黒煙と共に上がるのはどこまでも紅蓮に染め上げる焼夷弾の明滅。炎に巻かれた兵士が苦悶して要領の悪い機械のように地面に何度も身を打ちつけるのを、どこか俯瞰した眼差しで見ていた。
空を覆う、赤と黒の色彩。
世界は全て闇と暴力と硝煙のにおいに沈み、命の残滓を啄んでいく。それこそがロストライフ、それこそが命の証左を奪うこの世の摂理。悲鳴さえも上げられない。それどころか、握り締めたアサルトライフルに滴り落ちる汗がいやに後れを生じさせている。
もっと素早く、もっと的確に動かなければこの惨劇の極地では潰されかねないと言うのに、どうしてこうも何もかもが上手くいかない。
ああ、地獄だ、と喉の奥から冷えた呼気が漏れる。
ここで命の是非を問うても、意味消失の彼方に行き着きつつある。大地に注がれる黒く反射する輝きが地面から植物を枯らしていく。光を浴びるだけで、この小さく地面に根を張る人間は消え去ってしまう。
飛び退って黒い光の照射から逃れるも、銃火器を扱う気概はほとんど残っていない。
それどころか、燃え盛る火の粉も、焼け焦げて痙攣する兵士たちの吐き気を催す臭気も、どれもこれも現実離れしている。
今に、ここで死ぬのだと誰かに諭されたとしても自分は納得などできずに拍子抜けの現実相手に抗弁を発するのだろう。
まだ、まだ、と。
まだ生き残れるはず。こんな簡単に人間が死ぬはずがないのだと。
しかし、その論拠を全て拭い去っていくのがロストライフ現象の根源。ヒトの善性を何もかも否定する悪の所業。この世に「在る」ことを許さぬ鬼畜の遺伝子。
今も降り立つ黒い翼の巨大兵器たち。否――人機の暴力性。
それを知れば、理解して受け入れれば少しはマシな帰結もあるだろうが、自分にはそのように賢しく考えるだけの脳みそもなければ、理性もかなぐり捨てている。野生の闘争心で吼え立て、アサルトライフルを掃射する。
そこに意味があるのだと願って。
そこに意味がないのだと悟って。
銃弾が堅牢な装甲を叩くだけで、《バーゴイル》たちは振り返りもしない。幼い命を摘み取り、老練の者たちを踏み潰していく。
戦う術を持つ若い命が真っ赤に燃えても、直後には全てが消し炭だ。こうして銃を握ることもできない人間は取りこぼされ、そして戦場には「問う者」さえも居なくなる。
自分の時はまだ「問う者」が居た。
キョム相手に戦うか、それとも降伏して肉人形として振る舞うか。
今や、「問う者」の遺骸を踏み越え、情けなく生き意地汚くこうして弾丸を装填する己は、では一体何なのだ、と。
「問う者」ではない。かと言って、「応ずる者」であった時期はとうに過ぎた。最早、その素質は戦場において呵責なく。吹き飛ばされる塵芥に等しい価値となって大地に横たわる。
血の赤の照り輝き。
原初の命の持つ色彩。
呼吸が荒い。煤けた悪魔の空気が充満して上手く呼吸ができない。一呼吸で、命の終わりを。二つ目で、まだ生きているのだと実感する。
三つ目で視界が開けて、自分でも想定外なデッドスペースが生まれてそこに逃げ込む。
何度も、何度も繰り返す。
この煉獄を。
醒めてしまえば、それで終わりなはずなのに。堕ちてから、それでもと悔いるのだ。もっと戦いに慣れていれば。もっと強ければ――もっと、もっと生き意地汚く縋るのではなく、簡単に死ねるだけの命であれば、と。
相反する感情が脳内でぶつかり合い、麻薬めいた酩酊を引き起こす。
否、頭を振るのはもっと後。
誰かの頭蓋骨を踏み潰し、ただ真っ直ぐに進む。どこかに希望があるのだと信じて。どこかにこの惨劇の終わりがあるのだと祈って。
