「人体のクセのようなものね。寝ている時や集中が切れそうな時に、どこかしらに力を入れるとぴょんと跳ねるみたいに起きられるでしょう? その原理よ」
「……とは言いましても……」
赤緒も金枝と一緒の布団で寝たことがあるので、彼女が一旦寝入ってしまうと起こす手段はほとんどないことを知っている。
「……金枝ちゃん、眠りは深いから……。なかなかに難しいと思いますよ?」
「……だろうね。三宮は一旦寝ちゃうと本当に起きないんだもんなぁ……。ってなると、赤緒が近くで見てあげるしかなさそうだけれど……」
「……い、いえっ! それはさすがに……赤緒さんにご迷惑を……」
意気消沈する金枝に、しかし赤緒は逆にやる気が出ていた。他の方法がないのならば、自分が金枝を朝方まで見てあげるほかない。
「金枝ちゃんっ! 私がちゃんと見てあげるから……絶対に朝まで起きていようね!」
「そ、それはでも……赤緒さんやマキさんたちに、余計な心配を……」
「まぁ、とりあえず五郎さんには言っておくから、赤緒も三宮も朝帰り? なんだもんなぁ。一応の話は通しておくよ」
エルニィが手を振って柊神社への帰路につく。それに比してルイはその場に留まったままであった。
「あれ? どったのさ、ルイ」
「……コネ宮。一個だけ、コツを教えてあげる」
「あれ? ルイに徹夜のコツなんてあったっけ?」
「まぁ、ちょっと聞いていきなさい」
ルイは金枝の耳元に寄り、そっと囁きかける。それを聞くなり、金枝は顔を真っ赤にしてわたわたと慌て出す。
「る、ルイ先輩、そ、それはぁ……!」
「これを使うかどうかはあんた次第よ。……まぁ、慣れないことも試してみることね」
そう言うや否や、ぱっと手を振ってルイは歩いていく。赤緒はと言うと、今しがたの言葉は聞こえなかったので、金枝へと問い返していた。
「……ルイさん、なんて?」
「そ、それは……あぅ……っ。さすがにこれは……言えませんよぉ……」
手で顔を覆っているので相当恥ずかしいことを吹き込まれたのか、とルイとエルニィの背中が見えなくなるまで見据えていると、金枝がそっと袖を引く。
「そ、その……そろそろ戻らないと……」
「あっ……そうだね。えっと、これくらいで買い出しはいいかな。金枝ちゃんっ! 頑張ろうねっ!」
「は、はひぃ……っ」
赤面する金枝に、一体ルイは何を言ったのだろうと困惑しながら、赤緒はマキの仕事場へと戻っていく。
「それにしても……ルイさん何を……」
「――お、終わったぁー! 三人ともありがとー!」
ようやく作業を終えたマキに赤緒はそろそろ陽が昇りかけている窓辺で原稿をコピーする。
「よかったね! じゃあ、私はこの辺で……金枝ちゃんは……」
「金枝? 金枝は……あれ? どこに行っちゃったんだろ……」
「あっ、赤緒さん。……どうしました?」
金枝はちょうど台所に向かっていたらしい。まさか、隣室で眠っているのではないかと赤緒は冷や冷やしたものだが、案外、徹夜明けの金枝の顔はさっぱりしているものである。
「いやー……! 今回も助かったぁー……! 赤緒も金枝も、泉もサンキュー! 今度お礼するから……今日は原稿を送ったら爆睡だねー!」
ここから先は出版社の担当を呼んでの話になるので赤緒たちはそそくさと退散する。
「じゃあ、マキちゃん。今回も頼ってくれてありがとう」
「何言ってんの。私こそ、みんなに感謝! 金枝も初めてなのにトーンを貼ってもらったりしたから、今度ちゃんとお礼するねー!」
「ふふーん♪ 金枝はぱーふぇくとですからねー! 何だってどんと来い! です!」
胸元を反らして自慢げにガッツポーズを取ってみせる金枝の姿に赤緒は少しだけ安堵して帰路につく。
途中まで泉と同じ帰り道であったが、いつもの堤防付近で分かれるなり、赤緒はふと尋ねていた。
「それにしても金枝ちゃん……今回は寝ちゃわなかったね。どうやったの?」
「こほん。それに関しては……ルイ先輩より心掛け、というものをいただきまして」
「……それって、教えてもらえたりするのかな?」
すると金枝は少しだけ恥じらいを覚えながら頬を掻き、周囲を見渡す。まだ早朝付近のため、澄んだ空気に満たされた東京は静謐に沈んでいる。
「そ、そのですよ……? あまり言いふらさないでくださいね?」
「分かってるってば。ただ……あれだけ不安そうだった金枝ちゃんがどうやって乗り越えたのかなって」
単純な好奇心であったが、金枝は咳払いして応じる。
「ルイ先輩には、こう言われたんです。“すごく好きな異性が見ていると思いなさい。そんな相手に、寝顔を見せられる?”って。……それを意識してると……徹夜をなんとか乗り切れた、というわけです。……他の方に言わないでくださいね?」
ルイの発言を聞いて赤面したのも納得だ。確かに意識している異性を前にして、簡単に寝顔を見せられる女子はこの世に一人も居ないだろう。
「……だから、ルイさん……」
こちらへとピースするルイの顔が思い浮かぶ。まるで“ね? 言ったでしょ?”とでも言うような自慢げな表情であった。
「けれど……眠いのは本当で……。あの、赤緒さん。ちょっとだけ……肩を借り……」
