最近買ったばかりらしい一眼レフカメラは大仰でありながらも、ナナ子は完全にその扱いを物にしているようで持て余している様子も、ましてや手間取っているわけでもない。
「……ナナ子、あんたってとことん趣味人よね……」
「何よ、小夜ってば。何なら撮られる側でしょうに、あんたは」
「……それもそうなんだけれどさぁ……」
「ナナ子様。ポーズはもうよろしいのでしょうか?」
「あっ、待って! ラクレスには今度はレースクイーンをやってもらおうかしら。ほら、あんたってば手足がすらっとして長いから、きっと似合うと思うのよね」
ナナ子はスーツケースを探る。その間にも小夜は健康的な競泳水着に身を包んだラクレスをじとっとした眼で見据えていた。
「……何か?」
「いや、あんたってば本当に、こういうノリには付き合うのよねぇ……」
「嫌ではございませんから。それに、私が断ってしまえば、他はどうしようもないでしょぉ?」
小夜はレイカルとカリクムへと視線を投じる。二人は机に突っ伏して、あー! と喚く。
「夏休みの宿題、全然終わらないじゃないか! こんなのじゃ、先に夏休みが終わってしまう……!」
「あんたはまだいいわよねぇ……レイカル。こっちは一学年上のカリキュラムを取り入れられたんだから……やってらんないわよ」
「……一学年上って……言っても小学生レベルでしょうに。カリクム、夏休みの宿題が予定通り終わらないのはそれはスケジュール管理ができていないって言うのよ」
「……じゃあ、小夜はできていたのかよぉ」
自身の小学校時代を思い返すが、そう言えば夏休みの宿題はいつもギリギリだったか。
「……もちろん。予定管理くらいできているに決まっているじゃない」
「……今の間は何だよ。絶対嘘だろ、それ。……あー、算数も国語も嫌いだぁ……!」
「この調子ですからね。私以外が被写体になるのは現実的ではないでしょう」
呆れ返ったラクレスにナナ子は写真のデータを確かめつつ、そうねぇと応じる。
「レイカルとカリクムも見た目だけならいいのに……。何でかこう、喋ると残念さが際立ってきちゃうから。ここは二人が夏休みの宿題を終えるのを見守っておくべきなのかしら」
「……そう言えばウリカルは?」
いつもなら勉学に邁進しているウリカルの姿がないと首を巡らせていると、タオルで身を隠したウリカルが机の端で身悶えしている。
「そ、その……! こういうの……いいんでしょうか……?」
頬を紅潮させるウリカルに一体何をやったのだと小夜はナナ子に詰め寄っていた。
「……どんなハレンチ衣装を着せたのよ、あんたは……」
「失敬ねぇ。ハレンチどころか王道真っただ中よ。ウリカル、出てらっしゃい」
ナナ子が手招くとウリカルがタオルで隠していた肢体を晒す。しなやかに伸びた手足のラインと、抱えたミニチュアの向日葵、純白のワンピース姿に小夜も息を呑んでいた。
まさしく清楚――そうとしか言いようがなかったからだ。
「……あの……私なんかじゃこんなの似合わないって言うか……」
「いや、なんて言うか、その……。似合い過ぎててびっくりね……」
「でしょー? ウリカルは清純派なんだから、絶対にこの衣装って決めていたのよ! 私の目に狂いはなかったって言うことね!」
ばっちりだとサムズアップを寄越すナナ子に、小夜は気にかかってウリカルへと手を伸ばす。
「あっ……その、何でしょう……?」
「ああ、ごめん……。下履いてるのかなーって思っちゃって」
「さ、さささっ……小夜さんっ! ……その、えっちです……」
「あっ、ごめんなさい……」
何とも言えない気まずい空気になって小夜と真っ赤になったウリカルは対面する。
「小夜ってば案外、感性はオヤジよねー。当然っ! 下はレースの下着! そしてブラは敢えて付けさせていないわ! どう? 分かってるでしょ!」
ふんす、と自信満々に鼻息を漏らすナナ子のほうがよっぽどオヤジなのではないか、と小夜は疑ったがコンセプトは理解できていた。
「……つまりは……これってあれよね? 田舎の……」
「そっ。夏だけ会える田舎のお姉さんコーデ。……けれどねぇ、これって現実だとなかなか難しい問題に突き当たっているのよ」
「えっ、何でよ。ワンピース着せて、ちょっと清楚に仕上げれば一発じゃないの」
当然の疑問かに思われたがナナ子は甘い甘いとでも言うように指をちっちっと振る。
「小夜ってば見通しが甘いわねぇ。私たちが何でこうも毎回、削里さんのお店に来ているのか、それを忘れたわけじゃないでしょう?」
「えーっと……何やかんやで都合がいいから……じゃなく?」
一発で理解できないでいるとナナ子は外を指差す。