しかし、祈る神はとうの昔に潰え。縋る信徒は、巡礼の旅を中断し。浄罪の時を待ち望んで、また業火と獄炎の地に降り注ぐ。
ああ、と声が漏れる。
遥か遠く、星の旅の彼方にあるかのような空の向こうから降り注ぐ、絶望の灯。軌道要塞、シャンデリアより放たれる罪の巨人たちを解き放つ獣たちの楔。
《バーゴイル》が、それに類する人機たちが、大地を蹂躙する。
世界の終わりを見たような気持ちであった。
だが、そうではない。
ここでこうして、燃え盛る大気を肺に取り込み、焼け爛れた喉で呼吸をする自分は、まだ生きている。生き永らえている。
それが愚かしい帰結ではないのだと、ただただ信じたいのだ。
何か意味のある、理屈あっての人生なのだと。しかし、ここに堕ちれば毎度思う。
意味などない。生きていることに理屈はなく、高尚な理由は存在しない。ただの偶発的な確率論と、そして悪魔たちの嘲りとその気紛れさに踊らされているだけなのだと。
アサルトライフルを提げた自分は、終わりの淵で灼熱の呼吸を発する。
生きていることが不可思議であるのに、雄弁にそれを語る心拍。そして、崩れ落ちそうな自我を保つ、極点の理性。
黒の軍勢に染められた光景は、ここに終わりを迎え。
そして、また脳内で再生する。
この終焉の、絶望の崖っぷちで、自分は生きることを選んだのだと、三十六℃未満程度の理性が認識した瞬間に、全ての皮膜は剥がれ落ちていた。
「――おーぅい。いくらオートパイロットに設定しているからって寝る奴が居るか」
こつん、とファイルで眉間の当たりを叩かれて陽子はハッとして周囲へと視線を配る。今しがたまでの悪夢の感覚は綺麗に失せ、空戦人機である《セラフィトウジャ》の拓けた視界の中で深く呼吸する。
「……すみません、隊長。……寝ていました」
「しっかりしてよねー。陽子は私らアークの主戦力なんだからさ」
下操主席でそうぼやいた金髪の女性は、確か――ルッカ=ハーデン。階級は准尉。自身の記憶をゆっくりと手繰り寄せ、陽子は自己認識を改める。
「……私は……古屋谷陽子……」
「そっ。それにしても……この辺はあんまり降りても旨味はないかなぁ。この間、収容した子たちの様子は?」
振り返ったルッカに陽子は少しだけ気圧された様子で背部コンテナに収容されている人々へと通信を振っていた。
「その……皆さん、調子はどうですか? 気分が悪いとかあれば、すぐに降りますので……」
『気分が悪いとかはないよ。けれど……何でこんなことを? お姉ちゃんたち……キョムと戦ってるんだよね?』
「そーだよー。ちょーッと待っててねー。少しはマシな場所に降ろさないと、私らがやったことが無意味になっちゃう」
ルッカは下操主席でふんふんとご機嫌な鼻歌交じりに操縦する。それを目にして、陽子は血続トレースシステムの上操主席のアームレイカーを握り締める。
「……隊長。やっぱり、私たちでできることなんて少ないんじゃ……? ……何を聴いてるんです?」
「遠い……日本で流行ってるって言う流行歌。陽子も聴く?」
ルッカは片耳にイヤホンを付けており、今しがたまで衛星軌道を経由しての電波を傍受していたらしい。その有り様に陽子は嘆息をつく。
「……呆れた。警戒機動中ですよ」
「そーいう陽子は寝ぼけちゃっていたわけじゃないの。まぁ、無理もないかもねぇ。ロストライフの地平を飛び立って、今日で二日目となりゃ、徹夜コースだし」
「……私はその……これでも気を張っていて……」
「分かってるってば。陽子を責める意図はないよ」
ひらひらと片手を振って飄々とするルッカには悩み事などないかのように映る。しかし、その実は彼女こそ自分たちを率いるゲリラ部隊の隊長――武力に武力で異を唱える集団“アーク”の分隊長――とは言え、自分とルッカのたった二人だけの抵抗部隊であったが。
