JINKI 326 まだ見ぬ青の明日へ

「交渉とは僅かに異なるようだが」

『まぁまぁ。極東の国の諺にもあるだろう? ただより怖いものはない、と。だから、少しだけ君らのデータが欲しかったんだ』

「データだと? 私たちはレジスタンスだ。まさか、キョムに売るつもりじゃ……」

『そんなセコイ真似をすると思うかい? 僕はもっと意義のあることをしたいんだ。ただ、人機操主は南米じゃすり潰され、米国は血続の囲い込みを行おうとしている。こっちに回ってくる検体なんて、ほとんど残りカスみたいなものさ。だから、生きているサンプルが欲しい。そのための無償提供だよ』

 問い返す前に窓を叩いたのは《バーゴイル》の放つ風圧であった。青い《バーゴイル》はレジスタンスのもので、肩口にマーキングされた二号機の意匠はアイリスの搭乗機であるはずだったが、響いた声は違う。

『バルクス・ウォーゲイル! アイリスが……!』

「どうした。ここには来るなと――」

『そんなことを言っている場合か! ……このままじゃ……死ぬぞ』

 切迫したハザマらしからぬ声に、通話先の相手がせせら笑ったのを感じ取る。まさか、と嫌な予感が胸を掻き毟る。

「……何をさせた? 《マサムネ》に何を……」

『言っただろう? アルファーを駆動系の、重要な部分に組み込んでおいた。通常なら機体追従性の向上、血続でなくともトレースシステムに近い技術の実現といいこと尽くめ。ただ一点の欠点を除けば、ね』

 意味ありげに呟かれた時点で種は蒔かれたと思うべきだろう。ハイドは自分たちを使ってよからぬ企みを講じているのは明らかであった。

「……ハザマ。アイリスは確か《マサムネ》の実装試験の途中だったな? ……何があった?」

『ステルスペイントのキョムの《バーゴイル》らしき飛翔体を追いかけて……! いつも冷静沈着なアイリスらしくない! 何か……あの人機には組み込まれている……!』

 ハザマの直感は当たったのだろう。通話先でなるほど、と返答が来る。

『それならいいデータが取れそうだ。いい操主が乗っているのだろうね。血続には程遠いのだろうが、それでもエース級が』

「……答えろ。お前たちの頭目は何を考えている?」

 バルクスは抜刀し、目の前の仮面の青年へと切っ先を突きつける。しかし、眼前に据えられた殺意を前に全くうろたえずに言葉が返ってくる。

「ビットウェイ様には考えがございます。それを――」

 その首筋へと刃が肉薄する。迫った剥き出しの殺意を前に、仮面の青年は身を躍らせて飛び退っていた。バルクスは刃を返し、中断させた言葉の先を強いていた。

「その考えとやらで私の大事な副隊長が望まぬ結果を強いられている。……二度目はないぞ。答えろ。《マサムネ》に組み込まれたシステムとは何だ!」

 自分が声を荒らげるなど想定外であったのだろう。あるいはそれこそが通話先のハイドのリーダーの考えか。黒電話からは先刻と変わらない落ち着き払った声音が漏れる。

『随分と部下思いだなぁ。僕の思っていたバルクス・ウォーゲイルのデータとは少し違うが……いい。D・D、彼にデータを』

「しかし、ビットウェイ様。……彼は真っ当ではありません」

『今さらだろう? 僕らが真っ当かどうかを問うなんて。それに、美しいじゃないか。部下の危機に、颯爽と現れる白の鬼は』

 D・Dと呼ばれた仮面の青年はすっと懐からデータチップを差し出す。それを受け取り、バルクスは身を翻していた。

『聞いて行かないのかい? どういうシステムなのかを』

「そのような暇はない。私は部下を救えぬまま、貴様らの甘言に乗った愚か者として映るだけだろう」

『甘言、ね。言うじゃないか。では、少しだけ事実の開示を。駆動系アルファーには本当に普段なら何てことはない。無害なものさ。だが、一つだけ。復讐の感情に駆られた時だけ、それは大きな毒と化す。操主の精神を蝕む猛毒だ。操主には――最も恨んでいる相手の幻像が見えている。それが普段は封殺している深層意識のものだ。当然、その激情をコントロールはできない』

