両兵はルイへと視線を振り向ける。どうにもてこでも動く気がないのは分かり切っていて、交渉するだけ無駄かと思いつつも試みてみる。
「……なぁ、黄坂のガキ。ここは交渉と行こうぜ。お前が退いてくれりゃ、オレらはみんなハッピーだ」
「や、よ。青葉がこんなに怖がって面白い……コホン。興味深いんだもの」
心底、悪ガキ精神が身に沁みついているのだろう。両兵はここで頭を下げるのはどうにも馬鹿馬鹿しく思えて、他の交渉材料を探す。
「じゃあ……あれだ! 次の配給ン時にメシを多めに回す。それじゃ駄目か?」
「論外ね。私たちヘブンズにはちゃんと配給分は多めに回せるように南がどうせちょろまかすもの」
こういう時に南の普段の自由な振る舞いも問題であった。その娘であるところのルイは反省もしない。
「じゃあ……あれだ! トリックオアトリート……ってンだろ? お菓子くれてやるよ」
「……今はお腹いっぱいよ」
けぷっとゲップをしてみせるルイに、両兵はじゃあ、と思案する。
「お前が……そうだな。将来、めちゃくちゃ腹減った時に、奢ってやる! それでどうだ?」
「……あり得ない……とは言い切れないけれど、その時に小河原さん、お金あるの?」
「任せとけ! オレが野垂れ死ぬような計画なしに見えるか? 何とかして、てめぇに腹いっぱいの菓子をくれてやるよ!」
ここは虚勢でも精一杯張るほかあるまい。胸元を叩いて自信満々に告げると、ようやくルイは観念したらしい。
「……いいけれど……忘れないでよね」
カマキリの形態模写をしつつ、ルイがスロープを駆け下りていったのを見届けてから扉を叩く。
「青葉。出てったぞ」
「……本当に?」
まだ疑わしいのか、青葉が慎重に扉を開ける。
「アホ。いつまでやってンだ。オレが大丈夫って言えば大丈夫なんだ。信じろよ」
ルイの不在を確かめてから、青葉は力が抜けたようにへたり込む。
「よ。よかったぁ……」
「……本当にカマキリなんざ怖いのか? あんなもん、ぷちっとやってやりゃあ……」
「駄目! 想像させないでよ! カマキリって潰したら大変なことになるでしょ!」
「あー、そういや腹ん中に寄生虫が……」
「もう嫌! 本当、信じらんない、両兵ってば!」
耳を塞いだまま青葉の蹴りが先ほどまでルイにしてやられたローキックと同じ個所に突き刺さり、思わず後ずさる。
「わ、分かった、分かったからもう蹴りは勘弁……」
「本当? もう言わない?」
「言わん言わん。……カマキリのカの字も言わねぇよ」
「本当?」
何度も問いかける辺り、本当に苦手なのだな、と両兵は不服そうに応じる。
「……ああ。もう言わねぇよ。はぁ……つまらんことに労力を費やしちまった……」
「……じゃあ、行く」
ようやく宿舎から出たところで、青葉の後頭部をカツンと殴る。すると涙目になった青葉が振り返って抗議する。
「痛ったい! 何するの!」
「……面倒かけやがって。せめてもの抵抗って奴だ」
「暴力振るうなんて最低!」
「うっせぇな……。とっとと格納庫に向かうぞ。そろそろ山野のジジィの限界が近ぇはずだろ?」
「……いいけれど……両兵、ちょっとお酒くさい……。飲んで訓練するの?」
「あんなもん、飲んだうちに入るか、アホバカ」
「また馬鹿って言った! もう! 馬鹿って言うほうが馬鹿なんだからね!」
格納庫に向かって駆け抜けつつ、両兵は嘆息をつく。
「好き嫌いだとかに振り回されンのは後にも先にも、この一回にしてくれよな……ったく」
――柊神社に届いた南米からの輸送品を探っていた最中、両兵は埃まみれの雑貨を取り出していた。
「ん……? 何だこりゃ。おい、黄坂! 掃除してっと変なもん見つけたが、これ捨てていいのかよ!」
「うっさいわねぇ……。大きな声を出さないでってば。ごほっ……ホコリ酷いわねぇ」
「うるさいとは何だ。せっかく掃除に駆り出されとるのに……。この箱、物品の中身が書いてねぇぞ?」
南米からは毎日のように物品が国際郵便で運ばれてくる。カナイマアンヘルに置いておくのにもスペースを取ると言うので、東京の柊神社に送られてくるのだが、半分ほどは私物だったりガラクタだったりするのでその整理に追われているのが現状だ。
「あら、本当ねぇ。……中身、何だと思う?」
「爆弾が入っていても驚かんが……」
「じゃあ、いちにのさんで開けましょう」
こういう時に爆弾処理班を呼ぼうと言う発想にならないのが南なのだろうが、両兵はもうその辺の機微は諦め切っているので、二人で同時に箱を開こうと手をかける。
「んじゃあ、行くぞ。いちにの……」
「さん……っ! ……って、あれ? これ、衣装じゃない?」
南が広げたのは緑色のコスプレ衣装であった。しかしところどころほつれており、両腕の特徴的な袋でようやく理解できたのは――。
「あっ……これってカマキリじゃねぇの」
「カマキリ……? ああ、そう言えば。カナイマ時代に一回だけ、ルイにこれを編んで欲しいって仮装作らされたっけ? ……何に使ったんだろう……?」
南が覚えていないのも無理はない。自分も今しがたまで忘れていたほどだ。
「……黄坂。それ、くれ」
