JINKI 324 心震わす出会いを

「けれどさ! 雑誌ではここで売ってるって……! やっぱり先越された?」

 神妙そうに呻るマキに泉も一緒になって困惑顔になっていた。

「けれど、結構歩いたはずですわよね? 確か雑誌の特集では都心部なら売っているとありましたが……」

「うーん……やっぱりないんじゃない? 私も初めて聞いたし」

「けれどさー! 一回知っちゃったら諦めきれないーっ!」

 マキの人並み以上の興味にも困ったものだと思っていると、最後尾の金枝がふと声にする。

「……あの。やっぱり、なかったらなかったでその……。それに……校則違反なんじゃ。学校帰りに買い食いは……」

「甘いっ! 金枝はいい子ちゃんだなぁ。そんなんじゃ、絶対に間に合わないじゃん。それに! どこの世界に校則を馬鹿みたいに律儀に守る女子高生が居るってのさ!」

「……こ、ここには少なくとも一人……」

 おずおずと手を上げた金枝はマキの横暴に困り果てている様子である。そもそも、金枝は修学旅行とここ数日間でこれまでの人生における経験値の数倍の刺激を味わっているに違いない。

「……金枝ちゃん、ちょっと疲れてる?」

「……まぁ、少し」

「では、そこの公園で休憩しましょうか」

 泉が指差した先には都内でも珍しい、ビル街の奥にある不意に湧いたかのような緑地公園であった。むすっとしたマキと泉、それに自分と金枝がそれに続く。

「けれどさー! 何だか頭に来ちゃう! いーよねー! 芸能人ってああいうのいち早く味わえて!」

 何だか今日のマキは少しだけやけっぱちになっている様子だ。それもそのはず、授業が終わるなり学校から駆け出して数駅分、女子にしては結構な歩数になっている。

「久しぶりに散歩できて私はよかったですけれど……金枝さんはどうですか?」

「え、えっとぉ……金枝はその……あんまり体力がないので……都会の方って皆さん、そうなんですか? よく歩くって言うか……」

「うーん……けれどそれは金枝ちゃんもじゃない? 京都ってもっとたくさん歩いた気がするよ?」

「……まぁ、京都人は案外市内なら歩くって言いますけれど……金枝はそういうのなかなか……」

 そういえば金枝はこれまで「幽霊の小道」で京都の街並みを華麗にショートカットしてきたのだった。ならば、想定よりも体力がないのかもしれない。

「……ちょっと飲み物買って来よっかな……」

「あっ、じゃあ私も付いて行きますわ、赤緒さん」

「あっ、ちょ……っ! 金枝も……」

「金枝ちゃんはマキちゃんと一緒に待っていてよ。マキちゃんは何が飲みたい?」

「炭酸の奴かなー。喉乾いちゃった」

 舌を出して手で扇ぐマキに泉は意外そうな声を発する。

「あら。いつものコーヒーじゃなくっていいんですか?」

「それも考えたけれど……やっぱりさ、これから一食食べようってのにまだコーヒーは早いんじゃない? せっかくなら美味しいコーヒーとデザートは付き物だし」

「……だね。じゃあ買って来るね」

「ま、待ってくださいよぉ~、赤緒さん……。金枝、放っておかれるのは慣れていなくって……」

「なぁーに、言ってんの! 金枝は私とデートなのだ!」

 肩を引っ掴んだマキに金枝はひっ、と短い悲鳴を上げる。

「あ、赤緒さ~ん……! 金枝は貞操の危機ですよぉ~……」

 自動販売機がある表通りに赴いたところで泉がようやく、ふふっと微笑む。

「赤緒さんも人が悪いと言うか……マキちゃんと金枝さんの距離を近づけるための大作戦ですね」

「分かっちゃった? わざとらしいかなとも思ったんだけれど……ちょっとお節介かも」

「いいと思いますよ。赤緒さん、金枝さんのこと、人一倍気にかけていらっしゃるのは分かりますから」

 泉に太鼓判を押されればさすがに赤緒も安心だ。しかし、と表通りで自動販売機を探す道すがら、赤緒は握り締めていたチラシを広げる。

 丁寧に四つ折りにしたチラシには「今、注目のデザートをお届け!」と言う煽り文句が踊っていた。

「……本当に東京にあるのかなぁ、これ……」

「マキちゃんの買って来ていた雑誌にはあったんですし……一応、柊神社に居るメルJさんには確認済みなんですよね?」

「うん……。でも、分かんないなー。私、こういう流行り物とかには疎いから……。ルイさんとか立花さんが一緒ならもっとお店を特定できたりもするんだろうけれど」

 注目のデザートと目されるそれを再び見据え、赤緒は渋面を作る。

「まぁ、こうして都内を歩くのも金枝さんと親密になるのにはいいのかもしれませんわね」

 泉の言う通りでもある。何よりも、自分たちは自由なはずの女子高生身分。ガラにもなく校則云々を守ったり、トーキョーアンヘルの役割に縛られたりするのも違ってくると思えたから行動に移したのだが。

