JINKI 324 心震わす出会いを

 横合いからマキに引っ手繰られそうになったので金枝は慌ててリンゴジュースを死守して一息に呷る。しかし、不意に喉を詰まらせ激しく咳き込んでしまう。

「無茶するから……」

 赤緒に背中をさすってもらっている傍ら、マキは雑誌の情報を精査していた。

「……うーん。この調子だと……行く? 銀座」

「ざ、ザギンですか……!」

 まさかの地名に金枝は息を呑む。

「あれ? 知ってるんだ?」

「もちろんです! ザギンではシースーをベーターするものだとルイ先輩から聞きました! それくらい、高級な街並みなのだと!」

 自信満々に宣言して胸を反らす。この知識が間違っているはずがないのだと言う自負があったが、赤緒は少しだけ困ったように笑って口にする。

「けれど、銀座って言ったら何でもお高いんじゃない? マキちゃんと泉ちゃんも大丈夫なの?」

「その不安は要らないってば! 今日のために結構原稿料下ろして来たし!」

「さすがはマキさんですね! 赤緒さんは大丈夫……なんですよね?」

「あ、うん……まぁね」

 頬を掻く赤緒に金枝はむすっとする。何せ、今の金枝の小遣いは全て赤緒が握っているに等しいのだ。ここ一番で赤緒がしっかりしてくれないと困る。

「しっかりしてくださいよ。金枝だって食べたいんですから、その例のデザート」

「うーん……けれど、本当にあるのかなぁ。何だか自信がなくなって来ちゃった……」

 銀座まで足を運んだ末に骨折り損のくたびれもうけになってしまう可能性に赤緒は消極的なようであった。

「私も銀座まで行くのはちょっと……。さすがに女子高生の身では届きませんし……」

「えーっ! 泉までそんなことを言う……。まぁ、確かにデザートが時価だって言うんならとんでもない額をふんだくられる可能性だってあるか……。私の原稿料だってそこまで万能でもない……のかなぁ?」

 マキの不安げな眼差しがこちらに向いたので金枝は小脇に抱えていた雑誌を開く。折り目を付けたそのページに行き着き、思い切ったV字サインを送っていた。

「大丈ブイです! ファミリーレストランやコンビニでも提供しているとありますし……まぁ、ザギンまで行きたかったのは本音ですけれど」

 後頭部を掻いて微笑むと赤緒がくすっと笑う。

「な、何かありましたか? 赤緒さん」

「あ、ごめん。何だか思わず笑っちゃった。……金枝ちゃん、もう私のサポートがなくっても充分に女子高生してるなぁって」

「……寂しいこと言わないでくださいよ。赤緒さんが居ないと……金枝はまだ外にマトモに出られないんですから」

 何だか不貞腐れてしまう部分もあるのだ。すると、赤緒も心得ているかのように不意に寄り添ってくれる。

「……金枝ちゃん、可愛いっ!」

「わっ……! く、くっつかれるとその……金枝の沽券に係わりますっ!」

「でも、嫌じゃないでしょ?」

 何もかも赤緒にはお見通しなのだな、と金枝は頬を紅潮させているとマキが不意に叫ぶ。

「あーっ! これ! これじゃない?」

 コンビニの前でマキが指差す。その視線の先を辿ると、目的のデザートらしい張り紙があった。

「えーっと……これかなぁ?」

 雑誌に載っていたものとは少しだけ異なるのはその形状で、どちらかと言うとショートケーキ寄りである。

「これだって! 売り切れる前に……!」

「もう、マキちゃんってば……」

 マキがコンビニへと踏み込む。その模様を微笑ましく眺めている赤緒へと、金枝はそれとなく尋ねていた。

「その……デザートが見つかったらこの散策も……終わりですかね……?」

「金枝ちゃん?」

「……なんて言うか……東京を散策するのも、悪くないって言うか……。金枝はまだ全然ですけれど、皆さんとこうして、ああでもないこうでもないって歩くの、正直結構好きって言うか……」

