JINKI 320 特別な世界があるから

「武装は外しておけよ! 人機は精密部品なんだ!」

 整備班がせめてもの抵抗のように軍部に野次を飛ばすが、彼らは聞き入れた様子もなく、無感情に青葉の搭乗機である《モリビト雷号》を扱う。

 制御装置を付けられ、トレーラー車の上で拘束具を取り付けられた《モリビト雷号》は平時のような圧倒的な力を見せつけることはなく、童話の中で扱われる巨人のようであった。

 無数のワイヤーで縛り付けられた愛機に、青葉は窓辺でそっと呟く。

「……バイバイ、《モリビト雷号》……」

 事の仔細は昨日に遡る――。

「――《モリビト雷号》の軍部による接収だって……?」

「前を見ろって……危ないぞ」

 そう諭された広世は今もすきバサミで伸びた髪の毛を切っていくフィリプスに視線だけを振り向ける。さすがに最近、髪の毛が煩わしいと思っていたところメカニックたちの勧めでフィリプスに任せているのだ。最初のほうこそ不安が勝ったが、思ったよりもフィリプスの手先は器用なようで、仲間たちの散髪も担当しているらしい。

本人曰く、「幾重にも辛酸を舐めた人機のマニュアル操縦に比べれば随分と楽だ」と言う。そう言えば、フィリプスは元軍人。自分とはまた違うルートで人機に触れたのだ。マニュアルの人機操縦の大変さは、静花に見出されて下操主だけでも半年かかった広世自身にも沁みてくる。

「……けれど、何だって今……」

「むしろ今だからこそなんだろうな。津崎青葉による《モリビト雷号》の戦闘経験値は軍部、ひいてはウリマンアンヘルにとっては得難いギフトのはず。話ではトーキョーアンヘルの操主の人機も取り上げられたのだと言う」

「ロストライフの最前線である日本でか? ……だとすれば、軍部ってのは随分……」

「足の引っ張り合いをしているようなものだな。報告によれば、《ギデオントウジャ》のデータ流用に際して使われたのだと。件の《シュナイガートウジャ》だな」

「……シュナイガー、か……」

 かつてエルニィが開発に成功した世界初の空戦前提での人機。奪取された現場に居た身分となれば、あれが巡り巡ってトーキョーアンヘルに戻ったかと思えば、また軍部のものとなったのだと聞かされれば穏やかな気持ちではいられない。

「……けれど、だとして何で《モリビト雷号》の接収の話になるんだ? モリビトとトウジャはまるで別物のはずだろ?」

 そのはずなのだが、とフィリプスは濁しながらハサミを走らせていく。慣れた手つきで枝毛を見つけて切りながらふぅむと考えを巡らせている。

「やはり、津崎青葉が我々レジスタンスとカナイマアンヘルにとって大きな戦力だということが大きいのだろうな。軍部とウリマンにしてみれば、面白くない、という帰結なのだろう」

「面白くないって……麓に古代人機が侵攻しないようにしているのはカナイマの功績なんだぞ……!」

 振り向きかけてフィリプスの両手で無理やり前を向かせられる。

「動くなって。……広世、言いたいことは分かるし、私たちだってそれに関してで言えば当事者だ。意見を差し挟む余地くらいはあるのだろうかと思ったのだが……どうにも軍部の根回しが素早い。山野さんも既に令状がある状態からでは手が出せないとのことだ。無論、軍部に出向している川本さんからの事前情報のリークもあったのだが……それにしても焦っている、と言う印象が強い」

「……焦っている? 軍部、がか?」

 広世の問いかけにフィリプスはバリカンを持ち出して刈り上げを作りつつ、神妙そうに頷く。

「……そう評するのが的確と言えるだろうな。軍部はこれ以上の津崎青葉の血続としての力を焦り、一時的にその愛機を手離させたいようだ。もちろん、データを取ると言う名目はあるだろうが……」

「それじゃ、また青葉は……愛した人機を、失うってことじゃないか……!」

 拳を骨が浮くほどに握り締める。一度の別れでも辛かっただろうに、二度も三度も味わわせてはいけない。それでは自分の立場もないだろう。

「……落ち着け……と言っても無駄か。しかし、山野さんたちにしてみても、どうにも大人しい。これはカナイマにしてみても、軍部のやり方を見る試金石なんだろうな。このまま強引でも《モリビト雷号》を奪うのか、それともデータだけ洗い出して返す気なのか……」