「……あの、隊長。格納コンテナの酸素濃度がちょっと薄くなりつつあります。一旦降りたほうがいいかもしれませんよ」
「だねぇー。救った命が酸欠で死んだなんて元も子もないし」
「……《セラフィトウジャ》、降下します」
バード形態に可変していた《セラフィトウジャ》がゆっくりと降下機動を取る。現状、ほとんどの陣営で使われていないであろう、空戦人機でありながら可変機でもある。
そのデメリットのほうが目立ってしまって実験機止まりなのが、可変人機の運命であり、今のところ実戦投入にまで漕ぎ着けたと言うニュースは聞かない。
ゆっくりと降り立つと格納コンテナの中の少年少女らがめいめいに声にする。
『なに……? どこかに降りたの?』
『こわいよぅ……お姉ちゃん……』
「あー、心配しないで。……ほら、陽子も。ちゃんと言ってあげてよ。《セラフィトウジャ》のメイン操主は陽子なんだからさ」
「わ、私……? えーっと……大丈夫ですよー……これでいいでしょうか?」
「むぅ。相変わらず、嘘が下手なご様子で」
むくれたルッカがため息をついて《セラフィトウジャ》の接地時のモーメントを計測し、可能な限り減殺する。下操主席の役割としては下策もいいところだが、ルッカが担当するのは《セラフィトウジャ》の実戦ではなく、システム面での計測やその他のデータ収集であった。
《セラフィトウジャ》には高度な情報収集能力が組み込まれている。それは元々、《マサムネ》なる実験型可変機の流れを汲んだものであり、この機体は早期警戒機としての役割が与えられていたのだと言う。
しかし、《セラフィトウジャ》そのものの可変性能とその癖のあるシステム周りから実戦を経験する操主からは毛嫌いされ、僻地に追いやられていたところを確保したと言う経緯がある。自分たちはぐれ者の境遇と、ある種何ら変わることはない。
無事に着陸した《セラフィトウジャ》がコンテナを降ろし、酸素濃度をルッカが確かめる。
「酸素濃度の充填が完了するまで、およそ三十分前後。ここで一度、羽を休めるしかないかぁ」
「……隊長。私、あの子たちの面倒を……」
「うーん、行っておいでー。私は……そうだなぁ。引き続き、電波傍受でもしておこうかねぇ」
つまみを回し、今度は地球の反対側のテレビ電波を引き寄せたルッカは日本語で綴られるドラマを視聴する。《セラフィトウジャ》はステルス機としての権能も持っており、傍受先に露見することはほぼない。
「……もう。隊長も少しは役目を果たしてくださいよ」
「私はこんな調子だから、陽子の好きにしていいよん」
再びイヤホンを片耳に嵌めたルッカに陽子は少しだけ呆れ返ってから、コックピットより降り立つ。
格納コンテナから子供たちが警戒しながら周囲を見渡す。
「ここは……」
「まだここは行き先の途中なの。……ちょっとだけ遊んで行こうか」
子供たちの世話はもっぱら自分任せだ。陽子はホルスターに挟んでおいたとっておき――それを取り出すと子供たちの顔から警戒の色が解かれる。
「けん玉だー!」
「その通り! 今日もけん玉で遊んじゃおう!」
陽子はけん玉を器用に操る。どれだけ悲惨な戦場を経験し、過酷な運命の只中にあっても、自分のけん玉捌きだけはそれを少しの間でも忘れさせられる――数少ない誇りであった。
「えーっと、あねさんろっかく……たこにしき?」
「何で疑問形なの?」
「うぅーん……お姉ちゃんも行ったことないんだよねぇ……日本」
「えー? 日本人の名前なのにー」
