JINKI 316-4 白の城塞

 ラジオ体操と、それから個別面談。二名の守衛が固めているとは言え、血続操主ならばアルファーの介在があれば軽く打ちのめすことができるだろう。問題なのは、この施設に関しての所感とそして今、困っていることや悩んでいることを聞き出すことだ。

「……それで、その。君は確か、サイラスと顕君と同室だったね。名前は……」

「名前はないわ」

 文庫本片手の少女操主は短くそう告げる。本当に、心底そこに意味などないかのように。

「……そう、か。呼びにくいが、じゃあひとまずは。えっと文庫本は……読書家なのか?」

「読んでいる本はルーティーン。この三日間は五年ほど前に流行した作品を読んでいる」

 彼女にとってしてみれば訓練の合間に訪れる一種の清涼剤かもしれない。その趣味は大事にしたほうがいいと、勝世は結ぶ。

「まぁ、なんだ……。趣味があるって言うのはいいことだよな。それでその……何か困っていることはないかな? ある程度のことなら解決に導けるかもしれないし」

「それは無理。私の悩みがあなたに理解できるとは思えないのもあるけれど、それは私の痛みであってあなたのではない」

 言葉もないとはこのことで、どうやら目の前の少女操主はただ闇雲に殻に籠っているわけではないらしい。ならば、一ミリでもいい、少しでも会話の糸口を掴むことから始めよう。

「読んでいる本のジャンルは? オレでも分かるかもしれないし……」

「ほとんどが実録もの。時々フィクションもたしなむけれど」

「そうか。……本って言うのは図書室で?」

「そう。あそこは静かでいいから」

 昨夜、図書室で遭遇した顕のことを思い出す。あれは偶発的であったのか、それとも仕組まれたものであったのか。

「……ルームメイトとは? 仲はいいのか?」

「それは彼女のプライバシーに干渉する内容だ。ここでは全て記録されている」

 守衛の諫言を受け、勝世は分かったよとでも言うように肩を竦める。

「……じゃあ、他に。図書室で何か気づいたことでも」

「あなたは昨日、図書室に居たのね」

 唐突に心臓を鷲掴みにされたような感覚に陥る。確かに本の話題から広げ過ぎたのもあるが、ここまで尻尾を出すような迂闊さを演じたつもりもない。

「……ちょっと好奇心でね。こういう施設にはどんな本が並んでいるのだとか」

「そこで彼と会ったのね。氷野君に」

 勝世は開いた口が塞がらないでいると守衛が肩を叩く。

「動じるな。彼女の超能力……のようなものだ」

「……超能力って……」

「マニュアルにあっただろう。血続の中には特別、読心に長けた者も居る。彼女は君の一挙手一投足から、それを予測し、観測し、そして計測した。血続操主ならばできない理屈もない」

「それは……」

 聞き及んでいた青葉の超能力モドキや赤緒のビートブレイク、それに金枝のビートチューニングに類する能力と見るべきだろう。勝世は咳払いしてから慎重に言葉の穂を継ぐ。

「……分かった。君にそういう力があることはよく理解できたつもりだ」

「理解なんて。分かることとは雲泥の差があるものよ。それに気にしないでいい。私の、“エクステンド”の力の一部みたいなものだから」

「……エクステンド……」

 金枝をトーキョーアンヘルに引き入れる際、エルニィが解析したいくつかの力と事象に頻出していたワードの一つだ。

 エクステンドの力、それが血続操主にとって特別な意味を持つ言葉なのだろうか、と思案を巡らせている間に対面の少女はそれらを読み切ったようにつまらなさそうに告げる。

「分からないことを堂々巡りの思考で考え出すのはお勧めしないわ。思考迷宮に陥っても誰も手を差し伸べてはくれないのだから」

 言葉もないとはこのことで、勝世は一旦話題を打ち切ってから、ここでの生活内容にシフトしていた。

「……不足だとか、不具合だとかがあれば言ってくれ。外のものを可能な限り取り揃えておくよ」

「じゃあ、外で流行っている本をちょうだい。それだけでいい」

「……新聞だとか、そういうのは? 検閲が入るが映像資料も……」

「いい。活字が私にとっては空であり、海だから」

 本当にそれだけでいいとでも言うように、少女操主は文庫本を抱き寄せる。本物の空も、本物の海からも遠ざけられたほとんど陸の孤島で、彼女は文字情報で世界を見据えているのだろうか。

