「……世は事もなし……今年も始まったなぁ」
世相が流れていくのを別段、俯瞰した立場で見下ろすわけでもないし、それほどまでに偉くなったつもりもない。そもそも、大学生身分でできることなんて少ない。二度に渡るベイルハルコン遭遇戦を経ても、作木の胸中は変わらない。
それは確かに、レイカルの道筋を助けてあげたいのは山々だし、小夜やナナ子、それに削里たちと今年も共に歩みたいのは本心であったが、それにしたところで年明けの瞬間と言うのは下手な昂揚感やよく分からない万能感に溢れて、人波は福袋や初詣、正月気分の熱に浮かされたようであった。
家電量販店の前で信号を待っていると、毎年恒例の年明けのおめでたい音楽と共にブレイク芸人たちが一発芸やあるいは無茶無謀な企画に体当たりで向かっていく。
「……何だか、いつも通りだなぁ」
ついつい感想が口から漏れてしまって、我ながららしくないと思えてしまう。正月に浮かれているのはともすれば自分が最もそうなのか? とも。都市部に吹き荒ぶ真冬の曇天からのからっ風。コートの襟元を引き寄せて、作木は買い物袋一つで横断歩道を渡る。
正月なのに、そこいらのビルに入るといやにもやっとした暖房がかかっていて、冬の寒さに凍えることはあまりない。温か過ぎて、少し気分が悪くなるほどだ。
きっと身体が慣れていないのだろうと思う。
帰路につきながら作木は便利になり過ぎるのも考えものだなと考えたところで、不意に携帯電話が鳴る。今どき珍しい、折り畳み式携帯のサービスが来年には終わると言うニュースを見かけたところであったので、何だ自分自身もレトロな時代に取り残された産物ではないか、と自嘲したところで通話口から小夜の声が聞こえてくる。
『作木君? 買い物は大丈夫そう?』
「あ、はい。何とか目的のものは買えましたけれど……本当にこれでいいんですか? だって、まだ1月の2日ですよ?」
集まるのには小夜の側にも都合があったのではないかと懸念すると家電量販店のテレビがふと晴れ着姿に身を包んだ小夜を映し出す。
『さぁーて! 今回のゲストは編森小夜さん! 特撮番組トリガーVにてトリガーイエロー役に抜擢され、バラエティでも引っ張りだこ!』
『もう! やめてくださいってば! そういう風に年明けからおだてられると、何だか今年は生き残れなさそうじゃないですか!』
『もしもし? 作木君?』
「あ、いや……小夜さん、今テレビ局……?」
『寝ぼけてるの? 収録に決まってるでしょ、そういうのは。……って言うか、見ないでってば。晴れ着一番に見せたかったのに……テレビが先なんて風情も何もないでしょ』
「すいません……気が利かないもので……」
観ないようにしろと言われてもそこいらかしこから小夜の声が漏れ聞こえてくるのは妙な感覚で、こうして自分と話している彼女も立派な芸能人なのだと自覚する。
『で、まぁ例の如く、高杉神社集合なんだけれど作木君の地理は大丈夫そう?』
「ええ、まぁ。ちょっと郊外にあるのがあれですけれど」
『それに関してで言えば心配しないで! 今に迎えが来るから!』
「迎えって……ここは東京のど真ん中――」
そこまで口にしたところで不意に急ハンドルの軽車両が横付けして来たので作木がぎょっとしていると、助手席から削里が顔を出す。
「よっ。作木君、あけましておめでとう」
「あ、はい……って、高杉先生?」
「作木君、あけましておめでとう。私はこの通り、真次郎の足ってわけ」
「そんな言い草はないだろ? 元々、高杉神社に向かうって言うんだから、ついでに乗せて行ってもらっているわけだよ。ヒミコのほうこそ、参拝者が多いほうが助かるんじゃないか? 実家のためだろ?」
「……あんまし実家には帰りたくないんだけれど……今回ばっかりはねぇ。おっ、作木君、目的のものは買えた?」
削里を押しのけてこちらへと視線を振るヒミコに作木は買い物袋を持ち上げる。
「ええ、まぁ……。便利ですよね、正月の二日目からもう開いているお店があるなんて」
「便利になったわよねぇ。私らが子供の頃なんか、正月三が日は開いているお店のほうが少なかったって言うのに」
「ヒミコ、年がバレるぞ?」
削里のぼやきにヒミコは唇を尖らせる。
「何よぅ! 真次郎のクセに、よく言ったものじゃないの!」
「あの……ヒミコさん。その……おれが同行するのはご迷惑じゃないですか?」
後部座席に乗っていたのは懿で作木はその境遇にまさか、と察する。
「懿君も呼ばれて?」
「あっ、作木さん。あけましておめでとうございます。旧年は……」
「いや、こちらこそ……」
「なーに二人して仰々しいこと言ってんの。後ろに乗って作木君。高杉神社まではまぁまぁ遠いから道すがら、お昼ご飯を食べて行きましょう」
「僕は一応、コンビニでおにぎりをお腹に入れてきましたけれど……」
「花の大学生が遠慮するもんじゃないわよ? 私が奢って差し上げましょう!」
ふふん、とご機嫌にハンドルを握るヒミコに、助手席から削里が潜めた声で口にする。
「……作木君、ヒミコの機嫌がいい時には乗っておいたほうが得だ。経験則だが、後で面倒なことを押しつけられるんだからな」
その経験はこれまでに何度もある、と作木はどこか得心したように頷いていた。
「けれど、ヒミコさん……いいんですか? おれは、言ってしまえばこの正月くらいは先生にしてみても……」
