JINKI 314 天より落ちて、地に生まれる

 当の問題児であるドクターオーバー――否、今は「瑠璃垣セリ」は真っ暗な部屋でキータイピングを行っており、なんて自由な身分なのだと呆れもする。

 それもこれも“ハイド”が彼の行動を縛っていないせいでもあったのだが、なずなはこの在り方は間違っていると言うつもりはないが、少なくとも一家言はある。

「……あの、ドクター。こうも毎日毎日……部屋に籠りっきりで作業の数々となれば私でも誤魔化しが利かなくなってきますよ」

「わたしはただただ真理を追究するだけだよ。それにどのような弊害があると言うんだ? ハイドに手を貸しているんだ。役には立つさ」

「……それもどうなんですかね。ドクター。あなたはこの世界をどう転がすつもりなのです?」

 コーヒーメーカーの抽出を始めながらなずなはセリのほうへと目線を振り向ける。すると、今朝方にはなかったはずの巨大な段ボールが目に留まる。幅広で、その大きさはちょうどセリと同じくらいか、少し大きい程度だろう。

「……まさかまた、勝手にお金を使って……」

「ああ、南米で頼んでおいたのがちょうど到着してね。いやはや、国際郵便は金がかかって困る」

 セリはドクターオーバーとしてグリムの眷属を率いていた過去がある以上、ある程度は自由が利く資産を有しているようだ。だが、だとしてもそうそう何回も高額商品を買われてしまえば厄介の種になることは間違いない。そもそも、セリは自分の弟と言う設定上、あまり目立つことは控えるべきだろう。

「何を注文したんです?」

「気になるかね? まぁ、ちょっとした興味と言う奴だ」

 梱包が解かれ、中から露になったのは――まだあどけない面持ちの少女であった。瞼を閉じており、まさに眠り姫と言う様相。さらに言えば、亜麻色に近い髪の毛はまるで絹のようでさえもある。

「……な……っ! これ……もしかして……!」

「察しがいいね、さすがは姉さんだ。これは“人形”だよ」

 人形――それはドクターオーバーが得意とする技術体系である。人間の臓器、感情、そして人格でさえも人工的に加工された存在。ドクターオーバーは稀代の人形師として、その有り様を確立して来た。

 しかし、その栄光は翳る。

 キョムのセシルとの真っ向勝負で人形師として押し負けた敗退は、セリにとっては屈辱的であったはずだ。その結果、もうセリは人形など作らないと思っていた、思い込んでいた。

 だがそれ自体、知った風に成っているだけの代物だ。

 セリには倫理観がまるでない。

 だからこそ、他人の人生を侮辱し、軽んじて屈折した考えで捻じ曲げる。そこに善性もなければ悪性もない。人智の及ぶ範囲を追求したいと言う、人間の根源欲求でしかないのだ。

 そこに悪としての矜持はない。

 何故ならば、彼自身、自らのことを悪などと思っていないからだ。ゆえにこそ、ドクターオーバーと言う存在は神に最も近い存在なり得た。

 だが今となってしまっては、自分の弟の身分に身を落とし、さらに言えばハイドに監視されている状態。半ば軟禁状態に近いのだが、セリは滅多なことでは機嫌を崩すことはない。唯一機嫌を取らなければいけないのは、一個だけ。

「……姉さん。わたしは朝からずっとデスクワークだったんだ。当然、労ってもらうべきだと思うんだが」

「……分かっていますよ。はい、これ」

 なずながハンバーガーショップのテイクアウトを差し出す。待っていましたとばかりにセリは歩み寄り、袋を物色し始める。

「ほう、テリヤキバーガーとは。わたしは正直、これだけが楽しみなのだからね。頼んだよ、姉さん」

 頬張るとそのジャンキーな旨味が染み渡って来るのか、恍惚とした表情を浮かべていることに自分でも気づいていないようだ。

 そもそもの話、まさかグリムの眷属を率いた首魁とこうしてコーヒーとジャンクフードでさほど距離もなく相対できるとは思っていなかったのもあるが。

 セリは豪快に頬張り、頬に付いたソースを舐め取る。

「……で、だ。姉さん。わたしはもっと……旨いものが食いたいと思っている。テリヤキバーガー、大いに結構だとも。だがね、毎日ルーティーンではパフォーマンスも落ちると言うもの」