「……分かった。流行の本を取り揃えるように頼んでみるよ」

「面談は終わりね」

 守衛が付いて離れていくそのやせ細った背中を眺めていると、不意に少女操主は振り返る。何をするのかと固唾を呑んでいると、何でもないように手が振られたので勝世は呆気に取られてしまう。

 先刻の超常じみた観察眼からは想像できないほどに、ただの少女でしかない行動に勝世は軽く手を振り返していた。

「次の面談は一時間後だ」

 守衛にそう言い付けられて勝世は休憩時間の隙間を縫って廊下へと出る。基本的に昼間の訓練以外は血続操主の少年少女たちは自由であったが、誰も彼もがぼんやりと空を眺めていたかと思うと、何かに追われるように趣味に没頭している。

 速読をする少年や、マジックペンで壁に幾何学の絵を描く少女、朝食に出た牛乳瓶の蓋を弾いてコイントスの真似事をする恰幅のいい青年――。

 ここが異常な場所なのだと、そう言い切ってしまえればどれほどよかっただろう。しかし、その思惑を見透かしたように車椅子の顕を押すイケザキが声をかける。

「おかしいと、思わないでちょうだいね。彼らにとってはこれこそがルーティーン。決まり切った毎日なのよ。たとえるのならば、あなたは時計の秒針と分針を自然と認識しているでしょう?」

「……ええ、それはまぁ」

「けれど全くの知識がない、あるいは関心がなければ時計の刻む型式通りの時間なんてこの施設では意味がないの。彼らの時間はめいめいだけれど、ある一点で止まっているわ」

「……それって言うのは、戦場だとか、ですか」

「戦場であったり、あるいは悔やむしかない過去の時点であったりね。面談はどうだった?」

「あ……何つーんですかね。オレなんかが出しゃばれる感じじゃないって言うか……」

「それも当然ね。彼らには彼らのルールがある。そこから逸脱した人間は、全てイレギュラーなのよ」

「その……! 血続操主なんですよね、全員……。だってんなら……あるんですか? 超能力、みたいなものが」

 顕がそれに反応して僅かに目線を振り向ける。ここでは勝世はあえてその視線を合わさず、イケザキへと投じていた。

「……そうね。そのような現象も見受けられるわ。血続操主にはある一定の確率で超能力……としか呼べない事象を操れるのだと。けれど、あなたが会っていた子はとびきり観察眼に優れていただけであれを超能力と規定するかどうかは議論の余地はあるわね」

「……それでも。血続って言うだけで特別な気がするのは、オレがただの人間だからですかね」

「かもしれないわ。我々旧態然とした人間にとってみれば、それはカリスマであったり、あるいは特別な意味を持つ力のように映ってしまう。けれど、誤解はしないで欲しいのはだからって彼らは何でもできる万能じゃないのよ」

「……それは重々承知ですけれど……。あの、今の面談の子が言っていました。“エクステンド”って言うのは何なんです?」

「あら? あの子はそんなことを? ……困ったわね、お喋りで」

 この施設にとってのアキレス腱の一つである可能性が高い。ここで聞き出せれば、と勝世は勇み足になる。

「血続って言うのは普通の操主とは違うって聞きます。それに、超能力、エクステンド……正直、分かんないことばっかりなのは新人でも困ってしまいますから」

「……エクステンドはね、ここの血続操主候補の皆が皆、覚醒しているわけじゃないけれど、言ってしまえば得意分野のようなものよ。あなたが面談した子は特段、相手への観察眼に優れていた。それは戦場では分析と解析に長所を伸ばすことができる。それを私たちは何人も目にして、彼らが一様に口にする言葉を平均化してならしただけ。それを“エクステンド”と」