「……見れば見るほど分かんないかも。これ、本当にあるのかな?」

「ツチノコじゃないんですから、あると思いますよ。そのデザート」

 しかし、穴が開くほど見つめても赤緒には実感が持てない。

――箪笥のような奇妙なチョコレートの三段重ね。正方形に近い形状を持つそれを、赤緒はどうにもこれまで自分のよく見知って来たのと同一には思えないでいた。近しいものを符合するのならばチョコレートケーキなのだろうが、曖昧模糊としたその像が結ばれずに異質感だけが妙に浮き立つ。

「東京に出店したって書いてあるけれど、これ四月号だしまだまだ出てない気もするけれど……泉ちゃんは食べたことはないんだよね?」

「私の家は和のお菓子はいただくことはありますが洋菓子はほとんどないので。それこそ、放課後に赤緒さんたちと喫茶店に寄るくらいですし」

「……だよねぇ……。何なんだろ、これ」

 流暢なイタリア語の文字で書かれているせいで、余計に存在を確立できていないように映る。何度も頭を悩ませていると、泉が自動販売機を発見していた。

「ありましたわ。えーっと……マキちゃんが炭酸飲料で、赤緒さんは……」

「あー、いいよ。金枝ちゃんの分は私が払うから」

 110円のジュースの値札を見やりつつ、目的とするデザートの値段と交互に睨めっこする。

「……赤緒さん? やっぱりジュース代くらいは私が出しましょうか?」

「あっ、いいってば……! さすがに私が金枝ちゃんと自分のは出せるし……」

「けれど、デザートの値段と何度も睨めっこなさっていますので……」

「うっ……。今月きついんだー、実は……。金枝ちゃんのお小遣いも私が管理してるんだよ? 酷くないかな? ルイさんと立花さんは見境のない出費をするし……メカニックの三人も用途不明のお金がたくさんあって……そっちは南さんに任せているけれど、柊神社からのお金は私が見なくっちゃって……」

 ついつい文句も出てしまうと言うもの。それを聞き留めて泉は雅に微笑む。

「何だか赤緒さん、本当にお母さんみたいですわね」

「……立花さんにもよく言われるんだよね……複雑だなぁ」

 赤緒は缶コーヒーのボタンに指を伸ばしたところで、そう言えば、と思い返す。

「……金枝ちゃんはあんまり缶コーヒーは飲まないって言ってたっけ。それもこれも……こんなことになるなんてなぁ……」

 嘆息をつきながら赤緒はボタンを押し込んでいた。

「――あー、また写ってる。本当、好きだねー、赤緒んところの美人のイギリス人」

 マキが机の上で雑誌を広げている。時折、注意を受けることもあったが、マキ自身漫画家として生計を立てている以上、資料だと言われてしまえば教師陣も楯突く言葉もないようで休み時間にはこうして読み込むこともしばしばだった。

「あっ、ヴァネットさん……結構きわどいかも……?」

 藍色のビキニを纏っており、その眼差しは普段の自分たちに向けられるものとは違ってどこか艶めかしく煽情的だ。

「どれどれ……。ふんっ! こんなの金枝が載ってしまえば一撃ですよ! せいぜい、三日天下を楽しむんですね!」

 何故なのだか、金枝はメルJのグラビアを敵視しているようで、その理由までは不明だが気持ちだけは頷ける。

 年齢としてはさほど変わらないはずなのに、ここまで自信満々に振る舞えるのは羨ましいのは赤緒も同じだ。

「けれど金枝さぁ、さすがにイギリス人には勝てないでしょ。やっぱり骨格って言うか、基礎の部分が違うよねー。私らもないわけじゃないけれど……まぁねぇ?」

 マキが自身の胸元を気にするので赤緒は大慌てでそれを制する。

「ま、マキちゃん……! クラスのみんなの目があるし……!」

「えー、何で? 私なんてそういうのの対象外でしょ?」

「そ、そうでもなかったり……?」

 案外、こういうのには本人が一番無頓着なものだ。赤緒はマキのこういったある意味ではデリカシーのなさを気にかけている目線に気づいている。それは泉も同じのようでそっと唇の前で指を立ててウインクしていた。

