかねないほどの高熱であった。

「すごい熱……! さつきちゃん、氷枕! ……大丈夫ですか?」

「うぅ……だ、だいじょうぶですから……おにぎりを……」

「でもすごい熱なので……寝てないと駄目ですよ……」

「赤緒さん! 氷枕を! 奥の座敷に布団も用意しておきました……!」

 素早いさつきの行動に赤緒は秋を寝かせる。帽子を脱がせようとしたが、それだけは、と秋は頑として頭を振る。

「あ、あの……」

「無理しないでください……。熱がすごいですから、多分、過労かな。五郎さんを呼んできますので、日向さんはここでじっとして……」

「そ、そうは……いかないんです……っ!」

 無理やりでも起き上がろうとする秋へとさつきと自分が制する。

「駄目ですってば……! 無茶したら身体を壊します!」

「それに、一日くらいなら、シールさんたちも休ませてくれると思いますよ?」

「……分かりました……。仕方ありません……自分の体調管理が行き届かなかったんですから……」

 何だか自分から無理をしかねないその様相に赤緒とさつきは顔を見合わせ合ってから、それとなく聞いていた。

「あの、もしよければ、私がその……メカニックのお仕事を今日だけでも代わりましょうか? 幸いにして今日はお休みですし」

「……でも、柊赤緒さんに無茶はさせられませんよ……。操主の方なんですから……」

 秋なりに整備班と操主を分けるプライドのようなものがあるのかもしれない。だが、それで身体を持ち崩してしまっては元も子もない。

「大丈夫ですっ! 任せてくださいっ!」

 胸元を叩いて自信満々に言い放つ。今は秋に無理をさせないのが先決だ。それに、整備班の仕事が激務とは言え、今の秋を安心させることも必要だろう。

「……で、では柊赤緒さん……。これを、お渡ししておきます……」

 秋が胸ポケットから差し出したのは、擦り切れた手帳であった。

「これは……」

「整備班の、心得メモです……。我流ですけれど……メカニックに必要なものを詰め込んでありますので……どうか、これを参考に……」

 がくっ、と秋が俯く。思わず赤緒は叫んでいた。

「日向さん? 日向さん……!」

 直後にはすぅすぅと寝息が立てられる。

「眠られたようですね……。赤緒さん、五郎さんにも言っておきますから、多分大丈夫だと思いますけれど、いいんですか? 引き受けてしまって……」

「……うん。でも、日向さんが何に困って、何に苦労しているのかを私も知りたいの。それに……! いい機会かなって」

「いい機会……ですか?」

「メカニックのみんながどんな風な仕事をしているのか、私たちって意外と知らないから。お手伝い程度になれれば、きっと日向さんも安心してくれるんじゃないかな」

 赤緒は四人分のおにぎりを手に、格納庫へと向かう。きっと、彼女たちも自分と同じように、一生懸命仕事に打ち込んでいるはずだ――そう感じて扉を開けた途端、怒声が飛んできていた。