 ぼそぼそと明瞭ではない言葉を呟いていると、マキが舞い戻って来て自分の手を引く。

「金枝! なーに言ってんの! まだまだ私たちは無敵な女子高生なんだからさ! 今度は一緒に銀座にも行こうよ!」

「……マキさん……」

「そうですわ。今日は予算不足でしたけれど、銀座や他の場所にも……金枝さんと行ければと思っているんですよ」

「……泉さん……」

 二人の言葉を受け、赤緒が心得たようにウインクする。

「ね? 金枝ちゃん、何も心配することないってば。まだまだ、私たちには無尽蔵の可能性があるんだからっ!」

「……赤緒さん……。そう、ですよね……。はい……。金枝もそう、思います……と言うか、思いたいです。まだまだ……知らないことばっかりなのに、全部知ったつもりになるのは、もったいないですから」

「行こっ! 金枝もきっと、気に入るんじゃないかな。そのうち、東京のこと、私たちよりも詳しくなったりして!」

 あくまでも可能性の話だ。可能性とは言え――そのような未来が広がっていること自体が、自分にとっては愛おしい。

 未来を閉ざされ、先を見据えることを禁じられていた日々はもう遠い昔にしてしまいたい、その思いで金枝は踏み出す。

「……はい……! じゃあまずはその一歩目が……」

「デザート散策! またしようよ。さぁーて、まずは今日の獲物を――!」

「――手に入らなかった、と言うわけか」

「……はい」

 台所で洗い物をしているところでメルJに相談し、少しだけ赤緒はしょげてしまう。意気揚々と踏み入ったコンビニでは売り切れ、その後様々な場所を巡ったがどこも取り扱っていなかった。