「ん? 何よ、両。これ、そんな価値ないわよ?」
「価値なら、今しがた発生した。黄坂のガキはどこに居る?」
「ルイなら、まだ帰っていないけれど……?」
「じゃあ持って行く」
両兵はカマキリの衣装を抱えて駆け出す。その背中に南の声がかかった。
「あっ、ちょっと両! もう、掃除の途中じゃないの!」
「ちょっと野暮用思い出しちまったんだよ! 掃除は帰ったら手伝う!」
――別段、孤独を深めていたつもりはないのだが、今日は誰かと一緒に帰るだとかそういう気分でもないのでルイは緑地公園でブランコを漕いでいた。たまには一人になりたい、そんな夜もある――と、これは昨日観たトレンディドラマの台詞であったか。あいにく、まだ夕映え時で夜は遠いが、それでも少しだけアンニュイな気持ちに駆られる。
「……別に寂しいってわけでもないのにね」
呟いて、こうして口にすることがより寂しくなるような気がして、ルイはブランコを漕ぎながらため息をこぼそうとして不意に声に遮られる。
「見つけた! ……何だ、今日はさつきと一緒じゃねぇのか……」
びくっと肩を強張らせたルイは公園の入り口で佇み、肩で息をする両兵を目の当たりにする。
「……小河原さん?」
「ったく。真っ直ぐ家に帰るってこともせんのか……」
「……何でここに?」
「まぁ、何だ。忘れ物を取りに来たんだよ」
「忘れ物?」
「過去に取り残した忘れ物だ。ほれ、これ」
両兵が小脇に抱えていたものを広げる。それは――かつてカナイマアンヘルの日々で、青葉にちょっかいをかけた時に作ったカマキリの仮装であった。ただ、ところどころでほつれが目立ち、ボロボロで辛うじて原型が分かるものであったが。
「……それ……」
「随分と前の気がするな。まだ……三年経ったか経ってないか程度なんだよな……」
両兵が隣のブランコに座り込む。ルイは澄ました顔を崩さずに、呼吸を整えていた。
こうも不意打ちに両兵と二人っきりになるとは想定外で、戸惑いがちに言葉を探る。
「……青葉の嫌いなものだったわね、それ」
「だな。青葉の奴も……何だってこんなもんが怖いんだか……って笑ったか。まだあいつ、カマキリ怖いってワガママ言ってンのかな」
両兵の心は青葉との思い出に囚われている――だから自分の付け入る隙なんて一部分だってない、そう思い込んでいたのだったが両兵がブランコを軽く漕いでいく。
ともすれば今はトーキョーアンヘルメンバーに邪魔されない、唯一の機会であるのかもしれなかった。
「……小河原さんは、まだ青葉のこと、考えてるの?」
「……考えなかったことなんざねぇよ。南米に置いて来ちまった、一つの悔いだからな。だが、今日は青葉のことだけじゃねぇって。てめぇとの約束、思い出しちまったもんだからよ」
その言葉にルイは顔を上げる。両兵は軽くブランコを漕ぎながら、何でもないように振る舞う。
「……私?」
「おう。お前に腹いっぱい、菓子を食わせてやるって言ったろ? ほら、トリックオアトリートって奴だ」
「……馬鹿みたい。そんな約束……」
「だが、忘れなかったんだからしょうがねぇだろうが。それとも、お前、今日はもう腹いっぱいか?」
青葉じゃない、自分を見てくれたことも、そう言えばあったのだなとルイは思い返す。カナイマでの日々は本当に空回りで、東京に来ても結局、他のメンバーに遠慮して何も言えないまま――決定的なことを取りこぼし続けていて。
「……そんな自分が、結局嫌になるのよね……」
「ん? で、どうなんだよ」
「……小河原さん、お金なんてあるの?」
「あー、それなんだがよ。今日の掃除の駄賃で黄坂から五百円分、貰っておいた」
「……何それ。たった五百円でお腹いっぱいになると思ってるの?」
「……そりゃー、確かに五百円ぽっちじゃ腹いっぱいとはならんだろうが……」
「小河原さん、それ貸して」
ルイがブランコの反動を活かして前に大きくジャンプする。両兵にはわざと振り返らない。
「……結構、埃っぽいぞ?」
「いいから」
両兵が不承げに衣装を差し出す。いつか、こんな日々が来るなんて予想もしなかった昔――まだ幼かった自分に、今はちょっとだけ感謝だ。
「……ありがとう」
「うん? 感謝されるほどのことはしてねぇぞ?」
「当然よ」
ルイはカマキリの仮装に袖を通す。ところどころほつれていて、ボロボロで――まるで自分たちの関係のよう。それでも、精一杯の虚勢と共に。ルイは両兵へと振り返って言い放つ。
「……トリックオアトリート。お菓子をくれなきゃイタズラするぞ。きしゃー」
「……いつかみてぇにローキック食らうのも損なもんだ。来いよ。五百円分、トリートしてやる」
両兵が立ち上がり、ポンと複眼を有する頭部を撫でる。今だけは、この衣装がぶかぶかで助かっていた。
もし、顔を見られていれば――きっとただでは済まなかっただろうから。
「お菓子を所望するわ。きしゃー」
「あいよ。カマキリ娘に、じゃあとっておきの菓子をくれてやるよ」
カマキリ娘か。それでも、今はそんな繋がりでもいい。だって、思い出してくれたのだ。自分とのささやかな約束を。
――なら、ワガママいっぱい、甘えてやるのだから。