「軍部がそんな連中なら、俺たちは抵抗なんてしてないよ」

「……まぁ、だな。山野さんたちの考えは分からないが、川本さんとの示し合せもあるのかもしれない。今は、私から言えるのはこの程度だ」

 ほら、済んだぞとフィリプスはドライヤーを使ってからカットクロスを脱がして肩を叩く。広世は軽くなった頭髪を掻いてから、どうにも受け入れがたい事態だと思案する。

「……軍部が《モリビト雷号》のデータを取りたいって言うのは……意図が分からないわけじゃない。この間の《ガロウズトウジャ》の一件だってある。俺たちが口を差し挟める領域ってのも、案外大きくなくなって来たって言うのは……」

「何だ、広世。物分りのいい大人になったか?」

「まさか。……俺はいつまで経っても物分りの悪いガキだよ」

 けれど、と掌を眺める。守れる範囲は、以前までよりも大きくなったはずだ。この手が掴めるものはきっと、これまでのような苦渋に比べれば。

「……フィリプス隊長。《モリビト雷号》の接収、その間に古代人機が出たらどうするんだ?」

「待ってくれよ……。一応、代わりの人機が充てられるとのことだ。モリビトタイプではないようだがな」

 書類を読み込んだフィリプスに広世は横合いから覗き込む。

「……軍の秘匿回線に潜り込んだのか。危ないことをするなぁ」

「なに、前線を行くそちらに比べれば大した苦労じゃないさ。充てられる機体は……驚いたな。広世、お前にとっては因縁かもしれない」

 因縁と言う言葉に眉をひそめつつ、広世は書類を引っ手繰る。

「……操主、津崎青葉への補充機体は軍部より払い下げられた……」

 ――マニュアルは何度か読み込んだ、と青葉はコックピットブロックで返答する。下操主席は機械部品で塞がれており、血続操主専用のサポート電脳が埋め込まれていた。

「……悪いな、青葉。手伝えなくって……」

「別に、広世が悪いわけじゃないよ。心配しないで」

「……だが、よりにもよってこいつとは……」

「動いた。……広世、気をつけないと危ないよ。私もこの――トウジャの操縦経験は浅いんだから」

 低い駆動音の唸り声を上げたのはトウジャタイプであった。それも随分と古い型式であり、青葉は紙束の中の型番を読み込む。

「……《プロトトウジャ》……。《トウジャCX》よりも前に造られた……実験機、か」

 フェイス形状とシルエットは《トウジャCX》に酷似しているが、駆動系で言えば《ナナツーウェイカスタム》を想起させる古めかしさだ。完全なマニュアル駆動でありながら無理やり血続トレースシステムを通したためか、動きにラグが生じている。

「……ペダル三つ分くらい遅いかも。下操主サポートAIが可能な限り、私の動きを補助してくれているけれど……」

 それでも完全な血続専用であった《モリビト雷号》と、かつて愛用していた青葉専用カスタムの《ナナツーウェイ》に比べれば挙動が鈍い。少し学習させなければ、と青葉はマニュアル操作も織り交ぜながら《プロトトウジャ》を立脚させる。

『青葉! どうだ?』

 足元で声を張り上げた山野相手に青葉は少しだけうろたえる。

「山野さん! ……ちょっと、あまりメンテナンスが行き届いていないのかもしれません。テンポよく動かさないと古代人機相手でも厳しそうです……」

『軍部の奴ら……とんだ骨董品を掴ませやがったな……! よりにもよって《プロトトウジャ》とは。マニュアル通り、こいつには血続トレースシステムが通っちゃいるが、それもほとんど形式だけの代物だ。全身に神経が通ってるみたいな感じは消えたと思っとけ!』

「は、はい……!」

『青葉さん、不安そうならメンテをしての運用でも……』

《プロトトウジャ》の頭部コックピットを叩いて通信を繋いだ古屋谷に青葉は何でもないように微笑みかける。

「大丈夫……っ、です! それに、あまり時間もありませんから……!」

『青葉、やれそうか?』

 広世の操縦する《ギデオントウジャ》が並び立ち、《プロトトウジャ》のマニピュレーターを引く。人がそうするようにエスコートされつつ、青葉は格納庫からようやく歩み出していた。