「……しょうがないでしょう。学校の臨時職員と言うのは意外と儲からないんですから。はい、ブラックでよかったですよね?」

「助かる。しかし、そんなものかねぇ」

 ブラックコーヒーを受け取ったセリはずずっと啜りながらサイドメニューのポテトにも手を出す。なずなは今日一日の疲れを砂糖とミルクたっぷりのコーヒーで癒しながら、ふと嘆息をついていた。

「どうした、姉さん。日本にはため息を吐くと幸せが逃げると言う、ことわざめいたものがあるのだろう?」

「……分かった風なことを言うんですね。いずれにしたって、ドクターに教鞭を振るわれるほどじゃありませんよ」

「教育実習生……か。その大変さは推し量るほかないが、わたしも人の上に立ったこともある人間だ。誰かの人生まで背負い込むのはなかなかに重い代物だとも。もちろん、それを教唆するのもね。骨が折れるとはまさにこのことだろう」

 セリも組織を率いてきた境遇上、誰かに教えを説くことも少なくはなかったのだろう。だからこそ、稀代の人形師としての価値基準と、そしてその地位は不動のものであったはずだ。

 それが、まさか真正面から挫かれるとは想定外であっただろう。

 キョムのセシル――全く同じ姿をした、まさに鏡像。鏡の向こうにある自分自身に敗北を喫したのは彼にしてみれば如何なる心地であろう。どれだけ言葉を弄したところで、自分には理解できない領分だ。

「……して、ですよ。今さらに人形を作ったところで……」

「おや、意味がないとでも? しかしだね、姉さん。これは約束でもある」

「約束……?」

 セリは金属製のカップを置き、筐体に繋いである矢じり型の鉄片に視線を振る。無数のケーブルが接続されたそれは血続の力を発現させるための触媒、アルファーだ。

 だが平時に用いるアルファーと異なるのは武骨な機械が装着されており、今も薄ぼんやりと発光するそれを翳す。

「こうすれば、確か血続ならば人機を自在に操り、そして遠隔で思念波さえも飛ばしてみせる。まったく、理解の外ではあったがね。わたしにしてみれば、第六感以外の何者でもない、そうだな。関知野、とでも呼ぶべき領域だ」

「……ふざけたって、血続の真似事はできませんよ。あなたは、だって……」

「人形師、そして技術者。重々承知だよ、姉さん。だがね、わたしとて興味がないわけではない。たとえば、の話だが血続操主がもし死ねば、その思念をギリギリまで受け止めていたアルファーに残った、残留思念とでも呼ぶべきものは魂と呼称してもいいのだろうか、と。研究者としてはそそられるテーマだ。人類がどれほど掘り下げたところで、あるいは高尚に成り下がったところで不明なままの場所。魂は、終わりの淵に立った瞬間に裁かれるのか、それとも消し去られるだけなのか、と」

「……禅問答は趣味ではありませんよ」

「もちろん、わたしもだ。研究分野においては実践でのみ語られるべきだよ。ちょうどダウンロードが完了した頃合いらしい」

「……ダウンロード……?」

 キータイピングするセリは0と1で構築された情報をアルファーへと流し込む。とくん、とアルファーから放たれる光が脈打ったのがなずなには伝わっていた。

「……これは、まさか……」

「分かるか。姉さんも血続だったからね。そうだとも、今、この瞬間にとある人物の、魂と呼ばれる情報がアルファーに流入した」

 まさかそのような悪魔の研究が、と震撼した自分を他所にセリはそのアルファーを翳して段ボールに収まる少女人形へと向ける。

「……かつて、世界を支配し、そして虚ろの先に染め上げようとした黒の男は同じことをしたに違いない。人類の手による、新人類の創造と破壊。これがどのような結果をもたらすのかは……」