「ハザマ。《O・ジャオーガ》で出る。位置情報を」

『あ、ああ……。だが、もう少し情報を引き出していかないのか……』

「もう充分だ」

『随分と舐められたものだなぁ! まぁ、いいさ。君がそう在ろうとするのならば、そう在ればいい。白夜の鬼! 禊の白を纏う高尚な武人だと言うのならば――!』

「黙れ」

 振り返り様に短刀を投げつける。黒電話に突き刺さり、そこから先の言葉を引き裂いていた。D・Dとやらは腰が抜けた様子で、その場にへたり込んでいる。

 窓を突き破り《O・ジャオーガ》の掌の上からバルクスはD・Dへと言い放つ。

「ハイドの頭目に伝えておけ。……私たち……いや、世界がいつでも貴様らの思い通りになるなど、簡単に考えないことだ。人の営みは盤上の駒のように容易くはない」

《O・ジャオーガ》が推進剤を焚いて飛翔する。

 コックピットで操縦桿を握り締めたバルクスはハザマから位置情報を送信されていた。明らかに常軌を逸した速度で《バーゴイル》らしき影を追い縋るアイリスの《マサムネ》の機動力と妄執は正気の判断ではない。

『……バルクス・ウォーゲイル……。私はアイリスの過去は知らない。《バーゴイル》の改造型にしか見えないあれが……どのような意味を持つんだ……?』

「……自らの口以外では彼女も語る言葉を持つまい。ゆえに、私から言えることは少ないが……《バーゴイルシザー》はアイリスの……最も大事なものを奪った存在だ」

 ――目線は外さない。だが照準は、捉えた途端に霧散する。

 追っても追っても遠くへと消えていく逃げ水のようですらあった。だが、今度こそ――絶対に逃がさない。

 全身が逆立つ。熱が内奥で燻ぶる。

 産毛に至るまで、一滴の血が沸騰し、敵を追う恩讐の獣になる。怒りという名の焔がこの肉体を焼き尽くすかのようであった。

 薪にくべられた灼熱の復讐心は止め処ない。

《マサムネ》の両腕だけを可変させ、ガトリングの砲火を見舞うが《バーゴイルシザー》は軽く避けていく。

「……どこまでも……! 私から奪って逃げていくのか……お前は!」

 ステルスペイントを施されているせいか、機動性ならば《マサムネ》のほうが上だ。無理やり加速させて《バーゴイルシザー》の前面へと回り込み、その鼻先に機銃掃射を叩き込む。弾丸が爆ぜたが、その程度で許すわけはいかない。

「まだ、まだァ……ッ!」

 焼夷弾頭へと切り替え、《バーゴイルシザー》を焼き尽くす。躯体の芯から燃え上がり、炎に巻かれた《バーゴイルシザー》へと可変プロテクトを解除させて人型形態で殴り掛かる。

 しかし、空戦人機としての性能で言えばまだ身に馴染んでいない。

 装甲が裏返りかねないほどの加速度と、そして操主である己を粉微塵に潰しかねないほどのG。奥歯を噛み締めてそれに耐えながら、《マサムネ》で何度も《バーゴイルシザー》に鉄拳を浴びせる。

「お前が……! お前らがァ……ッ!」

 脳裏にちらつくのは封印したはずの記憶。フラッシュバックが村を焼き、そして愛する人々をゴミのように踏み潰した人機の影を照らし出す。

《バーゴイルシザー》とその操主は女子供を徹底的にいたぶった。

 そして――最奥に位置するのは茶褐色ではあるが、見知った鋼鉄の鬼――《O・ジャオーガ》が地を割り、男たちを無残に叩き潰していく。

 何度も何度も。いななき声を発するオートタービンで、肉塊になるまで、徹底的に。

 ――そうだ、奪われたのはあの日からだった。

 全てが終わったのは、切り替わったのは。そして世界の見え方が変わってしまったのは。

 アイリスは物乞いに身を落とし、村々から迫害され、そして行き着く先を失った果てに、栄えていた村を焼き払ったキョムの操る鋼鉄の巨神の影を目の当たりにしていた。

「だって……! だってどこに行ったって居場所なんてなかった……! どこに行ったって何をしていたって……辛いだけだったのにぃ……ッ!」

 変わったのは禊の白に身を固めた《O・ジャオーガ》と、そしてバルクスが目の前に現れてからだった。彼は自分のことを覚えていなかった。それも当然だろう。自分たちが芽を摘み、そして生きる望みを失わせたただの民草など、顧みることもなかったはずだ。