「……エクステンドの子供たちは、特別なんですか」

「それはそうよ。……歩きながら喋りましょうか」

 車椅子を押し、イケザキは周囲の血続候補生へと視線を振る。勝世も自ずと十人十色の様子を視界に入れていた。

「彼ら、とても自由に映るでしょう? けれど、その中には厳格なルールが介在している子もいる。その法則性は彼らにしか分からない。精神的な強迫観念に近い子も居れば、とても浅いルーティーンの子も居る。けれど、一様に言えるのは人機操主としての力量はちょっと訓練をした程度の兵士を上回っている。そういった素質を持つ子たちを、この施設では保護しているのよ」

「……保護、ですか」

「何か可笑しなことを言ったかしら? だってここで保護しなければ、彼らはどことも知れぬ戦場で命を投げ打っていたのよ。誰にも看取られないまま死ぬのはつらいでしょう?」

 勝世の脳裏を掠めたのはかつて静花に見出され、そして黒将の走狗として広世と共に戦場で駆け抜けた日々だ。その時は深く考えることもなかったが、思えばほんの些細なボタンの掛け違いで自分たちだって戦闘単位として消費されても不思議でなかった。

「……けれど、ですよ。血続操主の訓練を行っているんです。それはいずれ……彼らの戻る場所は戦場なんだって言っているようなものなんじゃ」

「迂闊なことを口にしないでね、勝世君。ここではリハビリとメンタルケアがメインなのよ。それを経て、一般社会に帰っていく。それが最も掲げている理念なのですからね」

 一般社会への回帰――しかし、操主訓練によって自由を制限され、そして監視されている彼ら彼女らに真っ当な人生など待っているのだろうか。

「……オレにはちょっと想像できない世界って奴ですね。だって、前線を行っていた少年兵に、当たり前の一般的な社会ってのは酷じゃないんですか」

「まさか。むしろそれこそが彼らの幸福なのよ。私たちはリハビリの手伝いのために、こうして慈善事業に乗り出しているだけ。兵士として、戦闘単位として損耗するのは人間としての損失でしょう? きっとあんなのは悪い夢だと、嘘だと思いたいに決まっているわ」

「……彼らの幸福、ですか」

 顕は視線を手元に落としている。この会話に介在することそのものが意味のないことのように。あるいは彼は絶望しているのだろうか。

 どれだけ自分たちが前線で戦っても、どれほど命をすり減らしても戦場から遠ざかった大人の繰り言はこの程度なのだと。彼らには自分たちの過去も未来も見えていないのだ。ただただ、“可哀想”だとラベルを貼られ、その上で論ずることは平和への道筋だと説かれて。

 本物の戦場のリアルを思い知った彼ら彼女らに、施設職員の言葉はあまりにも現実離れしているに違いない。それとも、ここは地獄なのだろうか。何を喋っても、何を語っても全てフィクションとして消費される。彼らには、戦場の鉛弾よりも、この施設のほうが嘘のような世界として認識されているのかもしれない。

 自分たちの経験も、理念も、失ったものでさえも、それは虚飾だと、断言されてしまう地獄のような場所。

「……所長。嘘だって言うのは、違うんじゃないんですか」

 反論が来るとは思っていなかったのかイケザキは足を止める。勝世はかつての少年兵としての戦いを思い返す。広世と共に、戦場を潜り抜け、命を賭した。あれを嘘だと、誰かに言わせることは決して許せない。

 しかし、そんな思いを知ってか知らずか、イケザキは柔和に微笑む。

「そう思いたいのも分かるわ。人機と言うのはとても強い力だもの。けれど、忘れないで欲しいのは、失ったものは二度と手に入らない。それを忘れてしまったほうが、幸福に近づけることも、あるということを。ねぇ、氷野君」