「まぁまぁ。赤緒さん、こういうのは分からないものですので」

「か、かなぁ……?」

「赤緒と泉も二人して何言ってんの? まぁ、いいや。この次のページでさ。赤緒んところのイギリス人がインタビューに応えてるの」

 マキが指差すと白いビーチパラソルの下で微笑んだメルJの写真が添えられ、その隣に長文が記されている。

「わ、わぁ……っ! ヴァネットさん、本当にモデルさんなんだなぁ、こういうの見ると……」

 普段の様子と照らし合わせようとするが、どうしてもガサツな一面が覗いてしまって少し直視できない。これもある意味、身内だから出てしまう共感性羞恥なのだろうか。

 薄目で見ていると、金枝が横合いから雑誌を自分の側に引き寄せる。

「……赤緒さん、この食べ物は何なんです?」

 皿に乗せられたのはどう見てもケーキであったが、インタビュワーがその洋菓子について真剣に語っている。

「えーっと、なになに……“やはり本場イタリアではこれくらいは食べたことはあるんでしょうね。何せ、メルJさんは北欧の生まれと聞きましたので”……。で、これは結局……何?」

「うーん、それがねー、どの記事ももったいぶってイタリア表記だからよく分かんない。けれど、ハッキリしていることが一つ……!」

 マキがずびしと指差す。赤緒にしてみれば小さな正方形のケーキにしか見えないのだが、特集が組まれており他の料理専門雑誌などでも取り上げられているようだ。

「そ、それは……?」

 固唾を呑んでマキの次の言葉を待ち望む。

「それは……この最新デザートはもう流行っているってことだよ! やっぱりさ! マンガを描く仕事をしている以上、流行り物には敏感じゃないと!」

「そ、そうかなぁ……」

「赤緒は少し鈍いところはあるけれど、それでも私たちは女子高生! ちゃんと流行りには乗らないとってのは分かるんじゃない?」

「そ、それは……」

 詰められると弱いので、赤緒は料理雑誌を捲りながらその最新デザートが売り出されつつあることを認識する。

 確かにこれから売り出すのか、都内ではファミリーレストランやコンビニでいち早く、「限定販売」されているようだ。赤緒はぐっと生唾を飲み込む。如何に女子としての一軍は程遠くとも、“最新”、“限定”には弱い女子身分ではある。

「ね? 限定で売っているみたいだし、どう? 明日辺り、放課後散策してみない?」

「け、けれどマキちゃん……このデザート、何円か書いてないよ……?」

「それは場所によって違うってことじゃないの?」

「つまりは時価……ってこと?」

 この世で最も信頼できない言葉に赤緒はうろたえてしまう。脳内で天秤に掛けられたのは今月の自分の小遣いと生活必需品とを買うための金額であった。

 ルイとエルニィの財布は握っているとは言っても、自分とて女子高生。柊神社の本当の財政を管理しているのは五郎だ。あまり彼に無断でお金を使い過ぎるのも考えものであり、ここ数日は金枝に回すお金も考慮の内に入っているので散財は推奨されない。

 しかし、不思議なものでこうして天秤に掛ければ掛けるほど、未知のデザートへの誘惑が強くなっていく。少しだけ切り詰めればいけるか、と甘い言葉を発する自分と、いやいやここは堅実に、と頭を振る自分とが頭の中でかち合い、どうすればいいのか分からなくなってしまう。

 そもそも時価のデザートなんて手が届くのだろうか、と言う疑問さえもある。

 普段はあれだけ口酸っぱくルイとエルニィにお金の使い方を考えろと言っているのに、自分が時価のデザートに手を出してどうするのだ。やはり、ここは堅実に、なおかつ実直な心で断ろうと思っていると、視界の隅で金枝のルンルンと輝いた顔と声が割り込んでくる。