「……体力使うなぁ、この子……。いつの間にか血続トレースシステムに慣れちゃっていたのかも。体力作りの走り込みの負荷も上げないと……」

『よし、青葉。俺とギデオンが先行する。《プロトトウジャ》は遅れてもいいから、慣らし運転にしよう』

「……うん。一週間はこの子でどうにかしないと駄目なんだもん。早めにクセを掴まないと……!」

《ギデオントウジャ》がジャングルを駆け抜ける。《プロトトウジャ》にも後付けの推進剤があったが、しばらく使われていないのかフットペダルを踏んだ瞬間に塵芥が噴き出す。

「……ファントム……!」

 全ての人機は推進剤の有無を問わず、ファントムが可能である――その基本に立ち返り、青葉は《プロトトウジャ》を疾走させる。だが、トウジャタイプはモリビトタイプとは根本からして違う。《トウジャCX》は踏み込む度に加速する仕様であったが、《プロトトウジャ》の足裏にはブースターは装備されていない。そのために、純然たる人機としての性能だけが剥き出しとなる。

 問われるのは操主としての歴と、その実力。

「届け……!」

《プロトトウジャ》の基本武装であるブレードを振り翳し、一息で打ち下ろす。そのまま機体を旋回させ、軽業師めいた動きで蹴り技を何度か見舞う。

 モリビトのように重心が機体の下腹部付近にあるのではなく、トウジャの重心は上半身にある。全ては悪路を制覇し、速力を出すための工夫であろう。

 ブレードは《モリビト雷号》のものを使っていたが、少しだけ振り回すのには重過ぎる。機体各所に備え付けられた補助推進剤によって見た目ほど華奢ではないが、モリビトのパワーに慣れていると思わぬ失敗に繋がりかねない。

 何度かよろめくようにして刃を振るい、太刀筋を確かめてから《ギデオントウジャ》が白銀の翼を拡張させる。

『青葉、ポイント移動をする。一応はまだ慣らし運転だから、付いて来られないことに気負う必要性はない』

「……頭じゃ分かってるんだけれど、ちょっと焦ってるのかも。……先導して、広世」

『ギデオンは最新鋭人機だから、追いつこうなんて考えなくっていい。《プロトトウジャ》の挙動に慣れないとな』

《ギデオントウジャ》が飛翔したのを感じ取って、青葉は丹田に力を込める。

「この子だって……まだ来たばっかりの赤ん坊。私の操主としての腕が試されているのなら……!」

 超加速度に身を浸し、青葉はラ・グラン・サバナの砂礫を踏み締め、崖に向かって跳躍させる。

 トウジャタイプ特有の風圧に「煽られる」ような感覚。モリビトを操っている時ならば、もっと足元がしっかりしているが、トウジャはどこかしら軽い。慣れるのには時間がかかりそうだ、と青葉はマニュアルを片手に機体を躍動させるのだった。

「――お疲れ」

 差し出されたコーヒーに青葉は少し湿った空気を感じつつ、《プロトトウジャ》のコックピットブロックを開ける。

「ありがと、広世。……あったかいね」

「昼にも言ったけれど、焦ることなんてないんじゃないか? 《モリビト雷号》は一週間後には帰って来るんだし、その間に強襲がなければ、《プロトトウジャ》の役目だって」

 広世は電脳が組み込まれた下操主席に視線を投げつつ、コーヒーを啜る。青葉は血続トレースシステムに腕を通しつつ、マニュアルと何度も悪戦苦闘していた。

「……何だか久しぶりかも。こうして人機と向き合うのって……何だかんだで少なかったし。《モリビト雷号》に慣れちゃって、他の子の相手をすることもなかったもんだから」

「俺に言わせれば、何機も跨いで操縦できる奴なんてそうそう居ないってば。……と言うよりも居て堪るかってのが大きいか。《トウジャCX》をまともに動かせるようになるのだって半年かかったんだ。一週間以内にモリビトからトウジャに転向なんて無理だよ」