 その先の答えは少女が持っているとでも言うようにアルファーが深く鳴動し、直後には少女人形へと光が注ぎ込まれる。魂の輪郭を帯びた少女が瞼を上げていた。

「……ここ、は……」

「堕ちた世界にようこそ。いや、それともおかえりと言うべきだろうか。わたしのことが分かるな?」

 少女は自身の掌を眺め、それから無理やり固めたその拳を振るう。

 だがまだ力を入れかねているのか、あるいは馴染んでいないのか、拳はセリのすぐ脇の床を叩き据える。

 しかし、それだけで床に亀裂が走っていた。その衝撃だけで少女の手首が折れ曲がるも、軽くこきりと関節を入れ直す。

 少女の瞳は虚ろの先で薄紫色の瞳孔を収縮させる。まるで獣のようだ、となずなは声も出せずに感じていた。

「……ここが地獄でも、ましてや天国でもないってことはよぉ分かった。その声は確かドクターオーバー、やったか……」

「理解は早いようだね。それもそうか。死ぬ前に約束を交わしたわけだから、それが実行されたことに安堵したのかな」

 セリは恐れずに少女へと踏み込む。その肩を思わずなずなは止めていた。

「……危ないですよ。ドクター……あなたは一体、“何”を造ったんです?」

「何、も何もない、人形だよ。ただし、ちょっとばかし材料が手に入らなかったのでね。生態部品は高値の上に、なかなか一般流通には及びづらい。如何にわたしが人形師として称えられていようとも、これが今の限界だ」

 少女が手首から覗いた傷口へと視線を落とす。なずなもそれを認めて息を呑んでいた。

「……機械……?」

 少女は不遜そうにふんと鼻を鳴らす。

「何や、わしが思っとったのはもうちょっとマシな躯体なんやがな。これは機械人形に堕とされたと思うてええんか? ドクター」

「黒将が生み出したものに匹敵する人形技術はシャンデリアやグリムの過去の遺物として再現はとても難しい。機械部品でも見た目は人間だ、それは誇っていい」

「……見た目、言うけれど。耳が……妙やな」

 少女の見た目そのものは人間にしか映らないが、両耳は尖った機械部品で構成されている。さながらファンタジー世界のエルフと呼ばれる種族のように。

「君はそのままではさすがに有限の命しか持たない。人機に使用する血塊を細やかに砕いて小型のブルブラッド共鳴路システムを構築した。君の生命線だ。大事にしたほうがいい」

 その言葉で耳をさすっていた少女の手が止まる。

「……要は首輪か。分かりやすくってええ」

 少女はパイプ椅子を引き寄せて憮然と足を組んで座り込む。この場においての異物は自分ではなく、なずなたちのほうなのだと言うかのように。

「……ドクター。これは一体……」

 堪りかねて口にするとセリは何でもないように告げる。

「……京都決戦時、わたしは彼女とアクセスを取った。ハイドの通信ログに残っているだろう? あの時、《キリビト・レキ》に搭乗していた彼女は死んだ。だが、金剛グループはいくつものスペアを用意している。月代アンナを名乗った女性もその一人。ダテンシリーズ、と呼ばれる血続操主の量産計画だ」

 逆に答えからは迂遠に誤魔化されているように感じて、なずなは語気を荒らげる。

「……分かっているんですか? 人一人を再生させて人形化する……これはハイドにとって立派な背信行為で――!」

「姉ちゃん。そう声を荒げるなや。わしも生まれ変わって少し……いや、まだまだ馴染んでいる感じは薄い。コンコルザの旦那と京都支部の頭目はこの技術に近いものを使っとるようやったが、いざ自分がその段になると戸惑いが勝つもんなんやな」

 何度も手を開いたり閉じたりする少女へとセリは満足げに応じる。

「ヒトは叡智を己の物とする段階で、幾度となく逡巡する。時に、それが正しいのかどうかの議論にさえも。わたしに言わせてみればナンセンスとしか言いようがないが、それが人間だと言われれば納得だ」

「……ドクター……! 結局、彼女は何なんです! 何者なのかが分からなければ、身の安全は保障できません……!」

「……何や、繰り言は好みやないんか? わしも好きとは言い難いが、この身体に転生させられたんや。そういう、魂の領域だとか価値観がどうのこうのには少しばかり物申す資格はあると思うんやがな」