めいめいに子供たちから囃し立てられ、陽子は困ったように微笑む。そうなのだ。自分に流れているのは間違いなく日本人の血筋であるのに、極東国家の地を踏んだことはない。それどころか、こうして名乗っている「古屋谷陽子」と言う名前にはまるで自覚はないのだ。
どちらも――まるでバランスを欠いたような虚構の歯車のように思えて、陽子は時々、自分自身の名前ですら疑わしいことがある。
とは言え、けん玉を扱うのは楽しい。
自信のない自分にとってはある意味では指針であり、こうして迷いそうな時こそけん玉で遊ぶようにしている。
「まるたけえびす……えびすって何なんだろう……?」
「お姉ちゃんが知らないんなら、知るわけないだろー」
「……だよねぇ」
くすっ、とこうして自然に笑えるのは何故なのだろうと時折思う。遥か異国の歌を口ずさみ、その意味さえも分からないままであろうとも、けん玉と一緒ならば自分はまだ大丈夫なのだと思える。
「《バーゴイル》だ!」
少年らの声が響き渡り、陽子は即座に戦闘用の己へと研ぎ澄ます。空を舞うのは確かに《バーゴイル》で、周囲を見渡している。
「……コンテナに隠れて……! ……はぐれ人機の可能性も高い……」
『こちらルッカ。あーあー? 古屋谷陽子隊員? 聞いてる?』
「隊長! 傍受されれば……!」
『そこんところはちゃんと対策してあるってば。……どうする?』
「どうするって……下手に動けば子供たちに危険が及びます」
『だよねぇ。……一応、走査された範囲では《セラフィトウジャ》は熱源にかからないけれど、子供たちはそうじゃない。一旦、コンテナに戻してから作戦会議といこうよ』
「……はい」
《バーゴイル》が首を巡らせてからプレッシャーライフルを片手に飛び去っていくまで陽子は生きた心地がしなかった。それは子供たちにはもっとのようで、不安そうな面持ちでこちらに尋ねてくる。
「お姉ちゃん……ぼくたち……生きていいんだよね?」
そんな問いをさせるこの世界の残酷さに陽子は思わず抱き寄せる。
「大丈夫……大丈夫だから。……生きていいの。みんな……生きちゃ駄目なわけ……ないじゃない」
ぎゅっと子供たちの体温を確かめる。生きていて駄目なわけがない――それはあの時、自分が一番、誰かに言って欲しかった言葉だからだ。
――火を焚くのはよくないことだ、と厳命を受けたのは《バーゴイル》を含めキョムの人機は熱源光学センサーに秀でているからだ、と陽子は聞かされていた。実際のところ、それは誰かに強いられただけのルールでしかなく、本当のところは分からない。
「なぁ……この中で、生き残った奴が他の連中の願いを引き継ぐ、なんてどうだ?」
ぱちっ、と薪が割れる。対面で火を囲んでいた同期の兵士の声に、陽子は煤だらけの手で磨いていた拳銃に視線を落とす。
「……そんなの、当てにならない」
血続専用のアルファーを素材に使った赤い二挺拳銃。その銃身が炎を照り返して、てらてらとまるで鮮血のように揺らめく。
「そうか? オレは意外と夢のある話だと思うぜ?」
同期の一人の声に陽子はようやく視線を持ち上げる。
男二人、女一人の三人組。二人は幼少期からの仲だと言う。陽子だけ、別の外人部隊から招集されたので、少しだけばつが悪い。
「そもそも……キョムとの戦争も何年くらいやるんだろうな。お上はあんなのに勝てると思ってるのか?」
「わかんねーぜ? 案外、血続さえ居りゃどうにかできる戦況なんだって言う楽観視かもな」
この二人は血続だが、微量の反応が観測されただけでさほど強いわけではない。むしろ、血続操主の弾除けとして徴用された部分がある、と盗み聞いていた。自分のような、生きていく価値なんてこれっぽっちもない人間の弾除けとは難儀だな、とは思ったが同情はしないつもりだ。
