JINKI 315 ご褒美のあとで、あなたと

《ナナツーウェイ》の上で水着を着込んだ月子が赤い旗を上げる。さつきはようやくと言った様子で詰めていた呼吸を整えていた。

 鼓動がうるさい。だが、勝ったのだと確証を得る前に不意打ち気味にぴしりと音が残響する。

「……何の音……?」

 途端、コックピットの隅が浸水する。まさか、と目を見開いたさつきにすぐさま察知したシールと月子が声を返して対応する。

『ヤベェ……! 《ナナツーライト》、浸水してんぞ! 月子、秋! 二人とも引き上げるの手伝え!』

『大変……! 秋ちゃんっ!』

『がってんです、先輩方……!』

 色付けされた水が染み出していくコックピットで、さつきは当人だと言うのにどうにも落ち着き払って空を仰いでいた。

 差し込んでくる眩い日差し。くらくらするほどの晴天。それを眺めて、そして静かに瞼を閉じる。

 ――くしゅん、とくしゃみをしたところで、さつきは迂闊だったと思い知る。

「まさか……耐水限界を考えずに《ナナツーライト》に張る分のRフィールドまで使っちゃっていたなんて……」

 シールが運転する車が駐車場で待っている。

 勝ったのは自分だが、人機の限界点を理解せずに無茶をさせ過ぎだとあの後こってり絞られてしまった。勝利に固執し過ぎて本来の訓練を忘れていると何度もお叱りを受けてしまっていた。

「えーっと……シールさんはソーダ味で。月子さんはあずき味。日向さんと立花さんはコーラ味で……」

「何をやっているのよ、あんたは」

「何って、罰ゲームのアイスの買い出しを……って、ひゃぁっ!」

 アイスを選んでいると不意に隣に立っていたのは他ならぬルイである。まさかこんな場所で遭遇するとは思っておらず、さつきは周囲を見渡す。

「えっと……だ、駄目じゃないですか! ルイさん、買い食いなんて!」

「さつき、それを言えるのは制服で買い物をしていない人間の特権よ?」

 うっ、と手痛いところを突かれてさつきは後ずさる。訓練後に着替えることになってしまい、結果的に制服を着込んだままこうして罰ゲームを受けることと相成ったのだ。

「そ、その……告げ口とかはしないでくださいね……?」

「どうしようかしらね。あんたみたいな優等生が、案外こういうところで抜け道を使っているのは私にしてみれば切り札になるわ」

 エメラルドグリーンの瞳に生粋の悪戯心を宿らせたルイに、さつきは早々に観念していた。

「わ、分かりましたよ。ルイさんの分も買いますから」

「あら? 随分と物分りがいいのね。さつきらしくもない」

「……まぁ、ちょっと。私らしくないことをしてみるのも、いいかなって思いまして」

 考えてみれば勝利に固執して機体追従性を無視するなど、メカニックにしてみれば許せないのだろう。それを貫き通してでも、勝つことにこだわったのだ。

 何だかそれは――普段は「物分りのいい、貞淑な優等生」である自分らしくない。

「ふぅん。そう。さつきらしくないのね、今日は」

「あれ……? 変だって言わないんですね……」

「別にいいんじゃないの。だって、四六時中ただの“いい子”をやっているなんて疲れちゃうわよ。あんたなりに、思うところがあって貫いたんじゃない」

 訓練に関しては伝えていないはずだが、時折ルイはこうして見透かしたようなことを言う。だからこそ――離れ難いのもあるのだろう。

「……ルイさん。アイスを選びながらでいいんですけれど、聞いてくれますか?」

「一個三百円以上ね」

 こういう時にちゃっかりしているので辟易するのもあるのだが、さつきはアイス売り場で小さくこぼす。

「……私、“いい子”で居るの、ちょっとの間だけお休みしてもいいんですかね? だって、人機操主をやっている間まで、何でもルールに沿った女の子で居るのは、それは何て言うのか――」

「違う、って言いたいんでしょう? さつきらしいわね。いつでも、貞淑になおかつ文句一つも漏らさないように、なんて、そんなの守ってやる義理なんてないのよ。だって、あんたは他でもない、決め切った意地だけは誰にも負けない女でしょう? なら、やり切ってみなさい。そこに私が居なくってもね」

 本当に、先回りして分かった風なことを言ってくるのだな、とさつきは微笑んでいた。今、欲しい台詞を、今欲しいだけルイはくれる。それは以前までならば自分が合わせていた部分なのかもしれない。だが、今はハッキリしている。これは自分の意思だ。誰かに歩調を合わせて、足並みを崩さないようにおっかなびっくりで歩いているのではない。

 自分の足で立つために、今を必死に歩いている。

 きっといつかは、誰かの差し伸べた手を取るだけではなく、いずれ手を差し伸べる側にも成れるように。

 ならば、これは一歩目だ、とさつきは胸に結んでいた。

 協調性だとか、誰かの目を気にしてばかりでは決して辿り着けない場所がある。それを一歩ずつでもいい、こうして隣に居てくれる誰かと一緒に歩いて行けるのならば。

「さつき、私はこれを所望するわ。三百円以上の高級アイスよ、すごいでしょう」

 ふふん、と得意げに買い物かごに入れるルイを普段ならば諌めるのだが、今日ばっかりはいいだろう。

「……しょうがないですね。今日だけは許してあげます。だって、ルイさん、待っていてくれるんですもん。私がいずれ……追いつくその時のために」

「……勘繰り過ぎよ。私はそこまで面倒見がいいわけじゃないわ」

 そう言いつつ頬を紅潮させてそっぽを向くところを見るに図星なのだろう。こういう分かりやすいところも、とことん愛らしい。

「……じゃあ皆さんのところに行きましょうか。私の分のアイスも買ってから」

「……さつき、ズルいわよ。あんたのアイスも三百円越えじゃないの。他の面子のは二百円ぽっちなのに」

「……いいんです! こういう不平等なのも、たまには! ……ルイさん。今日のこと、いっぱい話していいですか? 柊神社についたら、話したいんです」

「別にいいわよ。ご褒美のあとでならいくらでもね」

 頑張りの後には最上級の報酬を添えて。

 誰かのためではない、自分のために。

 ――だから、今日の私にはささやかなご褒美を。

 それが他でもない、いずれ歩み寄りの機会になるのなら、百円くらいは上乗せしたっていいはずなのだから。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です