「外。今何℃だと思ってるの」
それでようやく小夜にも理解ができていた。ポンと手を叩いて得心する。
「そっか……暑過ぎてこのシチュエーションは無理になったわけね」
今日も今日とて都内は40℃に近い酷暑である。こうも連日暑い日が続くとどうしようもなく、クーラーは手離せない。貧乏性で古典的な生活を送っている削里でさえも、エアコンを点けて扇風機も二台回している。
「そういうこと。そもそも、田舎のお姉さんシチュって言うのは結構ベタと言うか、昔からある様式美みたいなものなんだけれど、ここ数年の猛暑じゃね。人間で実現しようとすると一人や二人は熱中症になるわ」
加えてモデルも一人の人間。この夏場に肌を晒すと言うことは、日焼けしても文句は言えない。じんじんと降り注ぐ太陽光は容赦がなく、都心を歩いていく人間たちを等しく炙っていく。コンクリートジャングルで育った身ではあるが、この数年は特に厳しい。
「……そう考えると、オリハルコンって日焼けはしないの?」
「……前に聞いた時には、人間と同じようにできてはいる、ってラクレスは言っていたわよね?」
二人して疑問を持て余していると、自ずとその視線は奥の居間で将棋を打っている削里とヒヒイロに注がれていた。
テレビでは高校野球が流れており、削里はパチンと自信満々に駒を打つもすぐさまヒヒイロに返されてしまって旗色が悪くなる。
「……待った」
「よいですが、待ったは三回までですぞ。さて、オリハルコンは日焼けするか、でしたか」
「あっ、聞いていたんだ……」
「前にも申しました通り、修行の賜物としか言いようがございませんね。ハウルで肉体をコーティングすればある程度の外的要因は排除できますが、とは言ってもこの暑さ、そして紫外線です。オリハルコンも限界と言うものがございますので」
「40℃だろ? ……ちょっと深刻な風邪を引いた人間よりも性質が悪いじゃないか。まったく参ったね、こうも暑いと考えも纏まらない」
削里はそうぼやきつつも反撃の一手を探っているようであったが、その言葉通り思考回路が全く纏まらないのかうんうんと呻るばかりである。
「……でも、昔ってもっと涼しくなかった? 少なくとも最高気温40℃じゃなかったと思うけれど……」
「年々暑くなっているようですね。今朝の天気予報では日傘や熱中症対策は欠かせないとのことでしたが」
「……ふぅーむ……こうも暑いと夏の祭典もどうなるのかしらね」
「……夏の祭典……? って、何だっけ」
小夜が首を傾げているとナナ子は何でもないように言ってのける。
「コミケよ、コミケ。夏の祭典と言えばそうじゃないの。今年は参加者の汗で雲ができるかもね」
参加者の汗で雲ができるという言葉だけで、小夜はガクブルと身体を震わせる。
「……お、おっかないことを言わないでよ……。汗で雲なんて、縁起でもない……」
「馬鹿ねぇ、小夜。コミケ雲は逆に縁起物……って言うか、今年は帰省しないんだ? 小夜もさすがにこの時期になると一回は実家に帰るじゃないの」
その話題を持ち出されると小夜は少しだけ分が悪い。いつもならとっくに巣立った、の一言で解決するものの少しくらいは顔を見せたほうがいいのではないかと思わされる。
「……仕事次第、とは言いたいんだけれど、一応スケジュールは空いてるし……。けれどねぇ、何だかこう、帰るのも……」
「小夜のお父さん、心配性だものねぇ。一回帰ったらなかなか戻って来られないでしょ?」
「……まぁ、それもあるけれど……」
自分とて情け無用とはいかない。父親と会えば自ずと情に流されるとでも言うべきか、いつもは厳しく対応しているのにこういう時にぴしゃっと言えなくなってしまうとでも言うのだろうか。
「……この季節は、色々とね。儘ならないって言うか……」
その一端が白ワンピ姿の少女に集約されているような気がして、小夜はウリカルへと視線を向ける。ウリカルは紅潮した頬を掻いて後ずさっていた。
「あ……やっぱりその、似合ってないですよね……。私、着飾るとかそういうの、よく分かっていないですし……」
「何言ってるの! ウリカルは充分に魅力的よ! ラクレスにはない……そうねぇ。初心さがあるというか」
「う、初心さ、ですか……。それって褒められているんですかね……」
ウリカルの困惑もさもありなん。ラクレスはどんな衣装もバッチリと着こなしているのに、白ワンピ一着でこうも狼狽しているのがモデルに相応しいか悩んでいるのだろう。実際、小夜も覚えはある。芸能活動を始めた当初に比べて擦れてしまった部分を褒められることもあれば、最初のような初々しさがなくなったとマネージャーから苦言を呈されることも少なくはない。