《バーゴイル》の反逆の翼を与えられた。副隊長として操主の腕を見込まれ、そしていつの間にかバルクスたちと居ることに反感も覚えなくなった。それもこれも、ただ単に巡り合わせが悪かっただけ、そう信じて、そう自分を騙して――そして今日まで生きて来られたのならば。

「……なら、あの日、死んで行ったみんなは……私の愛しい人は……無駄死にだったって言うの……? そんなの……!」

《マサムネ》の腕がめくれ上がる。装甲強度を超えた拳が破裂していた。それでも地獄の業火に焼かれ続ける《バーゴイルシザー》相手に、何度も打ち据える。

 これが罰だと言うのならば、相応しい罰を。

 これが罪だと言うのならば、相応の罪を。

 それでこそ、魂の安息は訪れる。死んで行った者たちが満足するであろう、そんな結末を――。

『辿っていくのは、何も間違いではない。間違いでは……ないんだ』

 ハッとして、アイリスは振り返る。《バーゴイル》に引き連れられた、その姿は《O・ジャオーガ》。

「私の故郷を……何もかもを、壊したァ……ッ!」

《O・ジャオーガ》はその得意とするオートタービンを振るうでもない。《マサムネ》の放つ拳を受け止め、そして声にする。

『もう、いいんだ。無理をする必要は……一つも』

「黙れ! そうだと言うのならば……お前らの罪の証を! 失ったものの尊さを見せてみろ! 眩いものを奪った! 明るい場所から私たちを追放した! ならば、償うべきは……!」

『そうだ。償うべきは私だ。だから……無理をするな、アイリス』

 名を呼ばれ、ようやくアイリスは目の前の《O・ジャオーガ》があの日の色相ではなく、禊の白に染まっていることに気づく。

「わ、たし……?」

《マサムネ》の両腕は肘まで裂けていた。機銃を至近距離で何度も撃ったせいで銃口から硝煙が棚引いており、《O・ジャオーガ》は避けるでもなくその咎の証のような弾丸を受け止めていた。