「それはそうかもだけれど……。けれどルイなら、そんなことは言わない、でしょ?」

 微笑みかけると広世は少しだけばつが悪そうにする。

「……あいつは特別なんだって。ナナツーもモリビトもトウジャだって俺よりも上手く動かしてみせるんだもんな。こっちにしてみれば形無しってもんだよ」

 後頭部を掻いた広世に青葉は気づいて声をかける。

「髪の毛切ったの?」

「あ……うん。フィリプス隊長が顔に似合わず器用でさ。ちょちょっと切ってもらったんだ」

「……いいなぁ。私もそろそろ切りたいけれど、そう言えば前に南さんに切ってもらったっけ……」

 地球の反対側、日本で今もキョムと戦っている南やルイへと思いを馳せる。彼女らは自分が《プロトトウジャ》に時間をかけている間にも激闘を繰り広げているに違いない。ロストライフ化の最前線である日本での戦いだ。きっと、生易しいものではないのだろう。

「……ねぇ、広世。私、やっぱり焦ってるのかな……」

「何を言ってるんだよ。青葉は努力し過ぎなくらいだって。……そりゃ、今回。《モリビト雷号》を奪われたのは嫌だけれどさ。川本さんの計らいで一週間、って言う期間にまで短縮されたんだからまだマシだって思わないと。軍部とウリマンの考えじゃ、このまま青葉から雷号を取り上げることだって考えられたんだ」

「……そう、だよね。もう私……好きな人機を失うのは、二度と……」

「……悪い。思い出させちまったか。《モリビト2号》のことを」

「ううん。《モリビト2号》は今も、アンヘルと共に在るって言うのだけははっきりしてるもん。それが私じゃなくっても、きっとモリビトは守ってくれるはずだよ。大事なものをたくさん、たくさん抱えてきた人機だから」

「人の想いを受け止めてきた人機、か……」

 コーヒーに口をつけ、青葉は考えを巡らせる。ほんの一週間だ、我慢すればいいと自身の想いを封殺する言い訳を講じながら、それでも諦め切れず急いてしまうのは操主として未熟な証だろうか。