「すごい……! すごいですっ! 東京にはこんなお菓子があるんですか……?」

「ちっちっちっ、まだまだ甘いなー、金枝は。東京にはまだまだ金枝の知らない楽しみがあるんだよ? 何せ、ここは一応都内なんだから!」

 ふんす、と胸元を反らし鼻息混じりにマキが自信満々に言い放つ。

「あ、あのー、マキちゃん? 私は今回は――」

「金枝も食べられますか! 金枝もこれ、食べたいです!」

 赤緒の遠慮の言葉を吹き飛ばす金枝の純粋無垢な猛進の言葉にマキはふふん、とふんぞり返る。

「まっかせなさい! 金枝はまだまだおのぼりさんだからなー。私たちが東京人として、これをご馳走してしんぜよう!」

「ま、マキちゃん……その、あんまりそのー今月は余裕が……」

 とんでもない方向に話が転んでいるのを赤緒は何とか止めようとするがその前に金枝が興味津々で雑誌に齧り付く。

「金枝もこれ食べられるんなら食べたいです! 絶対っ! だって女子高生はみんなこれを食べるんですよね? 流行り物なら……!」

 そこまでの食いつきは想定外であったのか、マキが一瞬だけうろたえたのが伝わったが、今さら引き返せないのだろう。胸元を叩いて、机の上に立つ。

「……と、当然! 赤緒も金枝も、ちゃんとお財布を準備しておいてよね! 明日の放課後はみんなでこの……最新デザートでパーティーだ!」

 マキ自身も言い慣れていないデザートのせいで名前が出てこないらしい。それでも金枝は羨望の眼差しでマキを眺めて何度も頷く。

「楽しみです! そうですよね、赤緒さん!」

 不意に自分に話が振られたので、赤緒はまごつく。

「あ、いやその……私は……」

「赤緒さんも絶対食べたいですよね? ね!」

 詰められると弱いのは相変わらずで、赤緒は視線を逸らしながら金枝のらんらんと輝く目力に負けてつい頷いてしまう。

「……うん。そう……だね」

 我ながら分かりやすく甘い気がする。脳内で天秤が完全に傾き、堅実な自分は白旗を揚げていた。

「やったっ! 楽しみです! うぅ~……っ! 今から待ち切れませんっ!」

「まぁまぁ。そう焦ったってこの……デザートは逃げないってば」

 余裕ぶってマキが今にも飛び出しかねない金枝の肩を叩いて制するが、その実はマキ自身もちらちらとデザートの情報を雑誌から盗み見ているのが赤緒には分かる。

 赤緒は改めて最新デザートの広告を目の当たりにするが、何度見てもこれがそれほどの価値があるようには映らず、困り果てて後頭部を掻く。

「……これが時価? 時価のデザートってことは……えっと……いくらかかるんだろう……?」

「――赤緒。何だか夕飯時に私を気にしていたようだが……何かあったか?」

「えっ……その……顔に出ちゃっていましたかね……」

 ちょうど夕食が終わり、後片付けをしていた最中のことであったので赤緒は洗い物の皿が一瞬すっぽ抜けそうになって大慌てでそれを受け止める。

「……明らかに動揺している。何かあったのか?」

「えっとぉ……ヴァネットさんのお仕事に関わることなので、ちょっと……」

 言い辛い、と思っているとメルJはきょとんと目を丸くして歩み寄ってくる。

「何だそれは……。今さら他人も何もないだろうに。……話せ。私に解決できることなら解決してみせよう」

「で、でもですよ? 失礼かも……」

「構わん。失礼程度で済むのなら全然大丈夫だ」

 確かにこれは金銭が関わって来るもの。必然的にメルJには予め聞いておかなければいけないだろう。

「……その、雑誌のグラビアを……あっ、マキちゃんが学校に持って来ていて……」

「……またか。まぁその程度では止めるのも変だからな。続けろ」

「……で。四月号の話なんですけれど、ヴァネットさん、インタビューを受けていたじゃないですか」

「……掲載誌が多過ぎてよく覚えていない」

 贅沢な悩みだな、とガクッと来るものを感じつつ、赤緒は仔細に雑誌の掲載形式を語る。

「藍色の水着を着て……白いパラソルの下でその……イタリア? だったかな……。そこのお菓子が東京に来るから、一般発売の前に食べたとか……」

「ふぅーむ……それは多分、実際には食べていないな」

「えっ、そうなんですか……?」

「インタビュー記事と実際の撮影が違うことなど往々にしてある。何だ、その雑誌は持ってこなかったのか?」

「うっ……確かに持ってきたほうが早かったかもですけれど、一応はマキちゃんの持ち物なので……」

 メルJは嘆息をつき、それから腕を組んで柱に背中を預ける。

