JINKI 322 アキラの手記#2

 それでも家屋は残っており、ロストライフ化の形跡もそれほど強くはない。強いて言えば降り続く灰色の雨が煩わしい程度であったが、それも人機に乗っていれば軽減はされる。

「アキラさん……本当によかったんだな……?」

「ダイさん。……うん。シホちゃんもルシフォンちゃんも……あの子たちにしか分からない傷の癒し方があるんだと思う」

 シホとルシフォンには雨合羽を持たせ、村へと踏み入らせていた。キョムが人機を使っているのだとすれば、もう故郷の土を二度と踏むことはない――そのあまりにも残酷な真実がアキラに決断を迷わせていた。

 ルシフォンは図書館や廃屋があれば、本が一冊でも欲しいと願い出たのもある。それとシホの心情を鑑みれば、少女らだけで行動させるのは危険だが、憐憫もあったのかもしれない。

『こちらルシフォン。悪魔さん、どうぞ』

「通信環境は良好なんだな。……アキラさん、顔色が悪いんだな。やっぱり心配して……」

「あ、うん……それもあるんですけれど……」

 ルシフォンたちには通信機を持たせてある。もしもの時に襲撃があったとしても、彼女らを守れる備えはしていたが、それ以上に焦燥感が胸を掻き毟っていた。

 本当にこの場所に長居していいのか。それともこの判断そのものが間違いなのか――結論は先延ばしで、なおかつリミットだけが無情にも時を刻む。

 その時、不意に空が割れる。

 シャンデリアの光が降り注ぎ、灰色に閉ざされた空域を断ち切ったのは漆黒の人機であった。

「キョムの《バーゴイル》……! やはり、張っていたの……!」

 警戒を注ぐアキラだが、それに比して《バーゴイル》は首を巡らせているばかりであった。まるで何かを、探しているかのように。

「……アキラさん……! 戦闘形態に移行するんだな! このままじゃ二人が危ないんだな……!」

「……待って、ダイさん……。何ですぐに攻撃しないの……? いつものキョムのやり方なら、すぐに……」

 思考している間にも状況は動く。ハッとしたその時には、ルシフォンとシホのシグナルが途絶えていた。

 通信機を手離したのか、と感覚した瞬間、《バーゴイル》のプレッシャーライフルが村を焼き払っていく。

 まさか、とアキラは絶句する。

「シホちゃんは……死に場所を求めて……?」

 なぜそのような考えが出たのか分からない。しかし、妙に明るかった昼間の少女の相貌と昨日の死に損なった面持ちを重ねるのは難しいことではなかった。

 死ぬために――殺されるために戻ったと言うのか。

 全てを失ったから、何もかもを消し去られたから、自分の存在でさえも消し飛ばしてしまえばいいと。

 不思議と、それを唆したのはルシフォンではないか、と言う疑念があった。

 あの少女は――少女の身に宿した暗黒の側面を垣間見せている。誰にも解き明かせないパズルのように。あるいは常に姿を変える万華鏡のように。

「アキラさん! もう……!」

 ダイクンの声が思索の網を滑り落ち、アキラは上操主席で操縦桿を握り込んでいた。

「……ダイさん! 《イミテーショントウジャ》で仕掛けます……!」

「了解なんだな! スタンディングモード!」

《マイマイ》の格納コンテナを脱ぎ、灰色に染まった雨模様の中で《イミテーショントウジャ》の痩躯が立ち上がる。シャンデリアの光が突き抜けた曇天の向こうから月明かりを浴び、内蔵する特殊血塊炉のエネルギーを充填して関節部が赤色の燐光を帯びる。

「やらせない……! ファントム!」

 紅色の超加速度に身を浸した《イミテーショントウジャ》が瞬間的に村の廃屋を飛び越え、《バーゴイル》の頭部を抑え込む。

「この……! イビルブラッド、充填……! エクスターミネートモード!」

 ダイクンの変身能力を引き受けた《イミテーショントウジャ》に悪魔の血肉を吸わせることで、バイザーが降りて包み隠されていたデュアルアイセンサーが輝く。

 その活動時間はほんの180秒――しかし、それで。

「戦うのには充分」

 凶悪な双眸で《バーゴイル》を睨み、トウジャタイプとは一線を画した膂力で放り投げる。《バーゴイル》がその特徴である飛翔能力を誇示するよりも素早く、加速で舞い上がった《イミテーショントウジャ》が馬乗りになって滅多打ちにする。

「これで――トドメだぁ――ッ!」

 ダイクンの咆哮を引き受けた《イミテーショントウジャ》が叫び、貫手を血塊炉に向けて放つ。

 沈黙した《バーゴイル》は教会を崩落させていた。青い血潮が迸り、煤けた教会の壁面を濡らす。

 ぜいぜいと息を切らし、アキラはその壁面に描かれた天使の絵を垣間見ていた。

 まるで全ての罪を許すかのように舞い降りた天の使いは頭部を切り抜かれ、その神秘性を失っている。

 さしずめ――堕落したかのように。

「……アキラさん。これ、は……?」

《イミテーショントウジャ》から望む景色を熱源感知に切り替える。

「これは……電源……?」

 教会には外部より電力が供給されており、それが今しがたまで稼働していた何かを維持しているようであった。だが、《バーゴイル》の残骸によって押し潰され、その意味をなくそうとしている。

