「……行くぞ」
血続トレースシステムを実行し、ショートした精密機械を繋ぎ合わせてやりくりしながらようやく立ち上がった《ホワイト=ロンド》の眼窩がキリビトタイプを睨み据える。
実際、キリビトの性能は圧倒的であった。
広げた巨大なヒレを思わせるウイングバインダーと、今ものたうつ高出力リバウンド兵装の高熱。加えてその巨躯から漂う存在感。戦場を支配する、とはまさにこのことなのだろう。顕はちょうど手近に落ちていたプレッシャーライフルを拾い上げる。確か、Rフィールド装甲を持つキリビトには実弾は通用しない。ならば至近距離からの一射でしかこの状況を打開できないだろう。
「……やってやる」
乾いた唇を舐め、ひりつく喉に唾を飲み下す。ぐらりと眩暈がする。心臓は今にも爆発しそうだ。それでも、ここで生き残るべきだと規定した己の戦士としての価値観。ここまで生き残って来たのだと言う自負。
それが足を一歩、また一歩前へと衝き動かす。
身が竦んで動けなくなればまだよかった。恐怖に震えて、無力感に打ちひしがれるような一般的な感覚があれば、まだよかったのだ。そうではない、そうではないのだと何度も反証する。
もう、「まとも」でいられるような時期はとうに過ぎ、無垢でいられるような立場ではなくなった。何人も殺した、何度も引き金を引いた、どれだけでも骸を飛び越えた。
それなのに、今さら真っ当であるだとか正気だなんてことに意味なんてない。いっそう狂えと己に課す。いっそう戦えと奮い立たせる。
前へ前へと進むのはそれしか知らないからだ。撤退戦の悔しさも、電撃作戦の鮮やかさも、どれもこれも薄らいでいる。今はただ、前へと不格好であろうとも――そう信じ、己を騙してでも進もうとした矢先、キリビトタイプが咆哮する。
四方八方に降り注ぐ雷撃。まさしく死地としか言いようのない戦場の地獄。
友軍の《アサルト・ハシャ》が一瞬で炭化する。歩兵部隊が蹴散らされ、血肉でさえも残らない。
――だが、これでいい。いや、これがいい。
気にするべきなのは人機を操る自分自身だけ。他の有象無象のことを考えていれば、足をすくわれるのが戦場の常だ。プレッシャーライフルをキリビトタイプへと照準する。
セーフティを解除し、人機の駆動系を順応させるのにかかる時間はほんの十五秒。しかし、この世で最も長い十五秒であろう。全ての事象が遅れを生じさせ、キリビトタイプのバイザー型の頭部へとロックオンするまでの僅かなラグ。
その瞬間に顕は偏在化する稲光を観測していた。
否、それは偏っているのではない。その方角から発射されるのだ。熱源警告のアラートが劈く中で、キリビトタイプが飛ばした自律兵装が直上を取ったのを顕は認識する。
それも全て、あまりに遅く。
だが、対応するのにはこの時しかない。
キリビトタイプに向けていた銃口を、咄嗟に自律兵装へと据え直す。トリガーを引き絞り、プレッシャー兵器特有の薙ぐような光条が自律兵装を断ち割っていた。
直後、莫大なエネルギーが拡散しその矛先は顕の操る《ホワイト=ロンド》の脚部を焼き払っていた。
「あ、」
ぷつんと途切れる。
意識だけではない、感覚だけでもない。
この時、顕は戦場の昂揚感と共に人機と繋がっていた脚部の神経が切り取られたのを感覚していた。
立ち上がろうとしても血続トレースシステムが誤作動し、《ホワイト=ロンド》は不格好に地を這うほかない。
いや、そもそも誤作動と言うのもおかしい。脚部がないのだ、それを言うのならば正常な稼働であろう。
脱出装置に手をかけたところで、膝の感覚がないことに気づく。
「……おれは、もう歩けない……?」
何故なのだかこの時ほど、それが雄弁に理解できていた。
そして、一度でも理解してしまえば、そこから先は容易い。
脱出もできず、動けもしない《ホワイト=ロンド》が戦場で這いずる。最早、ここに勝利もなければ敗北もない。
分かっていたはずなのだ。“取り込まれる”兆候はあった。ただ見ないふりをしていただけに過ぎない。
隊の仲間同士で囲んだいつかの夜のことが思い返される。必ず生きて帰ろうなどと言う歯の浮くような台詞も口にしたことがあった。だが、今の自分には生きて帰ることも、ましてや誰かを救うこともできやしない。
脱落者――それが相応しい。
ならば、ここで朽ち果てるのも相応の末路であろうか、と顕は意識を閉ざそうとして不意に機体が持ち上げられたのを察知する。
『氷野! 生きているか?』
「サイラス……? どうして……みんな死んだんじゃ……」
『……お前がキリビトタイプの自律兵装を叩いてくれたから時間ができたんだ……! 撤退するぞ! ……オレたちだって生きて……生きていいはずなんだ。ここで使い潰されるだけの消耗品に成り下がって堪るか! とっくに軍の上層部は逃げ支度を済ませている。オレたちだって生きて……生きて明日を……!』
サイラスの機体に運ばれ、顕は戦場から遠ざかっていく。
身を焼くような怒りも、焦がれたような死への渇望もない。
ただ、ここから先、自分は生き永らえてしまうのだ、という諦観だけがあった。どうしてなのだろう。生きて帰るのだと、約束した仲間の一人が居ると言うのに。