「遅ぇッ! 秋、何やって……って、赤緒か? ……何だよ」

 明らかに不機嫌なシールが整備中の人機の上でふんぞり返る。月子はと言うと鼻の頭に黒い整備油が付いており、ひょっこりと顔を出す。

「あれ? 赤緒さん? ……秋ちゃんは?」

「ひ、日向さんは……その、過労でお休みで……今日だけは、私が日向さんの……代わりをば、と……」

 完全に今しがたの怒声で竦み上がった自分へと、エルニィが人機のコックピットブロックから視線を注ぐ。

「……赤緒? 秋はどうしたのさ」

「日向さんは……今日はお休みです。皆さん……働き過ぎでは……?」

「働かねぇと時間がいくらあっても足りねぇんだ。ったく、それで?」

 おにぎりをひょいと引っ手繰ってそれぞれに振る舞いつつ、シールは尋ねる。赤緒は首を傾げていた。

「それで、とは……?」

「……あのな、赤緒。本当に秋の代わりに一日働けるんだろうな? ……言っておくが、冷やかしだとかは御免だぜ?」

「ひ、冷やかしなんて、そんな……! 私は真剣に……一日メカニックとして働かせてくださいっ!」

 頭を下げると三人ともわざわざ文句を漏らすほどではないのか、エルニィが言葉を濁す。

「いいけれど……普段は操主とメカニックの仕事は完全に別って認識だからなぁ。……結構大変かもよ?」

「だ、大丈夫ですっ! 頑張りますのでっ!」

「……威勢はいいようだがなぁ。秋にしかできねぇこともたくさんある。本当に赤緒にできるのか?」

 ここで取り下げてはいけないはずだ、と赤緒は自らを奮い立たせる。

「そ、その……よろしくお願いしますっ!」

「……まぁ、おふざけとかは一切なしでやらせてもらうけれど。赤緒、本当にいいんだよね? 普段、秋がやっているようなことを赤緒にやってもらう、って認識で」

 何だかエルニィのその物言いだけでも半端な仕事ではないのは窺えたが、赤緒はうろたえつつも首肯する。

「も、もちろん……っ!」

 ――と、返事だけは立派な言葉を吐いたのがつい二時間ほど前。赤緒は格納庫に運ばれてくる備品整備や、納品書をさばいていた。

 普段は全く使わない計算機や英語の機密書類、果てにはそろばん勘定までしなくてはいけないので、赤緒の脳はぷすぷすとショートしかけている。

「……メカニックのお仕事って……こんなに……?」

「赤緒ぉーっ。さっき納品したアサルトライフルの弾数、ちゃんと足りてるか計算したかー?」

 シールが自身の仕事の傍ら尋ねて来るので赤緒はハッと顔を上げて納品書を読み上げる。

「納品書にはちゃんと揃っているって……書いてありますけれど……」

「馬ぁー鹿。それ、いつもちょろまかす国からの奴だろ? 純正品かどうかを確認しねぇと、弾数を百発単位で誤魔化されたこともあったんだぞ?」

「えっ……そんなこと、あって……」

「まぁ、いいはずがないんだけれど、各国がどれもこれもちゃんと支援してくれているかって言うとそれも渋い話なの。実際のところじゃ、注文したのと納品したのじゃ、全然違う品だってこともよくあるし……」

「そ、そうなんですか……。じゃあ、えっとぉ……一つ、二つ……」

 月子の懸念に赤緒はアサルトライフルの弾数を一発ずつ数えていると堪えかねたシールが歩み寄って確認する。

「あーっ、もう! んな悠長なことやってたら日が暮れちまう! ほれ! この機械を使えば一回でやれるから!」

 差し出された機械でアサルトライフルの弾数を数えさせながら赤緒はそろそろ牛丼が届く頃合いだと時計を仰ぐ。

「よ、よかった……もうすぐお昼……」

「お昼? 何言ってんのさ。自衛隊のみんなはお昼だけれど、ボクらのお昼はもう一時間先だよ?」

 エルニィの信じられない言葉に赤緒はあんぐりと開いた口が塞がらなくなる。

「……そ、それって……私たち、まだ我慢しないと駄目なんですか……?」

「我慢も何も、さっきメシ食っただろ? オレらは小刻みにメシを食うから、それで昼だとか夜だとかは我慢してんだ」

「ご飯……って、さっき食べたおにぎりのことですか?」

 震撼していると人機の脚部装甲の継ぎ目を整備していた月子が寝そべりながら視線を振り向ける。

「赤緒さん、ちゃんと食べてないの? おにぎりを一日五食。他は一応、柊神社で貰う分もあるけれど、そうだなぁ……私たちって普段、一日何食だっけ?」

「分かんないけれど、八回くらいは日に食べてるんじゃないの? そうじゃないとスタミナが持たないよ」

 エルニィは整備の手を休めずに応じる。

 赤緒はその事実に愕然としていた。

「は、八回……? そんなに食べてるんですか……? 太っちゃう……」

「安心しろって。八回食っても整備班の一日スケジュールなら太らねぇよ。そんな余分があればオレらはもっと肥えてるぜ」

「だねぇ……。そう言えば赤緒さん、届いた書類にはちゃんと切手を貼って郵便局に届けないと。普段なら……秋ちゃんに車を出してもらうんだけれど、赤緒さんは運転はできないよね?」

 月子も一切手を休めない。

 本当についでのように尋ねられるので赤緒は戸惑ってしまう。

「あ、はい……。人機は操縦できるんですけれどね……」

「じゃあ自衛隊の人に頼んでいいから、郵便物を出してもらっておいて。国際郵便だから、ちょっと高くつくかもだけれど」

「は、はい……ただいま……」

 書類を整理する途中で赤緒ははたと手を止める。

「……あの、郵便代金は……」

「あん? そんなの、普段は秋が出してくれるだろ。……って、そっか。今日は秋は居ねぇんだった。じゃあ、赤緒。お前、柊神社の財布を管理してんだろ? そっから出してくれよ。後で埋め合わせはするからよ」