「だが、いい経験だったんじゃないか。特に三宮にとっては」

 メルJが居間のほうを窺う。赤緒もそっと振り返ると、金枝にしては珍しく夕飯の後の掃除を手伝ってくれている。

「ふふ~ん♪」

 鼻歌交じりの上機嫌なのも、少しだけいい兆候だ。もちろん自分にとっても金枝と共に散策するのは楽しかった。

「重要なのは思い出だろうな。物は手に入らなくとも、こうして学友と共に歩き回った、という」

「あ、私もその……ちょうどそう思っていて……えへへ。お揃いですねっ」

 メルJは微笑み、それから身を翻そうとする。

「あまり講釈を垂れるのも私らしくもないだろうが、いい経験を詰めたんじゃないか? 三宮もお前もな」

「……ですね。たとえどんな物だろうとみんなで追いかけた記憶だけは、得難い――」

 思い出だと結ぼうとして不意に居間から金枝の悲鳴が迸る。

「か、金枝ちゃん……っ! どうしたの!」

「何があった!」

 赤緒とメルJは二人して急行すると、ちょうど両兵が顔を出していた。

「おう。何だ、三宮。こっちを見るなり悲鳴を上げやがって……オレの顔に何か付いてるか?」

「お、小河原両兵……ッ! 手に持っているそれは……!」

 震える指先で金枝が指摘すると、両兵は何でもないようにコンビニ袋を持ち上げる。

「おう、これな。コンビニで今日までの廃棄だからっていうもんだから貰って来た。珍しいからってンで、人数分……」

「こ、これ……! これですよ、赤緒さん!」

 両兵が提げたコンビニ袋に入っていたのはまさに、自分たちが今日の放課後、追い求めた最新デザートそのもの。

「……これが……えっと……」

「――ティラミス、とか言う洒落た名前の菓子だろ? 何だ、お前らもこれ知ってたのか」

 赤緒は何度も頷き、それからメルJと顔を合わせる。両兵はここに来るまでの道すがら食べていた様子で、片手に食べかけのそれを握っている。

「これ……! やりましたね、赤緒さん! 食べられますよ!」

「……あれ? でも今日までのって……」

「消費期限が短いんだとよ。コンビニとかで取り入れてもすぐ廃棄になるとかで、最近逆に橋の下の連中には好評らしい。タダでいいメシが手に入るとかでな」

 案の定、とんでもない理由ではあったがこれはまさに降って湧いたような幸運だ。

「赤緒さん! 早く食べましょう!」

「お、落ち着いてってば! えっと……えっと、とりあえずコーヒーを……!」

「何でそんなにこいつらはあたふたしてンだ? ヴァネット」

「……さぁな。まぁ、こういうこともあるんだ、小河原」

 メルJが肩を竦めながらもこちらの味方をしてくれているのが窺えた。

 金枝と二人で居間に取って返し、コーヒーを大慌てで注いで早速卓上について緊張感に唾を飲み下す。

「……消費期限は……よかった。まだ十分はあるね」

 今日の八時までの消費期限を見るに本当に生ものであるのだろう。コンビニで手に入らなかったのも恐らくはちょうど商品入れ替えに遭遇してしまったからに違いない。

「あ、赤緒さん……金枝、すごく緊張して来ました……っ! どんな味なんでしょう……!」

「か、金枝ちゃん……私も何だか……すごくドキドキしてるの……っ!」

「これって!」

「うん、これって!」

 二人同時にフォークで切り分け、口に運ぶ。

 しかし、直後に二人して顔を見合わせる羽目になってしまっていた。

「……何だか……その、すごく失礼かもですけれど……思ったよりかは……」

「うん……ちょっと苦い……し、硬いのかな? えっとぉ……“滑らかな口どけ”、“下に置くまでにとろけそう”……って、雑誌には書いてあったよね……?」

 どうにもココア風味のパウダーと思ったよりも硬い層が何重にもフォークを拒み、口に入れても“とろけそう”と言う評価は言い過ぎに思えてしまう。

 味も甘いと言うよりかはほろ苦い。

 何だか思ったのと違うと言うのが顔に出ていたのか、両兵が眉根を寄せる。

「……何でこれのこと知ってンのかは知らねぇけれど、そんなにまずそうに食うなよな……。タダで手に入るメシとしちゃ上々だろ」

「いや、小河原両兵。まずくはないんです……まずくはないんですけれど……」

「うーん……何だかあれだけ苦労して、あれだけ理想を高くしてまで手に入ったデザートかって言うと……」

「贅沢なことを二人して言いやがンなぁ、お前ら。タダなんだからいいだろ。ほれ、ヴァネット、お前の分もあるし、他の連中の分もある。消費期限が今日までなんだからとっとと食っちまおうぜ」

「……こんなののために昨日から張り切ったのだと思うと……」

「まぁ、でも……うん。まずいわけじゃないんだよね……」

 ただ思ったのと違うだけなのだ。陰鬱とした思いに駆られていると、そう言えばとメルJが口火を開く。

「ティラミスの語源はイタリア語で“私を元気づけて”と言う意味なのだと聞いたな。心と身体をリフレッシュさせてくれる、そういう菓子なのだと。ある意味では、二人ともそういう昂揚感には駆られたんじゃないのか?」

「“私を”……」

「“元気づけて”……かぁ」

 その観点で言えば自分たちは存分にティラミスの“洗礼”と呼べるものを味わったと言えるだろう。勝手に期待して、勝手に持ち上げて、勝手に元気になったと思ったら勝手に沈んでいる――何だかこの一連の心模様がティラミスの語源そのもののようで、赤緒はくすっと笑いかける。

「……赤緒さん。金枝はでも、美味しいとか美味しくないとかじゃなくって……」

「うんっ! この出会いに感謝を、かな。だって元気づけてもらったのは、本当のことだしっ!」

 だから、今度は四人で出会おう。

 本当の意味で“私を元気づけて”くれるような、そんな心震わす出会いを。

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