「彼女は金剛グループの量産した血続操主、ダテンシリーズの一角。ダテン=スーだ」

 あまりにもあっさりと告げられてしまった真相に、なずなは硬直する。今、セリは何と言ったのか。

「……ダテンシリーズって……だって、それは……」

「京都決戦時に失われた操主。《キリビト・レキ》に乗っていた彼女は月代アンナによって殺害された。だが、その直前、わたしと彼女の通信ログがある。聞いてみるかい?」

 差し出されたイヤホンになずなは固唾を呑んでから受け取っていた。

『だが、死ぬのは予定調和とは言え少しは未練もあるだろう。わたしにいい考えがある』

『ほう、何や? 下手な考えなら今すぐそこに行ってキリビトの雷霆で焼いたるさかいのぅ……』

『なに、簡単なことだよ。アルファーによる魂の分離。それをやっておいて欲しい。いや、実際には複写か。魂の一部でもいい。ダテン=スー。君が死んだとなれば金剛グループは次の手を打ってくるに違いない。その時に、主の首筋を噛み千切ってやりたくないか? 喉笛に喰らい付くのは獣の特権だ』

 一拍の沈黙の後に、ダテン=スーが尋ね返す。

『……ええが、それやと複写したアルファーはどうする? 回収可能な場所にないと結局意味ないんと違う?』

『こっちにもアルファーはある。それに、わたしは稀代の人形師、ドクターオーバー。0と1の配列に書き換えてこちらへとデータを送ってくれ。それを再構築し、君と言う存在を復活させる』

『……どうにも胡乱でしゃーないなぁ。けれどまぁ、今のわしには歯向かうような手段もあるわけじゃなし。……ええか。もしもの時に生き返れたら、その時は御の字』

『では、復活できた際には』

『ああ。……ハイドと言ったか? そっちの都合に乗ってやるんも、やぶさかやない』

 通信記録はそこで途切れている。なずなは驚嘆の眼差しでセリに視線を返す。

「……こんな裏取引を……」

「わたしはこれでも真っ当にやったつもりだが。それにしても、人形と言うのはいつ造ってもいいものだ。私も腕がなまってしまってはいけないな」

「その結果が、機械の身体ちゃうんか? ……半分人機みたいなもんやな、これじゃ」

 ダテン=スーは少女の躯体を眺め回し、肉体の精度を確かめているようであった。今さらになって、なずなはダテン=スーの裸体に上着を着せる。

 するとダテン=スーはせせら笑ってこちらを仰ぎ見る。

「何や、ハイドの諜報員言うたらもっと人でなしかと思うたが……案外、笑えるようなことをやってくるやんけ」

「……ドクター。ハイドに関しては……」

「ほとんど喋っていない。キョムとアンヘル、どちらの味方でもないと言うスタンスだけだ。それでいいんだろう、姉さん」

「……姉さん? あんさん、この悪魔のガキの姉なんか?」

「……体裁上は、と言ったところですよ。この東京では他者との繋がりが一切ないのは逆に不自然なんですからね」

「ダテン=スー……いや、これもややこしいか。名前を考えておいてくれ。わたしは表では瑠璃垣セリを名乗っている。姉さんの名前は瑠璃垣なずなだ」

「セリに、なずなねぇ……。春の七草の名前やな」

 ダテン=スーは新たに手に入れた肉体を探りつつ、頬杖をついて退屈そうに呟く。

「……で、どうするんです? ドクターの身分は誤魔化せましたけれど、さすがにもう一人は……」

 そこで唐突に扉が叩かれ、インターフォンが鳴る。心臓が飛び出すかと思ったなずなは、落ち着きを取り戻してからドアノブを回していた。

「瑠璃垣さん! 回覧板……あれ? その子は……?」

 大家の目線がダテン=スーへと注がれる。それに対し、ダテン=スーは喧嘩腰で応じていた。

「あん? どこ見とんねん、ジジィ!」

 中指を立てるダテン=スーになずなは大慌てで何とかでっち上げようとしても、そうそう妙案が浮かんでくるわけもない。

「あの、えっと……」

「姉さん、ここは僕が。彼女は双子の妹なんです。少しグレたところがありまして……上京する際に手持ちも家もないって言うんで、一時的に僕たちの預かりになってしまったんですよ。そうだよね? 姉さん」