「水刃様やおとぎに遠慮することないって。それに、懿君ってほとんど住み込みでしょ? お正月くらいは離れたいのが本音だろうけれど」
「いえ、先生とおとぎさんのお勤めはためになっていますので」
どこまでも真面目な懿に、この論調ではさぞ高名な学校に通っているのだろうと作木は感じてから、そう言えば学業に関しては聞いたことはなかったなと話題を見つけて尋ねる。
「懿君……学校は……?」
「……元々は学業は休学していたんですけれど、おとぎさんの眼のこともありますし同じ学校に編入して……」
「あ、そうなんだ……」
自分から切り出しておいて話題の接ぎ穂を失って言葉を彷徨わせるのは悪癖以上の何者でもないのだろう。何とか共通の話題がないか、と探っている途中で窓の外を抜けていく調子に乗った晴れ着姿の初詣客を見送る。
「「あの……!」」
まさか同時に声を発するとは思いも寄らず、二人してお見合い状態だ。次の言葉を早く発しなければ、と思わず焦る。
「「いえ、お先にどうぞ……!」」
互いに譲り合っても仕方がないので、作木と懿は数秒間、顔を見合わせた後にぷっ、と吹き出していた。
「な、何で笑うんですか……」
「あ、いやごめん……。何だかなぁ。僕らも不器用って言うか……」
少しだけ心のしこりが取れた気分で深呼吸し、車の暖房のぬくもりを感じて軽く声にする。
「……学校は楽しい?」
「……どうなんでしょうか。おれ、ちょっと他人とは違う感じで……これまででしたので。おとぎさんと同じ学校に入ったのも、贖罪じみたものがあるって言うか……。あっ! でもこれ……気になってるって言うか」
「どうかしたの?」
「あ、いえでも、これ……」
懿は頬を紅潮させている。すぐに頬を張って気合を入れ直したので、作木はびくつく。
「……これは作木さんだけで」
声を潜めたので運転席のヒミコが囃し立てる。
「おーっおーっ、男同士でなかなかに仲睦まじいことで」
「ヒミコ、茶化してやるなよ。カーステレオでもかけるか」
削里なりの気遣いなのだろう。カーステレオから聞こえてくる小気味いい音階はこの冬にヒットした映画の主題歌で、車内のひそひそ話を隠すのにはちょうどいい。
「……あの……おとぎさんに」
「うん、おとぎさんに……?」
「ずっと一緒なので……。ストーカーだとか、思われてないかなって不安で……」
その顔を見返す。懿は耳まで真っ赤になって真剣そのものの表情であったので、作木はうんと頷き返す。
「大丈夫だって。懿君は立派だよ。……僕が高校の頃にはそこまで思い切れなかったな」
「からかわないでくださいって……。恥ずかしいことを言っているのは分かっているんですから」
「えっ! 恥ずかしい秘密? ちょっと! 真次郎、ボリューム下げて!」
「無粋なことを言ってやるなよ。そんなでも教育者なんだろう?」
ヒミコの要請とは正反対に流行歌の音量を上げる削里にヒミコはブーイングを漏らしてハンドルを握りながら拍子を取る。
「……まぁ、そりゃーね。一応は教師……はぁー。こんな狭苦しい感じなら、もっといい身分になるんだったなぁ。編森さんみたいな」
「編森さんはタレントだろ? ヒミコには無理だから諦めるのが潔い」
「だって! 酷くない? 作木君! 私だって結構イケるわよねぇ?」
「高杉先生! 前! 前見てください!」
ハンドルを握りながら大仰に振り返るものだから作木も懿も気が気ではない。
「……むぅ。私ってこれでもイケてる見た目だと思うんだけれど……」
「本当にそういうのに適性のある人間は文句ひとつ言わないもんだよ」
削里にぴしゃりとそう言い渡されてしまえばヒミコもそれ以上の言葉もないようでハンドルを握りながら不承気に呟く。
「そんなこと言っちゃって……。あっ、作木君、そこのバーガーショップに入るわね」
「何だ、奢ってくれるじゃなかったのか?」
「いーっだ! 気が変わったの! ……ご機嫌タイムはおしまい!」
ヒミコと削里のやり取りにどこか微笑ましいものを感じつつ、バーガーショップのドライブスルーで手早く注文する。
「私、ハンバーガーセット。真次郎はいつものでいいわよね? てりやきセット。作木君と懿君はどうする?」
「あ、じゃあ僕も削里さんと同じで」
「じゃあ、おれも……ご馳走様です」
「うんうん! 真次郎と違って素直でよろしい!」
ヒミコの機嫌は冬空よりも変わりやすいのだろう。懿は買い与えられたてりやきバーガーをじっと見つめている。
「う、懿君? どうしたの? 食べないと冷めちゃうよ?」
「あ、いやその……どうやって食べるんでしょう……?」
それはネタで言っているのかと一瞬だけうろたえたが、懿の眼差しに嘘はないように思える。
これは本気なのだと作木はハンバーガーの包み紙の取り方から教えていた。
「ポテトはこぼれちゃうから気を付けて。……それにしても、ハンバーガーとか食べる機会はなかったんだ?」
「……一流のものを食べろと、昔から言われていたものですから。けれど……充分に美味しいですよ。ハンバーガーも」
「お高く留まっちゃってるのよねぇ、懿君も大変な星の生まれで」
ヒミコに責める意図はないだろうが、懿は一時的とは言え摺柴財閥の社長をやっていたのだ。それ相応の年の頃の少年少女らが経験するものとは隔絶された世界で生きてきたのだろう。
「……懿君。今度、僕と出かけよう。何て言うのかな……ハンバーガーを食べるような生活も、悪くないと思うし」