戦場では誰もが等価値に過ぎない。兵士の一単位において、同情だけが最も罪深い侮辱である。兵士にとって、戦いで死ぬことは日常茶飯事。明日には全身を吹き飛ばされて墓も立てられないかもしれない仲間に、いちいち感情移入することもない。どうせ、土の下をねぐらにするほかない死者同士ならば傷の舐め合いも意味を成さないだろう。
「けれど、血続ってのは……見出された、とオレは思ってるんだよな……」
今にも落ちてきそうな星空を仰いだ片割れの言葉にこの場を取り仕切っていたリーダー格はフッと口元を緩める。
「ロマンチストだな、お前は相変わらず」
「だってよ! 血続ってのは圧倒的に女が多いんだろ? 男の血続で、なおかつ子供の頃からの付き合いの奴なんてなかなか居ないだろ! これってさ、巡り会わせっつーか、運命なんだと思うんだよな」
「クサいことを言ってるんじゃない。……いや、それでも、か。これだけたくさんの星がある中で、巡り会ったのだけは奇跡だろうな。こうして戦場に徴用されて、それで人機操主をやれって言われるなんて思わなかったが」
リーダー格の少年が苦笑する。星空をその瞳に宿した少年兵は、ぼんやりと言葉にする。
「……この星も、オレが手繰り寄せなければ……知らなければ観測されない、そういう奇跡なんだよ」
「今日はいやに冴えているじゃないか。戦場から離れれば詩集でも出すか?」
「いいね! ……いや、マジに考えてるんだよな。詩の才能ってさ、案外オレにはあるのかもって……」
「お前にあるのは詩の才能じゃなくって言い訳の才能だよ。……教導官にあれだけ詰められて、飄々と言い訳を並べられる奴なんて初めて見た」
「何だよー。あれは言い訳じゃないぜ? 正当な理由って奴さ」
そうぼやいた少年兵の頬には痛々しい痣がある。教導官に余計な茶々を入れて突っかかった報いだと陽子は感じて銃のメンテナンスを続けていた。
スプリングと、弾倉。それに発射装置。アルファーの支援があるとは言え、基本的な機構は通常の銃と何も変わりはしない。これが目詰まりを起こす時は死ぬ時だ。そう自身に言い聞かせている途中で、不意につまらなそうに頬杖をついた少年兵の声を聞く。
「なぁ、あんた……。日本人だろ? 訛りがないから、英語のネイティブではあるんだろうが」
「……日本人で悪いか」
「いや! そんなつもりは……あー、いや、これも嘘だな。正直さ、日本人連中がキョムと戦っていたって噂、聞いたかよ」
「アンヘル、だったか。ラ・グラン・サバナで古代人機相手にドンパチやっていたって言う噂だな。それが確か……」
「モリビト、だったはずだ。《モリビト2号》」
前線を行く兵士たちにとってはまことしやかに語られる、キョムの八将陣と対等以上に戦ってみせたと言う、一つの伝説。
黒髪の日本人の少女が、鋼鉄の巨神である人機を操り、黒将を討ってみせたのだと言う、性質の悪いおとぎ話であった。
「あんたも黒髪だよな? ひょっとして……?」
こちらを窺った少年兵に陽子はキッと鋭い一瞥を投げると、相手は肩を竦めて視線を逸らす。
その手にはネックレスが巻きつけられており、こんな月夜には不釣り合いな輝きを宿す。
「……私がそんな一端の操主なら、こんな前線に居やしないわ」
「それもそうだ。あんた……外人部隊で途中から入って来たよな? よくやるよ。女だてらに教導官のしごきに付き合うなんて。オレたちでも参っちまうってのにな」
「……私が居た部隊に比べれば、まだあの教導官はマシ。言動に一貫性がある。狂えば……行動と言葉に繋がりなんてなくなる……」