そこまで口にしたかと思うと、金枝が不意によろめく。赤緒が反射的に受け止めると、すーすーと寝息を立てている。
「か、金枝ちゃん……! ……どうしよ。引きずって柊神社まで行くわけにもいかないし……」
困り果てていると、不意に河川敷から声が発せられていた。
「おーぅい! なぁーにやってンだ、柊!」
「この声は……小河原さん?」
河川敷のほうを覗き込むと、両兵が堤防を駆け上がってくる。
「何だ、二人して朝帰りとは感心しねぇな」
「い、いえその……マキちゃんの漫画を手伝っただけですってば……。朝帰りなんて……とんでもない」
「そうなのか? ……おい、こいつ、三宮か? 何だって柊に寄り掛かってやがンだ?」
「そ、それはそのぉ……一言では説明し切れない複雑な背景がありまして……」
「とは言ってもよ。こいつ……寝入ってやがンのな。何だってこんなザマに?」
「そ、それは言えませんよぉ……。金枝ちゃんのためですっ!」
「……よく分からんが、重そうだな。手伝おうか?」
「えっ、いいんですか……?」
「なに、女子供一人背負うくらいはできらぁ。……うぉ、重た……」
担いだ途端に両兵がそんなことを口走ったものだから、金枝が両兵の首を絞め上げる。直後にはチョークスリーパーが展開されて、両兵が苦悶の声を漏らす。
「痛ててててっ! 痛ぇ! 何だこいつ……!」
「だ、駄目ですってば! 女の子に重いなんて言っちゃ……禁句ですっ!」
「何で分かるんだよ! こいつはエスパーかよ! ……って、言っちまえば血続操主なんざエスパーみてぇなもんか。にしても、朝方の堤防で寝入った三宮を放っておくわけにもいかんと言うのに、何やってたんだ?」
「そ、それはですね……。金枝ちゃん、初めての徹夜だったんです」
「ほぉー、それはご大層なもんで。で、徹夜に耐え切れずに……ってことか?」
「……まぁ、みたいなものです」
「それにしても……ぐーすか気持ちよさそうに寝てやがる。どんだけ神経太いんだか……」
そう言えば、ルイの教えた極意に照らし合わせるとこの局面は相当マズいのではないか、と赤緒は思い返す。
何てったって――異性の前で、なおかつ両兵は――。
「……あの、小河原さん? 金枝ちゃんに担いで行ったって言わないでもらえます?」
「何でだよ。恩を売るのにちょうどいいってのに」
「いいからっ! 女子としての当然の権利ですっ!」
こちらが少しだけ語気を荒くすると両兵も理由が思い浮かばないのか、首をひねる。
「お、おう……。まぁ、構わんがな。三宮からもらえるもんなんてたかが知れてるだろうし。……それにしたって、いくら高校生とは言え、こんな時間に帰るのはおススメしねぇぞ?」
「あれ……? 小河原さん、普通に心配はしてくれるんですね」
「そりゃーそうだろ。どうでもいい奴らじゃねぇンだ、朝帰りの心配くれぇはするさ」
「それって……小河原さんはその……私のこと――」
それはつまり、自分のことを一人の女子として見てくれていると言うことなのだろうか。問いかけようとして、むにゃむにゃと両兵の背中で寝言と漏らす金枝を目にして遮られる。
「むにゃむにゃ~……金枝はもう食べられませんよ~」
「……お手本みてぇな寝言言いやがンな、こいつぁ……。んで、何だ? 何か言いかけていたみたいだが」
「……いえ、その……今のはなしで。だって……金枝ちゃんが居ますから」
「……こいつなら寝入ってンぞ?」
「そういうの関係なく。……だってズルいじゃないですか」
金枝の目の前で両兵の気持ちを問うことも。ましてこうして誰の目もない堤防でこんな大事なことを尋ねるのも。どれもこれも――過ぎた代物だ。
「……そうか? 三宮を持って帰るんだ。少しくれぇはワガママ言ってもよさそうなもんだが」
「だからこそ、なんです。……小河原さんっ! 金枝ちゃんのこと、大事に背負ってあげてくださいね? だって小河原さんの背中……きっと金枝ちゃんも落ち着くんですからっ!」
そう声にして、赤緒は舞うように堤防を駆け抜けていく。
「おい、待てって! ……ったく、こっちにはバカ重いお荷物が……痛てぇ! 絞めンな、馬鹿!」
再びチョークスリーパーをかけられる両兵を視界に入れながら、赤緒は少しだけ走ってから振り返る。
「金枝ちゃんのこと! 大事にしてくださいよ、小河原さん。だって……私の大事な、友達なんですからっ!」
「……それはやまやまなんだが……! こいつ……寝ているからって……今に見てろよ……」
ぼやきながらも両兵は金枝を背負い直す。
その姿を微笑ましく見守りながら、赤緒は少しだけ前を行く。
朝と夜が溶け合い、空合がぼやける魔法の時間。薄明の澄んだ空気を肺に取り込んで、ゆっくりと深呼吸。
いつか――金枝が自分の意思で、この特別な瞬間に踏み入った時に、ズルいと言われないように。
恥ずかしくない振る舞いだけは、こなしていきたいのだから。
赤緒は上機嫌で、鼻歌交じりに堤防を歩いていく。
愛と友情と、そして一時の優越感を覚えられるこんなひとときが、永遠のように続けばいいのに、と思いながら。