「……で? その菓子の情報を私から聞きたいと」

「……まぁ、そうです……。お値段が書かれていないので、マキちゃんは時価だって言っていたんですけれど」

「時価、か。ふぅむ、この世であまり信頼のできない言葉の一つだが……」

「それで私……明日金枝ちゃんと一緒に四人で散策に出ようってなって……。五郎さんを説得してお小遣いを貰わないといけないかもですので……」

「それで上の空なのだから、困ったものだ」

「い、言わないでくださいよぉ……。自分でも馬鹿だなぁって思ってはいるんですけれど、金枝ちゃんが食べたいって……」

「まぁ、何となく言わんとしていることは分かった。私にその菓子の現物の感想だとか、値段だとかを聞きたかったのだろう?」

 見透かされているなと思いつつ、赤緒は困窮して首を引っ込める。

「その、実物がどうなのか分からないですけれど、記事にはイタリアのお菓子で、今日本でも話題沸騰中のデザートだって……」

「そういうのは立花だとか黄坂ルイに聞けばいいんじゃないか? 奴らはテレビの流行り廃りに詳しいだろう?」

「いえ、その……。これ、立花さんやルイさんに相談しちゃうと……」

「ああ、なるほど。普段自分たちの小遣いを制限しているのに、自分はいいのか、と詰められてしまうわけか」

「……ですね」

 ため息の種ばっかりが多くなってしまう。ついつい目先の作業でさえも疎かになってしまいそうで赤緒は心底参る心地だ。

「……だが、まぁ。たまにはいいんじゃないか。赤緒、お前は他人のことばかりを考え過ぎだ。三宮に関してもそうなら、この柊神社のことも。そう言う部分がお人好し、と言うのだろうが時折は自分を甘えさせてやれ。お前にだってその権利くらいはあるさ」

 メルJの言葉に赤緒は呆けてしまう。それを疑問に感じたのか、彼女は首を傾げる。

「……どうした? 何か変なことを言ったか?」

「いえ、その……。何だか思ったよりも寄り添ってもらっているんだなって。私、自分のために……甘えたっていいんですかね?」

「誰も責めやしないだろう。まぁ、立花辺りは弱みを握ってきそうではあるが。……私だって好き勝手をやらせてもらっている身分だ。赤緒、お前だっていいんだ。三宮のことも背負い込むのもよくないぞ? あいつはあいつの人生なんだからな」

 そう言い残してメルJは台所から立ち去っていく。

 結局、重要なことを聞き出すことはできなかったが、それにしてもメルJは思った以上に自分のことを思ってくれているのだな、と胸が温かくなる。

「……よし! 一応、五郎さんに多めに貰っておいて……それで明日は、デザート巡りの散策っ!」

 少し気持ちが楽になったのか、皿洗いにも精が出て鼻歌交じりになってくる。

 そう――そんなに重く考える必要はないと、この時は思っていたのだが。

「――ねぇ。金枝ってさ。私ら以外とつるまないね。何で?」

「な、何でって……」

「はい、動かないー」

 首を動かそうとして金枝はマキに制されてしまう。思えば直にマキと二人っきりは初めてなので緊張もしてしまう。

「……その、金枝は……京都でのこと、恩返しをしたいと思っていると言いますか……。赤緒さんに、マキさんに泉さんが居なかったら……金枝は京都に残っていたと思うんです」

「ん? そりゃ何で?」

「何でって……。金枝は、赤緒さんたちにその……救われたんです。何かを知る前に、何かを失うような毎日から、ずっと……」

 そう、京都支部での訓練はまさに喪失の連続であった。

 自分の実力のなさに落胆した。操主としての力量も、ましてや血続としての稀有なる力もない。少し珍しい力が使えるだけの、平均以下の操主。人機を動かすためだけの部品としても不出来。

 絶望することだってできただろう。しかし、それを許さない環境であった。嫌になれば、家に帰れたのか。嫌になれば、操主をやめられたのかと言えば違う。

 きっと、自分はこの手で掴むことさえも難しい、靄のような希望に縋っていたのだろう。

 アンナとの訣別も、ある意味では必然であったのだ。

 誰かに頼らなければ、誰かに寄りかからなければ何一つできなかった。そんな自分を変えてくれたのは、間違いようもなく赤緒たちなのだから。

 マキはそんな胸中を知ってか知らずか、鉛筆で目測を図っている。

「けれど、私は逆に金枝に助けてもらったって思ってるし。それにさ! 美少女転校生、ロボットで修学旅行生を救う、って! それだけで大スペクタクル長編一本描けちゃいそうじゃん! 私はよかったって思ってるよ。金枝と出会えたこと」