そもそも、自分がどういうキャラビジョンを売っていくのかはまだまだ模索中である。
「……まぁでも。ウリカルにはよく似合っていると思うわ。それにオリハルコンなら日焼けしないって言うんなら、適切じゃないの」
「ひ、日焼けしないのはラクレスさんや師匠のように……その、ある程度ハウルを物にした方だけで……私はまだまだですので……」
「そう卑下するものでもあるまい。ウリカルのハウル熟練度はそれなりに高いぞ?」
ヒヒイロからの太鼓判が押されるのも珍しい。それもあってか、ウリカルはさらに下がって、赤面した顔を手で覆う。
「うぅ……そう言われましても、恥ずかしいですよ……」
それが本音なのだろう。いつもならば勉強に打ち込んでいるだけで偉いと言われるのに、こうしてカメラの前に立つとなれば別の自信が必要になってくる。常の優等生のウリカルにしてみれば、自分が撮影されること自体が困惑の種に違いない。
「……ねぇ、ナナ子。ちょっと」
手招くとナナ子がテーブルにカメラを置いて店の端まで付き合ってくる。
「何よ。これからいいところなのに」
「……ウリカル、困っているじゃないの」
声を潜めるとナナ子なりに思うところもあるのか、うーんと腕を組んで呻る。
「けれどねぇ……ほら、あの子たちって多かれ少なかれ見た目はいいわけだし。それに、よ。ウリカルってばいつも勉強してばっかりじゃないの。そういう、原石って言うのかしら。磨けば光るみたいな子を見出すって言うのも、割といいんじゃないの?」
「とは言っても……本人が嫌がっているんじゃ……」
ああでもないこうでもないと小夜はナナ子と議論を交わす。
「嫌がってはいないと思うけれど……。ほら、小夜だって覚えはあるでしょ? ミスコンに出たのは他の人の後押しがあったからだけれど、それがあっての今の芸能活動じゃないの。時には誰かに背中を押されるのも人生には必要なのよ」
「……あれも私にしてみればもう忘れちゃいたいんだけれど……。けれどまぁ、確かにミスコンで一位取らなかったら今の仕事はないし……」
「そうでしょ? 待っているだけじゃ駄目なのよ! チャンスと言うのは掴み取るもの! それがどれだけ荒唐無稽で、どれだけ自分にとっては不愉快だとしても! そうしないと、チャンスの順番は巡って来ないんだってば! いい? 小夜はそれを物にしたんだから、むしろウリカルの決断を応援してあげないと!」
ナナ子の詭弁にも困ったものだが、言い返せない自分も居る。勉強ばかりのウリカルにとってのオアシスになるか、それともとんだ災難になるかは周りの対応次第なのだ。ともすればウリカルが第一歩を踏み出すきっかけになるのかもしれない。勉学が悪いとは言わないが、ウリカルはこれから羽ばたくのだ。それを邪魔する権利は誰にもないのだろう。
「……言われてみれば、だけれど。でも、本人の意思を尊重しないと、こういうのってさ……」
「あら、小夜はでも自分の意思でトリガーVに成ったわけでもないんでしょ? 周囲の影響と、そして巡り巡っての縁と言う奴じゃないの。それが今のメインの仕事になっているんだから、何が起こるかは分からないわよね?」
ナナ子の言い分にも一理ある。自分から踏み出さなければ、その先に何が待っているのかは全くの不明。ミスコンで踏み出した一歩が、まさかここまで大きな一歩となるとは自分自身、想定外でしかない。
「……まぁ、言わんとしていることは分かるけれど……。ウリカルってでも、大人しいいい子じゃないの」
「大人しいいい子で終わっていいの? って話なのよ。そりゃあ、レイカルたちに比べれば優等生よ? 勉強も頑張っているし、最近じゃヒヒイロからハウルの鍛錬も板についてきたって言われているようでもあるし。……けれどね? 根源的欲求を忘れて欲しくないって言うか……オリハルコンは戦うためだけの道具じゃないでしょう? あの子たちだって女子なんだから。女子には少なからず見られたい欲求はあるのよ!」
拳を固く握り締めて熱弁するナナ子に、小夜はそう容易くこの問題は解決しないな、と認識していた。自分も目立つのは嫌いだったが、それでも体育の時間に男子を圧倒するほどの活躍を見せつけるのは悪い気分ではなかったし、その成功体験が今を作っているのだ。
「……まぁ、そこまで力説されると何も言えなくなっちゃうんだけれど……」
「やっぱり必要なのは成功体験なのよ。ここで褒められた、ここで他人よりも抜きん出たって言う、証明みたいなものがね。……ウリカルはそこんところ謙虚って言うか、ちょっと自己肯定感が低いって言うか……」