 セリの言い分になずなは誤魔化せたかどうかは分からないままに何度も首肯するしかない。

「そ、そうなんですぅ……。私が仕事に出ている間に……実家で色々あったみたいでぇ……。あの、駄目ですよね? 三人で暮らすなんてそんな……」

「いや、別に大丈夫だよ? 瑠璃垣さん、しっかりしてるし、教職なんでしょう? だって言うなら、妹さんの更生、頑張ってあげてちょうだい」

 回覧板を渡されてあまりにもあっさりと受け入れられたのは恐らく、平時よりセリが都合のいいように回すために努力していたのだろう。大家の合意をバッチリ得たと言うわけだ。

「あ……ですけれど、その……。家賃とかは……」

「これまで通りでいいってば。三人兄弟なんて大変だろうし、上京したばっかりで右も左も分からないって言うのならなおさら! ……でも、これ言うべきか悩んだけれど……」

 急に大家が声を潜めるのでなずなは耳をそばだてる。

「えっと……何です?」

「……流行りなのかもしれないけれど、素っ裸に上着だけって言うのはちょっとどうかと思うよ? あっ、もしかして族だとか、そういうんじゃないよね?」

「ぞ、族だなんてそんな……! ですけれど、いいんですか? 私たち、ご迷惑をかけてばっかりで……」

「ご迷惑なんて水臭いってば! セリ君にはこの間、ビデオデッキ直してもらったし、エアコンの調子が悪かったのも何とかしてくれたんだよ? いい子じゃないの」

 自分が不在の間に大家の信頼を勝ち取ったのだろう。その点、したたかだなと感心する。セリは何でもないかのように好感度を稼いだ分だけ余裕そうだ。

「そんな! 大家さんが居なかったら、僕たちは困っていたんですから。東京は恐ろしいですからね……田舎者の僕や妹は困惑しっ放しで……」

「おい! 誰が妹じゃ! わしが姉やろ!」

 サムズダウンを返すダテン=スーになずなは困惑しっ放しで大家に取り繕う。

「その……こんな兄弟ですけれど、これからもどうかよしなに……」

「いいんだから! それに、可愛いじゃないの。その耳は? 新しいファッションなのかな?」

 その段になってダテン=スーの機械の耳を気に掛けるが、さすがに小型の血塊炉だとは言い出せない。

「おい、ジジィ! これは“オシャレ”、言う奴じゃ!」

「へぇ、詳しくはないけれどそんなものが流行ってるんだねぇ。うん、いいもんだ! 瑠璃垣さん、それにセリ君も。妹さんと仲良くね?」

 大家が立ち去ってからなずなは老け込んだ気分で嘆息をつく。

「……頼みますから。厄介ごとだけは御免ですよ……」

「それはわたしも同意見だな。ダテン=スー、少し迂闊だ。君のような人間を匿ってるのだから、わたしたちには危害だけは加えないようにしてくれよ」

「ケッ! 危害と来たか。それにしても、東京言うんはまた雑多じゃのう! 小型血塊炉が固有振動数を拾い上げとる。そんじゃそこいらで雑音ばっかりで堪ったもんと違う!」

 そう言うなりダテン=スーは立ち上がり、上着を引き寄せて窓を叩き割る。その想定外の膂力に圧倒されたなずなへと、ダテン=スーは言いやる。

「ほな。生き返らしてくれたのだけは礼を言うわ」

「ちょ、ちょっと……!」

 制する前にダテン=スーは窓を飛び立ち、都会の喧騒へと舞い降りる。

 アパートの二階層からのダイブであったが、ダテン=スーは傷一つないようでそのまま駆け出す。想定外なのは脚力もであった。今しがた目覚めたとは思えない瞬発力で街並みへと溶けていく。

「なるほど。一応は人間の少女にしか見えないとは言え、あれで小型の人機のようなもの。なかなかの性能だな」

「何を落ち着いて……! 逃げちゃいますよ……!」

「落ち着きもする。まさか姉さん、あれに首輪一つ付けていないとでも思ったのかい?」

 セリの操る筐体にはリアルタイムでダテン=スーの位置情報が送信されている。加えてもう一つ、何かの総量を計測するゲージと概算時間が刻まれている。

「……それは……?」

「ダテン=スー、彼女の有する小型血塊炉にはまだ問題点がある。それはわたしでなければ解消できない。加えて目覚めたばかりだ。概算時間にしてほんの300秒、か。活動限界点もある」