「……は、恥ずかしいことを言うのは禁止ですよ。もう……」

 そう言い返しながらも顔が紅潮するのを自覚していた。こっちの反応を面白がってマキは快活に笑う。

「赤緒も金枝もからかい甲斐があって面白いなぁ。……これ、さ。別に言うつもりもなかったんだけれど、話のついで。赤緒って今みたいに笑って、泣いて、とんでもなく感情が豊かに思えるじゃん」

「実際、そうじゃないんですか?」

 マキは首を横に振る。その面持ちからは楽観的な笑顔は消えていた。

「……最初は全然だった。中学の時に編入してきたんだけれど、誰にも心を許していない感じで……ちょうど今の金枝の……うん、数倍は酷かったかな。と言うか、心の距離と言うのが全然分かんない感じだった」

「心の距離が分からない……?」

 疑問に顔を振り向けようとして、まだ駄目、と制される。

「普通、何となくだけれど、年を重ねれば他人との距離の取り方とか詰め方とかって分かるもんじゃん。けれど、赤緒はその辺が抜け落ちていた、って言うのかな。他者がこの世の存在していることが理解できない、誰かのために何かをするということが、ピンと来ていない、みたいな」

「……そんなの、今の赤緒さんとは真逆じゃないですか……」

 赤緒は他人を慮れる。誰かのために泣けて、誰かのために怒れる――そういう人物のはずであった。だがマキは鉛筆で当たりを付けながらその考えを否定する。

「今の赤緒だけ見ていたらそう思うよね。……あの頃の赤緒は、抜き身の刃でもなければ、他人との距離で傷つくのを恐れるヤマアラシでもない……。正真正銘、根本的な大事なものが欠けていた……と思う」

 誰かを傷つけるのに無頓着なわけでもなく、かと言って過度にそれを恐れているでもない。

 それはまるで――虚ろではないか、と思う。

 今の感情表現豊かな赤緒からは想像できない。所詮、まだ知り合って二週間程度しか経っていないが、それにしたところで断絶されている。

「……けれど何で、マキさんと泉さんはそんな赤緒さんと……仲良くなろうと思ったんですか?」

「……うーん、何でだろ。最初はさ、話し相手が居ない赤緒のこと、憐れんでいたのもあるのかもしれないけれど……まぁー真っ当に考えてそんな高尚なもんじゃないよ。私が話しかけたかったから、話しかけたんだ」

 その言葉尻には自信が窺えた。

 話したかったから話しかけた――単純なようで、それには勇気が要ったはずだ。クラスで排斥されないかと言う恐怖もあったに違いない。

 だが、マキと泉は今、赤緒の傍に居る。赤緒にとってこれ以上ない、言葉にせずとも親友である日常の象徴として。

「……その勇気って、すごいと思います。金枝には……その勇気って結局、なかったんですから」

「何言ってんのさ。金枝は勇気を振り絞って、京都で私たちを助けてくれたんじゃん。それってさ、誰が称賛しなくっても私がしてあげる。そうだなぁ……ノーベル賞をあげちゃおっか!」

 茶目っ気たっぷりにウインクしたマキがおかしくって、金枝は思わず吹き出してしまう。するとデッサンが狂ったのか、すぐさま修正にかかっていた。

「あっ、動かないでってば! 集中、集中ぅー!」

「む、無理ですよぉ~……っ。笑わないでってのがどうかしてるって言うか……。可笑しくってお腹痛い……」

「そういや、お菓子で思い出したけれど、やっぱ東京にもないのかなぁ……」

 当初の目的を思い出したところで赤緒と泉が帰ってくる。

「……何してるの? 金枝ちゃんにマキちゃんも」

「あっ、赤緒ー。何だか暇だったから金枝にモデルになってもらってちょっとぱぱっと描いてたんだー。いやー、美少女は絵になるねぇ」

 うんうんと感慨深く頷くマキは炭酸飲料を渡され、金枝はと言うとリンゴジュースを渡されたので少しむくれてしまう。

「……あれ? 駄目だった?」

「……赤緒さん。金枝は立派なレディーなんですよ? リンゴジュースなんて子供が飲むものです」

「じゃあ貰っちゃおーっと!」

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