「それにしたって、トウジャって大変だったんだね……。これを上と下で呼吸を合わせていたんだから、広世ってすごいと思う」

「そ、そうかな……。……よせってば。青葉のほうが操主としては絶対にすごいし、モリビトタイプのほうが難しいだろ」

 照れ隠しにコーヒーを呷った広世の姿をどこか微笑ましく眺めていると、不意に夜の闇を警報が劈いていく。

「……警報……!」

 広世と視線を合わせ、青葉は頷いてコーヒーを飲み干す。

「……情報は……!」

『津崎青葉か……? 北東のポイントに敵影を捕捉。どうにもタイミングと言い、時間的にもきな臭い。そこに広世は居るか?』

「フィリプス隊長! ……《マサムネ》で先行してくれ。青葉はキムたちのナナツーウェイと合流する」

「私だって、前衛に――!」

「《プロトトウジャ》じゃ、相手が古代人機でも不利だ。……それに、これは俺の第六感めいたものだけれど、嫌な感じがする」

「嫌な……」

「ギデオンで先行してフィリプス隊長の《マサムネ》と合流して挟み撃ちにする。青葉は後から後衛部隊として合流してくれ。……俺の思い過ごしならいいんだが……」

「広世……!」

 青葉は思わずコックピットを後にしようとする広世を呼び止める。広世自身、どこかに懸念があったのか、少しだけ逡巡を浮かべた後に笑いかける。

「心配すんなって! ……ただの古代人機ならフィリプス隊長と俺のギデオンでどうにでもなる。青葉は後衛を固めてくれればそれでいい。大丈夫! どうってことないって!」

 その笑顔が強がりに見えてしまったのは己の不安もあったからか。あるいは――。

「……うん。分かった。私も広世を信じるね」

「いい知らせを待っていてくれよな」

 お互いにハイタッチしてからコックピットを離れる。

 その背中が遠ざかった瞬間、青葉は言いようのない不安に駆られていた。この感覚は――嫌だと思って振り返ったその時には、広世の姿はもうなかった。

「――……すまない。私の実力が足りなかったから……」

 プロジェクターに映し出されたのは古代人機ではなく、暗色に塗り固められた二機の人機であった。

 濃紺に近い漆黒の人機は素早く《ギデオントウジャ》の背後に回り込んだかと思うと、肘から現出した刃で《ギデオントウジャ》の血塊炉の重要ポイントを的確に突き刺す。

《ギデオントウジャ》は青い血を噴き出させながら飛翔して逃れようとしたが、それをもう一機が跳躍して阻み、《ギデオントウジャ》をジャングルに打ち落とす。

 フィリプスの《マサムネ》が対空砲火を見舞うが、どれもこれも装甲の表層で打ち消されていく。

 弾幕は意味を成さず、《ギデオントウジャ》を持ち上げた球体関節の人機はようやく追いついた後衛部隊の火砲を逃れて退却していった。

「……機体照合の結果、キョムが実験運用している《ポーンズ》と言う人機に近しいと思われるけれど、詳細は不明。そもそも《ポーンズ》はRフィールド装甲を施されている関係上、重量があるせいで動きは鈍いと判定されていたんだけれど……」

 古屋谷の報告に続き、グレンが敵の逃走経路を予想してプロジェクターに映し出す。

「恐らくは近場の打ち捨てられた工場地帯に逃げ込んだのだと思われます。元ウリマンアンヘルの使っていた工場ってこともあり……きな臭いものを感じますね」

 明らかに対《ギデオントウジャ》として運用されているとしか思えない《ポーンズ》二機の連携に、青葉は拳を握り締める。

「……青葉。分かっていると思うが十中八九、軍部の罠だ。《モリビト雷号》を接収しただけに留まらず、操主を誘い込もうとしている」

「……でも、私たちが動かないと、広世が……!」

「広世だって覚悟のある奴だ。もしもの時にはどうにかしろってのは叩き込んである。……それに、今のお前にはモリビトがねぇ」

「……雷号がない私は……そんなに頼りないですか……!」

「そう言ってるんじゃねぇよ。ただな、今の広世を無事に取り戻すのには、《プロトトウジャ》はあまりにも非力だ。《マサムネ》だって《ポーンズ》にやられたダメージがある。レジスタンスの人機が動き出せるのには早くても五時間。……いや、もっとかかるだろうな。これを見越した連中が居る、それだけで慎重に動くのには充分過ぎる理由だ」

 山野の言っていることは筋が通っている。

 恐らくこれはキョムの一派と手を組んだ軍部の動き。統率された、特殊部隊のそれだろう。策もなく闇雲に飛びこんでしまえば、広世の身柄が危ないだけではなく、自分もミイラ取りがミイラになる可能性だってある。

「……けれど、じゃあ誰も助けに行かないって言うんですか」

「明日になりゃ、少しは作戦も立てられる。今は焦るなって言ってんだ。……軍部との交渉事には川本の奴とのパイプもある。《ギデオントウジャ》は分からんが、操主だけでも助け出せる見込みくらいは……」

「……分かりました。けれど格納庫に居るのは、別に構いませんよね」

「……好きにしろ」

 山野の追及を逃れるように青葉は廊下を折れ、格納庫で収容されている《プロトトウジャ》のコックピットへと入っていた。

 人機のコックピットは落ち着く。それが平時の自分であったのに、今ばかりは急く気持ちが強い。

 一分一秒も無駄にしたくない。このまま強行出撃して、そのまま逃走経路にあった工場へと強襲を――。

「……駄目。私はもう、ただの一操主じゃない。だから、今の私が広世を助けに行ったら、その間のカナイマの守りはどうするの……」

 何度も何度も、自分に言い聞かせるように口にするが、それでも収まらない。《プロトトウジャ》のコックピットで香るのは、重油に似た重々しいブルブラッドの臭気。きっとこの人機は、ずっと倉庫の奥で埃を被って、途方に暮れたように長い時間を過ごして来たに違いない。

 いつ出撃できる? いつ戦える? ――そんな思いを噛み締めたまま、戦いの機会を逸し続けて。

「……青葉さん。青葉さん」

 コンコンと、古屋谷とグレンがコックピットを外から叩く。青葉は顔を上げてコックピットブロックへと二人を招く。

「……古屋谷さん。グレンさんも……」

「青葉さん。……広世君を助けに行きたいんだろ」

「……でも……私が行っちゃうと、それは色んな人に迷惑を……」

「預かっていたんです。これ……広世君から」

 グレンが差し出したのは一枚のメモであった。広世の筆致で、いくつかの注意事項が書かれている。文頭には「トウジャタイプを動かす時に気をつけていること!」と記されている。