「……でも、一個二個……こんなに国際郵便出したら……とんでもない額なんじゃ……」

「赤緒ー。でも今日のところは赤緒もメカニックの一員なんだから、ちょっとは協力してよね。……大丈夫だって、破産するほどじゃないから」

 エルニィの慰めにもならない言葉を受けながら赤緒は仕方なく自身のポケットマネーから国際郵便の支払いを済ませる。

「……今月ピンチなのになぁ……」

 なけなしの小遣いを使うのはなかなかに厳しい。しかし、さらに苛烈なのはメカニックとしての仕事そのものであった。

「赤緒! ブロッケンのレンチ、緩んでんぞ! 何やってんだ!」

「は、はい、ただいま……!」

「赤緒さん? こっちの油が切れちゃってるから、格納庫の裏から持って来てくれる?」

「は、はいぃ……ただいま……!」

「赤緒ぉー。喉乾いちゃった。炭酸のシュワっとした奴、持って来てー」

「は、はひぃ……ただいまぁ……」

 目が回るとはまさにこのことで、赤緒は炭酸ジュースを注ぎに台所に戻ったところで、ハッと気づいて大慌てで格納庫に帰って来る。

「立花さん……! 今、普通に私のことを使いパシリにしましたよね……?」

「あっちゃー、バレたか。……でも、いつもなら秋はそれくらいやってくれるよ?」

「い、いつもなら……」

 愕然としつつ、赤緒は背を向けて秋のメモ帳を開く。そこには「先輩方の命令は絶対!」と赤字で記されている。

「……わ、分かりましたよぉ……。炭酸でいいんですよね?」

「あっ、オレはコーラな。二リットルの奴」

「赤緒さん。申し訳ないとは思うけれど、私はお茶がいいかな」

「……は、はひぃ……っ」

 赤緒は台所で時計を見やる。ようやく正午を回ったばかりで、メカニックの一日の半分も消化していない。

「……私には向いてないのかなぁ……」

 陰鬱なため息をつきつつ、赤緒は全員分の飲み物を用意して再び格納庫へと向かう。すると、先ほどまで整備していたのは何だったのか、クーラーボックスに入れたアイスをエルニィたちは齧っていた。

「あっ、飲み物こっちこっちー!」

「……立花さん? 私、飲み物を持って来て欲しいって言われたと思うんですけれど……」

「うん、そうだけれど?」

「……勝手にアイス食べるのは禁止って前に言いましたよね? あと、クーラーボックスを持ち込むのも……」

「もうー、赤緒ってば頭堅いなぁ。いい? ボクらは肉体労働と頭脳労働、どっちもやっているわけだ。それなのに甘いものを食べちゃ駄目ってのも変だよね?」

「まったくだぜ。赤緒、コーラそこの机に置いといてくれよー」

 何だか上手く丸め込まれているような気がするが、秋のメモ帳を順守するのならばここで言い争いをしても仕方がない。

「あの……それで? この後はどうするんですか?」

「あー、そういや、今日は自衛隊の駐屯地に視察だったか。じゃあ、赤緒でも活躍できるぜ」

「車は……南さんに回してもらおっか」

 活躍、と言われれば赤緒も自然と浮ついてしまう。

「……本当ですか?」

「うん、まぁ普段とは違うかもだけれど」

 アイスをシャリシャリと頬張りつつ、エルニィが告げる。その言葉に赤緒は脳に浮かんだ疑問符に首を傾げていた。

「……普段とは……?」

「――オラ、そっち! そっち飛んでったぞ! 弾薬一発でもとんでもねぇ額なんだ! 拾っとけよな!」

 シールの言葉に追い立てられるように赤緒は《テッチャン》を稼働させてひぃひぃ言いながら訓練場を駆け抜ける。

「……ちょ、ちょっと待って……! 普段の人機操縦とは違うから……疲れちゃう……」

「だから言ったでしょー。普段とは違うって」

 エルニィも同じように《テッチャン》を動かして飛び散った弾薬を拾い上げている。

「……まさか訓練の弾拾いなんて……」

「自衛隊も《ナナツーウェイ》部隊を編成してくれてるんだし、ちゃんとサポートしないとねぇ。ほら、手がお留守になってるよ」

《テッチャン》はモリビトとは違い、完全なマニュアル人機の上に、化石燃料を使った機体なのでやたらと煙い。

「わ、分かってますよぉ……」

 返答しつつ、赤緒はそれとなくメモ帳を開く。

 秋の記してきた心得には「どんな時でも向上心を忘れずに!」と書かれている。赤緒はきゅぅと心許ない声を上げる腹の虫に、がっくりと項垂れる。

「こんなにメカニックが大変なんて……」

「あっ、ほら赤緒! 前! 前!」

「前って……」

 顔を上げた途端、発煙弾頭が眼前で吹き飛び、赤緒は《テッチャン》に乗りながら煤で真っ黒になってしまう。

「あっちゃー……。言ったじゃん。前って。ちゃんと見てないから」

「……こ、向上心……向上心……けほっ」

「普段の巫女服じゃなくって不幸中の幸いだったねー」

 エルニィは落ち着き払って発煙弾頭を処理し、使用済みの弾薬入れへと《テッチャン》でえっさほいさと運んでいく。

『ほれ! 自衛隊! 足のところの踏み込み甘ぇぞ! そんなんじゃ、ナナツーだってマトモに動かせやしねぇ!』

 一機の《ナナツーウェイ》が自衛隊員を追いたてつつ、グラウンドを周回する。巻き上げられる砂埃で赤緒は上から下まで真っ黒だ。

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