 白亜の装甲に、自らの罪そのもののようなひび割れが生じている。

『アイリス! 私は……! 私は自分のことばかりで、何一つ……! 何一つお前のことを……!』

 ハザマの声も聞こえてくる。世界がぐにゃりと歪み、これそのものが悪夢の延長のようであった。

「《バーゴイルシザー》は……」

 否、それは《バーゴイルシザー》ではない。ただの《バーゴイル》の改修機だ。キョムの新型機ではなく、米国の新型実験機であった。

 焼け尽くされ原型も留めていない《バーゴイル改修型》が手を伸ばして落下していく。地表で爆ぜ、命を、その尊厳でさえも無慈悲に奪ったのだと嫌でも理解させられてしまう。

「あ、ああ……」

 これでは簒奪者は自分のほうではないか。

 あの日の立場が逆になっただけだ。悪い夢は、まだ続いて。

 堪らず慟哭し、アイリスは機銃を自らコックピットに向けていた。

『……駄目だ!』

 バルクスの声が弾けたのと、終わりの引き金を引いたのはほぼ同時であった。

『――それで、《マサムネ》の受領を断る、というわけかい?』

「いや、《マサムネ》は三機とも、我が方で受け取らせてもらおう」

 D・Dは再び廃病院に現れたバルクスが松葉杖をつきながら痛々しい包帯姿で黒電話を取るのを目の当たりにしていた。

 その結論にはビットウェイも意外であったようで、通話口から哄笑を漏らす。

『それでいいのかな? だって、僕は君らの絆とやらをぐずぐずに壊したようなものだが?』

「構わん。そんなもので……私たちの絆を壊せるとは思わないことだ」

 伝え聞いた限りでは《マサムネ》に仕込んだアルファーによる黒の衝動と自傷作用でレジスタンスは内側から崩壊する、との見立てであったがどうやら結末は違ったらしい。

 バルクスは物怖じしない武人の眼差しでこちらを睨む。D・Dは射竦められた心地であったが、それを悟らせないための仮面でもあった。

『いいだろう。気に入った。《マサムネ》は君らに完全に明け渡す。なに、ちょっとしたテストみたいなものだ。そう怒るなよ、バルクス・ウォーゲイル』

「……人の深淵にそう容易く分け入れるなどと、思い上がらぬことだな。貴様らが思っているよりも人間は強い。強く……そして、美しいのだ」

『なるほど。今回の教訓として受け入れておこう。それくらいがちょうどいいさ』

 バルクスは身を翻す。その身体を支えていたのは確かハザマとか言う女性構成員だったか。

「……ビットウェイ様。本当によかったのですか」

『何がだい? 彼は充分に役割をこなしてくれたじゃないか』

「噛み付きかねない獣に、ようやく首輪を与えてやっただけです。あれでは我々にとって想定外に働く可能性も……」

『いいじゃないか。そのほうが、そう。面白い、と言う奴だ。いつだって僕らが勝利者になるための盤面は崩れちゃいない。そう、最終勝利者だけ変わらなければそれでいい』

 その一手が《マサムネ》の譲渡と、そしてアルファーによる精神汚染の兆候の試験か。いずれにせよ、悪魔の研究。それをあの武人たるバルクスが許すかどうかはほとんど賭けに等しい。

 だが、ビットウェイはそれを楽しんでいる。悪魔の愉悦に、自分も加担しているのだとゆめゆめ忘れぬことだと、D・Dは言い聞かせていた。

「承知しました。……ですが、バルクス・ウォーゲイルは……そんなこの世の理を砕こうと、そのように……足掻いているようには映るのですがね」

 後半は聞き留められないように、かちゃんと黒電話を置く。

 残ったのは静謐の廃病院の廊下だけであった。

 ――帰還するなり、泣き腫らした表情を隠すこともなく、アイリスが一番に出迎える。

「……隊長! またどっか行って! 隊のみんなが心配したんですよ!」

 いつもの叱責だ、と思いつつバルクスはアイリスの顔を直視できずに視線を逸らす。

「……すまない。《マサムネ》のことだがな。望まぬのならば廃棄処分も――」

「駄目ですよ。せっかくの戦力なんですから! もったいないでしょう!」

「……まぁ、そう言われればその通りでもあるのだがな」

「大体、隊長はその辺の思慮が欠けているんです! レジスタンスの明日のために、一人でも多くの操主が《マサムネ》を操れるように訓練させましょう! その試験には私が付き従いますので、お忘れなくっ!」

 まくしたてられて自分を支えているハザマも二の句を継げない様子であった。

「ま、待って欲しい……アイリス。今回のような暴走事故を引き起こす可能性があるんだ。バルクス・ウォーゲイルの判断を……!」

「いや、いい。ハザマ、お前の言うことも、それにアイリスの言うことも間違ってはいない。……レジスタンスの副隊長として、これからもよろしく頼む」

 無事だった手を差し出す。

 機銃を咄嗟に塞いだせいで半身に傷を負ってしまったが、それでもかつてと同じように――これまで一度だって忘れたことはない。あの日、自分と手を組んで狂ってしまった時計の針を戻そうと望んだ女性の手を取るために。

 アイリスは恨んでいいはずなのだ。それなのに、今日まで気丈に、そして弱音を吐かずに隊を率いてくれた。その重責を理解していなかったのは自分のほうだ。

 しかし、彼女には最早、そのような翳りは見えなかった。

 いつものように快活に。そして明朗な声で、自分の武骨な手を取ってくれる。

「……本当! しょうがないですね! 隊長には私が居ないと駄目なんですからっ!」

 涙声になってしまっているのを、バルクスは茶化せなかった。

 三人で、包帯まみれの《O・ジャオーガ》と、そして中破した《マサムネ》へと視線を送る。

「……まだまだ、弱いな。私は……」

「私たちは、でしょう? 一人でカッコつけないでください」

「そうだな。その弱さをいつか、飼い馴らせるのならば……」

 ――その時は共に笑える日々を目指そうと、皆まで言わずバルクスは黎明の空へと視線を流すのだった。

 まだ見ぬ青の明日のために、歩み続けよう。それが自分たちの辿る贖罪の道なのであろうから。

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