 まさかそこまでしているとは思いも寄らず、自分が瞠目しているとセリは画面を指差す。

「急いだほうがいい。あれで見た目はただの少女だ。壊されるのは本懐ではない。それに、彼女との約束を反故にすることにもなり得る。ダテン=スーを取り戻しに行って欲しい」

「……それはドクターがやればいいのでは……」

「わたしはデスクワーク専門だ。一応は人機操主もできる万能の天才とは言え、あの逃げ足のダテン=スーを捉えられるとは思えない。姉さんの《ナナツーシャドウ》が適任だよ」

 そこまで考えの内にあったのかと思わされるほどの面倒ごとに、なずなはほとんどやけっぱちになってアルファーを翳す。

「……もうっ! 事ここに至るまで秘匿し続けた、私の努力が……! 来なさい! 《ナナツーシャドウ》!」

 風が舞い上がり、アパートの駐車場に不可視の影が舞い降りる。なずなは帰って来たままのスーツ姿でコックピットに飛び乗り、夜の東京を掻くようにして飛翔していた。

「……それにしても、どこに行ったんだか……」

『それはこちらで捕捉している。ダテン=スーの位置情報を送ろう』

 いつの間に《ナナツーシャドウ》へと通信を接続したのかも分からない。なずなは考えるのも面倒だと思いながら、赤い光点を追跡する。

「せっかく隠し通して来たのに……! 諜報員は楽じゃないんですよ……!」

 この日本に手を伸ばしているのはハイドだけではない。だと言うのにここで動いてしまえば、それだけで優位が覆りかねないのだ。

《ナナツーシャドウ》は不可視の宵闇の衣を纏いながら、繁華街から少し離れた位置で止まっていた。

「……止まっている? まさか、もう時間切れ……?」

『いや、まだ200秒以上残っている。姉さん、すぐに回収しなければ、ダテン=スーの生存は我々の優位が脅かされる』

「……分かっていて復活させたんですか……! こうなってしまえば厄介の種ですよ……!」

 詰問の口調に自ずとなっていたが、セリは風と受け流す。

『だとして、わたしと姉さんだけでこの極東国家の盤石さをどうこうできるかい? 駒は多いほうがいい』

 どこまでも冷徹、どこまでも冷静なセリの言葉振りになずなは急く気持ちを抑え切れないでいた。

「……駒、ですか……。本当にどこまでも……!」

 ――別段、どこかを目指したわけでもなければ、どこかに向かいたかったわけでもない。ただ、「生き返る」と言う事象が纏いつく奇妙さに浮かされたと言ってもいいのかもしれない。

「……考えてみれば、コンコルザの旦那も京都支部の頭目もこれを何度も経験してたわけか。……ぞっとせんな」

 否、自分もその葬列の一員なのだ。

 血続操主のコピー、ダテンシリーズ。替えはいくらでも利く存在。そんな個別な理由も存在しない、ただの兵力。本当ならば人格も消し去ってしまえれば楽だったに違いない。しかし、コンコルザは《キリビト・レキ》を稼働させられるダテン=スーとして重宝していた。

「……いや、それも結果論か。わしの存在意義なんて、今さら……」

 その時、足ががくんと下がる。恐らくは急激な稼働が体内を巡るブルブラッドに無理を生じさせ貧血を引き起こさせたのだ。

「……くそったれ。こんな風に仕上がったつもりもない言うのに……」

 ダテン=スーは壁に身を預ける。足が動かないのならば逃げおおせることは難しいだろう。その上、先刻から視界の隅が赤く染め上がっている。

「……活動限界点、か。ドクターオーバーも無条件でわしを生まれ変わらせたわけやない言うわけ……」

 いや、当然の帰結なのだ。

 ダテン=スーは身体の感覚が薄れていくのを感じていた。少しずつ、肉体から意識が遊離していく。思えば生まれ変わったと言うのにほんの十分程度でまた死を迎える。それはあまりにも――皮肉めいていて。

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