「……ダイさん。あとをお願い……!」

「アキラさん……?」

 胸に湧いた予感のまま、アキラは《イミテーショントウジャ》を降りて雨空の中、教会へと向かう。機械部品が覗いたが、それらは《バーゴイル》によって完全に潰されてしまっている。しかし、辺境の村には相応しくない軍事用の電源器具が運び込まれていたのは供給パイプの太さから明らかである。

「この村には何かがあった……けれど、それは……」

天使の図柄の下にまだ真新しい、文字が刻印されている。

「……“When You Wish Upon A Star”……? これは……」

 その言葉をアキラは指先でなぞる。誰かがここに残したと思われる最後のメッセージ――いや、これは祈りそのものか。

『アキラさん! 通信が繋がっただな……! 二人は無事なんだな……! よかった……本当に……!』

《イミテーショントウジャ》が真紅のアイカメラで周囲に首を巡らせる。

 そのことを喜ぶよりも先に、アキラの胸中には疑念が渦巻いていた。

 シホは本当に死のうとしたのか、あるいは、それでさえも自分たちを導くための――。

 降りしきる冷たい雨に打たれ、アキラは答えを出し損ねていた。

 ――また、喪失の大地を踏み込んでいく。ただただ、記憶の手記だけを頼りにして。

 1991年6月初頭。

 本日は快晴。南から乾いた風が吹き付けてくる。

 昨日のうちに洗濯は済ませておいたので、昼ごろには久しぶりに外で天日干しができるかもしれない。

《マイマイ》の稼働率は七十パーセント未満で推移。一転して晴れ模様が広がっているこの三日間で太陽光エネルギーの混合血塊炉は安定域稼働。

「ねぇ! また私の下着がないんだけれど! ……あんた、勝手に使ったんじゃないでしょうね」

 コックピットに押し入ってきたルシフォンの声にアキラは手記を綴っていたペン先を止める。

「……私が使うわけが……」

「何よ! 子供だからって馬鹿にして……!」

「あっ、ルシフォンさーん! それ、干しておきましたから! もう少しで乾きますよー!」

《マイマイ》の格納コンテナより声を発したのはシホでルシフォンはふんと鼻息を漏らす。

「……言っておくけれど、謝らないわよ」

「駄目なんだな。アキラさんに謝るんだな」

 ダイクンに諌められ、仕方ないとでも言うようにルシフォンは頭を下げる。

「コノタビハモウシワケアリマセンデシタ……これでいい?」

 全く心の籠っていない棒読みなのは仕方ないと、アキラはため息をつく。

「……分かったから。あと三十分ほど進んだらお昼にしましょうか」

「私は手伝わないわよ。頭脳労働担当だもの」

 先んじて口にしたルシフォンの物言いに辟易していると、洗濯物を籠に入れてコックピットを覗き込んだシホが口にする。

「あっ、アキラさん。……わたしはお手伝いしますから。お昼の準備、楽しみですね!」

「何よ。シホはいい子ちゃんなんだから困ったものね」

「あぅ……それは言わないでくださいよぉ……」

 まるで対照的な二人だったが仲が悪いわけではないらしい。シホは微笑んで洗濯物を取り込んでいく。

「……お昼には昨日の村で手に入れたベーコンを使いなさい。それが条件よ」

 身勝手に条件だけを突きつけてルシフォンはコックピットの本棚から三冊ほど持って行く。

 その姿が遠ざかったのを確認してから、アキラは下操主席のダイクンに声をかける。

「……ねぇ、ダイさん。私も……あの子のこと、誤解していたんでしょうか。死のうとした、なんて」

「分からないんだな。本当のことは誰にも……。けれど、オラは生きていてくれて嬉しいんだな。それはどんな人間でも、そう思うに違いないんだな」

「どんな“人間”でも……ですか」

 ハッとしてダイクンが失言に気づくも、それでも彼は発言を曲げなかった。

「……でも、オラだって少しずつ……あの子たちに肩入れしているんだな。これを“人間”なのだと……思いたいんだな」

「そうですね。私もどんなに……造られた存在だとしても、少しでも人間らしく……」

 アキラは改めて手記を開く。

 同行者は二名。

 ルシフォン・ツザキ。そしてシホ・ツザキ。二人を繋ぐ、“ツザキ”の名前は呪いか、それとも祝福なのか。私にはそれを判ずる術はまだない。それでも私は……。

 そこから先を記すような明確な答えはない。アキラは教会の壁面に刻まれていた、誰かのメッセージを文末に綴る。

「“When You Wish Upon A Star”――星に願いを、か。一体誰の……」

 最後の願いなのか、エゴそのものか。いずれにせよ、晴れ渡った昼下がりに、星は見えず。

《マイマイ》から望める青空を仰ぎ、アキラは煤けた空気を肺に取り込む。

 行く先に何が待っていようとも――困難の先に浄罪の旅路はあると信じて、進むしかない。

 自分たちは赦されるべき時を待ち望む、地上の咎人たちでしかないのだから。

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