「……ああ……」

 馬鹿だ、自分はとそこで思い知る。広世に気を遣わせて、カナイマアンヘルのみんなにも気を遣わせて。

 それで自分が一端の人機操主なのだと思い込んで、本当の気持ちに蓋をするなんて。

「青葉さん。そりゃ、ここで出撃するのは普通は駄目なんだろうけれど……それ以上に青葉さんがしたいことがあるはずじゃないかな?」

 古屋谷の問いに青葉は堰を切ったように胸の奥から上がってくる衝動を声にしていた。

「……私は、嫌です……! やれたのに……! 何かができたかもしれないのに……動かないのはもう……二度と……!」

 古屋谷とグレンは顔を見合わせた後に、格納庫のシャッターを開いていく。

「……何を……」

「青葉さん。これ、現太さんの受け売りだけれどさ。“自分の心に嘘をついてまで操主をやることはない”……って。よく両兵に現太さんは言っていたなぁって、思い出しちゃって。広世君を助け出したいんだよね。……なら、嘘をつくくらいなら僕らに不都合でもいいじゃない」

「自分も同感です。《モリビト雷号》がなくったって、青葉さんは青葉さんですから。いつだって、我々の希望だったのが青葉さんの在り方でしょう?」

「……希望……」

 シャッターが開き、青葉は血続トレースシステムを起動させる。どこか縛られたような感覚が付き纏うのは下操主席に居座る電脳のせいか。

 すると、青葉が口にする前に古屋谷とグレンが銃器を持ち出し、電脳を撃ち抜く。

「……いつもの青葉さんらしくないってば。これで性能が落ちたとしても、青葉さんはこんなのに縛られるものじゃないと思う」

「行ってください。親方には……自分たちが何とか言っておきます」

「拳骨じゃ済まなそうだけれど、まぁね。僕らも同じ気持ちだし」

「……ありがとう」

 青葉はコックピットブロックで深呼吸し、それから今一度、人機の脈動と己を重ねさせる。

 下操主席の電脳のサポートがあったほうが、《プロトトウジャ》は扱いやすいのかもしれない。しかし、そうではない。自分と人機の関係は、そんな電気信号に集約されたような、容易い関係性では決してないはずだ。

「……お願い、《プロトトウジャ》。一回でいい、私に身を委ねて」

 とくん、と動き出した鼓動。

 まだ幼い、戦場を知らない呼吸に青葉は一言だけ返していた。

「……うん、そう。私だって同じ気持ち。だから――行こうか」

 ――《ギデオントウジャ》から引き剥がされ、広世は空を仰いでいた。

 結論から言えば、敵はキョムではなく軍部の強硬派による犯行であった。《ポーンズ》の改修型を扱っての《ギデオントウジャ》の鹵獲。それが相手の思惑だ。あわよくば青葉をその手中に入れようとしていたのだから広世にしてみればまだマシな結末であったと言えよう。

 ただし、自分は工場の一角で拘束され、《ポーンズ》の操主たちに見張られている。

「……キョムに降って、恥ずかしいと思わないのか」

「上の言うことにいちいち反抗していたら命がいくらあったって足りないのは分かるだろう? カナイマの操主。それに、我々は津崎青葉の捕縛が目的であったのに……当てが外れたと思うべきか」

「悪かったな、本命じゃなくって。だが、あんたらの思惑は通らないぜ。今の青葉は絶対に、ここには来ないんだからな」

「そのようだ。“黒髪のヴァルキリー”とあだ名されているくらいなのだから、相当な使い手なのだと思っていたが、まぁいい。《ギデオントウジャ》とその操主だけでも充分な成果だろう」