少なくとも自分が踏み越えてきた戦場はそうであった。脳裏を掠めるのは獄炎と、そして死んで行ってしまった善人たち。
――そう、皆いい人であったのだ。
だが、いい人ほど早く死んで行ってしまうのがこの世の常。
崩壊したビル群に押し潰されて尊厳などなかった上官も居た。友情を誓った少女操主が、翌日には人機の鉄塊の中で何度もうわ言のように殺してとこぼしていたのを思い返す。
戦場に呵責はなく。
戦域に友愛は存在せず。
地獄は常に脳髄に寄生し。
この世は回り巡り続ける煉獄の只中にある。
全て悟り切ったように生きていくのは簡単であったが、陽子は弾丸を一発ずつ弾倉に込めていく。この掌にも満たない暴力装置で人が死ぬのだ。だから、与えてやる死の制裁には銃弾の鎮魂歌を。痛みや絶望には、せめてもの報いを。
慈悲などない。
生きていくことが地獄の人間も居れば、死ぬことでようやく地獄の一回りを終える人間も居る。だから、同情するつもりも、ましてや誰かの生き死にに干渉するつもりもなかった。人は死ぬ、簡単に死ぬのだ。
だから、銃弾を大事に扱うし、操縦する人機のことを信頼はしていても信用はしていない。
所詮、銃火器も人機も兵器の延長線上にある。
人殺しの道具に、何を想えると言うのか。
「星空の下でこうしてたき火を囲めるのも、今日で最後かもな」
リーダー格のぼやいた言葉に少年兵は大げさに応じる。
「オレは嫌だぜ! もっと、もーっと大事なことがあるはずだろ? そうだ、あんた……日本人なら今度教えてくれよ! ジャパンにはキョートだかトーキョーだか……よくは知らないが文化的なんだって聞いたぜ? そこを巡る方法だとかをさ! 少しは詳しいんだろ?」
その問いかけはこの場での現実逃避にはもってこいであったのだろう。陽子はそんなものは知らないとスパッと切り捨ててもよかったが、かつて同じ日本人から聞いたわらべうたを思い返す。
「……私もよくは知らないが、そういうのを表わした歌があるんだと、聞いたことがある。確か……まるたけえびすに、おしおいけ……あねさんろっかく、たこにしき……」
「おおっ! すげぇ! 何だかジャパンっぽいな! その呪文の意味は何なんだ?」
昂揚する少年兵の言葉に陽子は頭を振る。
「……分からない。これくらいしか覚えてないし……。けれど、何でなんだろう。……歌っているとちょっとだけ……安心する」
「それ、あんたにとっては大事な思い出なんだな。オレたちにはないものだよ。……極東の国家に、ふるさとを持てているんだ。本質的な意味じゃないぜ? 心の、ってことだよ」
「こころのふるさと……か」
今まで断片的にしか知らなかったメロディに少しだけ意味を持てた気がして悪い心地ではない。そう胸中に結ぼうとしたところで、不意に警笛が鳴り響く。
「おいでなすったか! キョムの決戦兵器が来るぞ! オレとこいつは《アサルト・ハシャ》に! あんたは……」
「私はトウジャで出る。払い下げの《トウジャCX》が、私の人機……」
「そうか。……お互い、生きて帰ろう。なに、人機も何もかも、人殺しの兵器なんだって思い切るのは簡単だが、オレはそうとは思わない。使い方次第なんだ……って、黒将を滅ぼしたその少女操主なら言うのかもな。それくらいおめでたい頭の持ち主のほうが……この世界を変えられる……そんな気がするんだ」
リーダー格の少年の腕にも片割れと同じネックレスが繋がれていた。ともすればこの二人は腐れ縁以上の何かか、いずれにせよ陽子に詮索するようなつもりはない。
返事を寄越さず、アルファーの赤い拳銃に弾丸を込めそれから頷く。