言われてみればウリカルは元々摺柴財閥の開発したオリハルコン。これまでの経緯を考えてみればなかなか自己肯定感を伸ばすのは難しいのかもしれない。
「……とは言っても、私たちにできることなんてそうそう……」
「だからこその撮影会なのよ。小夜も分かるでしょ? 何かしらで人間は成長できるけれど、オリハルコンってのはよくも悪くも不変、永遠なんだから。人間の若さは有限だからね。でもオリハルコンは基本的に老けないって言うんなら、それは好都合じゃないの」
何だかこのままでは押し負けそうな気がして、小夜は抗弁を発する。
「……でも、やっぱり無理やりって言うのは……」
そこまで口にしたところでパシャリとシャッターが切られる。ナナ子と小夜が顔を見合わせていると、テーブルに置かれていた一眼レフを覗き込んでいたのはレイカルだ。
「ウリカルー、私がちゃんと撮影してやるからな!」
「ちょ、ちょっとレイカル……! それ高級品――!」
「えーっと、これか?」
制する前に連写モードに設定したのか慌ただしく撮影音が響き渡る。大慌てでナナ子がカメラを覗き込み、小夜がレイカルを取り押さえる。
「あんたってば……! ナナ子のこれは高いんだからね!」
「は、離せぇー! 何をするんだ、割佐美雷! 私はウリカルの写真を撮るんだぁー!」
「だから! あんたみたいなのがカメラなんて持つもんじゃないっての!」
「あれ……? でもこれ……見てよ、小夜」
撮影データをこちらへと向けるナナ子に小夜は胡乱そうに窺う。
「なに? 素人のカメラなんだから、大したことは……」
小夜は口を噤む。
それはナナ子も同じであった。
「……あの、レイカルさんを責めるのはやめてください。元々は私の決断の問題ですので……」
「あ、いや……ウリカル。何だかさ、あんたって実は――」
――この猛暑では作業に打ち込むのにも時間がかかる。億劫になっているのもあるが、そもそも集中力を保つのには困難を極める。
作木はアパートの近場にある喫茶店に寄ろうとして、メニュー表を見て愕然とする。
「……アフタヌーンティーセット2300円……? ……手が届かなくなって来たなぁ……」
作木は財布を覗き込む。せいぜい二百円未満のブラックコーヒーで粘るしかできそうにない。しかし、今月の生活費を考えればコーヒー一杯の無駄遣いも許されない。
さすがにこの酷暑の中、電気を使わないでいるのは自殺行為だ。
家に帰ったらせめてクーラーの効いた部屋でぐったりとしようと作木は喫茶店の誘惑を断ち切って歩んでいく。
「……駄目だな。どんどん何にも使えなくなってきてる。それもこれもこの夏が過ぎれば……まだマシかな」
ぼやきつつアパートの鍵を開けようとしたところで案の定、鍵は開いていることに気づく。
「暑っちぃ~……。あ、お邪魔してるわ、作木君」
「あの……冷房は……」
「心配しなくっても、25℃で設定しているわよ。けれど、これだけ暑いとほとんど意味があるんだかないんだか」
そもそも自分は本当に参った時だけにしか冷房を使っていないのだが、とは言い出せずに作木は鞄を置く。
ナナ子が対面に座り、ああでもないこうでもないと一眼レフカメラを操作している。
「うーん、やっぱりこれ、よく撮れているのよねぇ」
「えっと、何をやっていらっしゃるんです?」
「ナナ子が夏の祭典のためにブロマイドを売るんだってさ」
「夏の祭典……あっ、コミケでですか? へぇー……」
「普段はフィギュアとかドール用の衣装も売っているらしいんだけれど、私には詳しいことはてんで。でも、ちょっと今回は収穫かもね」
「収穫、ですか……?」
疑問符を浮かべていると小夜はふふんと微笑んでからナナ子へと促す。
「ナナ子、作木君にも見せてあげたら?」
「あっ、そうよね。ほら、これ」
一眼レフカメラの撮影データを眺める。ほとんどがラクレスのコスプレ衣装であったが、その中に目が覚めるかのような純白のワンピース姿のウリカルが撮影されている。
いくつかはぎこちない笑顔と固いポーズであったが、その中で明らかに自然体の微笑みがあって作木は目を瞠る。
「これって……ナナ子さんが撮ったんですか?」
「ううん。レイカルが撮ったのよ」
「レイカルが?」
当のレイカルは部屋中を飛び回ってカリクムと追いかけっこをしている。
「だから! セミはミンミンゼミが強いんだ!」
「はぁ? この季節ならアブラゼミに決まってるだろ!」
「何をぅ!」
「何だと!」
相変わらず答えの出ない堂々巡りの勝負をしている二人を他所に、ナナ子はウリカルの写真を自分に見せる。
「これ、レイカルが私のカメラを使って勝手に撮影したんだけれど、私のと比べても断然こっちのほうがいいのよね」