「……おれは、この戦場で命を投げ打つつもりだったのか。そんな、身勝手が……」
瞼を閉じる。戦場の景色から切り離されるのと、現実の視野が開くのはほぼ同時であった。
「……起きましたか」
傍に居るのはしなやかRスーツを身に纏った女であった。彼女はこちらの顔を覗き込み、それから尋ねる。
「……あなたの身柄は我がキョムが百万ドルの価値があるとして買収しました。あなたに拒否権はありません。当然、ここで死ぬようなことも」
「……キョム……」
顕は身を起こそうとして全身に走った痛みに顔をしかめる。つい先刻までサイラスと共に《アサルト・ハシャ》に搭乗していたはずなのにそこから先は靄がかかったように思い出せない。
「こちらへ」
車椅子を押す女に顕は何か質問を投げようかとも思ったが、それもどうせこれから先に思い知るのだと感じていた。
「ここがシャンデリア外縁部。よく見えるでしょう、地球が」
安っぽい感情の台詞を吐くつもりはなかったが、それでも感嘆の息が漏れる。今まで這いつくばることしかできなかった地上は遥か遠く、ここは衛星軌道上なのだと実感する。
「……本当に、シャンデリアに……?」
「ええ。あなたは我々が手に入れた情報ではあの施設における操主適性は現状、最も高かった。それを買ったのですから、文句は言わせません」
しかし、何故なのだろうか。冷たい声音ではあるのに、女の言葉にはどこか同情している節も見受けられる。
「……おれはこれから先、どうなるんですか」
「キョムの八将陣として訓練を受けてください。私と同じように」
「……あなたと?」
「はい。改めて、名乗らせていただきます。氷野顕。私の名前はダテン=スー。キョムの死の葬列に名を連ねる、この世を破壊する側の存在です」
多くのことを聞かねばならないだろう。多くのことを学ばねばならないはずだ。それでも、一つだけ。
顕の心に湧いたのは、たった一つだけの希望であった。
「……おれがもう一度……戦えるって言うんですか」
「人機に“取り込まれる”現象に関しての解析は進んでいます。八将陣として、あなたを歓迎しますよ」
これまでの苦悩も、これまでの生きながらにして死んでいるような生活とも違う。これから先に待っているのは、破滅をもたらす側の視点。生者に仇なす、死者の葬列。
「……戦えるのなら、そうか。おれは……そのほうがいいのだと、思ってしまうんだな」
失ったはずの魂が呼び戻される。
あの日、足と共に置いてきた、剥き出しの闘志。剥き出しの生存本能が。
まだ自分の中にもこんなにも燃え滾るものがあったのだと、顕は感じ入ってから衛星軌道の眺めを今一度目にして呟いていた。
「……あの日、這いつくばるしかなかった星は、こんなにも遠いんだな」
――怪我の治りはまだまだかかりそうだと、負傷した勝世は橋の下で両兵と将棋盤を挟んで向かい合う。
「……で、まぁ施設は解体。血続操主の少年少女は別の養護施設に送られたらしい。……そっちもきな臭そうだが、今回の任務外だ。関知するもんでもねぇ」
両兵はその言葉振りを聞きながら駒を一手一手進める。
「……オレはお前の仕事に口挟む気も、ましてや首を突っ込むような野暮もするようなつもりもねぇよ。だがな……お前がどうしても救いたかったって言う、二人の操主はどうなったんだ? 黄坂の話じゃ、二人とも別々の機関に買われたんだとか言っていたが……」
「片方は誘拐みたいなもんさ。キョムの八将陣、月代アンナの操る《モリビト礫号》によってな。だが、人機やロストライフ現象でどうとでもできる連中がわざわざ百万ドルも払ったんだ。できるだけ穏便に済ませたかった、と言うのは穿ち過ぎかもしれんが……」
駒を打とうとして勝世は負傷した部位に痛みが走っていた。思わず顔をしかめると両兵は酒の杯を差し出す。
「痛みにゃ酒が一番さ。知ってるか? 飲むと痛くなくなっちまうんだぜ?」
「……それはお前だけだろうが。ったく、オレはお前みたく超人じみた再生能力なんざ持ってねぇんだよ。しばらくは安静とのことだ」
「その安静が守れずにここまで来てるんだから笑えるんだか何だか」
橋の下に訪れたのは何も入院生活の味気なさだけではない。勝世は友次から預かった書類を差し出していた。
両兵が胡乱そうにそれを受け取って読み上げる。
「……血続操主、二名の名前か。顔写真がねぇが?」
「顔はプライバシーだとかなんだと。……名簿の洗い出しまでやったんだから今さらなんだろうが、問題なのは片方……キョムではない側が買った操主だ」
「……サイラス・クライヴ。米国諜報機関にて確保済み、とあるが……」
「その諜報機関っての、どうにも嘘くせぇ。アメリカが優秀な血続操主を確保したいってのが見え見えだ。恐らくは……米国主導の人機作戦部隊に入ることになるんだろうな」
「件のグレンデル隊か。……なぁ、勝世。オレは全く分からんのは、お前みたいなのがこんなに入れ込むこともねぇんじゃ、ってところでもある。何だって、お前はそこまでやろうとするんだよ」