《アサルト・ハシャ》連隊が低い駆動音を立てて動き始める中で、陽子は愛機の《トウジャCX》の計器を確かめていた。血続トレースシステムの上操主席を無理やり接続させられた突貫工事。それでも、血続としての戦闘の一単位。ここで死ぬわけにはいかないと己を奮い立たせ、機体を前進させる。
途端、星空を貫いて大地に顕現したのは箱型を想起させる立方体で構成された人機であった。両肩に装備したリバウンドシールドを保持し、《アサルト・ハシャ》連隊の放つ銃撃を反射する。
「リバウンドフォール……? キョムはあんなものを……!」
陽子は《トウジャCX》の両肩にマウントされた小銃で敵人機の動きを撹乱しつつ、プレス兵装加工を施されたくの字ブレードで斬りかかる。リバウンドシールドに亀裂が走り、陽子はコックピット内で感触を確かめていた。
通用する、と確信して格闘戦に移る前に戦域を突っ切ったのは直上より放たれた放射熱線であった。細く素早く大地を掻っ切ったその速力に間に合わず、陽子の《トウジャCX》は吹き飛ばされる。
途端、大地から獄炎が上がり戦域は灼熱のフィールドに包まれていく。白い《アサルト・ハシャ》の連隊が炎に巻かれ、苦悶するかのように地面でのた打ち回るのを立方体の敵人機が撃ち抜いていく。
『シバ。少し強引が過ぎます。キリビトの力とは言え、万能ではないのですよ。我々も巻き込まれてしまう……』
《トウジャCX》が拾い上げた敵の無線に、少女の嘲りが浮かぶ。
『……関係がない。どうせ、ここに居る者たちは本隊が逃げおおせるための陽動だ。ハマド、お前はそちらに回り込め。雑兵は……このシバの《キリビト・コア》が引き受ける』
『……了承しましたよ。まったく、人遣いが荒い……』
飛翔した立方体の敵人機を追撃するような余裕は連隊にはない。遥か空の彼方、星空に溶けたように展開する巨大人機から再び熱線が照射される。
『砕け散れ。地を這うしか能のない、弱き者共よ』
爆ぜた大地の砂礫が《トウジャCX》に突き刺さり、陽子は眼前で瞬いた高火力を前に姿勢制御さえおぼつかないまま意識を昏倒させていた。
だが、夢は続かない。
プレッシャー兵装特有のきついオゾン臭と、それに伴った吐き気ですぐに目を覚ます。
コックピットを蹴り上げ、《トウジャCX》から這い出た陽子が目にしたのは――この世の地獄と言っても差し支えない光景であった。
黒くロストライフ化した土壌は捲れ上がり、人機はどれも五体満足なものは居ない。四肢を引き千切られ、炎に血塊炉を焼かれて青い血潮を撒き散らしている。
陽子は《トウジャCX》から解き放たれ、とぼとぼと行く当てのないまま歩き出す。
《アサルト・ハシャ》連隊は全滅であった。
しかし、誰か生きていないか、まだ命のある誰かは居ないか、と手繰り寄せるように声を出そうとして何度も喉の奥で詰まって咳き込んでしまう。
「……まるたけ……えびすに、おし、おいけ……」
ようやく喉の奥から漏れたのは助けを求める声でもなければ、誰かを救おうとする意志でもない。歌い慣れた異国の歌を紡ぎ、陽子は戦場を彷徨う。
「あねさん……ろっかく……たこにしき……」
誰かが聞いてくれれば。聞こえてくれれば。
しかし、その淡い希望は打ち砕かれる。
身を投げた形の《アサルト・ハシャ》のコックピットから数時間前に目にしたネックレスがこぼれ落ちている。
小さな腕。痛々しい痣と血まみれの手が投げ出され、最期の瞬間に何を願ったのか、その指先からネックレスは剥がれなかった。きっと彼らが紡いだ最後の祈りなのだろう。
――自分たちからこれ以上、何も奪わないでくれ、と言う。
やがて黒い雨が降り出す。