 顕はその問いかけに肯定も否定もしなかった。

 ――欠伸が思わず漏れてしまったのは、待機任務の退屈さだけではない。《ナナツーウェイ》のコックピットに乗ったまま勝世のもたらす定時連絡はどれもこれも、施設内のショッキングな内情と言うよりかはまるで停滞と滞留を繰り返す大人の世界そのもののようであったからだ。

「……南さん」

 下操主席の友次に諫められて、南は口元を抑える。

「……ごめんなさい。勝世君、他に怪しいところは?」

『怪しいっつーのは、今のところ所長のイケザキだけじゃありません。守衛も含めて、全員でこの施設を回しているって感じですが、彼ら彼女らを……血続操主を恐れている節もあるかと思ったんですが、案外制御下みたいな感じもして……』

 勝世も明言化を避けているようであった。まだ潜入任務も二日目、ちょうど正午を回ったところで彼は施設内で唯一の外に繋がる回線を使っている。

「勝世君、君が会ったサイラスと言う少年と、それに氷野顕でしたか。二人の経歴を洗ってはみましょう。それにしても、エクステンド、ですか……」

 友次は金枝の一件に関しても噛んでいるはずだ。当然、金枝の持つ特殊性――ビートチューニングに関しても存じている。

「京都決戦では三宮さんの力が突破口になったけれど、今回の話を聞く限りじゃ味方を集めてと言うのも難しそうね……。でも、エクステンド……偶発的とは思えないのよね」

『三宮金枝が特別だったのではなく、あの日……ロストライフ現象が始まったXデイから、物事は世界規模で進んでいたと言うことなんでしょうかね。彼女は京都の霊脈に適合した形だったみたいでしたけれど、前線を行った操主なら第六感めいたものがあっても可笑しくはありませんし……』

 勝世自身、かつて《トウジャCX》の操主であった。少年兵と言う在り方に想定以上に肩入れしている可能性も高い。

「勝世君、慎重にお願いしますよ。潜入がバレてしまえば、どこから突かれるか分かったものじゃありませんからね」

『それは分かっちゃいますが……。どうにも薄気味が悪いのも事実なんです。この場所があらゆるものから隔絶されているって言うか……。人間生活と言うものを失っているような感じがするっつーか……』

「気にかかるわね。その担当になった……サイラスと言う少年と氷野顕と言う少年を確保することは難しいのかしら?」

『サイラスはともかく、顕君は足が不自由なようで……。連れ出すのは一人が限界でしょうね。それに、セキュリティも馬鹿にはできません。オレ一人で逃げ出すのも、もしかすると難しいかもしれませんし』

 南が状況を整理しつつ思案する。勝世一人なら最悪データを盗み出して逃亡できるかと思っていたが、それは甘い目算のようである。加えて、血続操主のサンプルが欲しいのも事実。誰か一人でも救えればと考えていたのは、何も施設の内包する闇をどうこうしたいと言う正義感だけではない。

「……分かったわ。勝世君は引き続き、定時連絡をお願い。私たちはもらった名簿の洗い出しをエルニィにも頼んでおく。怪しまれないようには気を付けてね」

『……それはいいんですが……南の姉さん。オレ、ちょっと入れ込み過ぎているのかもしれません』

 それはかつて勝世も少年兵であったから――喉元まで出かけた言葉を飲み込んで南は言い添える。

「……無理はしないで。少しでも作戦継続に支障が出たら、私たちはすぐに向かうから」

『……了解です。身勝手に大人が知った風に成っちまうのが……一番つらいことくらい、分かってるつもりなんですけれどね。それでも……血続操主ってだけで兵器利用されちまう境遇ってのは……ちとキツイもんがあります』

 通信が切られ南は上操主席に深く腰掛けてため息をつく。

「南さん、疲れていますか?」

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