「どうかな。俺みたいな操主はいくらでも替えが利く」

 せいぜい相手にとってハズレを引かされたと思わせるしかない。すると、苛立った《ポーンズ》の操主が動けない自分へと足蹴を見舞う。

「操主としての素質があるだけでも我々にとっては意味がある。だが……あまり口が過ぎるのならば」

抵抗の術は少ないな、と広世は廃工場から空を仰いで息をつく。その脇腹へと銃口が向けられた瞬間だった。

「分隊長! ……血塊炉の固有反応を確認!」

「レジスタンスか?」

「いえ、これは……トウジャの固有振動数です!」

 まさか、と広世が目を見開く。分隊長と呼ばれた相手は声を潜め、通信を繋いでいた。

「《ポーンズ》一号機へ。……本当にトウジャが?」

『間違いありません。……カナイマに一時的に譲渡されていた《プロトトウジャ》がこちらへ――』

 唐突にその通信が途絶する。

『こいつ……! カナイマに渡しておいたガラクタ風情が……!』

「おい! どうした! ……まさか、本当にあのガラクタ人機が……?」

 視界の隅で《ポーンズ》が突き飛ばされる。Rフィールド装甲の重量を誇る《ポーンズ》があまりにも軽々しく蹴散らされる様子は相手にとっては悪い夢のように違いない。

「……わたしも出る!」

 広世は拘束を外され、《ポーンズ》二号機へと引きずられていく。外に出た瞬間、夜の帳に沈んだ廃工場を照り返す灼熱の炎に広世は息を呑んでいた。

「……嘘、だろう……青葉……?」

《ポーンズ》が掌より放ったリバウンドの光条を掻い潜り、疾駆が工場地帯を駆け抜ける。その速力、そして鋭さは昼間に目にした青葉の力量を遥かに超えていた。

《ポーンズ》が姿勢を立ち直らせようとするが、その重さがゆえにバランサーでさえも制御が難しいのか、立ち上がる前に膝蹴りが食い込む。

《プロトトウジャ》の眼窩がぎらりと煌めく。

 宵闇を切り裂く、人機の咆哮。

 その鋭さに中てられたように分隊長は動けなくなっていた。その隙を広世は逃さず、すぐに駆け出す。

「ま、待て……!」

 銃撃が向けられるが構うものか。今すぐにでも、一歩でも早く――青葉の下へ。

「青葉……! コックピットを!」

『……広世……!』

《プロトトウジャ》がマニピュレーターを伸ばす。銃弾が跳ね、広世は一息に《プロトトウジャ》の関節部と上腕部を蹴り上げて頭部コックピットの緊急スイッチへと手を伸ばしていた。

「青葉……!」

「広世……! よかった……怪我はしてない?」

「……最初に心配することがそれかよ、って言うか、来るぞ……!」

 軽口を叩く前に《ポーンズ》が起き上がり、プレッシャー兵装を放つ。今に着弾するかに思われたが、《プロトトウジャ》はそれを軽い挙動でかわし、地面に転がっていた破片を拾い上げて返答の一撃とする。

《ポーンズ》の関節部に突き刺さった金属片が相手の動きを阻害する。

「……あなたたちは、広世に怪我をさせた。だから……私も怒ったし、この子も同じ」

「……青葉……」

 憤怒に駆られた青葉の背中から広世は目を離せないでいた。《プロトトウジャ》が加速してブレードを振り下ろす。

《ポーンズ》の堅牢なはずの片腕が根元から切り裂かれ、青い血潮が舞う中で《プロトトウジャ》が機体の大きさをまるで無視したように足蹴にする。打ちのめすようにしてブレードを振るい、青葉は《ポーンズ》の装甲の継ぎ目を重点的に狙う。

『動くな!』

 もう一機の《ポーンズ》が動き出し、片手を開いて照準していた。

『……その動き、それに熟練度……驚いたな。これが“黒髪のヴァルキリー”か……! だが、そのガラクタ人機で何ができる! 我々の作戦の邪魔をしないでもらおうか!』

「……ガラクタ……?」

『そうだろう……! モリビトを奪われ、《ギデオントウジャ》でさえもない! そんな状態の骨董品で、この《ポーンズ》を……!』

「違う。この子は、ガラクタなんかじゃ――ない」

 断じる論調の青葉は《ポーンズ》を翻弄する速度と精度で相手の懐へと潜り込む。

 ファントム――それも恐ろしく瞬発力の高い、純正のもの。

 ブレードが《ポーンズ》のコックピットを切り裂く前に広世は叫んでいた。

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